萌えと飲み会(中)


 僕は他人に対して評価の仕方が分からない。だから判断する為に人と比べる事で物事を仕分けする癖がついている。伝わりやすい例をあげるならば、平均年収よりも自分の年収が上ならば多くの人よりは貰っている方なんだろうと考える。


 年齢や職種に寄って左右されるとは言え、自己肯定感が高まる感覚を知っている。他よりも良い環境だと判断するのに数字という物は目に見えて分かりやすい。追加要素として残業の多さや仕事内容と比べて貰える賃金も少なからず影響を与えるであろう。


 現状の仕事に満足している状態で僕と同じ仕事内容にも関わらず他人が僕よりも目に見える賃金で劣っていると知れば、恐らく不満を持つと思う。その差がどうして生まれているのかを考えてしまう。


 自分が劣っているのか会社が評価していないのか要因が分からず、他人と比較して気分が落ち込む。


 そこで何故か僕よりも忙しく難易度の高い仕事をしていても給料という見える数字で僕が高いこともある。自分が誰かと比べてマシだと思う事で心の平穏を保つ。


 全くもって馬鹿らしいと内心では思っている。しかし、全ては評価の基準が自分の中で定まっていない事が要因だと僕は知っている。


 違う考え方を試みる。もしも、心からやりたい仕事があったとしよう。しかし、その職種はお金にならず同年代の平均年収より大きく劣るとする。


 僕がやりたい仕事で満足する自分を肯定できるか。実際のところ答えは出ない。なぜなら僕はやりたい事をやって今の給料にも満足している。生活にも困っていないのは独り身だった事も影響しているだろうけれど。


 相対評価の悪い点。


 僕が君と違って結果を出しているにも掛からわず認められている感覚が掴みづらい。


 そんな感覚に疑問を持ちつつも囚われていたのが僕――西崎カオルの新人時代だった。


 少しだけ、社会を知り大人になった僕はまだ評価の仕方が定まっていないけれども。迷いが生じたら心に従う事にした。


 数ヶ月前、僕が出社して僕の席に座っていた女性に惹かれた。うちの会社はキレイな人が多いと感じる僕だけれど、一番を塗り替えた衝撃は今でも忘れられず、当時は暫く呆けて見ていたと思う。


 初めての体験で僕の探していた感覚だと思った。誰かと比較して良いと判断した訳では無く『素敵な人』って心で想った。


 そう思える子が僕に好意を抱いてくれているとは幸せ者にも程がある。


「飲んでますかぁー?」


 表情がころころと変わる今井はどうみても完全に酔っ払っていた。初めて見る姿に好奇心と心配する親心が同時に溢れる。


「僕はちょうど、ウィスキーって奴に挑戦したばっかりだ。でも、まだ早かったらしい」

「ふぅーん」


 僕に体重を乗せて今井は野良猫のように頭をこすりつけて来た。そして、僕のグラスに手を伸ばしゴクンと喉を鳴らしながら一口飲んだ。


「わぁぁ」


 くぅーっと眉間に皺を寄せる今井の気持ちはよく分かる。喉が焼ける感覚で強くアルコールを感じた。


「キツイ……でも、癖になるかもぉ」


 躊躇わず更にに手を出した今井に驚くばかりだ。神下部長も小さく頷いて満足げな様子で僕等を眺めている間にも今井はハイペースで僕のグラスを空にした。


「おいモエ。今井が壊れてる」

「ついノリが良くてカナちゃんも付き合ってくれるから相乗効果も相まって私の管轄外」


 イマイチ要領が掴めないが酔っ払った今井カナを制御出来ないから後は任せたとモエの言葉を咀嚼した。酔っ払いに絡まれている僕を放置してモエは神下部長へと話を振り僕達を放置する。


「飲み過ぎたか飲まされたか」

「べっつにー、まだ飲めるから飲みすぎてないもん」

「まだ飲めると飲み過ぎは関係が無いと思うぞ」

「んー」


 人差し指を唇に当てて僕の言葉を理解しようと思考する今井カナを見守ること約五秒。今井がその僅かな時間で導き出した答えは酔っ払いらしくあった。


「わかんないけど、飲める!」

「はいはい。お茶とか頼む? 水がいい?」

「これにする。ふふふ」


 終始笑顔の今井はメニュー表を指差す先を確認したらハイボールと書いてあった。


「だめ?」

「二日酔いになってもしらんぞ。いいのか?」

「やったー。初めて頼むこれ」


 記憶を掘り返し僕は以前、二人で行った飲み会を思い出そうと努力する。その時は甘いお酒しか今井が飲んでいなかったはずだ。隣にいる今井を見ると恐らくモエからビールを沢山飲まされてウィスキーも飲み干している。


「今井は前に来た時……甘いお酒しか飲んで無かったんじゃないっけ?」

「そぉーですよ。今まで甘い奴しかのんでまっせーん」


 僕の記憶は正しく掘り返す事に成功したみたいで良かった。好奇心の塊であるチャレンジャー今井は恐らく挑んでいる。苦いビールやキツイお酒に手を出して経験値を溜め込んでいるみたいだ。


「どうして今日は色んなお酒を?」

「だってー、だってだってだって。モエさんと先輩は当然のようにビール飲むし……仲間はずれみたいじゃん! 私だって本気を出せば飲めるんですからね! 先輩と一緒にお酒をもっと飲みたいな―」


 僕と一緒にお酒を楽しみたいという心意気は良し! でも、体を壊してしまいそうな勢いは人生の先輩として止めなくてはならない。僕が同じ量を飲むと許容量を軽くオーバーして大変なことになってしまう。今井がどれくらいお酒に強いのかはデータが無いので判断がつかない点をどうにかしなくてはならない。


 とりあえずハイボールは頼むことにした。出来る限り話をして様子を伺う作戦に出る。


「今まで今井はどれくらいお酒を飲んだことあるんだったっけ?」

「うーんうーん。多くて三杯くらい?」

「おい睦月、今井に何杯飲ませたんだ?」

「すーぐ先輩はモエさんに強く当たる……めっ!」


 今井の指が僕のほっぺをツンツンとする間にモエは指を五本立てていた。甘いお酒が一杯、ビールが五杯でウィスキーのロックを飲むとこんな状態になるのか。ツーっと僕の背筋を今井が細い指で触れるか触れないかのギリギリな距離感を保ち、上から下へと急に訪れた刺激に驚く。


「無視しないで!」

「別に無視してる訳じゃない。とりあえず、もう少しゆっくり飲みな」

「はーい。お話しましょう先輩。最近の先輩は本当に仕事ばっかりで難しそうな顔してるし……別にかまって欲しい訳じゃないのよ。そりゃ、先輩はお仕事中だし邪魔しないようにカナも自分の作業してたしさぁー」


 どうみてもかまって欲しいと顔に書いてあった。


「あとー。あとは先輩ご飯食べないし、めちゃくちゃ残業してるー。倒れちゃうよ? 倒しちゃおうか???」


 ぐいーっと体重を掛けられるも僕は今井に倒される程の軟な男では無い。片手で支えて今井に反論を試みる。


「僕がやってたのは大事な仕事でだな。今井の今後やる仕事に大きな影響を与えるし沢山やれば色んな経験も積めて今井が一人前になれるだろうし……あと、くっつきすぎ」

「暑くなってきたかも」


 全くと言って僕の話を聞いていなかった。顔が赤いのも少し汗ばんだおでこも全てお酒の影響だと思うが、今井はそっと上着を脱いだ。そして、胸元をぱたぱたと非常に困る。迷子になった僕の視線はとりあえず今井が飲み干したグラスに移した。


「それにそれにー。先輩はめちゃくちゃな生活で体が壊れてしまいます。先輩が体調不良で休んじゃったら職場にカナひとりですからね。神下部長が言ってた通り先輩は怖い人です。大丈夫とか言いながら頬が痩せこけ目が死んでストレスで胃を壊すに違いない」


 散々な言われようにどんな材料で言葉を返すか考えてみよう。僕の経験上……あのレベルなら今までと比較してとても軽い。別の部署で忙しい時期だった事も重なり、暫く終電で帰るのも珍しくない。そういった経験と比較するなら一週間も満たない短い期間ならへっちゃらだ。


 此処まで考えて僕は自分の経験で評価している事に気づいた。今井カナという新人の立場からすると見えている物が違うはず……。


「先輩が残って仕事してるのにカナは定時で帰すんですよー。カナにもお手伝いさせたらいいのに! 二人でやればサクッと終わらないんですか?」

「現状の今井には難易度が高い作業だから無理だな」

「むー。先輩は先輩なんですから、もっと今井に頼ってもいいんですよぉ。出来るか出来ないかじゃないと思うの。ほら先輩! 誰でも初心者なんですからね。カナにも初めてを沢山体験させてください」


 チャレンジャーなのは良いが、流石に無理ある。出来ない作業を任せて残業している今井を想像すると残酷すぎる。新人に無理難題を任せて残業地獄というのは宜しくないから僕がそういう仕事を任せる事はありえない。


 かと言って何処まで行けば次のステップに進めるのか視覚化できてないので説明が難しい。実力が付いたらと言ってこの場を切り抜けることも考えたが何を持って実力と言えるのか。任せた仕事をそつなくこなしたらいいんだろうかと頭を悩ませた。


 後輩という存在がそうさせるのか僕の及ばなかった域について気付かされる。


「急に難しい事を任されて残業するのも嫌でしょ? それに一番怖いのは残業したからと言って終わるとは限らないからね」

「残業……もしも、カナをひとりで残業させたら泣きますからね? 覚えておいてください」

「僕も一応、先輩という立場だから後輩を放り投げるような真似は極力しないよ。クリティカルな問題が無ければ残業はしなくていいからね。僕に急用が出来て午後休とったら定時で帰っていいから」


 今井がやる仕事の内容は僕が切り分けて時間内に終る量を渡すつもりだ。明らかに本人がやる気も無く滞る場合を除いて、作業が溢れた場合は今井の実力を見誤ったと認めよう。


 今井とやりとりをしている間に店員さんがハイボールを置いてくれていた事に気づいた。少し氷が溶け始めているようにも見えるが今井は視界に入ったハイボールを口に運ぶ。


「あんまり味がわかんなくなってきちゃった」

「水と変わらないなら水を飲もう」


 酔って分からないならアルコールのない飲み物を摂取する方が合理的だと思う。酔っ払いの今井は僕にべったりで勿論、僕等のやりとりは睦月と神下部長にも聞こえている。


 だからこそ、今だと判断したのかもしれない。


「西崎くん。ちょっといいかな」


 ウィスキーが注がれたグラスの似合う神下部長が僕に話しかけてきた。

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