忌み姫トゥーラと星空の子-7

 つつがなく村まで到着し、アディルたちはまず商店を目指した。寒さのせいもあってか辺りは閑散としていて、それを伝えるとトゥーラは明らかに安堵した表情になった。

『もう夕食時っていうのもあるかな。どこの家も煙突から煙が出てる』

「そうでしょうね。時々美味しそうな匂いが漂ってくるもの」

 時折立ち止まって他愛ない会話を挟みながら、二人は伸び伸びと民家の間の道を歩いていた。ああは言っていたがトゥーラも村の様子には興味があるようで、さりげない風を装って辺りの情報を聞きたがった。今のところはアディルに声を掛けてくるような人物とは遭遇せず、トゥーラの不安は杞憂に終わりそうである――そう考えていた矢先のことだった。

「アディル? どうしたの?」

 突如立ち止まったアディルに、トゥーラが訝しげな声を上げた。無意識のうちに、彼女と繋いだ手を強く握る。アディルの目に映っていたのは、目的地としていた商店だった。店主のイザールに言って、必要なものを籠に詰めてもらわなければいけない。しかしその店主は、なぜか屋内ではなく店の外にいた。妻のミラもいる。他にも村の大人が数名集まって、額を寄せ合っていた。

「……まさか村長の娘さんが流行り病だなんてなぁ。人の出入りが多い村でもないのに」

「おい、まだそうと決まったわけじゃないだろ。滅多ことを言うな」

「本格的に流行したら、ハダル村は終いだぞ。なんでこんなことに……やっぱりあいつらが」

 耳を澄ませていると、断片的ながらも状況が掴めてきた。流行り病、という言葉に緊張が走る。ハダル村は大陸の端に位置していて、他の村や町からは距離がある。外部に助けを求めるには時間が掛かるだろう。村に医学に精通している人間がいるわけでもない。強いて言うならカストルだが、一人では限界がある。彼らの言うとり、ひとたび流行すれば村が壊滅する危険すらあった。だが、アディルが感じた不穏な気配はそれではないような気がした。これには、どことなく覚えがある。以前感じた、トゥーラが村に来ると決まった時の緊張感と酷似していた。

「――だから私は言ったんだ。なのに話を聞かないからこんなことになるんだよ。あの、耄碌もうろく村長め!」

 金切り声を上げたのはミラである。怒りのせいか寒さのせいか、赤らんだ顔で興奮したように叫んでいた。隣で宥めようとしている夫には見向きもしない。

「ああ、あの連中がいけないんだ。都から〈忌み姫〉が病を連れてきたんだ!」

 更にミラが言い募った言葉に、トゥーラの肩が震えた。忌み姫。その呼び名を、彼女から一度だけ聞いたことがある。都の人々はみなトゥーラをそう呼んで、軽蔑し傷つけるのだと。

 ミラの台詞で、アディルは話の傾向を察してしまった。ここにいるのはよくない。食事は諦めて、塔に戻るべきだろう。彼女にミラたちの会話を聞かせたくない。何も言わず、トゥーラの手を引いて踵を返す。だが、一歩遅かった。

「――おお、誰かと思ったらアディルじゃねぇか。ちょうど良かった。カストルさんにも……」

 最初に気付いたのはイザールだった。アディルを見つけ呼びかける声が、徐々に萎んでいく。視線は傍らのトゥーラを捉えていた。フードは被ったままだったが、商店の夫妻はアディルが湖の塔に通っていることを知っている。見慣れない少女の正体も容易く想像がつくだろう。逃げるべきか。しかしそれではトゥーラに非があると認めているようなものだ。かといって彼女の存在を誤魔化せるものだろうか――そんな風に迷っている間にも、大人たちの時間は進んでいた。いつのまにか憤怒の形相のミラが目の前にいて、トゥーラの外套に手を掛ける。

「何をするの、やめて……!」

 悲痛な訴えはトゥーラの叫びであり、アディルの心の声でもあった。そこに、村の静寂を裂くような悲鳴が重なる。露わになったトゥーラの髪を見て、ミラは気が違えたかのように喚き続けた。

「ああああ……! この村は滅んでしまうんだ! 悪魔! 呪いの子! お前が災厄を運んできたんだ! お前のせいで……!」

「おい、落ち着け!」

 ミラが乱暴にトゥーラ突き飛ばし手を上げようとしたところで、その場にいた数人の男が彼女の腕を押さえ込んだ。それでも未だにミラの目は、座り込んだトゥーラとそこに駆け寄るアディルに向けられていた。

「アディル、お前もその悪魔の仲間なのか。親切にしてやった恩も忘れて、村で何をしようっていうんだ!」

 向けられた矛先に、アディルは必死に首を振った。村の人に害を加えようなど考えたこともない。第一、トゥーラのせいだというのも言いがかりだ。しかし彼女にアディルの言い分を聞く気など端から無いようで、ひたすら不毛に嘆き続ける。

「ああ、なんてことだ、こんな小さな村に悪魔が二人もいるなんて。都から神官さまを呼ばなくちゃ……」

「だから、落ち着けよ。そっちの姫はともかく、アディルはカストルさんの養子だし、よく手伝いもしてただろ」

 意外にもイザールが妻を諫めようと声を掛ける。だが、味方がいた、と安堵したのも束の間のことだった。

「あー、そうだ、アディルも俺たちと同じなんだよな。村でこんなことがあったからおかしいと思って、その……忌み姫を裁かなきゃいけないと思って連れてきたんだ。違うか?」

 もしアディルが他の人と同じに声を持っていたなら、全力で違う、と叫んでいただろう。イザールの言葉はアディルを弁護しているようで、その実何も理解していないものだった。口で反論する代わりにイザールに掴みかかりかけるが、その前にアディルはトゥーラの異変に気が付いた。村に来てから決して離そうとしなかった手が、不意に解かれる。

「そう、だったの?」

 ぽつりと聞こえた呟きは、確かにトゥーラのものだった。振り返った瞬間目にした彼女の顔からは、全ての表情が抜け落ちていた。ほんの数刻前に見せた無邪気な笑顔も、初めて歩く土地に戸惑う顔もない。そんなわけない、違うに決まっている――そう言いたかったのに、伸ばした手は音を立てて弾かれてしまう。

「触らないで。変だと思ってたの。最初からそういうことだったのね。でなきゃ私に近付く理由なんてないもの」

 拒絶を告げる声は震えていた。まるで初めて会った日のようだ。けれど今はゆっくりと彼女の心を解きほぐしている時間は無い。首を振っても、身振り手振りで表そうとしても、目の見えない彼女には伝わらないというのに。そこへ更に、イザールが追い打ちをかける。

「ほら、アディルは仲間じゃないってさ。ひとまず姫を塔に戻してから考えよう、な?」

「……ふん。今度は鍵をかけて絶対出てこないようにしてちょうだいよ。お城の姫様だか何だか知らないけど、不吉なものはさっさと処分して欲しいね」

 男たちの拘束から解放されたミラが、不満げに鼻を鳴らした。イザールは妻の様子に肩を竦めながら、トゥーラに近付いて犬のように襟元を掴もうとした。

 ――駄目だ。

 咄嗟に彼女を庇おうと、アディルは間に身体を滑り込ませた。その拍子に腕がトゥーラの頭を掠め、軽い衝撃が走る。トゥーラの顔が歪んだ。決してわざとのことではない。しかし、それがトゥーラの中の何かを壊してしまった。

「……うそつき」

 トゥーラが零した言葉が、胸に刺さる。嘘など吐いたことはない。そう声を大にして言いたいのに、アディルの喉はただ空気が通り抜けるだけだ。堰を切ったように、トゥーラの瞳から涙が溢れ出す。

「うそつき、うそつき、うそつき! もう私に触らないで! みんな私の前から消えてよ……!」

 かつてないほど声を張り、トゥーラは叫んだ。とにかく誤解を解かなくては、と強引に彼女の手を掴んだ瞬間、事は起こった。

「――触らないでぇえええ!」

 トゥーラが悲鳴を上げるのと同時に、熱に呑まれた、と思った。最初に感じたのは左手。トゥーラが結んでくれた花だった。炎のように灼け付く感覚があったかと思うと、凄まじいまでの閃光が目を焼いた。熱い。痛い。そんなことを考える暇すら与えず、光はアディルの身体を覆いつくし、腕を、顔を、全てを焦がしていく。トゥーラの言葉通り、全てを燃やし尽くさんばかりに――。

「……ぁ」

 漏れ出た吐息も満足に音にならず、次第にアディルの意識は遠のいていく。周りの声もくぐもっていて聞こえない。気を失うその間際、黒焦げになった花と、走り去るトゥーラの姿を見た気がした。

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