忌み姫トゥーラと星空の子-5
話をしてみれば、トゥーラは実に聡明な少女だった。目が見えないのは生まれつきらしいが、それを理由に無知でいるのは嫌だと様々な手を尽くして文字や歴史などを学んだらしい。盲目であるというだけで疎まれたことへの反発心だった、とは本人から聞いた。トゥーラの話は時々胸が痛くなったが、彼女がそうやって字を学んでいたお蔭でアディルと話ができる。紙に書かれた文字は読めなくても手のひらに書けば伝わるし、トゥーラは記憶力もすこぶる良かった。都のことや、アディルが知らない学問のさわりを教わったり、いつの間にかトゥーラと過ごす時間は仕事というより日々の楽しみとなっていた。
『今日は寒いけど、よく晴れてるよ。空が真っ青だ』
小さな窓の傍で、今日の天気の報告をする。トゥーラに色々なことを教わる代わりに、アディルは外の様子や日々の村の移り変わりを彼女に伝える。会話する手段が限られているので随分ゆっくりしたものだったが、とても満ち足りた時間だった。
「そろそろ、湖に氷は張っていた?」
『それはまだ先かなぁ。でも霜柱はよく見るようになったね。触ったことある? ザクザクした感触が面白くてさ、見つけるとつい踏みつけちゃうんだよね。塔の近くにもあったから、トゥーラもやってみればいいのに』
それとなく付け加えた最後の言葉に、トゥーラは曖昧に微笑んだ。彼女はあまり外に出たがらない。身体的な事情もあるが、村の人がいい顔をしないだろうから、というのが大きな理由らしい。といっても、禁止されているわけではない。気にしなければいいとアディルは思うのだが、強要することは出来なかった。ただ、いつか連れ出せればいいとは考えている。彼女の居場所がこの塔だけというのは、いくらなんでも狭すぎる。
「アディル。雪が降るのも、まだ先かしら」
アディルの誘いに応えない代わりに、トゥーラはそんな言葉を口にした。いつだったか、トゥーラの姿が雪を連想させる、と話したことがある。天から落ちてくる白い花。冷たくて神秘的で、それでいて優しさを感じることもある。そんなアディルの大好きな景色が、彼女と似ている気がする、と。それ以来、トゥーラは幾度となくこの質問を繰り返した。実物の雪を知らないという彼女は、その日を心待ちにしているようだった。
――ああ、そうだ。雪が降ったら、その時こそ彼女を外に連れ出そう。
トゥーラの白い髪を見つめながら、アディルは密かに決意した。雪景色に溶け込む彼女の姿は、きっとこの上なく綺麗だ。
『雪の時は、もっと冷え込むよ。僕も楽しみだけど、風邪を引かないようにしなきゃ』
トゥーラの手にそう書き終えると、ずり落ちかけていた彼女のストールを肩にかけなおした。そろそろ本格的な冬になる。この部屋は酷く冷えるから、何か防寒対策をしなくては。そんなことをあれこれ考え始めたアディルの頬に、ふとトゥーラの手が触れた。
「……私は、雪の色だって言ってたわね。じゃあ、アディルは? お前は何の色なの?」
そう呟くと、答えを促すようにトゥーラはアディルの手を握った。そういえば自分の容姿の話はしたことがなかったと、その時初めてアディルは気が付いた。話す内容や手の形で歳や性別は察しているようだったし、特に不便もなかったので失念していたのである。どう説明すればいいだろうか、と考えて、真っ先に浮かんできたのは養父の言葉だった。
『カストル……僕の養い親なんだけど、その人はよく星空の子って言うよ。藍色の目に金の髪がかかると、星が散ったみたいだって』
「星空の、子」
手のひらの文字を正確に読み取り、噛みしめるようにトゥーラは繰り返した。
「……そう。見てみたかったわ」
続いた声が少し寂しげだと感じたのは、アディルの気のせいだろうか。普段は盲目であることの負い目など表に出さないトゥーラだが、きっと何も感じていないわけではない。親しくなった人の顔かたちが分からないのは、アディルだったら少し悲しい。
『色は分からないけど、形は触れば分かるよ』
これならば、とトゥーラの両手を自分の顔を挟むように持ってくると、彼女の雰囲気がふっと緩んだ。掴んでいた手を離すと、トゥーラは無遠慮にアディルの顔を検分し始める。
「髪、随分伸びてるんじゃないの。癖っ毛なのね。あと背が小さい」
後半、不本意なひとことを言われた気がした。それはアディルがまだ子供だからであって、大人になったらもっと伸びるのだ――そう抗議したいところではあったが、生憎と今彼女の手は忙しい。せめてもの抵抗に睨みつけると、気配で分かったのかトゥーラが小さく笑った。アディルの不満を宥めようとでもいうのか、彼女は髪の毛をくしゃりと撫でる。
「はい、終わり」
その言葉を合図にトゥーラの手が離れ、アディルは乱れた髪を直そうとした。そこで自分の手に違和感を覚える。何かが髪の毛に絡まっていた。いや、飾られているのだろうか。全く気付かなかった。いつの間にこんなことをしたのだろう。慎重にトゥーラのいたずらを外し、手に取ってみる。それは花だった。生花ではなく、糸をより合わせて編まれた小さな花。ところどころほつれ、歪んではいたが、それはアディルの手の中で愛らしく咲いていた。
『これ、もしかしてトゥーラが作ったの?』
数日前、糸が欲しいと言われて届けたことがある。何に使うのか聞いてもその時は教えてくれなったが、これを作るためだったのか。彼女は拙いながら手芸もこなすらしい。
「あげる。前に、お花を貰ったから」
以前ほどではないが、アディル未だにトゥーラへの贈り物を続けていた。貢がせたいわけではない、とトゥーラは言ったが、好きでやっていることだ。アディルも見返りが欲しいわけではなく、微かに微笑むトゥーラが見られるだけで充分なのである。それでも、こんな風に気持ちを返してもらえるとやはり胸が暖かくなった。
『ありがとう。こんなのも作れるなんて、トゥーラはすごいね』
「ちゃんと花になってるでしょ。今度はもっと特別なのを作ってあげるから」
礼を伝えると、トゥーラは珍しく得意気に胸を張った。特別なのとはなんだろう、と内心首を傾げていると、言わずとも通じたのか先んじてトゥーラが付け加えた。
「詳しくは秘密よ。星の力をね、借りるから」
心なしか声をひそめて、トゥーラは言った。彼女は空に還った人々の魂――星々の声を聞くことが出来るのだという。それはトゥーラが疎まれる大きな要因でもあったらしい。都では、その力を持つ者が神官となり星々と人との橋渡しとなる。滅多にいない貴重な存在なのだと、カストルからそう聞いたことがあった。そしてそれは、力を持たない大多数の圧力に弱いものだとも。
相応の覚悟を持って打ち明けてくれたらしいトゥーラだったが、アディルはといえば間抜けな顔で『そうなの?』と聞き返し、逆に呆れられてしまった。がっくりと肩を落とした彼女に少々申し訳ない気持ちになったのは記憶に新しい。しかしそんな態度のお蔭でトゥーラも気が楽になったと見えて、今ではこうやって星々のことを話に出す回数も増えてきていた。彼らから聞いたという異国の物語の話をしてくれたり、会ったこともないはずの商店の夫婦の喧嘩内容を知っていたこともある。どれもささやかな驚きと、空想が現実になったかのような浮遊感で心が躍った。アディルにとって、トゥーラの能力はそんな素敵なものだったのだ。だから、彼女が不幸をもたらすとは考えもしなかった。
『いつ頃見せてくれるの?』
「そうね……雪が降る頃までには、きっと」
『じゃあ、約束だよ。雪も一緒に見ようね!』
そう言葉を交わすと、二人ではしゃいだように笑いあった。他愛のないこの約束が、間違いないものだと信じて。
――もうすぐ、雪の季節がやってくる。
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