第14話 夢の境目

「おい、北条。一度は尻尾巻いてトンズラしたくせに、よくまあ堂々とおれの前に姿を現わせたな」

「あっちが来たと言うより、俺たちが夢に入り込んだ方なんだが」


 胸を張る悠の横で、律がぼそりとツッコミを入れてくる。

 思わず、悠は片手で掴みかかった。


「あんたなぁ! まぜっかえすなよ、敵はどっちだと思ってんだ!?」

「お前の台詞があまりにも悪役じみてるのが悪い」

「ど、どう言おうと事実は事実だろうが!」

「――とにかく。そこの北条正行さん。あなたが、ここにいるミナミクロカワさんや悠さんの夢を奪って困らせたり、ヤマウエさんを唆してカトウさんの夢を奪わせたりと、色々と悪事を働いていたことはもうわかっています」


 二人を押しのけて、雫が前に出た。

 最も北条と因縁のあるミナミクロカワは、三人の勢いに押されたためか沈黙を貫いている。

 ちらりと四人を見た北条は、金属を擦り合わせるような癇に障る声で囁いた。


「……キミが気にしなきゃいけないのは、もっと違う夢でしょ」

「え?」

「タナベサキ――君の友人を騙して、君から夢を奪わせようとした辻占は、ボクだよ」


 にたり、と唇が歪む。

 整った顔立ちだけに、片頬だけをひきつらせる笑い方が、いやに醜悪に見えた。


「あなたが、サキを――もう許しません!」


 怒りで飛びかかろうとする雫の足を、タイミングよく律が払う。

 こてんとその場に尻もちをついた少女を放置して、悠は律に向けて先端のない右手を突き出した。


「律! 行くぞ!」

「――掛けまくも畏き 寝目津日神いめつひのかみの――」


 返事はない。ただ、いつもの祝詞だけが返ってくる。

 悠の右手が一瞬光を帯び、消えた時にはぐっぐっと動きを確かめる指がそこにある。


「かつての天才も堕ちたものだね。二人あわせてようやく一つ――半人前にも程があるよ」

「うるせぇ、誰のせいだと思ってんだ!」


 飛び掛かる途中、悠の手は巨大な絵筆を握っている。その筆を思い切り振り回し、ぶち当てようとした。

 さすがに読まれたか、北条は半歩後ろにずれて穂先をやり過ごす。

 カウンターでローラーを突き出され、悠もこれをぎりぎりで回避した。


「天才ってのはキミのことじゃないんだけどな。キミの後ろで高みの見物してるヤツのことだよ?」

「それはわかってるけど、しゃーねーだろ。右手はあいつのなんだから、おれはあいつの分もあんたを殴る必要があんだよ」


 悠の絵筆と北条のローラーが、共に相手を狙っているように見せかけながら、その実、夢の空間を塗り潰そうとしていた。

 じわじわと、ミナミクロカワの夢である白の空間が、悠の絵筆に塗られてコンサートの風景を取り戻す。

 反面、北条の白は、二人の夢の境目を切り取っていく。


 時折、接近して組みあいながらの塗り合いは、いずれのスピードも劣らない。

 だが――このままでは、僅かに北条の仕上がりが先にくる目算だ。


「おい、悠! この夢は、夢美さんの力でミナミクロカワさんと北条の夢を繋げた状態なんだ。二つを切り離されたら、また夢から追い出されるぞ」

「――わかってるっつーの! つまり、二人分の夢を塗ればいんだろが! 二倍で塗るぜ!」

「二倍!?」


 驚愕する律の目の前で、悠がぐるりと左腕を回す。

 出発の際、夢美に大口を叩く程度には、秘策を用意してあったのだ。

 左手に、期待通りのスプレー缶が握られていることを確認して、悠はにやりと笑って見せた。


「片手でおいつかなきゃ、両手を使えばいいんだよなっ!」

「お前……」


 得意げな悠に、律は不安そうな視線を向ける。

 が、その後ろで雫がうんうんと頷いてみせた。


「なるほど、これはいけるかもですね。スプレーなら、悠さんは絵筆同様扱いをよくわかってます。いつも北条さんの似顔絵を描くのに使ってましたし」

「その通りだ!」


 勢いよく噴出するスプレーを手に、悠は、意気揚々と夢の境目へと向かっていった。



■◇■◇■◇■



 ――結果、北条のローラーで身体の半分ほどを塗り潰され、悠が撤退してくるまでに、さほど時間はかからなかった。


「ど、どうしてですか!? 悠さんには両手遣いという新たな技があるのに――!」

「おう、やってみてわかったんだけどさ」


 悠はスプレー缶を放り捨て、ぽりぽりと頬を掻く。


「手は二つあるけど、頭って一個しかねぇんだよな」

「ばっ――こ、この――この馬鹿ッ!」


 呆れのあまり罵倒もすぐに出ない律の背を、ミナミクロカワが落ち着かせるように叩いた。


「万策尽きた――なら、せめて交渉すべき、ってことかな」


 ミナミクロカワがここまで沈黙を守っていたのは、このことを考えていたからのようだ。

 どこか満足げにも見える、諦めた微笑を浮かべている。

 雫は止めようとしたが、それより先に会話に割り込んだのは北条本人だった。


「交渉? キミが? とっくの昔にボクに夢を奪われたクセに、交渉のカードなんてあると思ってるの?」

「北条だって、こうして永遠に邪魔され続けるのは面倒だろう? こちらには夢美さんがいるんだから、今回は負けても、またこうして繋げて何度だってチャレンジできる」


 北条の答えはなかった。

 つまり、認めた、ということだ。


「だからね、こうしよう。僕は僕の夢を――この手を取り戻すことを諦める。もう二度とあなたの邪魔はしない。その代わり、せめて悠さんと……」


 ちらりと雫の方を見て。


「……さっき雫さんが言っていた、ヤマウエさん? その人の夢だけは返してほしい。それで、金輪際お互いに不可侵ってことにしないかい。現実で言った通り、僕は家を出てなにか別の仕事を探すよ。この手じゃあ、できる仕事は限られるかもしれないけど」

「――なるほど」


 ぽつりと、北条が呟いた。


「なるほどね。天才ピアニスト、指を失って失意の出奔――庇護者を失い、今までのように稼ぐ方法もなく、どこかで野垂れ死にする……うん、いいかもね」


 これまでになく上機嫌に、歌うように、一人頷く。

 ほっと胸をなでおろしかけたミナミクロカワに向かって、しかし北条は首を振った。


「でも、その条件じゃ無理だね。理由は三つ。一つ、そもそも枕堂が――枕坂夢美が本当にそれで諦めるかはわからないし」

「それは、僕が責任もって説得すれば」


 ミナミクロカワの答えを最後まで聞かず、北条はけたけたと笑い出した。


「二つ、ヤマウエはまだしも、そっちのバカの夢は、もう返せない」

「――は?」


 掠れた声が、周囲に響く。

 驚いた顔の雫とミナミクロカワの向こうで、律だけがなにもかも知っているような顔で、悔しげに眉を寄せていた。


「ふぅん、やっぱ元獏役は知ってたんだ。わかってて、そいつを利用した?」

「夢を取り戻せるだけの期限があることは当然の知識として知ってる。だが、それはどんなケースでも同じじゃない。お前の方の技能にもよるし……だから、本当にもう取り戻せないかどうか、確定している訳じゃない。今もお前の言葉は半分疑ってる」

「賢いね。そうそう、他人の言うことなんか信じられるもんか。信じない方が断然いい。味方だと思ってたって、本当にそうかなんてわかりゃしない。これが三つ目。ね、わかったかい、ミナミクロカワ?」


 一瞬だけ、いやに優しい声でそう言って、北条は再びローラーを動かし始めた。

 悠もまた、慌ててそれに続く。

 だが、絵筆を動かし始める直前、律は、悠からの視線を避けるように目を逸らした。


 ――黙ってやがった。

 ぎり、と絵筆を握る右手に、不必要な程に力がこもった。

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