第30話 合流する夢

 律の目、律の腕。

 才能の塊であるそれらをブーストに利用している戒に対峙して、悠と雫はじわじわと押されていた。


 そもそも、呪符には利用回数の制限がある。

 ぶっちゃけ、ススキノから奪ったものがなくなればそれで終わりだ。

 どうしても、使いどころをよく見計らって最小限に使っていくしかない。


 だが、腕の一本で巨大な幻獣を召喚し悠を襲いながら、呪符で防御し、もう一本の腕が攻守切り替えながら攻めてくる。

 見た目はともかく、バランスの良い戒の動きには、どうしても呪符を切らねばついていけない。


「悠さん、ごめんなさい。呪符がもう残り二枚です」


 耳打ちする雫の声に、悠は重々しく頷いた。

 後二回。いよいよ絶体絶命。

 どこでこの二回分を使うかが重要だ。

 悠はすぅと息を吸って――そして、ふと視界の端に黒いスカートが翻るのを見た気がした。


「なあ、戒! あんたさぁ、その目と手、律に返してやるつもりはないのか?」

「しつこいね、君になにがわかるっていうのかな」


 戒はじろりと悠を睨みつける。


「律は、こんな能力持たない方が幸せなんだ。嫉妬され、羨まれ、よってたかって奪われるだけ……なら、最初から僕が持って、世界平和のために使ってやるのがいいんだよ」

「自分で返すつもりがないなら……取り返すには、おれたちが奪うしかないってわけだ」

「さて、君たちがそんなことできれば、だけど。今の僕より夢を奪うことが得意な人間なんて、そうそうはいないよ」

「やってみなきゃわかんねぇ――だろ!?」


 飛び出した悠に合わせて、第三の腕が戒の背から肩越しに、正面に向かって伸ばされた。

 戒の顔の横、頬に寄り添うように伸びた腕が、絵筆を振る。

 筆から生まれた剣の雨が一斉に悠を狙い、同時に、背後からガーゴイルの巨大な拳が襲ってくる。


 前進中の、前後からの挟撃。

 上に逃れたいところだが、ふと足元に影がかかる。

 叩き伏せるようなガーゴイルの手のひらが、悠の頭上に迫っていた。


「――雫っ!」

「はい!」


 雫の呪符が、剣から悠の身体を守る。

 悠はそのまま剣を押し切り前に進み、戒に向かって絵筆を振り上げた。

 ばしゃりと塗られた絵具を、戒の呪符が防御しようと発動し――


「――雫っ!」

「うわーんっ、わかりましたぁ!」


 最後の呪符が、発動しかけた戒の呪符を守護するように光った。

 呪符の効果の中で発動された呪符は、その外部に効果を表せず、光って消える。


 守るものがなくなった瞬間を狙って、悠が眼前に肉迫する。

 振り上げた絵筆で戒を塗り潰そうとした。

 その手を、戒の左手が止めた。左手には、いつの間にか三本目の絵筆が握られている。


手の数えがくちから目の数みいだすちからを足して――うん、僕の勝ちだ」


 動きを止めた悠の背後から、ガーゴイルの拳が追い付いてくる。

 その風圧を感じながら、悠は、にやりと笑って見せた。


 戒の背中――ちょうど三本目の腕が視界を遮る死角から、北条の両手が戒の顔をわしづかむように伸びる。


「――あがっ!?」


 背後からアイアンクローを喰らったように後ろ側へ引き倒され、戒は床に背中から落ちた。

 瞬間、ガーゴイルの姿が掻き消える。


 立ちすくむ悠の向かい側には、以前対峙した男――北条が立っていた。


「なるほどね、奪うだけの能力なら、ボクの右に出る者はいないって。たとえ戒でもさ」

「あ、うん……それはまあ、そう」

「すごい。クズの能力自慢ですね」


 この瞬間、助けられたことは確かだが、以前、北条に嫌な目に合っている二人としては毒舌になるものだ。


 そんな二人の顔を見ながら、北条は片手で、ぽーんぽーんとピンポン玉のようなものを投げては受け止めて遊んでいる。

 それがなんなのか理解した律が、顔色を変えて背後から駆けよってきた。


「お前、この――それは俺のものだ、返せ!」


 戒の額にあった、律の眼らしい。

 しっかり見なくて良かったな、と悠は顔をしかめた。


 眼帯を解き、眼球を戻した律は、はじめて両目の揃った姿で悠に対峙した。

 悠は、律と北条を交互に見、そして壁の向こうでもじもじしているヤマウエの姿を見て、胡散臭そうな顔で尋ねた。


「……あんたら、なんでみんな揃ってメイド服着てんの?」

「問うな、馬鹿」

「いやあ、色々理由があってさぁ。まあ、似合うからいいでしょ」


 律と北条が口々に答えたところで、がたん、と大きな音が床で鳴った。


「――お前、律……律がメイドさんをしている、だと!?」


 目を取り返されたことより、そちらの方がインパクトが大きかったらしい。

 むくりと起き上がった戒の視線は、律しか見ていない。


「待て。確かに律にはなんでも似合うが、これは解釈違い……いや、幼い頃の愛らしかった姿の延長上だと考えれば、確かに似合っているしこれはこれで……いやいやいや」

「うるさいぞ、兄さん」


 律は、右手の袖とスカートをひらひらさせながら、くるりと戒に向き直った。

 その両目は静かで、傍目に見ている悠としては、怒りを燃やしていないことが不思議なくらいだった。

 だが、律には、そんなことよりもっとずっと言いたかったことがあったらしい。


「戒は色々言うけど……俺がなにを着ようが、どこにいようが、誰といようが――ぜんぶ俺の自由だ。戒にこんな形で強制され、干渉されるいわれはない」


 その一言を口にするのに、どれだけ気合を入れたのか。

 律は、長い長い息を吐きだした。

 対する戒は、なにを聞いたかわからぬ顔で、律を見つめている。


「でも……律は才能もあるし、みんなから嫉妬されるだろ? 嫌な思いをするのはお前なんだぞ」

「そうだよ。嫌な思いをするのは俺だ。だから、どんな思いをするか選ぶのも、俺の勝手だ」


 律のスカートの後ろで、北条がくすっと笑い声をあげた。


「みんなから嫉妬される――なんてさ。律のためってことにしてるだけで、ぜんぶキミ自身の話じゃないか、戒」

「僕が……なんだよ」

「律に嫉妬してるのはキミ。才能が妬ましいのもキミ。世の中の不平等が許せなくて、みんな同じ能力ならいいのにと願ったのも――ぜんぶキミだ。キミが、自分自身に耐えきれなくて、律を矢面に立たせてるだけさ」

「――違う!」


 あまりにも否定が早すぎて、余計に北条の言葉が真実に見える。

 いや、たぶん真実なのだろうと、悠はこっそり律の顔を盗み見た。


「……なんだよ。泣いてるとでも思ったか」

「いや、なんで怒らないかなって」

「怒るわけないだろ。……ずっと前からわかってたからな。そんなことより」


 律は悠の手を掴むと、じっと眺め――はっと顔を上げて後ろに立つ雫を見た。

 雫が小さく頷くのを見て、握っていた悠の手を、兄の方へ突き出した。


「とにかく、俺と悠の腕を返してくれ。嫌だと言うなら、俺たちは戦ってでも奪い返す」

「……だろ」


 立ちすくんでいた戒が、顔を伏せたまま、ぼそりと呟く。

 誰も聞き取れていなかったが、戒はすぐに身を起こし大声で叫んだ。


「――そいつの名前を呼ぶなと言っただろうがッ!」


 右手に、そして背中に生えた手にそれぞれ筆を持ち、律の方へ向けてくる。

 決定的な亀裂をもう埋めようがなく、律はため息をついた。

 振り向きざま、悠の肩を左手で叩く。


「お前と同じように、雫に腕を借りてくる。どうやら今のあいつは夢美さんの力が使えるみたいだし。それより――」

「ん?」

「お前、俺が目を奪われているのをいいことに、散々好き勝手言ってくれたな? 悪いが、これで同じ条件。どっちが先にあの馬鹿を塗り潰してやれるか、競争だな」

「ふーん、いい度胸じゃん。復帰直後でどれだけ動けるか、見せてみろよ」


 助けに来たというのに、礼はなく、感謝もなく。

 でも、悠だって別にそんなもの欲しくもなかったから、やっぱりこれで良かったのだった。

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