流星の行方-2

  世の中に都合のいい現実などありはしない、というのは理解しているつもりだ。それでもいざ身をもって体感してみると、アトリアは落胆を隠すことは出来なかった。

「なんだ、ただの廃墟じゃない」

 弾む息を整えつつ見渡した景色は、夢で見たものとは程遠かった。好き放題に生えた雑草の中に、石壁の名残が点在しているだけ。随分昔に破棄されたものなのだろう。元がどんな施設であったのかも分からない。唯一、近くに湖があることだけは共通していたが、逆に言えばそれだけだ。アトリアが行きたいと願っていたのは、古びた塔が聳え立つ、もっと美しい場所だった。

 溜息を吐き、アトリアは頭上を仰ぐ。流星の痕跡はとうに無くなっている。落ちたと思った方角に衝動的に向かっていたが、あれはアトリアの願望が見せた幻だったのかもしれない。気付けば地平線が明るくなり始めていた。そろそろ下働きの面々が起き出す頃合いだ。アトリアが天幕を抜け出したことも気付かれているだろう。今から戻っても、朝食の準備に間に合うかどうかだ。仮に間に合ったとしても、また愚図とかのろまとか罵られることだろう。考えなしに飛び出してきた自分が悪いとはいえ、すぐに戻る気にはなれなった。

 ――もう少しだけ、時間を潰して帰ろう。皆が食事をしている間に天幕に戻れば、なんとかばれないかもしれない。

 その場合朝食を食べ損ねることになるのだが、仕方がない。幸い、忙しくて時間がない時のためにビスケットをいくつか持ち歩いている。それで空腹はしのげるだろう。昨日の分を取っておいてよかった。

 辺りを見回し、アトリアは適当な瓦礫の上を選んで腰掛けた。これもかつては何かの建物の一部だったのだろうが、今はアトリアにちょうどいい椅子でしかない。落ち着ける場所を確保すると、アトリアは早速ビスケットを包んでいた端切れを取り出した。腹を満たせば多少は憂鬱な気分もましになろうというものである。しかし、アトリアはそのビスケットを口に運ぶまでの過程で奇妙なものを見つけた。雑草の中に、布が埋もれている。端からは金色の糸の束が飛び出していて、人のような形に盛り上がっていた。

「う……ん……」

「ひぃっ!?」

 不意に、布の塊が身じろいだ。人のような、ではなく人が倒れているのだと気付き、アトリアは短く悲鳴を上げた。危うく瓦礫から転落しそうになるのを堪えて、改めて相手を観察する。金色の糸と思ったのは髪の毛で、うつ伏せになって四肢を放り出した状態で倒れている。アトリアよりは年上の、十六、七の少年に見えた。動いた、ということは生きているのだろうが、いったい何故こんな所に、それも一人きりで倒れているような状況になったのだろうか。見たところ怪我をしている様子は無いようだが――。

「あ、あの……具合、悪いの?」

 少年の前に屈みこみ、アトリアは思い切って声を掛けた。怪しいことこの上なったが、病人だとしたら放っておくわけにもいかない。少年はアトリアに気付いたのか、地面に半ばのめり込んでいた顔を僅かに持ち上げた。

「お……」

「お?」

「お腹が、空いた……」

 絞り出すようにそれだけ言うと、少年は再び地面に顔を落とした。ほぼ同時に、盛大に腹の虫の鳴き声が響き渡る。つまり、腹が減って動けない、と言いたいようだ。

「……えっと、食べる?」

 想像もしなかった理由だったが、声を掛けてしまった手前無視も出来ない。自分が食べようとしていた包みをおずおずと差し出すと、少年は勢いよく起き上がった。

「食べる!」

 そこからの彼の行動は早かった。アトリアから包みを受け取った少年は、それを手早く広げると現れたものに歓声を上げた。粗末なビスケットがまるで白パンに見えるほど美味そうにかぶりつき、あっという間にたいらげて満足そうに息を吐く。

「いやぁ美味しかった、ありがとう! お蔭で助かったよ!」

「それは、どうも……」

 アトリアからすればたいして美味くもないビスケットなのだが、空腹は最高の調味料とはよく言ったものだ。晴れやかな笑みの少年に、アトリアもぎこちなく笑みを返す。その僅かなやり取りの中で、アトリアは違和感を覚えた。彼と話しているのは自分以外いないのに、視線がかみ合わない。目を逸らされている、というよりは最初から別の場所を見ているようだった。

「ん? ちょっと、ごめんね」

 アトリアの反応で気が付いたのか、少年が向きを変えて座り直す。そして辺りを探るような動きをしていたかと思うと、やがてアトリアの手に触れた。

「ああ、こっちだったね。今ちょっと目が不自由でさ」

 そう告白した少年と、今度こそ視線がかち合った。前髪に半ば隠れている彼の目は白く濁り、瞳の境目が曖昧だった。盲目なら目が合った、というのはおかしな表現だが、少年の両目は確かにアトリアを見据えている。そう自覚した瞬間、触れていた皮膚が一気に熱くなった気がしてアトリアは手を引いた。

「あ、ごめん、つい癖で」

「いえ……こっちこそ」

 少年の謝罪に、アトリアも謝り返す。目が見えないのなら、周りのものに手で触れて確認するのは普通のことだろう。変に意識してしまった自分が恥ずかしい。しかし少年の方はさして気にも留めていないようで、軽い調子で話題を変えた。

「ところで、ここはハダル村で合ってるかな? 来たのはいいけど、目が見えないと正確な場所が分からなくて」

「ここは村の近くの廃墟よ。あなた、村の人じゃないの? 旅人?」

 ポラリス一座が興行に来ている村の名が、確かハダルだったはずだ。旅人が行き倒れているにしては軽装だし、場所も奇妙だったのでてっきり村人だと思っていた。だが彼の口ぶりでは村の外から来たようだ。

「うん、まぁ、探し物をしててね。昔この辺りに住んでたんだけど、すっかり様変わりしてて勝手が分からなくてさ。そう言う君も、旅の人?」

 尋ねたつもりが問い返されて、アトリアは軽く目を見張った。なぜ分かったのだろう。何か自分のことを少しでも話しただろうか。

「なんでそう思ったの?」

「……ってことは正解でよさそうだね。村の人だったら、僕がよそ者かどうかはすぐ分かるだろう?」

 そう説明されて、得心がいった。ハダルは小さな村だ。外から来た人間がいればすぐ噂になるだろうし、なにより雰囲気ですぐ分かる。アトリアも村を歩いていて指を差されることはしょっちゅうだった。

「私は、旅芸人の一座で、村には興行に来ていて」

「へぇ! そうか、祝祭だものね」

 興行、という単語を聞いて少年の声が高くなる。彼は興味津々、といった体で身を乗り出した。

「君も何かやるの? 僕も見に行きたいなぁ!」

 無邪気に少年が口にした言葉に、胸がちくりと痛んだ。彼の期待に応えるのは自分ではない。所詮アトリアは裏方で、雑用係だ。地味で目立たないから呼び込みにも向かないし、出来ることといえば掃除くらいなものだ。それですら、壊されると困ると衣装や舞台で使う道具には触らせてもらえない。

「私は裏方だから、舞台には……」

 少年に答えながらも、声は次第に小さくなっていく。無意識のうちに胸元の袋を握り締める。今更ながら、仕事を放り出して来たことが気になってきた。アトリア自身はたいしたことが出来ないといっても、興行中は常に人手不足で慌ただしい。気付けば、帰ろうとしていた時間はとっくに通り越していた。

「……そろそろ、帰らないと」

 一座の中に帰るのは気が重い。しかしいつまでも話し込んではいられなかった。腰を上げながらそう告げると、少年は今気づいた、というように声をあげた。

「あ、そっか。興行なら忙しいよね。引き留めちゃってごめん」

「いいえ。じゃあ……」

 短く挨拶して立ち去ろうとしたところで、不意に少年がアトリアの手を掴んだ。その瞬間、また先程と同じ熱が手のひらに宿る。得体の知れない感覚を恐れて振り払おうとし、しかしアトリアは動きを止めた。

「あのさ、名前教えて」

 青年の表情があまりに優しく穏やかで、アトリアは息を呑む。一瞬、熱の正体が分かりかけた気がして、けれどすぐに遠ざかってしまった。この熱は―彼は、アトリアの、なんだというのだろう。

「アトリア」

「そう、アトリア。またね」

 一言、名前だけ告げると、少年はあっさりと手を離した。同時に、不可解な熱も消え失せる。アトリアはそんな少年の顔を見ようともせず、逃げるようにして走り出した。少年は、その後を追ってくるようなことはしなかった。

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