萌えと飲み会(上)
神下部長がドタキャンした居酒屋に入り今回は四人が席に座った。
「カナちゃんは何飲むのー?」
「んー。カルアミルクでお願いします」
「はいよー」
店員さんを呼んだ後に睦月モエはお酒を注文する。
「どーせカオルはビール飲めちゃいいっしょ」
「おう」
当たり前のように神下部長はウィスキーのロックで僕とモエはビールだった。
流石に傾向は掴まれていた。
「そういえば、部長。忘れてないですよね。僕と今井を放置して来なかった事を」
「……好きなだけ飲むといい」
今日は部長が全面的に奢ってくれると今確定した。
「カナちゃんはお仕事慣れたー?」
「はい。慣れてきました。困ったら先輩に聞いたらいいので!」
「カオルがちゃんと後輩にお仕事を教えるなんて私はとても感動しちゃう」
非常に心外である。僕は新人でも無ければそこそこ社会人として時間を過ごしている。業務の知識も蓄えがあり、何も分からない子達よりも沢山の経験をしているのだ。僕が経験してきた事に限り、新規の人にもある程度は説明することが出来る。
それに職業柄レビューをする機会も多々ある。システムの概要を伝えたり、どういう意図で行動を起こしていたりとお話をする機会があるのだ。
「僕を何だと思ってるんだ」
「だってー、カオルと同期よ? 新人研修も一緒に受けた仲よー。あ、カナちゃん聞いて聞いて」
ニコッと笑って睦月モエはターゲットを今井カナへ変えた。
「なんですか?」
「最近の子がどんな研修するのかは知らないんだけどー。一応、私も簡単な開発の研修を触りだけ学んだの。そこでね。カオルは成績優秀で研修内容をぱぱっと終わらす子だったのよ。私と違って」
嫌な記憶が蘇りそうになる。
「それでね。出来るカオルが出来ない私に教える機会があったんだけどー」
思い出したくない苦い記憶を語ろうとしているモエを止める手段を考えていると店員さんが良いタイミングでお酒を持ってきてくれた。
「まずは乾杯でもしようかモエ」
「そーね。はーいカナちゃんはこれで……よし、かんぱーい」
特に何かを成し遂げた訳でもないので長いセリフを省き、僕達はグラスに口をつけた。良い飲みっぷりを見せるモエに僕は前回宜しくビールを注ぐ。
「お、気が利くねカオルよ」
「早く飲みつぶれてしまえ」
「おやおや、お姉さんだけ飲まそうったってそうはいかない。カオルも飲みなさい」
僕は渋々グラスを空にする。しかし、最初の一口目が非常に美味しく感じるのでビールは簡単に喉を流れていった。
「でねでね。教科書とか配られるんだけど訳が分かんないのよ。だからカオルに聞いたのね。意味わかんないから教えてーって」
こやつは意地でも話を続ける様子だ。今井も興味津々にモエの話に集中している。
「そしたら『教科書に書いてる通りにやればいい』って言うのよ? 酷くない? 読んでも意味わかんないから聞いてんの!」
「……」
当時の僕からすると、新人担当の話を聞いて教科書を眺めれば理解できる範囲で何を教えればいいのか全く分からなかった。僕が元々そういう技術系の知識を持っていて、睦月が持ってなかった。その差を若かりし頃の僕は考慮できていなかった。
「変数がーとか配列がー! 分かんないからその道を辞めちゃった。カナちゃんはそれが出来てて凄い!」
「あー、あはは」
乾いた笑いを返すだけで今井は気まずそうにしている。モエが辞めた道をカナは進んでいて資格取得を失敗したばっかりだ。モエの言う分からなかった場所を完璧に理解していれば結果が変わっていてもおかしくはない。
「僕は睦月モエという存在に感謝している」
「な、急にどうしたのよ」
持っていたグラスを勢いよく空にした同期へ僕は続けた。
「答えが書いてあるにも関わらず、理解できない人が存在していると知った」
「カナちゃん。一発本気でカオルをぶん殴って良い?」
冗談でも無くモエは今にも襲いかかる勢いでとても怖い。
「ごめん。でも、本当にモエが居たから僕は成長できたんだ。モエには僕よりも社交的で色んな人と仲良くなれる点が長所だろう? 君が設備に居るだけで僕も非常に助かっている。君が力を発揮できる場所が技術部じゃなかったってだけなんだ」
「カオルはデリカシーを持った方がモテると思う。それで、他には無いの?」
気を許しすぎて直接的な表現になってしまった点を反省しよう。モエの言う通り表現の仕方はやりようがあった。それにしても、おねだりされるとは予想もしていない。
「僕と違い長所と呼べる点がまだある。社会人としてお酒に強いのは付き合いにも影響するだろう。僕よりもお酒に強いのは長所だと自信を持って欲しい。僕よりも長く楽しい時間を共有できるモエが羨ましくもある」
飲み会という場は会社が絡むと関係値に影響を与える。基本的に飲み会へはお酒が好きな人が参加するので僕よりも強いモエは何十倍も僕より楽しい時間を共有できる。
体質の関係で仕方ないので睦月モエの才能とも言える。
「まぁ、お酒は好きだし……さぁ、あんたも飲みなさい」
「ペースが早いな」
飲みかけのグラスに追加されてしまった。そのまま放置する訳にも行かず僕は一口飲む。
「カナちゃーん。カオルは口が悪いけど、付き合いは良いからね」
「人聞きの悪いことを言うもんじゃない。僕は今井と神下部長にも同じ様に言っているつもりだ」
「えー、絶対に違うっしょ。私にだけ当たりが強いと思います。どうカナちゃん」
蕩ける甘さのお酒をニコニコと飲みながら僕らを眺めていた今井カナが話題を振られ、表情変わらず僕に対して言った。
「はい。先輩は睦月さんと仲良しですね」
おやおや、風邪を引いたかもしれない……と錯覚するほどに背筋が凍った。
「あら先輩。固まってどうしました?」
「いや。ちょっと悪寒といいますか。体調は万全のはずなんだけどな」
「お酒が足りないのよ。カオルも飲め」
「睦月さん。私も頂いていいですか!」
お、いくかいくかぁー! とテンション上げ気味の睦月モエが新しいコップに並々と注いだ。受け取った今井もぐいっと飲み干す。
笑顔で拍手する睦月は人に酒を飲ませる才能を持っているかもしれない。神下部長はグラスの氷をカランと鳴らしながら僕等を見てゆっくりとお酒を飲んでいた。
「モエと部長はお酒に強いですね。そんな度数が高いお酒とか飲める自信が無いです」
「試した事はあるかね?」
神下部長が持っているのはロックのウィスキー。水で割らず氷しか入っていない琥珀色のお酒を神下部長が追加注文した。しばらく待ち僕の前に強いお酒が現れる。
もちろん飲んだ事が無い。むしろ、睦月のせいで僕の許容量はギリギリのはずだ。二日酔いが脳裏をよぎるも、好奇心が刺激される。
冷たいグラスを手に取ると僕は鼻に近づけた。今まで飲んだ事が無いので表現の仕方が分からず、変な匂いが僕を刺激する。不快には思わなかったので軽く口をつけると、不思議な香りが広がった。
そして、焼ける。
「ごほっ。部長、よくこんなの飲めますね」
「ふっ」
大人の余裕……僕がもう少し年齢を重ねたらこういう男性になれるだろうか。僕の視線に気づいた神下部長はシニカルな笑いを浮かべて苦しむ僕を見ていた。ダンディな髭にカウボーイ姿の上司。
よく考えると僕は神下部長のような男に憧れている訳では無いので、半ば飲めなくてもいいと結論が出た。
「せんぱーい」
艶のある声で優しく呟く声が僕の鼓膜を刺激した。僕の事を先輩と呼ぶ後輩は一人しか居ない。普段の声と一致しない僕は驚きつつ今井の姿を確認する。
目がトロンとして顔が赤い。ゲームやマンガなら状態異常に堕ちた姿の後輩がそこには居た。
恐らく犯人である睦月モエがニヤニヤと僕等を見守る目には悪意を感じつつ、後輩の相手をする。
「どうしたの?」
「えへへ」
目が合う瞬間に不安そうな表情が、とびっきりの笑顔に変わって僕の胸に言語化不明の衝撃が走った。
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