第5話 それぞれの夢、それぞれの力

 枕堂の午後は、静かだった。

 今日も高架橋から喧嘩しながら帰ってきた二人も、店内では夢美の目を意識してやや口が重くなる。

 店内で聞こえるのは、店先の手水鉢の水音。

 そして時折、夢美が扇ごしに欠伸をしているだけだ。


 ――そこに。ばたばたばたっと騒々しい足音が響く。

 入ってきたのは、今週だけで十五回目の来訪記録を打ち立てた雫であった。


「すみませーんっ、お願いします!」

「……おい、またかぁ?」

「客に対してどんな言い草だ、馬鹿。雫、いいから入れ」


 セーラー服の少女が、律の許可を受けてちょこちょこっと入ってきた。

 後ろにもう一つ影が見えて、悠は獣のように歯を剥き警戒する。頭をはたいた律が手招きすると、くっついて入ってきたのは男子高校生だった。


 明るい短髪も体格の良さも、なにかスポーツでもしている風に見える――が、悠はすぐにその先入観を打ち消した。

 右足のズボンの、太腿から下が頼りなく揺れている。あるべきものが、ない。

 同じ状態の自分の右手を見て、悠は口をつぐんだ。


「よくきたの。こちらへ座れ」


 寝椅子の上で、夢美が手招きする。

 客二人が座敷に座ったところで、律は茶の用意に離れていった。

 その隙を見て、悠は雫に耳打ちする。


「で、今度はなんなんだ? 立場を奪われたとこから始まって、知識を奪われた友だちだの、家族を奪われたご近所さんだの、思い出を奪われた行きつけの店の常連客だの……よくもまあそんなに枕堂に来る理由があるもんだよな」


 一週間で十五回。すべて別件。

 最初の一回を除けば、残りの十四回は雫から見れば他人事だ。


「困っていると言われると、放っておけない質なんです」

「放っておけないってもよ」


 呆れた声の悠の後ろから、盆を持った律が戻ってきた。


「悠をたしなめるべきなんだろうが……いやまあ、十五回はさすがに多いか」

「――うるせぇな。彼女は、おまえらと違って純粋で優しいんだよ!」


 雫に対するあまりにも粗雑な態度を見かねてか、隣の男子高校生が、怒声とともにその場に立ち上がる。

 が、枕堂の三人は、大声にも、今にもとびかかって来そうな姿勢にもぴくりともしなかった。

 威嚇に動じない視線に見つめられ、男子は逆にたじたじとなる。


「いや、ちょ……ゆ、夢咲ゆめさき。こいつら、肝が据わり過ぎだろ……」

「店主の夢美さんと、悠さん律さんは、こういう方なんです。なので、カトウくんは大人しく座っててくださいね。皆さん、こちらはクラスメイトのカトウくん」

「ふむ、雫はお得意さまじゃからの。なんとかしてやろうと思うが」


 夢美の視線が、悠の右手――ない方の手に向けられた。

 視線を追って、雫もまた彼に注目する。


「そう言えば、悠さんも、その手……」


 ぎゅっと唇を引き結んだまま、悠は柄にもなく押し黙っている。

 代わりのように、律が眼帯を抑えたまま口を開いた。


「奪われたんだよ。奪ったヤツをずっと探してる……俺の、この目も同じ」

「それが、お二方の手や目がない理由だったんですね」


 二人に向け、雫は納得したように頷く。

 隣でカトウが、忌々しそうに舌打ちを鳴らした。


「夢咲が言うからここまで来たけど……正直、全然信じらんねぇよ。足だの手だの目だの、夢ってのを奪われたくらいで、なんで現実の身体までなくなっちまうんだ」

「足が消えたように見えて、実際のところ、ぬしが奪われたのは足ではない」

「じゃあ、なんだよ――!?」


 激昂する声に重なって、ちりーん、とひときわ高い音が鳴る。

 表にかけた風鈴が、カトウを宥めるように揺れたところだった。

 一瞬そちらに視線を向けたカトウが、しんと黙り込む。振り返ったときには、なにやら憑き物が落ちたようにすっきりした顔をしていた。


 静けさの戻った枕堂に、夢美の声が響く。


「ぬしらは、を奪われたのじゃ」

「能力を奪う、ですか」


 ぐっと身を乗り出す雫へ嫣然と笑いかけ、夢美は指折り数えて見せる。


「悠が奪われたのは絵を描く能力。律のは――」

「俺は、獏役ばくえきとしての能力ですね」

「獏役、です? そう言えば、夢の中でもそんなことを言っていましたね、悠さんが」

「……言ったっけ? うーん、言ったかも。だって律がそう言ってたからよぉ」

「人の言葉を聞き覚えで使うな!」


 仕方ないじゃろ、ぬしが説明せい、と夢美に小声で促され、律は仕方なく口を開いた。


「獏役というのは代々続くうちの家業だ。悪夢や凶夢、禍夢を封じる――手っ取り早く言えば、今のこの枕堂の仕事の中で、夢封じに特化した生業なりわいだな」

「じゃあ、律さんはもともと枕堂と同じ仕事をしてたってことですか? じゃあ、夢のことはプロフェッショナル……」

「ああ。その関係で夢美さんのところで働いているんだが。元から、まあ……」


 突然口が重くなった律の脇から、悠がひょいと顔を出した。


「小っちゃい頃は神童とか呼ばれてたんだってよ。調子に乗って!」

「乗ってない!」


 その頭をはたいてどけて、律は再び口を開く。


「元の才能があったのは認める。だが、聞いただろ。その才能は」

「右目と一緒に、夢として奪われたのじゃ。で、じんを描けなくなった」

「陣っていうのは、ほら、こないだおれが塗ってたヤツな! あれも本当は色々コツがあるんだって。おれはぼやっと変な色になってるとこに線引いて、後は気持ちいい感じにごちゃごちゃ塗ってってるだけなんだけどさ」


 再び、話に割り込む悠。律がもう一度、頭をはたこうとしたが、今度はするりと身をかわされた。

 悔しげに睨みつける律を無視して、無遠慮な言葉が続く。


「こいつの才能がないから、代わりにおれがやってやんの」

「ないんじゃない、奪われたんだ! だいたいお前はお前で、絵を描く才能を奪われたんだろが。夢の中なら絵を描く才能を借りられると聞いて、二つ返事で引き受けたんだろう」


 律は、自分のポニーテールをわしわしとかき乱した。


「そんなアホなのに、『ぼやっと線引いて気持ちよくごちゃっと塗る』とか、なんでそんな雑な判定で、を切り取れるんだ!?」

「天才だからだ!」

「お前の言う天才は、お前みたいな馬鹿のことか!? 天才と書いて馬鹿とルビ振ればいいのか!?」

「誰がバカだ、誰が!」


 言い争う二人を放置し、諦めた夢美が自分で雫とカトウに説明を足した。


「陣を描くとはの、混ざり合った夢を切り離すことじゃ。奪われた夢は、奪った相手の夢と多かれ少なかれ入り混じってしまうものじゃ。その中から、奪い返したい夢だけを囲う。――律はああ言うが、悠に、陣を見、陣を描く天賦の才があるのは確かじゃて。雫の夢の中でも、かつての夢をありありと取り戻して見せたであろ?」

「はい……確かに、元のままの放課後を描いてくれました」

「あれは、引くべき境界を見定める力と、見定めた境界をもとに陣を描く力の両方を悠が持っておるからじゃ。……もっとも、後者の力は、今のところ悠自身の力ではないがの」

「え? では、誰の……」


 雫が言いかけたところへ、悠と言い争っていた律の怒声が響いた。


「――俺の能力使って、いい気になってんじゃねぇ!」

「控えよ。さすがにうるさいわい」


 びしっばしっと扇にはたかれた二人が、即座に口を閉じて座布団に戻る。

 よく調教されているなぁと、雫は感心した。


「さて、静かになったところで、奪われた能力の話じゃ。カトウ、ぬしから欠けているのは足――つまり、走るとか跳ぶとかそういった能力が奪われたのじゃろう」

「……確かに。オレは陸上部で……その、夢を塗りつぶされる夢を見た日から、なんでか足が……こんなで、走れなくなっちゃって……」


 じゃろうの、と夢美が頷く。

 脇の悠と律もそれぞれに納得した顔をしているところを、扇がびしりと指した。


「さて、わかったら寝床の準備じゃ。はよ取り返してやれぃ」

「え、報酬の話はいいんですか?」

「よくはあるまい。じゃが、足は競争ばかりでなく日常生活にも大事なものじゃ。……それこそ、取り戻しさえすれば、いかなる恩も返報せざるを得まいよ。なあ?」


 扇の陰で、にたりと笑った顔を見ていたのは、悠と律だけだった。

 安心した表情の雫とカトウにも見えていたなら話は違っていたかもしれないが。

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