流星の行方-3

 広場に張られた公演用の天幕には、村中の人間が集まったのではないかというほど賑わっていた。用意された席は埋め尽くされ、更にその後ろにまで観客が詰め込まれていた。今頃彼らは、舞台に熱い視線を注いでいることだろう。物語を彩る弦楽器の音色、踊り子たちの足音、情感のこもった役者たちの台詞。それらの音漏れに、アトリアは天幕の外から真剣に耳を傾けていた。公演は昼と夜で分けて行われていて、そろそろ夜の部は物語の最高潮を迎える頃だ。星の力を手に入れた少年が、些細なことで愛する人を傷つけ二人の道は違えてしまう。やがて少年は旅の中で己の愚かさを悔い、星々に許されて彼女と結ばれる――今日の演目は、大体そんな内容の話だ。この話は昔からアトリアのお気に入りで、いつも舞台袖で見ているか、それが出来ない時は今日のように音だけでも聞きに来ている。憂鬱な一座の生活の中で、これだけは楽しみなことだった。しかし、今日はそのささやかな娯楽に水を差す者がいた。

「あら、アトリアじゃないの」

 聞き覚えのあるその声に、アトリアは肩を震わせた。返事をしたくない、けれど無視をしようものなら後々より面倒なことになるのは経験上分かり切っていた。出来るだけ感情を表に出さないようにしながら、渋々アトリアは声の主を振り返る。

「……シャウラ。出番は終わったの?」

「ずっと聞いてたなら分かるんじゃないの? どれだけ呆けてるのよ」

 鼻で笑って応えたのは、露出の高い衣装の上にストールを羽織った少女だった。歳はアトリアより二つ上の十四。役者ではないが華のある踊り子で、座長をはじめ他の仲間からも一目置かれている有望株だった。但し、正確には難がある――と、アトリアは思っている。 

「こんな所にいないで客席の後ろか袖で見てればいいのに……ああ、今日は裏方の仕事すらもらえなかったんだっけ。でも仕方ないわね。ただでさえ愚図なのに、仕事を放って勝手にどこかへ出かけちゃうんだもの」

 せせら笑うシャウラの言葉を、アトリアは黙って聞いていた。彼女はいつもこうだ。率先してアトリアにつっかかる人間の筆頭なのである。言い返せば倍ほどの罵倒が返って来るので、聞き流すのが一番だ、しかし、今日に限っては相手の言う通りであるというのがアトリアの惨めさを増強させた。あの後、天幕に戻ったアトリアは先輩たちの罵声を山ほど浴び、明日一日は食事抜きの刑となってしまった。更には当分の間朝の水汲みはアトリアの仕事になるらしい。冬の凍てついた朝には堪える労働だ。ありもしない星を追ってこんなことになるのだから、本当に馬鹿馬鹿しい。

「……あんた、よくそれ触ってるわね。一体なんなの?」

「え?」

 指摘されて初めて、自分が胸元の袋に手を添えていたことに気が付いた。昔からの癖だ。緊張や不安で心が落ち着かない時、このお守りに触れる。そうすると、不思議な力に守られているようでいくらか気持ちが安らぐのだ。私物などほとんど持たないアトリアの、唯一といっていい持ち物である。いつの間にか手元にあって、どうやって手に入れたのかも覚えていない。生まれた時から握っていた、と遠い日に母が言っていたような記憶もあるが、どこまで本気だったのか分からない。確実なのは、アトリアにとって大切な物である、という事実だけだった。今まで、この袋の中身を人に見せたことはほとんどない――また、言いがかりをつけかねられないからだ。よりにもよってシャウラに目を付けられるとは、迂闊だった。

「これは……」

「ちょっと見せなさいよ」

 言い淀んでいるうちに、シャウラの手が袋に伸びた。もちろんアトリアは抵抗したが、相手はアトリアと違って発育もよく背が高い。普段から激しい踊りをこなしているだけあって力も強く、貧弱なアトリアが敵うはずもなかった。紐を引きちぎって袋を奪い取ったシャウラは、中のものを無造作に取り出した。

「なにするの……!」

「あら、きれいじゃない。珍しい石ね」

 出てきたものを目の前に掲げ、シャウラは意外そうに目を丸くする。袋に入っていたのは石だった。親指ほどの大きさの、深い藍色の石だ。夜空にも似た色の中に金色の箔が散っていて、手の中に満天の星空があるようでアトリアは気に入っていた。

「返して!」

 取り戻そうと詰め寄るアトリアだったが、シャウラはそれを軽やかに躱して歪な笑みを浮かべた。嫌な予感がする。

「これ、本当にあんたの物なの? 下働きの癖に、こんな高価そうなもの持ってるなんておかしいじゃない。どこから盗ってきたのよ」

「――違う! そんなんじゃない! 返してよ!」

 言われた瞬間、憤りで沸騰したように顔が熱くなった。確かにアトリアは役立たずだが、盗みを働いたことなど一度もない。とんでもないでたらめだ。あの石は、間違いなくアトリアの所有物だった。

「じゃあ、どこでこんなもの手に入れたっていうの? 道端に落ちてたなんて言わないわよね」

「それは……」

 しかし、問われて言葉を詰まらせてしまう。あの石は、言葉を覚えるより前からアトリアの傍にあったものだ。いつどこで、と言われても答えられない。母の形見、というのが一番近い気もしたが、元々アトリアのものなのだからそれもおかしい。そんな逡巡から生まれた間が、シャウラに事実と異なる確信を与えてしまったようだった。

「ほら御覧なさい、何も言えないじゃないの。これは私が座長に渡しておいてあげる。せいぜい言い訳を考えておいたら?」

 誤解されるだけならまだ良かった。しかしあろうことか、シャウラは石を持ったまま立ち去る気であるらしい。冗談ではない。あの石はアトリアの宝物で、心の拠り所だというのに。こればかりはアトリアも譲れなかった。

「盗人はどっちなのよ! いい加減にして!」

 踵を返そうとしたシャウラから強引にでも奪い返そうと、飛び掛かって手を伸ばす。だがそれが届く前に、アトリアは頬に衝撃を感じた。次いで、後方の地面に尻餅をつく。突き飛ばした相手を睨みつけるように顔を上げると、中身のなくなった布の袋を投げつけられた。

「いい加減にするのは、あんたの方よ」

 アトリアを見下す瞳と、目が合った。苛立ちと侮蔑、嫌悪のすべてが入り混じった冷たい眼差しに身が凍る。

「あんたなんか、ただの落ちこぼれで、才能も見た目の華もこれっぽっちもないくせに。身の程知らずなのよ。諦めなさいよ、色々とね」

 吐き捨てられた言葉が、胸の内に秘めていた部分を暴き出して切りつける。シャウラは知っているのだ――アトリアの本当の願いを。だからいつもアトリアに毒を吐くのだ。彼女のように輝く才を持つ人からすれば、アトリアほど目障りな存在はいないのかもしれない。身の程知らず、など自分でもよく分かっていた。だから決して口にすることはなかったが、滲み出ているものがあるのだろう。もしかしたらシャウラだけでなく、一座の他の人間も気付いているのだろうか。

 空の袋に、一粒の染みが出来る。涙が滴っているのだと理解した頃には、シャウラの姿はなくなっていた。石は彼女の手の中だ。悔しいのか、悲しいのか、腹立たしいのか。自分でも分からないほどの感情が渦巻いている。もうお守りは無いというのに癖で袋を握り締め、アトリアは衝動的にその場から逃げ出していた。

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