第25話 きょうだいの見た夢

 古くはあるが、よく手入れされていて清潔だ。

 ススキノと呼ばれた獏役の屋敷に上がり込み、悠は、ぐるりと周囲を見回した。


 濡れ縁の向こうには、きちんと草が刈られ、池の見える庭。

 床の間に飾られているリンドウは、庭からとってきたものだろうか。涼しい秋の香を感じる。


 正面に視線を戻すと、先ほどの獏役の青年――ススキノが大人しく座っていた。

 自宅だと言うのにどこか肩身が狭そうに見える。

 横で脇息にもたれかかり、はたはたと扇を揺らしている少女のせいかもしれないが。


「……あの、あんた雫……じゃ、ないよな?」

「ふむ、遠回しな問いかけじゃな。しゃきっとせい、悠」


 びしっと扇で指されてお叱りを受けた。

 そこはかとなく背筋を伸ばす。


「じゃあちゃんと訊くけど、なんで雫の顔してんだよ、夢美さん」

「馬鹿め。妾が雫の顔をしておるのではない。雫が妾の夢を一時的に宿しておるのじゃ」

「……えっと、つまりやっぱあんたは雫ってこと?」

「夢美さん、このままじゃ話が進まないですから!」


 首を傾げる悠の隣から、カトウが慌てて割って入った。

 よくよく考えれば、座敷の上座にススキノと夢美(in雫)が並んで座っているのは、夢美が客であることを考えるとだいぶ奇妙である。

 しかも、夢美の方が床の間に近く、夢美にだけ座布団のみならず脇息が置いてある。最上位の上座である。


 とは言え、直前に二人の会話を聞いた悠とカトウは、彼らの関係性についてはだいたい納得していた。

 ススキノは、夢美の弟子だったらしい。

 今は独立しているとは言え、やはりなにかと夢美相手には強く出られないのだろうと想像された。


「今の雫は妾の夢の一部を与えられ、現在の使える獏役としての能力を超えて、能力を百二十パーセント開花させておる状態じゃ。本来なら、ここに至るまでに数十年はかかろうものじゃが……緊急事態ゆえ、少しばかり無理を強いておる」

「よくわかんないけど、じゃあ早く雫に戻れよ」

「よくわからんが、律を助けに行く方法を探しておるところなのではないかえ? どうせ、こうしておれる時間もそう長くはないわ。黙って聞きゃ」

「なるほど……じゃあ仕方ないな」


 ようやく悠の頭が、話を早く進めた方が得策であると理解した。

 隣のカトウと正面のススキノは、似たような表情で胸をなでおろしている。どうやら同じ苦労人枠であるようだ。


「妾の本体ならいざ知らず、今のこれは雫の身体じゃ。この身体できることはそう多くない。一つ、夢入りを行うこと。一つ、己が夢を貸すこと」

「貸す……?」

「律の右手は戒に奪われてしまったからのう。妾の――いな、雫の手を貸してやろうという話じゃ」

「よっしゃ――と、言いたいとこだが……そんな大事なこと、雫のいないとこで決めていいのか?」


 悠がおそるおそる尋ねると、不機嫌そうに夢美は目を閉じ――そして数秒後にぱちくりと目を開いた。

 挙動だけでわかる。雫である。


「おい、雫……あんた今まで夢美さんがさぁ」

「あ、夢美さんの中でわたしも色々聞こえてるんで大丈夫ですよ。ぜんぶわかってます。わたしの手を借りてもいいかって話ですよね? 慣用句じゃなくて」

「お、おう」


 話の早さに若干テンポを崩されつつ、悠は頷いた。

 雫は脇息から身体を離し、ずいと前に膝を進める。

 ススキノが脇息を持って合わせようとしたが、なんにもわかっていない雫がそれを手で払った。


「もちろんです。使えるものなら、手でも脚でも眼でもなんでも、持ってっちゃってください」

「なにそれ、覚悟ガン決まりじゃん」

「わたしは悔しいんです。あんなのの手の上で、律さんがいいように転がされてるなんて。わたしさえもっとしっかりしてれば……」

「や、それはさ、おれも力不足で――」


 うなだれた肩に手を置くべきかどうか、しばらく悩んだ。

 悩みつつも慰めを口にしようとした途端、雫はがばっと顔を上げた。


「なにより、あんなのに騙されてる律さんが許せません! わたしたちの絆はそんなもんじゃないはずです。これまで合計、四十五回も厄介ごとを三人で乗り切ってきたんですよ! それを信じないなんて!」

「お、おう」

「なので、わたしの代わりにぶん殴って目を覚まさせてやってください。わたしはあんまり荒事に慣れてなくて、ちょっと力加減を間違えそうなので」

「あ、ああ。まあ女の細腕だからな……パンチ力が足りない」

「思い切り殴り過ぎて、殺しちゃうとまずいので」

「そっちかよ!?」


 悠が話を飲み込む前に、雫はぱちんと目を閉じる。

 次に目を開いたときには既に、夢美の表情を浮かべていた。


「ほんに、嵐のような娘じゃの」

「そうだけど……あんたが言う? なんか戒が言うには、あんたの血筋だってことらしいけど」

「……それがなにか」

「夢に関する厄介ごとを寄せ付けるなんて、よく考えたらあんたもそうだよな。だから、あんなところで厄介ごとだけが舞い込んでくるような仕事をしてたんだろ。つまり、あんたと雫は――」


 じろりと雫の身体を上から下まで眺めてから、悠は耳打ちするような小声で尋ねた。


「――孫とか?」

「阿呆!」

「痛ぇ!」


 すぱーん、と広げた扇が、悠の頭をはたいた。


「じゃあなんだ、ひ孫かよ!」

「そういうものではないわ、馬鹿者。遠回しに妾の年を詮索するでない! 良いか、戒は『枕坂の血』と言うたのじゃ。妾の血ではなくな」

「どう違うんだよ」

「……雫は、兄様あにさまの血を引いておる。雫本人も、たぶんご両親殿も知らぬことであったろうが」

「え、つまりえっと……あんたの兄ちゃんが雫の爺ちゃんってことで……大叔母?」

「もっと遠い――えぇい、妾の年を当てようとするのはやめぃと言うておろうが!」


 閉じた扇で、びしーっと額に面を喰らって、悠はさすがにそれ以上の質問はやめた。単純に、大叔母以上に親等の離れた兄弟の血筋をなんと呼ぶのか、思いつかないというのもある。


「とにかく。兄様の血は、言うなれば、今は途絶えた枕坂本家の血じゃ。器だけ言えば、妾よりもよほど強い。長く修練を重ねてきた妾を、いきなり雫が超すことはさすがにあるまいが……数十年ののちにはわからぬの」

「数十年後も生きてるつもりかよ、このロリババァ……」

「誰がロリババァじゃ!」


 ついに扇が飛んできた。端っこの尖ったところが当たって非常に痛い。


「妾の導きがあれば、ぬしを夢に誘うこと、腕を貸すことくらいはやってのけるであろ。雫の能力に感謝せい、このあんぽんたん!」

「わかった。感謝するぜ、ロリババァ! 後で雫にはプリンでも奢ってやる。それで――」


 悠は、すぅと息を吸って、吐いた。

 落ち着いて問わなければ、泣いてしまいそうだ。


「――それで、あんたの本体は、無事なのかよ」


 雫の顔をした夢美は、どこか寂しげに笑って、ただ悠を見据えるだけだ。

 急かしたい気持ちを押し殺し、じっとその瞳を睨みつける。

 ふいに、夢美の視線がすいと外れ、庭の外へと向けられた。


「……枕堂が、妾の居場所じゃ」

「それは昨日、燃えたじゃん」

「夢とうつつの狭間、この世であってこの世にない場所に、枕堂はある」

「でもさぁ、もう燃えちまったじゃん! おれは、あんたにまだ返してない恩が山ほどあるんだよ、このクソロリババァ。なのに、そんな言い方するからさぁ、まるで――」


 立ち上がって掴みかかりかけた時、夢美は悠を見てにこりと笑った。


「燃えたと言うなら、それは存在したということ。存在するものは、再び作れるものじゃ。なにせ、枕坂の正統なる血を引く娘が、ここにおるのでな」


 ゆっくりと瞬きした夢美の瞼が、再び開く。

 目を丸くして、至近距離の悠を見る表情は、既に雫のものだった。


「ごめんなさい、悠さん。時間が来たそうです」

「……あのクッソ……ロリ」


 ぎゅっと左手の拳を握り、言葉を押し殺した悠は、しばらくして深呼吸すると顔を上げた。


「あーあ! 雫に怒っても仕方ねぇな! とにかくさ、律を連れてくるのが先決だよな。枕堂の細かいとことかおれより知ってるの、あいつだもんな」

「はい、わたしよりも多分色々知っているでしょうし」

「よし! じゃあ、気持ちを切り替えて、律を連れ戻しに行くか! あんたが夢入りをするには、どうすればいいんだ?」

「そうですね――」


 雫は思案するように口元に手を当て、それから唐突に答えた。


「そうですね。まずは、日曜大工ディー・アイ・ワイじゃないでしょうか?」

「はい?」


 思わず問い返す悠に向け、雫はうんうんと一人頷いて見せる。


「枕堂は特別な場所です。夢とうつつの狭間にある。こちらの獏役さんも、夢入りはできるでしょうが、戒さんのようになんの縁も因果もない相手の夢に繋げるのは困難でしょう」


 こくり、とススキノが頷いた。

 夢を繋げる力は枕坂の血によるものだと、そう言えば戒も言っていたかもしれない。


「だから、つまり――元あったところに、仮の枕堂を建てるんです」

「それ、DIYって……おれたちがってこと?」

「そうですよ。もちろん、呪術的な材料はだいたいこちらのススキノさんが用意してくれますので」

「え?」

「用意してくれると夢美さんが言ってましたが、勘違いでしょうか?」


 絞り出すような声で、ススキノは「用意します」と答えた。

 獏役界の重鎮によるパワハラ、おそるべしである。悠はススキノの肩を叩いてやりたい気持ちになった。


 一方、強制的にこの後も手伝わされることを理解したカトウが、悠の隣で肩を落としていることには、気付かないのだった。

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