第30話 我輩 VS. 怨嗟の念をこじらせた幽霊

 女は逃げる。

 城の中をひたすら逃げ回る。

 丈の長い真っ白なワンピースをなびかせ、腰下まで伸びる黒髪を振り乱し、恐怖の対象から必死で逃げている。


 城内はやけに入り組んでいた。

 何度も何度も曲がる長い廊下。

 何もない部屋にある四つの扉。


 女にはどこに入ってどこを通ったのか覚えることができない。

 それもそのはず。城の構造が逐一変化しているのだ。


 扉をくぐっては廊下を走り、また扉をくぐり、何度もそれを繰り返す。

 ジグザグの廊下を一所懸命に走る。


「なんで、なんで……」


 女は走りながら、そうこぼした。

 全速力で走って一所懸命に逃げているのに、追手は壁をすり抜けて飛んでくる。

 まるで幽霊のように。


 その執拗な追跡に女の体力も精神も消耗しきって、ついには追手に追いつかれた。

 女の肩を壁から伸びてきた手が掴む。


「つーかまーえたぁ……」


「きぃやぁあああああああっ!!」


 女が目を覚ましたとき、場所が変わっていた。


 ここは玉座の間である。


「ねぇ、どんな気分? 自分たちがやっていることをそのままやり返される気分は?」


 女は幽霊だった。

 愚かにも怨嗟のこもったささやきを玉座の間に響かせたり、ポルターガイストを引き起こしたりして、我輩に喧嘩を売ってきたのだ。

 だから実体と幽体の立場を逆転させ、精神的な激痛を与える手を振りかざして追いかけまわしてやった。


「自分たちって、ほかの幽霊のことなんて私は知りません」


「いいの? おまえ、本気で自分をほかの幽霊と切り離して考えてほしいって言ってる? おまえはほかの幽霊よりタチが悪いから、そうするとより強く責めることになるけど」


「え? そんな! 私の何が悪いって言うんですか! 私はただ――」


 キーキーとうるさいが、彼女の言っていることは一般的な認識とズレた、身勝手な自己擁護だ。恋愛脳に染まりすぎた者の成れの果て。


 彼女は勇者の恋人だった。

 勇者がほかの女と仲良くするのを見かけたら、その嫉妬心が怨霊と化し、生霊として標的の女を苦しめていた。


 誰もいないはずの部屋で物を動かすのはかわいいほうで、ひどいときには髪で自分の顔を隠して姿を晒し、さっきの追いかけっこみたいに自分だけ壁をすり抜けて相手の女を執拗に追いかけまわした。


 そして我輩が勇者を殺したとき、その愛の妄執ゆえに我輩の存在を知った。

 彼女はモノリスに潰されて死んだが、我輩への怨嗟の念を募らせていたために怨霊と化した。


『よくも~。よくも殺したな~』


 我輩の元へやってきた幽霊女は、ポルターガイストを引き起こしながら、姿を隠したまま怨嗟の声を我輩に聞かせてきた。


 自分の最愛の人を奪ったかたきを絶対に許さないという意気込みはなかなかのもので、これまでに我城を訪れた勇者たちの使命感をも凌ぐほどだった。


 だが、我輩にちょっかいをかけてきたからには我輩もタダで済ますつもりはない。

 そういうわけで我輩が幽霊女と立場を逆転させてお仕置きしてやったのがさっきの出来事である。


「ねぇ、聞いてる?」


「聞いてなかったけど、急になれなれしくなったな。ねぇ、おまえ、態度でかくない?」


 我輩が重めの圧をかけると、幽霊女は縮こまってボソリと謝罪した。


「よく愛は美しいなんて言うけれど、おまえを見ているとさぁ、愛っていうのは醜いなぁって思うよ」


「…………」


「一つの概念のとうとさを逆転させるなんて、罪深いと思わない?」


「え? よく、分かりません……」


「おい、ちゃんと考えた? 我輩が言ったことを理解しようと少しでも努力した?」


「ちゃんと――」


 幽霊女は長い前髪の奥で我輩を睨み、食い気味に反論してきた。

 その内容は聞かずとも知っているので先に釘を刺す。


「嘘ついたら許さんぞ」


「ごめんなさい」


 折れるのも早い。精神的に脆いのだ。

 だから一つのことをひたすら正しいと思い込みがちになる。


「おまえ、自分の存在意義は恋愛だけだと思っているよな?」


「はい……」


「おまえさぁ、もう人間である必要なくない? 人間と人間以外の動物との大きな違いは理性が備わっていることでしょ? 厳密に言えば人間以外にも理性はあるけど、人間は一次欲求による本能の支配から脱却した特異な種族でしょ?」


「ちょっと、言っている意味が……」


「まただ。また理解しようとしていない。最初から諦めて話を聞いていない。馬鹿を言い訳にするな。ちゃんと聞け」


 そうは言っても無駄だと分かっている。しょうがないので我輩が幽霊女に直接理解させてやった。

 あんまりこういうことをすると、幽霊女が馬鹿ではなくなり別人になってしまうが、我輩が自己満足するためには仕方ない。


「た、たしかに私は猿と同じでした……」


「じゃあ猿になるか?」


「べつにどちらでも。私はすでに幽霊なので、人でも猿でも変わりありません」


 やっぱり別人になってしまった。我輩の言ったことを無理やり理解させたので、彼女の知能がそれを可能とするレベルまで引き上げられたのだ。

 この幽霊女は思考が極端で、もはや悟りを開いてしまっている。


「そうだな。でも、おまえは幽霊でなくても猿と大差ないからな」


 悟りを開いてしまった彼女を猿に変えても何のお仕置きにもならない。

 そもそも本来の彼女は消えてしまった。目の前にいる幽霊女はついさっき誕生した新たな存在だ。元に戻すことも可能だが、知能が低いと会話が成り立たないのでつまらない。


「もういいや」


 我輩は幽霊女を消滅させた。


 幽霊の存在している世界に定まった名称はないが、人間が多く用いている冥界というのを使うとしよう。


 いましがた定義したばかりだが、その冥界を我輩は消滅させた。


 これにより、すべての幽霊が消滅した。

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