第12話 かつて耳にした夢
「……で、雫のおかげでまた、夢を奪われた者を見つけて来た、とな」
「こいつさぁ、マジでなんか変な嗅覚あんじゃね?」
「偶然ですってば!」
真剣な顔で抗議しているが、一人を除き、雫を見ている全員がそれぞれに疑わしい表情を浮かべていた。
雫がこれまで枕堂に紹介した「客」は、平均して一日一人を超えている。当然の反応だろう。
日暮れた空を背景に、引き戸の向こうで涼し気な水音が鳴っている。
いつもの枕堂である。
「ま、それはいいとして。夢美さん、こちらは――」
律が、この場で唯一、雫に胡乱な視線を向けていない人物を紹介する。
肩まで伸びた髪に長い前髪。隠された表情は、はっきりとはうかがえない。
が、紹介された本人は、荒れた外見に似合わぬ落ち着いた様子でぺこりと頭を下げた。
「ご挨拶が遅れまして。僕はミナミクロカワと申します。ここでは、報酬次第で指を取り戻してくれるとお聞きしまして」
「ふむ、ミナミクロカワ……聞き覚えのある名前じゃな」
「夢美さん、お知り合いですか?」
「うむ。直接ではないがの。ぬし、何度かてれびじょんに出たことがあるであろ」
扇に指されたミナミクロカワは、そっと口元をほころばせた。
「おや、ご存じですか、ありがたいな」
「夢美さんが御存知とは……著名な方でしたか。俺たちはどうも世間に疎くて、申し訳ない」
「いえ、そんな、謝られるほどの有名人ではないですよ。それに、クラシックピアノなんて、若い方はお聞きにならないでしょう?」
どうやらピアノ奏者らしい、と雫は脳内で結論づけた。
若者は聞かないものだと宥められたところで、現在枕堂にいる人物の中で、最も若く見える夢美が知っているのだから慰めにはならない。
それに、ピアノを弾くなら――右手の指はなおさら大事だ。
「あの、ほんとに知らなくてごめんなさい。けど、この二人なら絶対、ちゃんとミナミクロカワさんの大事なものを取り戻してくれますから! そしたら、あの……改めてピアノ聞かせてください」
「それは頼もしいですね。もちろん、その時は喜んで」
穏やかな返事に、雫は力強く頷き返した。
夢美が苦笑しながら割って入る。
「雫が聞きたいと言うなら止めはせんがの。ミナミクロカワが謝礼として弾くなら、その一曲ですら釣りを返さねばならなくなりそうじゃ」
「へ、一曲でお釣りがいるって……」
「ばーか、雫。つまりよ、ミナミクロカワのピアノ演奏には普段の礼金以上の価値があるってことだよ。ほら、コンサートとかあるんだろ。それで……いや、ピアノの一曲でそんなのあるか?」
「ははは、そう言っていただけるのは嬉しいですがね。もうしばらく指を動かすこともできていませんから、かなり鈍った曲をお聞かせすることになりそうですよ。お恥ずかしい」
ミナミクロカワは軽やかに笑って流したが、夢美がとくとくと説明してくれた。
なんでも、ミナミクロカワは非常に有名かつ国内でも熱心なファンの多いピアニストだったという。歴史的音楽家の名前を冠するコンクールから始まって、世界三大音楽コンクールと呼ばれる賞を総なめにしたとか。
弱冠二十歳で天才の名をほしいままにしたという。
一時期は、テレビだのラジオだの、マスコミの出演もひっきりなしだったとかで。
「……ほえー、そうなんだ」
「へー、コンクールがあるんだな、ピアノって。律、知ってたか?」
「言っただろう。俺は音楽に疎い」
「あほう。世界レベルの奏者じゃぞ。そなたら、もうちっと勉強せい」
呆けた反応を返していたら、順番にぺちんぱちんと扇で叩かれた。
ついでのように、指を取り戻したら扇にサインを書いてくれとねだっていた辺り、どうやら夢美は、存外ミーハーなようだ。
「こうなれば、客に不足なしじゃ。ぬしら、頑張って取り返してくるのじゃぞ」
一曲とサインを礼金代わりに、契約は成立した。
こうして、悠と律、そしておまけの雫は、いつものように布団に蹴り込まれたのだった。
■◇■◇■◇■
真っ白だった。
まるで、最初からなにも存在しなかったように。
「……うぇ、こりゃあ苦労すんぞ」
なにを始めるより先に、悠がぼやいた。
ミナミクロカワの夢の中、四人は真っ白の中にただぽつんと立っている状態である。
悠に言わせれば、なにを復元すればいいのか手がかりが少なすぎて、手間と時間がかかるらしい。
「苦労させてすみません。最後に見た夢は、コンサートの時の夢で、たぶんこの辺りがステージだったような……」
「この辺りって言われてもなぁ」
ぽりぽりと頭を掻く悠の背中を、律が後ろから音を立てて叩いた。
「痛ってぇ!」
「言っていても仕方ないだろう。とにかくやれることをやれ。ほら、行くぞ――掛けまくも畏き
「うえぇ……」
ぼやいてはいたが、右腕を借りた悠の仕事は熱心だった。
神妙な顔で白を凝視しては、少ない手がかりから夢を分析して塗り直す。
少しずつ白が埋まり、ミナミクロカワが見ていた夢の光景が、雫にも理解できる風景になっていく。
「わぁ、すごい観客にスポットライト――バレエの発表会を思い出します」
「いや、そんな規模の話じゃないと思うぞ」
冷静にツッコミつつも、律もまた観客席を見つめている。
ステージに魅了されるのはどうやら自分だけではないようだ。
雫は、ふんふんと鼻歌を口ずさむ。歌が調子よく進むのは、横でミナミクロカワが雫の即興音楽にうまくハモってくれるからだろう。
しばらくの間、最も原始的な合奏を楽しんだ雫は、満足して律を振り返った。
「うーん、たとえ夢でもステージに立つのは楽しいですね」
「楽しいか? いや、そういう話じゃなく――やっぱりそうだ。おい、悠!」
しばらく黙っていた律が、慌てたように客席の隙間で作業をしていた悠に声をかける。
悠は絵筆を動かしながら、ゆっくりと顔を上げステージに顔を向けた。
「なんだよ? 今ちょうど集中してるんだから、手伝わねぇなら黙って見ててくれよな」
「この馬鹿、後ろ――誰かいるだろ!?」
律の視線を、雫と悠が慌てて追いかける。
その先には、男が立っていた。
色素の薄い髪に、整っているのにどこか品のない顔立ち。
悠を見て唇をゆがめた男の顔に、三人とも見覚えがあった。
だが、誰より早くその名を呼んだのは、三人の誰でもなかった。
「――北条じゃないか!」
ミナミクロカワの声で、北条はステージに視線を向けた。
驚きとも怯えともつかない顔が、すぐに北条自身の手が掲げた白いローラーに遮られる。
純白のカーテンを引くように、北条の姿が隠されていく。
「あ、てめぇ――」
「待ってくれ、北条!」
因縁のある悠より更に真摯に、ミナミクロカワが北条を引き留めようとする。
だが、瞬き一つの間に、北条は姿を消していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます