第24話 空振りの夢

 いったん解散し家に戻ってぐっすりと眠った翌日、雫は改めて悠と落ち合った。

 ちなみに、枕堂という生活基盤を失った悠は、昨晩はカトウの家に転がり込んでいた。


 カトウからの指示では、両親に見つからないよう窓から忍び込め、とのことである。

 するすると屋根をよじ登る悠は、片腕しかないことなど感じさせもしないほどで、まるで高いところによじ登るためにうまれてきた生き物――猿のように滑らかな動きだった。

 なので、下で見ていた雫は、後からメッセージで「ものすごく猿みたいでしたね!」と送っておいたのだが。

 怒りマークの大量についたリプライが飛んできたことだけは、解せない。


 翌日、高校生のおこずかいにはちょっとお高めの全国チェーンのコーヒースタンドで、待ち合わせした。

 豆乳ラテを嗜むカトウの横で、頼み込んでいちばん安いコーヒーのショートサイズを奢ってもらった悠が、ひらひらと雫に手を振っている。


 出会い頭に、頭を下げて頼み込まれた。


「……頼む! 昨日からなにも食ってないんだ」

「カトウくん、悠さんの食事は……」

「親に隠して泊めてんのに、そんなん用意できるワケがないだろ。シャワーと着替えを貸してやっただけでも感謝してもらいたいとこだ」


 ということで、雫はいちばん安いドーナツを四つと、抹茶ラテを購入した。

 悠とカトウにドーナツを一個ずつわけてやる。


「あ、ありがとな」

「……いや、ありがたいけどさ。なあ、そのドーナツ二つはどうすんだよ」

「もちろんわたしが食べますが?」


 甘いものならいくらでも入るのが、雫の長所である。


 さて、多少は腹が満ちたところで、本題を切り出した。

 飛脚役のカトウは、必然的に、夢美の持つネットワークをある程度把握している。

 カトウが言うには、飛脚役は自分だけではないため、すべてを把握しているわけではないそうだが。


「カトウさん、北条さんは今どこに?」

「夢美さんの知り合いで、最近独立した獏役の人のとこに預けたって言ってた。実際、北条をそこに連れてったのオレだし、案内はできるけど……」

「けど?」


 カトウは少し悩んだ後、雫の目を見て、一言ずつ区切るように言った。


「……あの、夢咲がさ、北条と話するなら、訊いてみてもらえないか? オレも訊いたんだけど、なんかよくわかんねぇまま、はぐらかされちゃって」

「なんですか?」

「――ヤマウエ、まだ家に戻ってないらしいんだ」

「ヤマウエ、さん」


 カトウの脚を奪った後輩の名前だと、雫はすぐに思い出した。

 そう言えば、北条によってすべての夢を奪われ消された後、行方不明になっていた。


 もちろん、そのことについては、北条を捕らえたときに、悠と雫も北条を問い詰めている。

 その答えが要領を得なかったのは、今思えば戒が――律の兄が関わっていたからなのだろう。もっと言えば、北条ではなく戒が身柄を預かっているから、北条自身は知らないのかもしれない。


「あの時の話でなんとなくわかったかもだけどさ、あいつんち、あいつに無関心なんだよ。いなくなっても、どうせどこかで遊んでる、くらいにしか思ってないらしくて。だから、今あいつのこと本気で探してんのは、オレたちくらいしかいねぇ」


 長脚の軽いテーブルが、微かに揺れた。

 天板に置いたカトウの拳に、力が入ったからだろう。

 悠と雫はお互いに顔を見合わせ、そして重々しく頷いた。


「もちろんです、カトウくん。あのクソ野郎が誤魔化したってことは、きっとまだどこかに元気でいるんです」

「北条より更に上の黒幕に会うんだからな。こないだは話に乗る様子も見せなかったが、会えさえすれば、今度こそとっちめて問いただしてやる」


 少しだけ安心したように、カトウは微かに頬を緩めた。



■◇■◇■◇■



 カトウの道案内で、三人は山奥に住む獏役の元へと向かう。

 途中、電車やバスを乗り継ぎながらの道行だ。雫辺りは「飛脚とは?」と首を傾げたのだが。


「そりゃ走ることもあるよ、急ぎのときとか」

「電車の方が早くないです?」

「まあ、バス停も遠かったり、駅から先が長かったりとかの場所も多いからさ。正直ちょっと面倒だけど、案外オレあちこち旅するの好きなんだなって知れたし」


 電車の座席に並んで腰かけ、カトウは右の膝を大事そうに撫でる。


「……なにより、走れるならそれだけでもういいやって。親も先生も、なんならタイムもどうでもよくって、ただ飛脚で走ってるだけでも楽しいなって。そんな気持ちも思い出せたから」


 満足げな声に、悠はなんとなく頷いた。

 スプレー缶でも、夢の中だけでも、なにひとつ作品として名前が残らなくても――それでもいい。悠もまたそうだったから。


 電車を降り、山のふもとまでバスに乗った後は、三十分ほど山道を登ることになった。


 手入れもろくにされず放置された山は、真昼だというのに生い茂る葉が重なって薄暗い。

 けものみちよりは多少マシ、という切り拓かれただけの舗装もされてない道である。

 目指す獏役の屋敷に辿り着いたときには、汗と埃まみれになっていた。


 三人は、額を拭いながら屋敷の前まで辿り着く。

 ふと門の前に、出迎えるように和服姿の青年が立っていることに気付いた。

 振り返る二人に、カトウが頷いて返す。

 どうやらあれが、目的の獏役らしい。


 近づけば、薄鼠の渋い着物に濃茶の帯、アンティークな片眼鏡をかけた書生風の青年が、三人を見た途端にタオルを放り投げてくれた。


「ありがと、ございましゅ……」


 へたれた声しか出ないものの、雫はありがたくそのタオルを受け取った。

 白い地に、顔を拭うだけで泥汚れがついていくのが少しばかり申し訳ない。


「本来ならお前さん方を労ってから、ゆっくり話すべきだろうがね。ことは一刻を争うから、本題から話をさせて貰う」

「……え?」


 浮かぬ顔の青年は、三人の話を聞かないまま、ゆっくりと首を振った。


「事情はおおよそ知っている。霊泉のお家騒動は私らも注視していた。まさかこういう形でおさまるとは思ってなかったが……」

「おさまった訳じゃありません!」

「わかっているよ。夢美さんから、私のところに遣いが届いたからな」

「遣い、ですか!? じゃあ、夢美さんは無事――」

「そうとは限らない。遣いが――夢美さんの蝶が私が知らせたのは、燃え落ちる枕堂の姿だ。直前に、私に知らせてくれたのだろう」


 ふと、雫は思い出した。

 炎に包まれた夢美が放った、美しい虹色の蝶のことを。

 あの蝶は、確かに雫の頬にとまってなにかを告げた。

 これまで忘れていたが、それは、確か――


「その上で、お前さん方の狙いを言おう。ずばり、弟の方を追いかけるのに、私のとこに滞在していたあのヘタレの獏役見習いを利用したい、とそういうことだろう」


 こくこくこく、と悠と雫は揃って力強く頷いた。

 対照的に、青年はゆっくりと首を左右に振る。


「……そいつなら、霊泉の兄の方に連れて行かれた。つい昨日のことだ。夢美さんの遣いの直後だから、枕堂からその足でここへ来たんだろう」

「戒が!? 今更北条になんの用事があるというんですか」

「さあな。だが、霊泉の兄はあらゆる夢を奪うことで、力をつけているようだ。……正直、私もあれとは対峙したくない」


 さっさと帰ってくれ、とでも言いたげな男に対し、悠とカトウが同時にぶちきれた。


「はぁ!? なに言ってんだよ、あんた! あんたの言うことが正しけりゃ、それこそ今止めないとどうすんだ!」

「悠の言う通りだろ。その戒ってヤツ、絶対おかしいぞ。世界征服とか企んでたら困るだろ」


 今にも掴みかからんばかりの少年二人を、男は落ち着いた目で眺めている。

 ベテランの獏役だけに、夢を使って物理的な攻撃を避ける術があるのだろう。


「私が見る限り、あれは霊泉の弟の方にしか執着していない。それを手に入れた今、邪魔さえしなければ、こちらに危害を加えることはあるまい。心苦しいが、私にだって家族が、守るべき者がいるんだ」


 苦しげな吐露に、悠とカトウの勢いが鈍る。

 それではだめだと言ってやりたい。

 だが、巻き込んだところで確かに勝てるとは言い難い。


 沈黙した二人の間に割り込むように、雫がすいと足を踏み込んだ。


「……なるほどの。ずいぶん甘い見通しをしておるな、ススキノ」


 目を細め、男を見据える。

 その仕草と口調に、場にいた者はおぼえがあった。


「……夢美、さん?」


 名を口にしたのは誰だったろうか。

 山の木々に消え入るような微かな声に応えて、雫は艶やかに微笑んで見せた。

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