予約完了


 ふしゅーと頭から湯気をだしてパンクしている状態が今の正しい情報だと言える。


 僕はデスクに突伏して頭痛に苦しんでいた。頭痛だけならまだしも目も痛くなってきたし、軽く吐き気も感じる。


 その隣で同じ様にデスクへ身体を預ける戦場から帰ってきた今井が虚ろな目をしていた。


「研修はどうだった今井」

「……起きるのに必死だった」


 言いたい事は分かる。気合とかやる気じゃ覆らない事もある。何より今まで触れてこなかった分野に触って拒否反応さえも出るだろうと予想は出来ていた。


「先輩。インターネットってパソコンですよね?」

「その質問に対して正確に答える気力が無いが、インターネットはあくまで機械が繋がってるだけだぞ」


 己……お酒の奴め。恐らくお酒を飲んでいた当時の僕は楽しんでいたであろう。しかし、記憶にない僕は今の苦しみだけを体感している。コレがお酒に飲まれるって奴か。


「パソコンがインターネットなんですかぁ?」

「パソコンもネットに繋がっているからインターネットと言っても過言では無いかもしれないなぁ」

「へぇー……ならこの携帯電話もインターネットですねぇ」

「そうだな。俺はサーバーに接続してデータを上げてたからめちゃくちゃインターネットしたよ」


 何を言ってるのか分からないが今は帰りたい気持ちに包まれていた。恐らく今井もそうだろう。ソレだけは分かる。


「そういえば今井ってお酒は強いのか?」

「なんですかぁ先輩。二日連続で私とふたりっきりの個室でお酒を飲みたいってことですか? 頭の中がぐるぐるでパンクしてますが、やぶさかではないです」


 おっと、この新人は意外と元気だ。実は昨日ソフトドリンクでも飲んで居た可能性を捨てきれない。


「向かい酒って……気分じゃないな」

「せんぱーい。私、甘い物が食べたいです」


 甘い物を食べに行くと言われてもコンビニのデザートくらいしか思い浮かばなかった。それよりも二日酔いをやっつける方法を知りたい。水分は沢山接種したから後は寝ている間に臓器が頑張ってくれると信じて帰るのが一番だと思う。


「帰って寝たい」

「せんぱーい、甘い物は頭に良いと話を聞いたことがあります。甘い物を食べれば頭が良くなるって訳ですよ。先輩は二日酔いで頭がやられておかしくなってる状態なんです。だから、甘い物を食べれば二日酔いも治りますよきっと。多分そうです」


 甘い物を食べれば二日酔いが治る可能性を示唆している。甘い何かを摂取することにより血糖値があがり、良い作用を起こす……かもしれない。実際に二日酔いが身体にどのような影響を与えているのか知らない。


 だからこそ、甘い物を食べるという案はこの苦しみから逃れる最善の策かもしれないと僕の疲れ切った脳みそが判断した。


「帰りにコンビニ寄るか? あと十五分で仕事も終わる時間だし……」

「一緒に帰って甘い物を食べるって事ですね先輩。コンビニより駅前のスイーツ店がいいです」


 意識した事が無かったけれど、スイーツ店なんてあったんだな。僕の目的である『帰る』途中にあるのがポイントを高めている。遠出して食べて帰る訳でもなく途中で買って帰れるなら許せる。


「決定です。先輩は甘い物とか好きなんですか?」

「そこそこ好きだなぁ」

「ふぅーん。二月はチョコを用意しますので楽しみにしていてくださいね」


 二月って今は四月だから十ヶ月もの期間を僕は楽しみに過ごすのか……首を長くして待とう。


 だらけて身体を休めている間に時間が過ぎ去った。二日酔いを倒すために、僕は甘い物を食べに行く。隣の今井は頭を良くする為に甘い物を摂取すると言っていた気がするが、冷静に考えると甘い物を食べて頭が良くなるのか。


 疑問はそっと胸に秘めて僕等は会社を出た。定時で業務を終えきれた人々が溢れかえる門に並ぶ。人の流れに酔いそうになったのは久々だった。コレも全てお酒が悪い。


 少しだけ休んで冷静になった僕は無機物のお酒が悪いのか脳裏をよぎる。もしかすると悪いのは僕であって……真実に気付きそうだったので僕は考えるのを辞めた。


「せんぱい。置いてかないでください」

「あぁ。ごめん」


 門を出て人の流れに乗っていたら後輩を置いていくところだった。そういえば、今井は何処出身なのか知らないな。


「今井はこの辺で生まれたのか?」

「田舎から来たので土地勘は無いと思って下さい。それにしても、人も多ければビルも高くて忙しない場所です」


 僕は地元なので今井の様に感じたことが無いから不思議な感想だと感じた。田舎と聞いて僕が想像するのは大自然である。川のせせらぎや木々の揺れて葉がぶつかる音に野鳥の鳴き声が浮かんだ。


 じっと、隣を歩く今井を見る。


 麦わら帽子も似合いそうだと思いながら想像にふける。海をバックにしても良さそうだなと考えていたら今井が僕のスーツの先を掴んだ。


「なんですか先輩。私の事をじーっと見つめて。可愛いですか? プリクラとか撮ります?」


 プリクラなんて小学生の頃に友達と撮ったっきりで関わる事が無かった。この歳になって耳にすることがあろうとは、今井の若さを実感する。


「いや、帰りたい。今井、掴まれると歩きにくい」

「この人混みですよ。迷子になりますよ? 先輩が!」

「僕の地元はここだから迷子にはならないよ」


 よく考えるとプリクラは女子が良く撮っていた。この前まで大学生の今井が友達と頻繁にプリクラへ足を運んでいても変じゃない。触れてきた文化の違いを感じた。


「あ、スイーツとやらの場所が分からないんだけど、どの辺りにあるんだ?」

「私に任せて下さい。入社する時に近辺は調査済みで、完璧に頭に入っています。そこの路地に入って抜けたらすぐですよ」


 完璧に入っているなら道に迷うこともなかろうに。


 そう思いながら今井の指示に従い道を進むとオシャレなカフェが見えてきた。うちの社員も何人か店内で楽しんでいる様子が伺える。一人だけ見覚えのある受付係が見えた。それにしても今井は本当にスイーツ店を把握していた。


 疑っていた訳では無いけれど、ここは僕の地元である。地元なら見覚えくらいはあるだろうと思っていたが僕は初めてこの道を通った。地元だから分かるとたかを括っていたが、自称田舎出身の今井が上手だったらしい。


「ケーキ食べたい! ものすっごく甘いケーキが食べたいです先輩!」

「好きなのを食えばいい。僕はどれにしようか……シュークリームとか食べやすそうでいいな」


 しょぼしょぼする目頭を抑えながら注文した商品が来るのを待つ。周りを見ると女性客が多くて場違い感が漂っていたが、二日酔いに効くなら背に腹はかえられない。


「おまたせいたしました」


 学生のバイトっぽい子が商品を手にテーブルへ持ってきてくれた。


「わーい、先輩のおごりで食べるケーキはいつもの五倍くらい美味しそう」

「それは良かった」


 麦わら帽子が似合いそうな今井が嬉しそうに目を輝かせていたので、来てよかったと思った。口角を上げて今にも食べたそうにしている。


「食べな」

「はい!」


 フォークを手にオーソドックスないちごのショートケーキを口に運ぶ。笑顔が溢れる今井をぼーっと僕は眺めていた。本当に美味しそうに食べる。いや、実際も美味しいんだろうけれど。


 眼福である。


「ジロジロ見てもケーキはあげませんよ? 先輩も早く食べてくださいよ」

「あぁ、そうだな」


 僕は包みを手にシュークリームを頬張った。想像以上の甘さに驚き、たっぷりなクリームに苦戦する。綺麗に食べきれない……そう、口の周りを汚しながら食べていた。


「うーん」


 眉間に皺を寄せながら今井が僕を眺めている。食べている様子を見られる経験を今までしてこなかった。少なくとも意識したことが無かったが、何故か気恥ずかしさを感じる。


「見られると食べにくいもんだな」

「あははっ、美味しいですか? 先輩」

「満足度は高い、これで頭痛も引けば言うことなしだ」


 そういえば、二日酔いでしたねと今井が今更、思い出したかのように呟いた。


 この新人も自分のことで精一杯なのであろう。


「研修はどんな事をしたんだ?」

「あー、先輩はこんなに美味しいケーキを前に嫌な事を思い出させた。もう、本当に訳が分かんないんですよ。研修用のパソコンを借りてプログラムの基礎を触るんです。講師の新垣さんがすらーっと教本を元に進めていくんですけど、早いのなんのってもう!」


 元々『出来る』人に向けた研修スケジュールとなっているので、軽い振り返り的な要素が大きい内容となっている。人事が最低ラインを目利きして技術者を入社させるので、大半が出来る社員にならざるをえない。


 そういう経験者の中に放り込まれた素人の今井が速度に追いつけないのも理解は出来る。


 この状況が本当に今井に合っているのかは考える余地が十二分にあった。この速度についていけないからダメな訳では決して無い。むしろやり方を考えた方が良さそうだな。


 そうなると、業務をメインに日々成長出来る方向にシフトするほうが良い可能性が高い。暫く様子をするつもりだったが、はじめの元気な返事をしていた姿と比べると相当参っているようにも見える。


 更に二倍くらいの期間があれば研修の学習速度も万人に合うだろうけれど、そう柔軟に変えるのは別の新人も居て難しい。


 技術者の数が少ないとはいえ、数十人は存在した。優先的に新人を回す部署も理解している。


 特にこの研修期間で座学をメインに一週間行い、各部署を体験してもらうはずだ。そこで、向いてそうな……希望を度外視して適正のある部署をまずは見極める。


 定時前まで色々な部署に散って学び、日報を書いて貰って各リーダーの所感と照らし合わせ最後に本人の進みたい希望の道を聞いて進めるように配属させる。


 今井よりは理解があるとはいえ、まだ何もしたことの無いに等しい新人に仕事を与えるのも一苦労する。


 最初は仕事を覚えて貰うまで戦力とは考えない。その覚える期間に適正が無いと判断されたら、また部署も変更される可能性が当然ありえる。


 少なくとも、技術職の新人が僕の部署に来ることはなさそうだった。今見えている仕事の量を考えると人数を増やしても会社のお金にはならないと僕の目でも分かる。だからこそ、受付係から溢れた今井が来た。


 開始期間もまだ約二ヶ月先なので育てる時間もある。規模を考えると僕一人でも時間があれば上手いこと回せそうだけれど、忙しい時期になると外部の企業から人材を短期間借りて一気に終わらせる事になるだろう。


 その時に僕が実作業にどれだけ入れるかが問題である。単純に人数が増えればその分だけ仕事が早く終る訳では無い。新しく入った人に説明する時間や確認する時間も掛かる。二人で十時間掛かる仕事に四人で取り組んでも五時間では終わらない。


 ここで、仕事にも優先順位が存在する。僕が期間に影響のある仕事を触っている間に出来れば今井が動けているのがベストだ。


 最悪のパターンとして自社の人を無理やりひっぱり短期間だけお願いする可能性も存在すれば、他社からリーダー的な動きが出来る人を借りることもあり得る。


 何れにせよ、新規の部署かつ仕事量を見込んでも今井には期待が膨らむ。


 そういう未来の仕事を考慮して神下部長も今井を引っ張ってきたかもしれないなぁと思いながら僕は最後の一口を平らげた。


「美味かった」

「満足度が高いです。特に先輩の奢りなので美味しさが倍増してるかもしれません。今後ともよろしくお願いします」

「残念ながら僕は今井の財布じゃないので期待には答えられそうにないな。んじゃ、帰るか」


 ぷぅーっ口を膨らませながら今井は席を立った。ごちそうさまでしたと店員に伝えて店を後に駅へ向かう。


「そういえば、今井って田舎出身とか言ってたから一人暮らしか。うちの会社が契約している社員寮的な扱いのマンションがいくつか存在したな」


「そうです。オートロックのある建物なので一人で来ても中には入れませんよ。残念でしたね」

「僕が今井の部屋を訪れる理由が見つからない。だから、何の憂いもないよ」

「実はどんな部屋か気にならないですか? 先輩の住んでいる家とどれくらい違うのか気になりませんかぁ~?」


 僕が新人の頃も社員寮は存在したが三年目から家賃補助が無くなるので、引っ越したっきりでどうなっているのか知らなかった。


 それに、男性社員と女性社員が同じ寮の訳も無く女性社員は全く別の場所である。


 僕が住んでいた場所と同じなら間取りから全て分かるが恐らく違う……僕は四年目から自分で会社へのアクセスを優先に家を決めて住んでいる。もしかすると僕の家よりも綺麗で広くて立派なところに住んでることは想像出来た。


「いや、行かない。僕は帰る」

「今なら特別にお部屋くらい見せてもいいですよ? ダンボールだらけですけど」

「そのダンボールの片付けを手伝われそうだな。僕はもう帰って寝るよ」

「ちぇ。ばれたか」


 下を出しながら悔しそうにしていた。油断も隙もない。


 僕等は駅のホームで電車が来るのを待った。周りを見ると定時を過ぎて電車に駆け込んだ社員がスイーツを食べている間に帰宅したのかつり革を掴む必要が無さそうな人数しか待っていない。


 少し時間をずらすだけで変わるなぁと考えていたら電車が轟音と共にホームへやってきた。先頭車両が停止位置に止まるまでの間に少し肌寒い風が頬を撫でる。


「昨日は上着が椅子に掛かっていたとおもうけど、寒くないか?」


 今日は新品のスーツで身を包む今井に訪ねた。


「スーツって思ったより温かいんですよ。上半身だけですけどね」


 ズボンタイプを履けばいいのにと思いながら僕はスカートを見た。ストッキングを履いているが確かに風通しが良さそうである。


「先輩は生足派ですか?」

「変な事を公共の場で聞くもんじゃない」


 電車の扉が開いて僕等は中にはいった。ちょうど、出入り口付近の椅子が空いていたので腰を下ろす。


「電車って気を使います」

「電車に気を使っても置いていかれるぞ」


「そうじゃないですよ」


 今井は膝の上にカバンを置いてスカートを撫でた。


「座ったら見えるかもしれないじゃないですかぁ?」

「……足を閉じれば防御力もあがるだろう」


 電車に気を使う訳ではなく、人目を気にしていると理解した。スカートの仕組み上、致し方ない点も少なからずある。


「十分も掛からないから我慢できますけど、意外と足を閉じるのって慣れないと大変なんですよ。先輩もやってみてくださいよ。今の先輩がスカートを履いたら丸見えですからね?」

「要らない心配だな。僕がスカートを履くことなんてありえないんだから」


 いくら着用しないタイプの服装だとしても、足を閉じたほうが行儀よく見えるかもしれないと思い。あくまで今井に従ったわけ出はなく、自発的に足を閉じてみた。普段意識していないので意識すると面倒だった。


「気を抜いたらすぐに見えちゃいますからね? 電車で居眠りでもした時にはおしまいです」


 意識して難しいんだから寝ている無意識な状態だと確実に閉じれない。足が開かないくらいぎゅうぎゅう詰めなら勝手に閉じるだろうが、知らない他人と密着する状況はなるべく避けたい。


「ふふっ、先輩にはスカートを履く資格が無いみたいですね」

「……パンツスタイルで行けば安心安全だろう?」


 見える可能性を消せば問題ない。


「オシャレは我慢って良く言うじゃないですかー。でも、見られるのを我慢するのは違うと思うんですよね。だって、セーラー服の制服を規定している学生とか強制的にスカートを履くんですよ? それで見られるのを我慢するってのは違うじゃないですか! 私は好きで履いてるんだけど……」


 セクシャルな話題で返答が難しい。考えたことも無かった話題で僕の会話デッキに加わる可能性が皆無だった。しかし、会話カードを切られたからには何かしらを返したい。


「スカートの下に短パンとか履いたら問題解決じゃないか?」


 妙案だと思った。そもそも見えても問題ない状態を作り上げれば解決するのだ。


「それって見えた時にがっかりしません? 私が見るなら肩を落としちゃいますよ」

「これ以上は返答を控えるとしよう」


 この話題についていけない。それにもうそろそろ僕は降りる駅が近づいていた。


「もうそろそろ駅に到着しますね」

「あぁ」


 まるで僕の最寄り駅を把握しているかのような口ぶりに気付いた。


 僕が隣の今井をさっと見る。


「実は私がちゃんと家まで送り届けたんですよ? 私も眠かったんだけど酔っ払いの先輩が心配だったんですからね? その時に私もうたた寝しちゃって先輩のスーツにヨダレをつけちゃったのは内緒です」

「全部自分でばらしてるぞ今井」


 僕は帰宅するまでの記憶を失っていた。ましてや、後輩に送られていた。つまり、家の場所も把握されている事になる。


 記憶がないだけで、自宅にあげていた可能性もあった。


 怖い、お酒って本当に怖いな。今後は気をつけよう。鉄の掟を自分の中に作らなくては……。


「その……なんだ。心配して送ってくれたんだろう? ありがとな。それに免じてヨダレは許す」


 可能性として道端で酔いつぶれていた未来もあり得た。無事に家で起きる事ができたのは今井のおかげである。


「許されるならもっと唾付けとけばよかった……」

「想像するだけで汚いから辞めろ。んじゃ、僕は此処で降りるから真っ直ぐ帰りなよ」

「ちゃんと帰りますよ。先輩もぐっすり眠って元気になってくださいね」


 僕は立ち上がり電車を降りて改札を通った。そこから五分くらい歩いて自宅に到着する。


 帰宅して上着を脱ぐと確かに痕跡が見つかった。


「酔っ払いの俺よ、教えてくれ……先日のゴミ出し日を逃して少し臭うこの部屋に後輩を入れたのか?」


 部屋はなるべく綺麗に保とうと思いつつ服を脱いで着替えるとベットに倒れ込んだ。

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