第20話 我輩 VS. 何も願わなかった者

※注意※

 本話にはセンシティブな要素(精神疾患)が含まれます。

 苦手な方はご注意ください。

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 我城に来訪者が現れる……わけがない。


 異世界の死者がこの世界に転生すれば、ひとまず完全な健康体が手に入る。

 しかし、今度の転生者は精神疾患持ちだった。女神が精神疾患までは直さなかったのだ。

 精神疾患と元々の性格の線引きはたしかに難しいところではあるが、そこを完全放棄するのは女神の怠慢でしかない。


 女神に新たに報いを与えるかどうか迷ったが、我輩はすでにいつも女神に対して報復し続けているわけで、この弱火であぶり続ける所業を維持するのがベストだと判断した。


 というわけで、転生者がいるからには何者であっても関係なく、我輩は転生者をしばき上げに向かうことにする。


 我輩は瞬間移動でS国某所にある廃墟にやってきた。

 放棄された三階建てのビルで、中にはコンクリートの床と柱があるのみ。窓ガラスはほとんどがくすんでいて、部屋によっては割れてすらいる。


 そんな廃墟の一室に男はいた。

 腕と脚はやせ細り、髪と髭はぼうぼうに伸び、腹だけがぷっくりと膨らんでいる。

 服を着ているというよりは、ボロい布切れを被っていると言ったほうが近い。


 この男は普段、いっさい何もしない。

 食料は市場で廃棄されたものをくすねている。

 トイレはどこかの店で借り、風呂には入らない。我輩は無敵なので男の異臭を嗅いでも平気だ。


「おい」


 我輩が声をかけると、男は力なく我輩の方に顔を向けた。


「なんだ? あんた誰? 俺に何か用か?」


「我輩はおまえが討つべき標的だ。女神に転生の条件として出されただろ」


「あー」


 男はそう声を吐き出した後、うつむいてしばらく沈黙した。


 無視すれば我輩が帰るとでも思ったようだが、アテが外れたと気づき、どうやって追い払おうか考え始めている。


「おい、我輩の前で取りつくろっても無駄だ。精神疾患を盾にここに引きこもるのをやめろ」


 男はゆっくりとため息を吐き、再び我輩を睨むように見上げた。


「どうせあんたも精神疾患は病気じゃなくて単なる心の甘えだとか言うんだろ?」


 男の我輩への視線は、見上げているくせに見下しているような冷たさがあった。


「いいや、精神疾患はれっきとした病気だ。身体異常によって引き起こされる障害だ。心の甘えなどではない。自分の思い込みを世界の真実だと言い張る馬鹿者の言葉なんかに耳を貸すな。時間の無駄だ」


「なんだ、あんた分かってんじゃん。高圧的なくせに理解者かよ」


「当然だ。だがおまえ、もう治ってるだろ。転生時はたしかに精神疾患を抱えていたが、環境が変わって長い時間を経たことで、おまえはもう疾患が治って健常になった。いまのおまえはただ怠惰なだけだ」


「あんた、医者でもないくせに、なんでそんなことが分かるんだよ。医者だとしても初対面で診察もせずに分かるわけないだろ」


「我輩は分かって当然だ。なぜなら我輩が《全知全能最強無敵絶対優位なる者》だからだ」


 男は我輩の言葉に少し驚いたようだったが、ほとんど信じてはいない。


「へぇ、そうだとしたら、俺が何をしたってあんたを討伐することは不可能じゃないか?」


「でもおまえ、女神のギフト《何でも一つだけ願いを叶えられる力》を使ってねーじゃん。挑むチャンスはあるのに、なんで使わねーの? ちなみに何度も願いが叶えられる力を願ったとしても、願いを叶える力が弱まることはない。だから大切に取っておくくらいなら何度でも願いを叶えられるようにすればいいだけだ。でもおまえがそうしないのは、女神から託された使命が面倒だからだろ。だから精神疾患を盾に、願いも叶えずダラダラしている」


「俺は精神疾患で無気力なんだ。そのせいで願いを叶える意欲すら沸かない。健常者なら女神のギフトなんて普通は飛びつく力だろ。そうしないことこそ、俺が精神疾患である証拠だ」


 当人には治ったかどうかの判別がつかないことをいいことに、完治していてもあくまで精神疾患で通してくる。


「おい、それは証拠ではなく根拠だ。言葉は正しく使え。我輩は全知全能ゆえにおまえの思考は見透かせる。おまえ、使命放棄の言い訳にするためにわざと願いを叶えていないだろ。それから、無欲だと報われるかもというメタ読みも無意味だ」


 我輩が少し殺気を飛ばしておどかすと、男はビクリと跳ねた。

 しかしそれでも体勢を変えない。


「俺は女神のギフトを使っていない。だから使命とやらを果たす義務はない」


「勘違いすんな。前世で死んで転生させてもらった時点で使命を果たす義務は生じている。女神のギフトはおまけだ。おまえが使命を放棄していい理由は微塵みじんもないぞ」


 こいつは元々、怠惰な性格の人間だった。そのくせ責任感は強く、性格にはそぐわない無茶を他人に強いられたから精神をわずらった。

 そこまでは単に不遇だったで済むし、同情の余地もある。


 だがこいつの本質は、実は怠惰ではなく強欲なのだ。

 どれだけ労力を割かずに利益を大きくできるかをいつも追求している。無欲に見せておきながら、もらえるものはもらう。新たな命や女神のギフトのように。

 何かほどこしを受けたとしても、恩にむくいることもない。いつも何もせず、言い訳ばかりを探している。欲深くて姑息な奴だ。

 現に、もう精神疾患ではなくなっているのに、いつまでもそれを利用している。


「はいはい、分かったよ。じゃあ俺は何をすればいいの? あんたを倒すためには何を願えばいいの? あんたが俺に強制したんだから教えてくれよ」


 知ってはいたものの、ため息が出る。

 こいつの相手はおもしろくない。口だけで行動しない奴ってのは、本当につまらない人間だ。


「それを考えるのがおまえの使命だ。そして、使命は女神に与えられたものであって、我輩が強制しているわけじゃない。おまえ、勘違いしているようだから教えてやるけど、我輩はおまえに使命を果たさせに来たわけじゃないぞ。遠隔で殺せるのにそうせず、慈悲で立ち向かうチャンスを与えに来たんだぞ」


「でも俺を殺しに来たんだろ? それのどこが慈悲なんだ? ちゃんちゃらおかしいぜ」


 うむ。ここまでだな。自分が何をするかで自分の未来が大きく変わることに考えが及ばない。考える労力を惜しみすぎた者の末路を身をもって知るがいい。


「オーケー。慈悲はここまで。我輩が元々おまえにしようと思っていた仕打ちを実行して終わりだ。おまえには再転生してもらう。せいぜい第三の人生を頑張るんだな」


 我輩が合図にパチンと指を鳴らすと、男はパッと消えた。異世界に転生したのだ。


 彼が転生したのは、こことは違う異世界の中の魔界、その下級の人型モンスターである。

 労働力として奴隷のようにコキ使われ、死んでも蘇生される。

 永遠に重労働をいられるのだ。


 我輩は瞬間移動で我城に戻り、S国に国の形をした高さ二十キロメートルの黒い塊たるモノリスを落とした。


 さすがに我輩もモノリスを落とす作業に飽きてきたが、女神への報復としてやっているので、この世界のすべての国を潰すまでは続ける所存である。

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