忌み姫トゥーラと星空の子-4

 その日の晩、アディルは夕食の席で早速カストルに仕事の報告をした。身振り手振りで説明するのももどかしく、彼の手のひらに次々と文字を綴る。この方法は、元々カストルとのやり取りで使っていたものだ。村では字の読み書きが出来る者が少ないので出番はほとんどなかったのだが、分からないものである。

「そうか、そんなことがあったのか」

 一通りアディルの話を聞き終えると、カストルは呆れるでも憤るでもなく呟いた。彼はいつもそうだ。一度しっかり受け止めて、それから一緒に解決方法を考えてくれる。あまり村で歓迎されていない様子の姫のことでも、それは変わりなかった。

『うん。次からどうしたらいいかと思って……』

「そうだな……アディルは、彼女のことをどう思った?」

 答えを求めたつもりが問い返されて、アディルは暫し考え込んだ。どうすればいいか困り果ててしまったが、不愉快だとか頭に来たとか、そういった感情ではなかったように思う。ただならぬ様子が心配だった、というのが一番だろうか。

『うーん、とにかく困った。あと、お姫様はなんだか人を怖がっているように見えて、変だなって』

 再度カストルの手のひらを借り、思ったままを伝える。するとカストルは、更に問いかけを重ねた。

「怖がってた、か。なぜだと思う?」

 それを受けて、アディルは更に答えに窮した。それが分からないからこそ、どう接していいか悩んでいるのである。だが、カストルが尋ねるからには大事なことなのだろう。アディルはただの子供にすぎないし、彼女に怯えられるような行動を取ったつもりはない。初めこそ驚かせてしまったが、そこの事情は説明したから大丈夫のはずだ。あと考えられるとしたら、なんだろうか。視点を変えて、自分だったら何が怖いかを想像してみる。

『お姫様のことは分からないけど……怒鳴られたり、叩かれたりしたことがあったのかのかなぁ』

 以前商店を訪れた時に、ミラの不興を買ってこっぴどく怒鳴られたことがある。途中イザールが宥めに入ってくれたお蔭でたれるまではいかなかったが、あの時は身が竦む思いだった。身体的にも社会的にも、アディルは大人には敵わない。そんな相手からあからさまな敵意を向けられるのは、どうしようもなく恐ろしかった。

「そうか。アディルは、姫に暴力を振るおうと思うか?」

 カストルの言葉に、アディルは勢いよくかぶりを振った。人に、ましてや女の子に暴力を振るうなどありえないことだ。それこそカストルが嫌いそうな行為だろう、と恨みがましく見返すと、彼は静かに微笑んだ。

「なら、お前が思う通りに接すれば大丈夫だ。姫はまだ慣れてないだけなんだろう。そのうち話もしてくれるようになるさ」

 カストルが寄越した答えは、あまりにも楽観的に聞こえた。だがそれでも敬愛する養父の言葉だと思えば、アディルは自然に頷くことが出来る。彼はいつだって自分の道標なのだ。カストルがそう言うなら、自分なりに出来ることをやっていこうと思う。仕えることになったからには、少しは彼女の心に寄り添いたかった。ありがた迷惑と言われてしまいそうだが、姫にはどこか放っておけないと感じさせる空気がある。アディルが後悔しないためにも、話くらいは出来るようになりたい。

「さて、そろそろ寝る支度をしなければ。アディルは明日も姫のところだろう」

 アディルが無事結論を出したのを見届けると、カストルはそう促した。返事の代わりにアディルは率先して食卓を片付けだす。明日はどうにか姫とまともな対話をしてみせる。今日のうちに対策を考えておかねば。決意も新たに、アディルは湖の塔に思いを馳せた。

 ――とはいえ、ことはそう簡単には上手くいかなかった。




「さっさと帰って」

 姫にすげなく言い捨てられて、アディルは伸ばそうとしていた手をだらりと下ろした。カストルに相談してから数日。姫との隔たりが埋まる気配は一向に無かった。会話を試みようとするにはアディルはまず彼女の手に触れなければならないのだが、この時点で早速躓いている。姫はアディルが近づこうとすると敏感に気配を察し、先程のように言い放つのだ。無理強いすれば余計に信頼を失うのは目に見えているので、現在アディルはただの日用品と食事の運搬係に徹している。身の回りの世話、とは言ったが、他にやることもなかった。比較的前向きな性格だと自負しているアディルだったが、ここまで進展しないと落ち込みもする。あれだけ意気込んできたというのに、挨拶すらさせてもらえないのだ。しかし、それでも諦めてはいけない理由も見つけてしまった。

 ――また、増えてる。

 一定の距離を保ちながらも、アディルは抜かりなく姫の姿を観察した。無防備に晒されている両腕には、日毎に小さな傷が増えていた。恐らく、初めて会った時のように転ぶかぶつけるかしたのだろう。今日も、肘のあたりに昨日は無かった擦り傷が増えていた。そこそこ派手にやってしまったようで、未だに赤い血が滲んでいる。手当てした様子もなく、ぶつけた時に落としたと思われる食器類もそのまま放置されていた。傷は手足だけではなく額や頬にもあったし、長い髪も手入れしていないのかところどころもつれている。彼女のように障害がある人間が一人で取り残されれば、それも当然だった。

 そう、この塔には姫以外誰もいないのだ。アディルはてっきり、姫の世話をする人間は自分の他にもいるものだと思っていた。都から共に来た使用人が引き続き面倒を見て、アディルは土地勘のない彼らの補佐的な役割だろうと考えていたのだ。だから姫もアディルに何もさせようとしないのだ、と。しかし三日もすればそれがとんだ見当違いであったと気付く。送り届けた人間は確かにいたのだろう。姫だけで都から旅立てるはずもない。だが彼らは都へ帰ってしまったのだ。たった一人、姫だけをこの塔に残して。

 今になって考えれば、療養というのにも違和感があった。姫は確かに華奢で丈夫そうには見えないが、騒いで暴れるくらいの元気はある。村で何か薬を手配しているということもない。村の薬師はアディルの養父だけなのだから、それは確実だ。加えて、村の大人たちは以前にも増して塔を避けている。腫れ物に触るよう、とでも言えばいいのか、丁重に扱うようアディルに言い含めながらも、そこに敬意はない。代わりに、余所者だから、貴族だからというだけでは説明しがたい嫌悪が滲んでいた。

 このままではまずい、とアディルは思った。時間が経つほどに、彼女の孤立は加速していく。どんな事情があるにせよ、いつまでもこのままでは姫は死んでしまう。たとえ小さな擦り傷であっても手当てしなければ膿んでしまうし、もし誰も見ていないところで階段から落ちるようなことがあればただでは済まない。彼女を助ける人間は絶対に必要だ。現状、彼女の傍にいてその役目が果たせそうなのはアディルだけだった。姫には何としてでも慣れてもらわなければならない。

「聞こえなかったの? 早く帰ってったら!」

 いつまでも退出しないアディルに痺れを切らしたのか、再び姫の叱責が飛ぶ。そのこめかみには青筋が立っていて、今にも癇癪を起こしてしまいそうだった。これではまた余計な怪我をさせかねないと、アディルは慌てて階段へと駆けて行った。今日のところはひとまず退散、である。




 更に何日かの時間を経て、アディルは方法を変えてみることにした。直接話そうとするのはやめ、食事の籠の中にささやかな贈り物を入れるようにしたのだ。

 いつも彼女に渡す籠の中身は、至って質素なものだった。小さめの固いパンに、豆と野菜のごった煮かほとんど冷めたスープ。あとはお世辞にも質が良いとは言えない葡萄酒くらいだ。日に二度届けるそれらの中に、アディルはそっと焼き菓子を忍ばせてみた。砂糖をふんだんにまぶしたようなものは村では手に入らなかったが、干し果物が入っていたり蜂蜜の風味がするものだ。滅多に食べられない甘味を口にすれば、心も華やぐ。今の状況が姫にとって恐ろしいなら、嬉しいことの一つでもあればそれも和らぐのではないかと考えたのである。上手くいけば話すきっかけにもなるかもしれない。今のところ姫の態度に大きな変化は無いが、目論見はあながち外れていないはずだ。パンやスープは残していても焼き菓子は毎回完食しているのだから、むりやり手を取るよりはいい方法だろう。

 しかし、これにも一つ問題がある。ハダル村では、菓子は高級品だった。いつでも手に入るわけではない。小遣いを工面したり、時には自分で作ってみたりと努力はしているが、こればかりは限界がある。

 それならばと、菓子の無い日には籠に花を添えることにした。慎ましやかな野菊、涼やかな色合いの竜胆、名前もないような小さな花。どれも地味で姫への贈り物としては相応しくないかもしれない。そもそも彼女は色形が分からないのだから無意味かもしれなかった。それでも手に取れば質感やほのかな香りを楽しむことが出来る。僅かでも、それが彼女の慰めになればいいと思っていた。

 そして、変化はあるとき突然訪れた。

「……その、花」

 予期せず部屋に響いた声に驚き、アディルは手を止めた。

 夕刻に塔を訪れた時のことだった。ひと月もたてばアディルも慣れたもので、姫に分かるようわざと足音を立てて部屋に入るのが習慣になっていた、夕分の籠をテーブルに置き、辺りを軽く掃除する。姫も部屋に慣れてきたのか頻度は減ったが、物が倒れていたり位置がずれていることはよくあった。怒られない範囲で部屋の中を歩いてそれらを片付け、籠を回収して帰る。その間、いつもなら姫はアディルの存在を黙殺しているので、声を掛けられたことに気付くのが遅れてしまった。

「聞いてるの?」

 微かに苛立ち混じりの声で、姫が問い掛けた。独り言でもアディルの気のせいでもないらしい。アディルは恐る恐る彼女に近付くと、その細い手を掬い上げた。その瞬間、姫の肩がぴくりと震える。しかし以前のように騒ぐことはなく、彼女は甘んじてそれを受け入れた。そのことに密かに安堵すると、アディルは姫の手のひらに指先を滑らせる。

『聞いていますよ。花がどうかされましたか』

 改めて聞き返すと、姫は何度か口をまごつかせた後短く答えた。

「萎れてしまうでしょう」

 アディルは微かに目を見張った。菓子と違って花はいつも籠に入ったままだったので、気にしているとは思わなかったのだ。だからアディルが持ち帰るようにしていたのだが、部屋に置いておきたかったのだろうか。

『そうですね、気付かなくてすみません。花瓶に差しておきましょうか』

 アディルの言葉に、姫は微かに頷いたように見えた。といってもこの部屋に花瓶などない。下の荷物の中に代用できそうな物を探してみようか――そう思って手を放そうとすると、微かな抵抗があった。離れることを許さなかったのは、姫である。

「あ……」

 自分の行動に驚いたように、姫が声を上げる。せっかく握った手をまた戻そうとするのを、今度はアディルが捕まえた。言いたいことがあるから引き留めたのだろうと、促すように力を込める。すると姫は、些かぎこちないながらも語り始めた。

「……お菓子も」

 どうやらアディルの贈り物についてらしい。中途半端に止まってしまう姫の言葉の続きを、アディルは根気強く待った。彼女から話をしてくれたのは初めてなのだ。この機会を潰したくはない。

「こんな辺境じゃ、滅多に手に入るものじゃないって聞いてたのに。どうしてわざわざこんなことをするの」

 ようやく姫が口にした疑問は、そんなものだった。どうして、と問われると少々答えに悩んでしまう。言ってしまえば姫の気を引こうとしていたのだが、本人にそのまま伝えるのは気恥ずかしい。

『ええと……お姫様が食事を残していらしたので、甘いものなら食べられるかと思って。ちゃんと食べないと倒れてしまいます』

 考えた末に、アディルはそう説明した。嘘は言っていない。食の細い姫に食べやすいものを、と思っていたのは事実だ。しかしこの答えは、姫の求めていたものではなかったらしい。

「そうじゃない! そうじゃなくて……お前は私が嫌じゃないの。こうやって触れたり、話したりするのが」

 いきなり大声を出したかと思えば、台詞はどんどん尻すぼみになっていく。まるで叱られた時の子供だ。といってもアディルは別段何かに怒っているわけではないのだが、姫は勝手に縮こまっていく。その俯いた顔を上げさせようと、アディルは握った手をぐっと上に引き上げた。

『嫌だなんて。そうしてそんなことをお聞きになるんです?』

 今更そんなことを心配するのもおかしな話だ、と思う。これまで関わるのを嫌がっていのは姫の方だというのに。そんな意味も込めて問い返すと、姫はおずおずと理由を述べた。

「私は、見た目がこんな風だから。白い髪なんて気味が悪いって言われるし、両親とも全然違うから不義の子だって言われてるし……目も見えないから邪魔者だし、星の声のことだって誰も信じないもの。悪いことは全部私のせいで、不幸を呼び寄せるの。〈忌み姫〉なんて呼び名まであるのよ。だから……」

 そこからは言葉にならないのか、姫は声を詰まらせた。不思議だった。彼女自身は己の姿を鏡で見ることは出来ないだろうに、なぜ醜い前提で話すのだろう。それに〈忌み姫〉だか知らないが、アディルは彼女の元に通い詰めていても何も悪いことは起きていない。都の人間の事情がどうであれ、アディルから見れば姫は少し身体に不自由があるだけの可憐な少女だった。不機嫌に押し黙ったりせず笑っていれば、さぞ愛らしいことだろう。彼女を蔑ろにする理由はない。

『難しいことは分かりませんが、お姫様は気味悪くなんてないですよ』

 口籠ったままの姫の手のひらにそう綴ると、彼女は驚いたように顔を上げた。

『最初に見た時雪みたいだなって……あ、雪って分かりますか? 白くてふわふわしてて、触ると冷たいんです。空から降ってくるのも、地面に積もったのも綺麗なんですよ』

 何気なく例えてしまったが、姫は雪がどういうものか知らないかもしれない。慌てて説明を付け加えたが、姫は無反応だった。何かおかしなことを言っただろうか、と首を傾げると、ぽたり、と手に濡れた感触があった。

「……変な奴ね」

 震える声と共に、姫の目から溢れるものがあった。銀の瞳を濡らし、溢れた雫を宝石のように光らせて、彼女は泣いていた。嗚咽を漏らすこともなく、ただ静かに――その何も映さないはずの眼差しに、確かにアディルを捉えたまま。

 一瞬時を忘れて姫の表情に見入っていたアディルだったが、不意に我に返り慌てふためいた。無自覚に彼女を傷つけるような発言をしてしまっただろうか。焦るあまりにひゅ、と喉が鳴る。もちろん声は出ないのだが、それがこんなにも歯痒かったことはない。手を握ったまま冷汗をかいていたアディルに助け舟を出したのは、姫だった。

「トゥーラよ」

 前触れなく告げられたものに、アディルは動きを止めた。聞き返すように手に少し力を入れると、彼女はしっかりとした発音で繰り返した。

「トゥーラ。私の名前。お姫様っていうのはやめなさい。あと、まどろっこしい口調も。読み取るの大変なのよ」

 名を教わったのだとようやく自覚して、アディルは相好を崩した。トゥーラ、と手に書いてみる。綴りはこれで合っているだろうか。そうよ、と彼女が頷いたのをみて、続けて別の名を書いていく。

『アディル。僕の名前は、アディルです』

「アディル?」

 確かめるように姫が口にした自分の名に、全身が喜びで満たされていく。名前を呼んでもらえるというのは、これほど嬉しいことだったのだ。頷く代わりに繋いだ手を勢いよく振り回す。痛い、と姫からの苦情で動きを止めたが、そんな些細なやり取りすら喜びに変わるのだから自分でも余程だと思う。一か月粘った甲斐があったというものだ。無視され続けてもなお彼女から離れなかったアディルは、傍から見ればさぞ滑稽であったに違いない。その事実を思い出し、アディルは一人苦笑した。

「……何?」

 笑っているのが雰囲気で伝わったのか、姫が訝しげな声を上げた。なにも彼女のことを笑っていたのではないと訂正すべく、文字を書く。

『初めて会って一ヶ月も経つのに、まだ名前も知らなかったなんておかしいなぁって』

 そう説明すると、姫は得心がいったように息を漏らした。

「……そうね。おかしいわね」

 アディルに同意して、ぎこちなく微笑む。ここに来てからトゥーラが見せた、初めての笑顔だった。

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