流星の行方-4

 なぜか、と訊かれたなら、足が勝手に向かったのだとしか言いようがない。アトリアは再び早朝に来た廃墟に訪れていた。とにかくあの場にいたくなくて方角も考えず走り続けていたら、いつの間にか辿り着いていた。雲一つない星空の下、風にそよぐ背の高い草の音と、湖にさざ波が立つ音だけが耳に響く。ともすれば不気味に思える静寂が、今のアトリアには心地良かった。

「……星々よ、どうか僕の懺悔をお聞きください」

 不意に唇から零れ落ちたのは、今日の演目の台詞の一部だった。少年が自らの罪を認め、星々に祈りを捧げる場面である。数えるのも面倒なほど繰り返し見てきた物語だ。細かな言葉の言い回しも、少年の仕草の一つ一つも、全て覚えている。アトリアは地面に膝をつき、胸を掻きむしった。

「僕は愚かでした。この身に不相応な力を望み、そのせいで大切な人はもう戻って来ないのです」

 アトリアは、あの輝きに満ちた舞台が好きだった。分不相応にもあの場所に立ちたいと願うようになったのは、いつからだっただろう。アトリアは華やかな舞台に似つかわしくない。誰もがそう言うだろう。だが、望むことすら罪なのだろうか。

「――ああ、それでも僕は、あの人にまた会いたいと思ってしまう。せめて一目だけでも。そのためなら、死してなお地上を永遠にさまよう責め苦を負ったとしても、構いはしないのです」

 物語の主人公は、愛しい人との再会を求めてやまない。星々に祈るのは、そんな愚かな望みを持つことに許しを請うためだった。たとえ叶うものではなかったとしても、誰かに咎められたとしても、抑え切れない願いを夜空に叫ぶ。そこにほんの少しだけ、アトリアは自分を重ねていた。どれほど愚かでも願いは捨てられない。しかし、決定的に違うのは心の強さだった。主人公の少年は苦難を乗り越え望みを叶えたが、きっとアトリアは折れてしまう。ぼろぼろに砕け散って、どうせ無理だと諦めるだろう。舞台で輝く星には、決してなれない。

「だからどうか、僕の願いを……」

 山場の台詞で、アトリアは土に地面に手をつき崩れ落ちた。冷えた土の温度で急速に頭が冴えていく。何をしているのだろう。こんな場所で一人芝居をして、観客と拍手を妄想して、それでどうなる。そんなものただ虚しいだけだ。砂礫を握り締め、唇を噛む。涙が勝手に溢れてきて止まらない。シャウラは座長に何と言っただろう。アトリアの言い分も聞いてくれるだろうか。仮に聞いてくれたとしても、掴みどころのないアトリアの話を信用してくれるのだろうか。つい胸元に手をやって、自嘲する。そこに馴染んだ感触はもう存在しない――はずだった。

「……嘘」

 信じられない思いで、首にかかった紐を手繰る。先程まではなかったはずのものだ。シャウラに千切られてしまって、そのまま地面に放ってきた。だが、それはいい。重要なのは中身だ。紐の先の袋を開くと、確かに奪われたはずだったお守り石が転がり出た。手のひらの上で小さな星空が存在を主張する。暗闇に小さな光が反射して、自分がここにいるだろう、と語りかけているようだった。何が起こったというのだろうか。シャウラに返してもらった覚えも、ましてや自分で取り返した記憶もない。アトリアはあの場から勢いのまま逃げて来ただけだ。となると、石がひとりでに戻ってきたことになる。

「どういうこと……?」

 混乱から抜け出せないまま、呆然と呟く。しかしアトリアにゆっくりとものを考える時間は与えられなかった。一人だと思っていた夜の廃墟に、不意に手を打つ軽快な音が響く。

「すごい、アトリア! やっぱり役者さんだったんじゃないか!」

 突如として現れた声の賞賛と拍手に、アトリアは硬直した。こんな廃墟、それも夜更けに人がいるとは考えもしなかったのだ。無様な一人芝居を見られていたのだと思うと羞恥心で気がおかしくなりそうだった。しかも、この声には聞き覚えがある気がする。恐る恐る振り返ると、やはり現れたのは朝に出会った少年だった。微かに頬を紅潮させ、興奮している様子が不思議と闇の中でもよく分かる。彼は朝と違ってアトリアの位置を既に把握しているのか、迷いのない足取りでこちらへ歩み寄ろうとした――ようだったのだが。

「なんでこんなところでやってたの? あ、もしかして僕が見たいって言ったからわざわざ――いったぁ!?」

 どしゃ、という鈍い音が聞こえた。歩きながら捲し立てていた言葉が半ばで途切れる。勢いよく地面に突っ伏した少年は、奇しくも初めて出会った時と同じ体勢となっていた。

「……大丈夫?」

 放置しているのも忍びなく、アトリアは少年の傍に屈んで声を掛ける。彼の足元に人の頭ほどの瓦礫が落ちているのを見つけた。きっとあれに躓いたのだろう。青年は微かに呻き声を上げた後、のろのろと身体を起こし座り込んだ。

「もう、そんなところに瓦礫があるなんて聞いてないよ……せっかく感動を伝えてる最中だったのに。目が見えないって不便だね」

 そう言って、少年はアトリアに毒気のない笑顔を見せた。つられて、アトリアも小さく噴き出す。土まみれになった姿といい、緊張感のない口調といい、どうも気が抜けてしまった。

「……そうだよ。君は笑っている方がいい」

「何か言った?」

「ううん、何も。それよりアトリアはなんでここに? 本当に僕のために来てくれたなら嬉しいけど、夜中に女の子が一人で出歩くのは危ないよ」

 少年の言葉の一部を聞き逃した気がしたが、彼は構わず話の先を促した。それが少し気にはなったが、おどけたような少年の物言いに重たく沈んでいた心が少しだけ浮上する。

「……別に、なんとなくここでやってみようと思っただけ。あのね、私裏方しかやらせてもらえないけど、ほんとは舞台に立ちたいの」

 先程の芝居を見られたなら、隠すことはもうない。この際洗いざらい話してしまえば楽になるかと考えて、アトリアは少年を相手に全て語ることにした。隠れて演技の練習をしていたこと、それを皆に見つかり馬鹿にされたこと、生まれのせいで周囲から浮いていること。普段の生活の不満に、今日のシャウラの仕打ちまで――本当に全て、ぶちまけた。

 唐突に始まった身の上話にも嫌な顔一つせず、少年は静かに耳を傾けてくれた。時折短く相槌が聞こえる。こんな風に話を聞いてもらったのは初めてだったかもしれない。周りの人々はアトリアが役者に向かないと断言した。しかし彼は、アトリアの思いを否定しなかった。それだけで、アトリアの心は驚くほど軽くなった。

「その子は、きっと嫉妬してたんだよ」

 石を奪われ逃げて来たことまで話し終えると、少年はそう切り出した。

「嫉妬?」

「アトリアが自分より才能を持っていそうで悔しかったんだよ。だから虐めるんだ。そんなことしたって、なんにもならないのにね」

 少年は言うが、アトリアにはそうは思えなった。シャウラはいつも自信満々に振舞っていて、年下の踊り子たちに檄を飛ばす姿もよく見かける。そんな彼女が、自分に嫉妬する理由などあるだろうか。こっそり台本を読んでいたアトリアを誰より笑ったのはシャウラだったのに。

「そんな風には見えないけど」

「君が舞台に立ったら、自分の立場がなくなるからだよ。アトリアたちの一座はもったいないことしてるよなぁ。僕は見たくても見れないっていうのに、みんなアトリアを見ようともしないんでしょう? ああ、なんてことだ……」

 拗ねたように唇を尖らせ、少年は言った。見たくても見られない。そういえば彼は盲目なのである。先程の演技も、見えていたわけではないはずだ。

「見えないのに、なんでさっきは拍手をくれたの?」

 実際がどうであれ、口だけなら何とでも言える。そう思うと、つい咎めるような口調になった。たった一人の、けれどアトリアが初めて受け取った拍手だ。それが心のないものだったなら少し寂しい。しかし少年は、そんなアトリアの懸念をあっさりと笑い飛ばした。

「だって、声を聞いているだけで素晴らしかったもの。見えない目にも、その情景が浮かんでくるみたいだった。だから尚更、ちゃんとした舞台で見てみたい」

 少年は呆れた様子もなくアトリアを褒めちぎる。彼の言うように、舞台に立つ日を夢見てもいいのだろうか。この時初めてアトリアは希望を持った。たった一人でも、そう言ってくれる人がいたならば。

「……本当に、見たいと思う?」

「もちろんだよ! 当り前じゃない」

 少年は即答し、笑顔を見せた。拙い演技だったはずだ。自分の感情に引きずられて、観客への見せ方もまるで考えていない。それでも再び見たいのだ、と彼は言った。ならば、次はもう少しましなものを見てもらえるようにしたい――自然とそう考えることが出来た。この人が望んでくれるなら、戦っていこう。アトリアは決意を固めた。アトリアのもとに流星は落ちてこなかった。だから今度は、自分で掴みに行く。

「じゃあ、いつか見に来て。そのうち大舞台で誰より喝采を浴びる女優になるわ」

 強く、アトリアは宣言した。大言壮語すぎるかという思いも頭を掠めたが、星が落ちてくるのを待つよりは現実的だ。拳に力を込めると、硬い感触が手のひらを押し返した。ずっと握ったままだったお守り石だ。これに頼るのも終わりにしなければいけないだろう。いくらか逡巡した後、アトリアは少年に石を差し出した。

「これ、あげる。私のお守りなんだけど、なんだか勝手に私のところに戻って来るようになってるみたいなの。だから、私の夢が叶った頃にあなたを連れて来てくれるんじゃないかしら」

 全く根拠はないのだが、理由は何でもよかった。きっかけをくれたこの人に持っていて欲しかったのだ。自分の元にあってもどうせまたシャウラに見つかってしまうし、その方がいい。少年は突然の申し出に目を丸くしていたが、黙って手を差し出してくれた。そこに、石をもった自分の手をそっと重ねる――すると、信じがたい現象が起きた。

 触れ合った瞬間、凄まじいまでの光が満ち溢れた。辺りは昼の様子と見紛うほどに照らし出され、アトリアは咄嗟に目を閉じる。瞳を貫くような、それでいて優しく包むような、不思議な光だった。アトリアは、この光をよく知っている。場所も場面も違うが同じものだ。何度も夢で見た、あの光――。

「――やっぱり、君だったね」

 少年の声で、アトリアは恐々と瞼を開いた。光は既に収まり、辺りは元の夜の廃墟に戻っていた。変化があったのは少年である。白く濁っていたはずの瞳の色が、変わっていた。深い夜空の青だった。金色の前髪が目にかかると、頭上にあるのと同じ満天の星空になる。アトリアのお守り石と、同じ色。

「どういう、こと?」

「探し物してるって言っただろう? 君だったんだよ、アトリア」

 こともなげに少年は答えるが、アトリアにはさっぱり分からない。彼は自分の目もとに指を添えると、更に続けた。

「これはね、ずっと昔に君に預けたものだったんだよ……うん、大事にしてくれてたんだね。傍で全部見てたから分かるよ。お礼をしなくちゃね」

 そこまで話を聞いても、やはり意味が分からない。なのに青く染まった少年の瞳を見ると、収まるところに収まったのだ、という感覚があった。触れた手のひらに、どこか懐かしいような、求めていたものに出会ったような感覚が沸き起こる。

「あなたは……」

「よし、そういうことだから行こうか!」

 アトリアの言葉を遮るように、少年は勢いよく立ち上がった。更にアトリアの手を掴んで引っ張り上げる。

「行くって、どこに!」

「アトリアのいる一座だよ。目も見えるようになったし、待つ必要もないよね! あ、僕も一座に入れてもらえないかな? そうしたらアトリアのお芝居いつでも見られるし」

「えぇっ!?」

 それこそこれがお芝居だったとしたら、怒涛の展開と言えよう。目が見える、というのは先程の光が関係しているというのは察しがついた。かといってすぐにアトリアの芝居が見たいと言われても、心の準備が出来ていない。それに一座に入ると言っても座長が頷かなければ無理なことだし、第一そんなに簡単に決めていいものなのだろうか。確かに一座の基本は来るもの拒まず去る者追わず、なのだが、だからといって優しい環境というわけではない。

「一座にって、あなた、故郷とか家族とかは? あっちこっち放浪して根無し草の生活なのよ。考えなしに言わないで」

 本音を言えば、そうなったらいいとも思う。そういう人がいた、という思い出だけでなく、実際に傍にいてくれたならどれほど心強いだろう。だが、共に旅するというなら彼は今までの環境を捨てなければならない。親しい人にももう会えなくなるかもしれないのだ。しかし、押しとどめようとするアトリアの気持ちなどまるで気にしていない様子で、少年はあっけらかんと言ってのけた。

「その辺は最初から無いものだから大丈夫だよ。なにせ流星メテオだからね」

「……流星メテオ?」

 その中の一部を聞きとがめ、アトリアは繰り返した。少年は力強く頷き、言い切った。

「そう。君の元に落ちてきた、流星だよ」

 ――いつか自分の元に落ちてくると信じていた星。それが彼だというのだろうか。ずっと見続けてきた同じ夢、明け方の空に見えた流星。それらは、彼と出会う予兆だった。そう考えてみると、全てが符合しているような気がした。少年とアトリアはここで出会うと決まっていた。理屈ではないのだ。憂鬱な一日かと思っていたら、なんと信じがたく、素敵な日なのだろう。

 アトリアは、細かいことを考えるのをやめることにした。この少年が星であろうとそうでなかろうと、共にありたい。彼の方に不都合がないというなら、拒否する理由はなかった。

「……それなら、何か得意なことはある? どうせなら、私と一緒に舞台に立てばいいわ」

 アトリアがそう問うと、少年――メテオは星の散った瞳を輝かせ、あれこれと思案し始めた。暫し考え込んだ後、彼は思い立ったように顔を上げる。

「そうだ、演技は自信ないけど、物語はたくさん知ってるよ。僕が脚本を書いて、アトリアが演じるんだ。どう?」

 素晴らしい提案だと思った。二人でしか作れない舞台を作って喝采を浴びる。想像するだけで、胸が高鳴った。

「いいわね。じゃあ、帰り道にどんな話を知ってるのか教えてよ」

 そう言って、今度はアトリアから手を差し出す。その手を取ったメテオが、嬉々とした表情で語り始めた。

「じゃあ、とっておきの話をするね。その昔、辺境の小さな村に、白い髪の少女がいました――」

 その物語に耳を傾けながら、アトリアは歩き出す。天幕に戻ればひと騒動あるだろうが、メテオはきっとアトリアの味方でいてくれるはずだ。そう思うだけで帰路を行く足取りは軽くなり、アトリアは出会えた星を離すまいと手のひらに力を込める。その背中を見送る天の星々は、まるで祝福するかのようにきらきらと瞬いていた――。

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星屑たちの夢語り イツキ @nekoyume

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