流星の行方
流星の行方-1
星が落ちる、という伝説があった。それは夜空に起きるただの現象という意味ではなく、死して空へ還った魂たちからの贈り物だと語り継がれている。ただ落ちた星がどんなものなのか、どのような人の元に現れるのか――実際手にした人間がいたのかさえ、事実を知る者は一人もいない。だからこその伝説でもあった。
使い込まれたシーツにくるまり、アトリアは夢を見ていた。暗い空から一筋の眩い光が流れて、細長い塔に飛び込んでいく。痛いほどの輝きを目印に、アトリアはその塔を目指していた。靴が脱げても、裸足で石を踏みつけても走り続け、ようやく辿り着いた入り口で鉄扉を押し開ける。そこから急勾配の階段を駆け上り、最上階で光に包まれた何かを見つけ、目を見張る――いつも、そこで目が覚めた。
「……また、いつもの夢か」
石壁に囲まれた塔の部屋から一転、見慣れた天幕の骨組みが目に入り、アトリアは息を吐いた。同じ場所で眠っている仲間たちは未だに目覚めの気配は無いようで、健やかな寝息と微かないびきが響く以外は静まり返っている。彼らを起さないようそっとシーツから抜け出して、アトリアは手早く身支度を整えた。手櫛で髪をとかし、何回も繕って使っている上着に袖を通す。最後に、肌身離さず持ち歩いているお守り袋を首にかけて完成だ。僅かな持ち物に不足がないか確かめた後、アトリアは忍び足で天幕を抜け出した。
見上げた空は夜明けというにはまだ早く、藍色の中には小さな星々が散りばめられていた。遠目には風にそよぐ麦畑と、いくつかの民家が見える。こんな時間でもちらほらと明かりが灯っているのは、新年の祝祭だからだ。普段は黙々と働く農夫たちも、この時だけは羽目を外して夜通し騒ぐ。それが三日ばかり続いた後、彼らはすっきりとした顔で元の働き者に戻るのだ。今日は祝祭の中日。一番人々の気分が高揚する時分で、いつもより豪華な料理や酒がふんだんに振舞われる。そして、そんな人々を相手に歌や踊りを提供するのがアトリアたち――ポラリス一座の仕事だった。誰もが祝祭に浮かれるこの時期こそ、旅芸人の稼ぎ時である。ポラリス一座で特に人気が高いのは演劇で、小さな一座のわりに役者も演出も質が高いと評判だ。昨日の公演でも役者たちは喝采を浴び、今日はそれを聞きつけた人々が更に押し寄せることだろう。アトリアは、それが憂鬱で堪らない。
「……全部、すっぽかしちゃおうかなぁ」
自分の仕事を放り出して、一座も抜けて、やりたいことをやる。幾度となく考えたことがあった。だが結局実行できはしないと、既に分かっている。一座を差し置いて他に、アトリアの居場所などあるはずもない。
アトリアの母は、ポラリス一座の役者だった。そこそこ美人で人気の女優だったが、前触れなく妊娠が発覚し当時の一座は騒然となったらしい。父親は分からない。同じ一座の誰かであるとも、行きずりの男に身を任せたのだとも聞いたが、どれも真偽は定かではなかった。旅から旅の過酷な環境の中、それでも産むと言って母は聞かなかったそうだ。少なくともアトリアは望まれて産まれてきた子供だったし、母は愛してくれた――しかしそんな母も、無理が祟ってアトリアが物心もつかないうちに死んでしまった。以来、アトリアは一座の中で育てられている。一つ所に留まらず、一座以外に知り合いもいない。先日十二になったばかりの子供に、行くあてなどあるわけがなかった。
だからといって、一座に愛着があるとも言い難い。母と比べるとアトリアはごくごく平凡で、地味な娘だった。母譲りの黒髪は癖が強く、肩のあたりで渦を巻いている。頬にはそばかすも散っていて、瞳もありふれた青灰色だ。容姿で目を引く部分はひとつもない。歳のわりには身体に丸みもなく、どちらかというとみずぼらしい部類だ。芸を売る者としてこれは致命的で、アトリアは表舞台に立つ役者にはまるで相応しくなかった。よって主な仕事は裏方なのだが、こちらでもアトリアは要領の悪さを発揮している。衣装は破くし小道具は壊す、不用意に舞台袖で音を立て観客の気を散らしたことも何度かあった。ただでさえ出生のせいで周囲から浮いているのに、失敗しては呆れられることを繰り返す。いつまであんな奴を置いておくんだ、という声があるのも知っていた。
だからアトリアは星を見上げる。いつかあの夢のように自分の元に星が落ちてくるのだと信じることだけが、アトリアの支えだった。以前何かの拍子で周囲に零した時は散々馬鹿にされたものだが、確信は揺るがなかった。あの塔にあったのは大切な何かで、いつか必ず出会うものだ。昔から繰り返し見る夢――この村の景色は、少しだけそれに似ている気がする。そう思いながら再び空を仰いだ時、視界を一筋の線が通り過ぎた。
「えっ……!?」
見間違いかと、自分の目を疑った。しかし光の筋は、確かに夜空に尾を引いて地上に落ちていった。ほんの一瞬の出来事だ。だがその輝きの軌跡は、アトリアの網膜に焼き付き離れようとしない。興奮が身体を駆け巡った。もしかしたら、あれがアトリアの星なのかもしれない――そう思うとたまらなくなって、気付けばアトリアは駆け出していた。
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