第28話 フリルの夢
結局、クズと手を結ぶことになったが、律としては大変遺憾である。
「俺を誘うってことは、それなりに考えがあるんだろうな?」
「隙を見て逃げ出して~、隙を見てキミの腕と目を取り戻して~、隙を見てあいつを倒す~……かな?」
「希望的観測の隙が多すぎるぞ、クズ。せめて、もうちょっと考えてから誘ってくれ」
「キミを誘う段階で、キミなら計画から案をくれるかなって目論見があったんだよ。ほら、代わりに今キミができないようなこと――例えば、夢を奪うとか夢を操るとか、そういうのはボクがやってあげるからさ」
律は、疲労感のあまり天井を見上げた。
こうして悠から離れていると言うのに、頭を使う運命にあるのは変わらないらしい。
しかも北条の場合は、悠と違って確信的である分、頭にくる。
「だってさぁ、ボクがここに連れてこられたのもそういう理由だと思うんだよね」
「そういう?」
北条の甘ったるい猫なで声は腹立たしいが、なにを言いたいのかは気にかかった。
「だからさ、キミの兄さんはボクの能力を奪いたくて連れて来たんだと思うんだよ。ボクのどんな能力が、キミの兄さんのアンテナに引っかかったのかは知らないけど」
「単に、悠や雫から夢に入るよすがを奪いたかっただけじゃないか?」
「そんなそんな。ボクなんて足元にも及ばない大ベテランの上に、キミの能力まで手に入れちゃったキミの兄さんが、あんなド素人に毛が生えたような小学生コンビ、気にするとでも思う? 前後の状況から言って、ボク自身になにかをやらせたかったんだ……こんな扱いだけど」
じゃら、と繋がれた犬よろしく首輪から伸びている鎖を、北条は片手で持って振って見せた。
律とはずいぶん待遇が違うと主張したいらしい。
「あ、そうだ。キミの兄さんって時々ごはん持ってくるじゃない? キミにだけ」
「ああ……」
律はうんざりした顔で頷いた。
夢の中だ。本来、食事も睡眠も、生きるために必要なことはなにも必要ない。
だが、兄が自分で調理したものを持ってやってくるのは……あーんして手づから食べさせたいらしい。
毎回、腹が減ってないからと断ってはいるが、正直そろそろ無理にでも食べさせられそうではある。
食べるのは幸福の一種だからとかなんとか、また勝手に決めた幸福の定義に律を合わせようとして。
「うん、キモいとかそういうのは一旦脇に置いといてね。計画なんだけど、キミが食べるフリして兄に近づいてさ、その隙に目を奪い返すとかどう?」
「だから、その隙ってどの隙なんだよ」
「それを考えるのはキミの仕事だろ」
「お前な……」
とは言え、確かにチャンスの一つではある。
悩んでいる間に、ぱたんと扉が開く音がした。
見れば、白黒のフリルスカートの人影が入り込んでくる。
メイドの掃除時間になったらしい。
律は一瞬で興味を失って視線を戻そうとして――慌てて二度見した。
メイド服を着た小柄な影に、確かに見覚えがある。
「……お前、もしかしてヤマウエ、じゃないか?」
「はい、お久しぶりです」
頭上のホワイトブリムを柔らかに振って、スカートの少女――いや、少年が、律の方を仰ぎ見た。
正面から顔を見れば、間違いない。
カトウから夢を奪って、そのまま北条に連れ去られた後輩である。
「ええっ、なにやってんのさ、ヤマウエ?」
「な、んでこんなところで……あの……メイド、をしてるんだ?」
どちらかと言えば、後半に律の疑問の力点はある。
が、ヤマウエは前半の問いの方を重視したらしい。
「それは、北条さんがよく知ってますよ。ね?」
「あ~はいはい」
やる気のない声が、部屋の隅から上がった。言葉通り、身に覚えがあるようだ。
その姿をじっと見据えながら、じりじりとヤマウエは北条の方へ近づいて行った。
「ボク、カトウさんの夢から北条さんの夢に引きずり込まれて閉じ込められたんです。その後、北条さんが、悠さんの腕や律さんの眼と一緒に、この館の主人――戒さんの夢にボクも一緒に売り払ってくれて」
「あ~、うんうん。まあそういうこともあったよね~」
「お前……本当にろくなことしないな」
軽い口調で答える北条に、律は深いため息で応えた。
つまり、他のメイドも似たり寄ったりの境遇なのだと思われる。
あちこちから集めて来た夢の主を、この館の夢を確立させるために働かせているのだろう。
……と、なれば。
今、この時にヤマウエが北条の前に姿を現わしたのは、つまり北条に対する復讐のためか。
止めるべきか見逃すべきか数分悩んで、律はようやく重い腰を上げた。
「……あのな、お前もその男には恨みつらみがあるかもしれない。だが、考えてみろ。今ここにいる北条は、そのすべてを夢に取り込まれている。夢の中とは言え、殺せば現実からも消えてしまう。実質的には殺人だ」
「お~、そうだそうだ」
「つまり、そんなことをすれば不可能犯罪――ここで殺せば現実でも北条は死ぬ。なのに、お前が殺したことは絶対にバレない」
「……ん?」
「逮捕されるリスクなしに北条を殺すことができる!」
「――いや、ちょっと! どっちの味方なのさ!?」
「少なくともクズの味方じゃないことは確かだ」
言い切った律に、北条は縋るような視線を向けた。
「待て待て待て、それで本当にいいわけ? 貴重な戦力が一人いなくなるんだよ!?」
「いや……その通りではあるんだ。わかってはいる。ただ、フォローしようという気がなかなか起きないだけだ」
「キミさぁ!?」
北条の悲鳴に、こほん、と律は咳ばらいをした。
「なあ、ヤマウエ。殺してもバレない――だが、バレないからって、やってもいいことなのか? お前は、カトウの夢を奪って奪い返されて――結局そういう風に考えるヤツなのか?」
「……律さん」
フリルまみれの少年は、北条から視線を外し、律を再び見上げた。
その表情はひどく落ち着いていて――
「――ボク、別に北条さんのこと全然恨んだりしてませんよ?」
そして、恐ろしく愛らしかった。
「は」
「え?」
律と北条の間抜けた声が重なる。
二人を交互に見て、ヤマウエはぎゅっと両手を胸の前で組んで見せた。
「ここに来てボク、わかったんです! ボクは別に足が速くある必要も、陸上を頑張る必然性も、スカートをはかない理由だって、なかったんだなって!」
疑問符が頭上を飛び交う二人を置いて、ヤマウエがその場でくるりと回る。
ふわりと浮かんだスカートが、ゆっくりと床に降りてくる。その間に、ヤマウエは可愛らしく小首を傾げ、微笑みを浮かべた。
「だってほら、ボク、こんなにも似合ってるでしょう?」
そう言われれば、似合っているのは間違いない。
二人は他にどう表現しようもなく、大人しく頷いた。
「一緒に働いてるお姉さんたちからも言われるんです。ボクがいちばんメイド服を着こなしているって。ボクがすごくかわいいから、お姉さんたちはみんなボクを可愛がってくれて……だから、ボクの天職と言うか、才能ってこういうことだったんだなって」
ぱたぱたと駆け寄ったヤマウエが、北条の手を両手で握る。
「だから、北条さん! ボク、心からあなたに感謝してるんです。ボクに広い世界を見せてくれて、ありがとうございました!」
「……う、うん。別にそんなことなーんにも考えてなかったけど、キミのためになったなら良かったよ!」
とっさに、輝くような笑顔で言い返す北条も北条である。
北条は、その表情のまま上を見上げ、律に向かって手を振った。
「――やあ、律! ボクったら、また人をすくってしまったよ!」
「黙れクズ」
律は、あらためて北条はクズであるという考えを新たにした。
■◇■◇■◇■
ヤマウエはこの屋敷のメイドである。
一緒に働く年上の女性メイドたちにも可愛がられているメイドである。
仕事のほとんどが現実感を出すためだけの見せかけのものであるが、そうは言っても、それは現実に近い仕事でなくてはならない。
よって、ヤマウエをはじめとするメイドたちは、この館の中のありとあらゆる場所に、疑われずにアクセスできる。
館の中には、メイドが歩き回っていることが当然の現実だからだ。
誰にとっての? ――戒にとっての、である。
戒の常識によって現実に近い存在を確立しているこの館は、戒のルールで動いている。
よって、この屋敷の鍵の在処については、メイドは誰もが知っていた。
メイドとはそういうものだからだ。戒にとっては。
だから、律と北条の拘束を解くなんて、簡単なことだった。
その上で――
「――なんで俺がこんな格好を……」
「ええ? 似合ってるからいーんじゃない。ヤマウエほどじゃないけどさぁ」
「そうですよね、えへへ」
脱走したからには、目立たない恰好で移動するのがいちばんである。
この館の中、最も不審なく動き回れるのは、もちろんメイドであった。
ということで、メイド服姿の律と北条は、ヤマウエの後について戒の自室を目指しているのだった。
行きあう女性メイドたちが、ヤマウエに向けてばちんっと強めのウインクをしてくるのは、どうやら二人の脱走を――というか、ヤマウエのやんちゃを見逃してくれているらしい。
「なあ、北条……俺は、兄の暴走を止めるためにこうしてるんだよ、な」
「そうなんじゃない?」
「つまり……俺、なにも悪いことしてないのに巻き込まれてこんな格好まで……もしかして俺って結構、不幸なんじゃないか?」
不幸を抱えるあまり夢を奪う者たちばかり見ていたから、なんとなく見過ごしていた。
兄を倒すために好きでもないメイド服を着るというのは、考えてみれば、かなり不幸な気はする。
北条はけらけらと高らかに笑い、そして当然のように言い返した。
「キミが不幸だなんて、ボクはキミの兄さんに会った時から知ってたし。そうだね、ボクが世界一不幸だとしたら、キミは世界二位くらいじゃないかな」
「――前言撤回する。お前と同列なんて絶対ごめんだ」
不幸だと思わなければ、不幸なんかじゃない。
幸せが、他人から強要されるものではないのと同じく。
律はそう自分に言い聞かせ、長い廊下をしずしずと歩くのだった。
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