忌み姫トゥーラと星空の子-6

 痛みすら覚えるような寒さで、アディルは目を覚ました。寝室の扉の向こうからは僅かに物音が聞こえる。もう夜が明けたのだろうか。今朝は随分と冷える。凍ったように動かない身体に鞭打ち、ベッドからどうにか這い出した。外の様子を見ようと鎧戸を細く開ける。すると、凍てつく空気と共に白いものがひらひらと舞い込んだ。

 ――雪だ。

 気付いた瞬間、アディルは慌てて鎧戸を閉め、身支度を整え始めた。寒いのも道理だ。待ちに待った雪である。夜着を投げ捨て、いつもより多く重ね着し、厚手の外套を引っ張り出す。あとはトゥーラに届ける食事の用意だ。善は急げとばかりに居間に飛び出すと、そこには既に朝の支度を整えたカストルがいた。

「おはよう、アディル。なんだか今朝は慌ただしいな」

 そうだよ忙しいんだ、と伝えることにも気が急いて、アディルはひたすら首を縦に振り両の拳を握りしめた。せわしないアディルの様子に、カストルが苦笑する。

「そんなことだろうと思ったんだよ。先に用意しておいたから持っていきなさい」

 そう言ってカストルが示したのは、テーブルに置かれた籠だった。触れるとほのかに暖かく、香ばしい匂いがする。よく見ると、アディルの分の朝食も入っているようだ。傍には見慣れない外套が畳んで置かれている。視線だけで問い掛けると、カストルは静かに頷いた。

「彼女に渡してあげなさい。あの塔は特別冷えるだろうから」

 流石はカストルというべきか、アディルの考えなどお見通しであるらしい。アディルは大きく頷き返すと、大事に荷物を抱えて駆けだした。




「どうしたの、アディル。今日は随分と慌ただしいのね」

 塔を駆けあがってトゥーラの部屋に辿り着くと、奇しくも彼女は養父と同じ台詞で出迎えてくれた。全力で走ってきたから足音もかなり響いていたのだろう。当然息は上がっていたが、それを整える暇さえ惜しんでアディルはトゥーラの手を取った。

『トゥーラ、雪! 雪が降ってるよ!』

 一方的にそれだけ告げると、アディルはトゥーラを窓辺まで引っ張った。細く開いた隙間から手を出すよう促すと、トゥーラは恐る恐る手のひらを外に差し出した。

「……冷たい」

 彼女の目が、僅かに見開かれる。次いで、口元が緩やかに綻んだ。

「これが、アディルの見せたかったものなのね」

 呟くと、トゥーラは感慨にふけるように息を吐いた。唇から白く染まった呼気が零れて、空気に溶けていく。それを見てようやく、アディルはトゥーラが薄着であることを思い出した。いつも着ている簡素な服だけでは、到底この気温には耐えられない。持ってきた外套を肩にかけてやると、トゥーラも今思い出したというようにそれを着込んでいく。それほど質のいいものというわけではないが、無いよりはずっとましなはずだ。後で火鉢も用意しておいた方がいいだろう。だが、その前に。

『トゥーラ、朝食まだ暖かいから食べちゃおう。そうしたら、少しだけ塔の外に出てみない?』

「外に? でも……」

 以前から考えていたように、トゥーラを誘ってみる。彼女はやはり躊躇しているようだった。しかし今回はアディルも簡単に引き下がる気はなかった。トゥーラと見る雪をどれほど楽しみにしていたか、時間が許すならいくらでも語っているところだ。

『朝早くから降ってたから、少し積もってるんだ。でもここからじゃ分からないし、明日には溶けちゃうかもしれないからさ。ちょっと階段が大変だけど、僕も一緒だから』

 彼女の手のひらに次々と理由を畳みかける。それでもしばらくは渋っていたトゥーラだったが、最終的にはアディルの粘り勝ちだった。

「分かった。少しだけなら……絶対に一緒にいてよ」

 ようやく引き出せた了承の言葉に嬉しくなって、アディルはトゥーラの華奢な体を抱きしめる。なぜか慌てるトゥーラをよそに、アディルは喜びを噛みしめた。




 持参した食事で腹を満たした頃には、雪はすっかり小降りになっていた。弱々しいながらも日の光が差し込んでいて、じきに空も晴れるだろう。まさに好機である。アディルはトゥーラを連れ意気揚々と外の世界へ繰り出した。といっても、塔のすぐ傍だ。それでもトゥーラは久方振りの外が新鮮だったようで。なにかと周りのものに触れては感触を確かめていた。辺りはすっかり雪景色で、何もかもが冷たい。厚く積もっているわけではないが、二人で楽しむには充分だった。塔の側面に張り付いた雪の塊、薄く張った湖の氷に、被さった重みにこうべを垂れる低木。見えるもの一つ一つをトゥーラに説明し、時に足を滑らせそうになりながら、二人はひとしきりはしゃいだ。気付いた時には揃って鼻と耳が真っ赤になっていて、互いにおかしくなって笑いあう。そうして気分の高揚も落ち着いた頃、トゥーラは思い出したように声を上げた。

「アディル、こっち来て。手を出して」

 そう言いながらアディルを手招きすると。トゥーラは自分の懐を探り始めた。ややあって、差し出したアディルの手に何かが乗せられる。それは幾重にも重なった糸で花弁を表現した、トゥーラの花だった。以前貰ったものよりも精巧で、一回り大きい。ちょうど良くアディルの手に収まるほどの大きさで、両端には紐が付いていた。よく見ようとして空にかざしてみると、白い糸がきらめいて銀の光を放っている。しばらく眺めていると、それが日差しに透けているのでなく花そのものの輝きだと気付いた。

「前に言ってたでしょう。悪いものから守ってくれる、お守りみたいなものよ」

『トゥーラ、これ光ってるよ。すごいね』

 見たままを伝えると、トゥーラが目を見張ったのが分かった。作った本人も知らなかったことらしい。

「そう……きっと星の力が影響しているのよ。アディルには、それが見えるのね」

 幾度か目を瞬かせて、トゥーラは微笑んだ。そうして、彼女は器用にアディルの左手に花を結んでくれた。糸が肌を擦るたびに、その場所が微かに暖かくなる。これならいつでも身に着けていられると、アディルは喜色を隠さずトゥーラの手を取った。

『ありがとう、トゥーラ! 帰ったらカストルに自慢しなきゃ』

 そう礼を告げたアディルだったが、次の瞬間ぎゅうう、という間抜けな音が響いた。そういえばそろそろ夕食の時間だ。アディルの腹の虫である、と先に気付いたのはトゥーラだった。彼女はアディルに憚ることなく笑い出す。

『もう、あんまり笑わないでよ。トゥーラだってお腹空いたでしょ?』

「ふふ、そうね。そろそろ帰りましょうか」

 頷きつつも肩を震わせる彼女に同意しかけて、ふとアディルは思いとどまった。トゥーラの夕食は、一度村に戻って用意してこなければいけない。彼女をここに置き去りにして行くわけにはいかないから、部屋まで送ってからにすべきだろう。ただこれが少々問題で、目の見えないトゥーラが塔の階段を上り下りするにはかなりの時間が掛かるのだ。急勾配の階段を休み休み行くことになるから、その間に日が暮れてしまうかもしれない。どうしたものか、と思考を巡らせ、アディルはひとつの妙案に辿り着いた。

『ねぇ、トゥーラ。村の方にも行ってみない? 食事を取りに行くついでに』

 それは一緒に村まで行って用事を済ませ、塔まで帰ってくるというものだった。これなら時間も無駄にならないし、自分が暮らしている場所をトゥーラに知ってもらう機会になる。我ながらいい考えだ、と思ったのだが、トゥーラの反応は芳しくなかった。

「アディル、前にも言ったけれどそれは……」

『先に部屋に戻ると時間かかっちゃうし、人目が気になるならこうすれば大丈夫だよ』

 そういうと、アディルはトゥーラの外套のフードを掴み、彼女の頭に被せてしまう。真っ白な髪は覆い隠され、目深にかぶってしまえば目元も見えない。視界が完全に隠れてしまうだろうが、トゥーラの場合は問題にならないだろう。目立つ容姿を気にするなら、隠してしまえばいいだけのことだ。

「これじゃ、逆に怪しまれるわよ。見つかったら酷いことを言われるかも」

『今日は寒いからたくさん着こんでたっておかしくないよ。それに、僕がついてるから大丈夫!』

 なおも難色を示すトゥーラに、アディルはそうきっぱりと言い切った。ここまで出てきたのだから、少しくらい足を延ばしても変わらないはずだ。行ってみれば案外村の人間も何も言わないかもしれないし、万が一の時は自分が守る。そんな熱意が通じたのかは分からないが、とうとうトゥーラは条件付きで了承してくれた。

「……なるべく人に会わないようにして、すぐに帰って来るなら」

 それではつまらない、と言おうとして、アディルはすんでのところで思い直した。これ以上彼女を困らせては、やっぱり行かない、と言われてしまうかもしれない。今回は様子を見て、また次の機会に色々な場所を案内すればいいのだ。

『分かった。じゃあ、行こう』

 そう告げてトゥーラの手を握ると、しっかりと握り返された。それだけでアディルは浮足立って、上機嫌にトゥーラの半歩前を歩き出す。

 だが結局自分の考えは甘かったのだと、アディルはすぐに思い知ることとなった

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