忌み姫トゥーラと星空の子-9
よく晴れた朝だった。前の日の寒さもいくらか和らぎ、湖の氷も溶けだしていた。青と緑の混ざり合った不思議な色に、朝日のきらめきが映える。周りの木々はまだ雪を被っていたが、合間に覗く枝葉の色は深く瑞々しい。遠目に見える塔は、細長く、蔦や苔が侵食していて、人が暮らすには古すぎる。けれど、物語に出てきそうな趣があって悪くはない――湖の畔で見る景色は、全て彼から教わった通りだった。
「君が、アディルのお姫様かな」
掛けられた声に、トゥーラはゆるゆると振り返る。視線の先には、金茶の髪の男が立っていた。取り立てて目立った特徴のない、どこにでもいる風情の人物だった。だが、異様な容姿のトゥーラを前に動じない精神と、穏やかに語り掛ける雰囲気にはどことなく覚えがある。
「……そういうあなたは、アディルが話していたお父様かしら」
カストルという、血は繋がっていないが尊敬している父がいると、幾度となく話に聞いていた。彼がそうだというなら納得だ。トゥーラに反抗する意思がないと悟ってか、カストルがゆっくり歩み寄る。
「もう逃げないのかな」
「償え、と言われたから」
短く答えると、カストルは目を伏せた。気に障っただろうかと、頭の片隅で思う。しかしどう言い繕ったところで、トゥーラがしてしまったことは変わらない。ならば、事実を口にするのみだ。罵倒されようが、殴られようが、耐える覚悟でいた。しかし、予想に反してカストルは諦念の滲む溜息を吐き呟いた。
「……これも、星々のお導きか」
耳が拾った言葉に、トゥーラは首を傾げた。それに答えるように、カストルは続ける。
「君の身柄は、私が預かろうと思っている。その力についても村の他の者よりは知識があるし、力になれることもあるだろう」
「え……?」
トゥーラは思わす目を見張った。預かる、というそれが、投獄や監禁といった意味ではないのはわかった。願ってもない話だ。けれど、なぜ。
「怒らないの?」
堪らす、問い掛ける。カストルとアディルは家族だった。トゥーラには想像もつかない、確かな絆で結ばれた親子だったはずだ。トゥーラは彼からその息子を奪った張本人だというのに、なぜそんな申し出が出来るのだろう。他の村人とて黙ってはいないのではないだろうか。するとカストルは、困ったように眉根を下げ苦笑した。
「そういう感情が無かったとは言わないが……その瞳を見てしまってはね」
その言葉にトゥーラは息を呑み、目元に手を添えた。ああ、やはり、彼には分かるのだ。
「付いてきなさい。理不尽な扱いはしないと約束しよう」
そう言うと、カストルは早々にトゥーラに背を向けた。拒否するという選択肢は初めからないらしい。呆然と彼の背中を見つめていると、大丈夫だよ、という声が聞こえた気がした。トゥーラが聞き慣れた、あの響きで。
「どうした。早くしないと、他の村人に見つかると面倒だぞ」
「今、行く」
肩越しに振り返って急かすカストルに、トゥーラは確かに頷いた。最後にもう一度湖に映った己の姿を覗き込む。
「……星空の子。お前の瞳は、こんな色をしていたのね」
水面から見返していたのは忌み嫌っていた白い髪と――深い藍色の、夜空の瞳をした少女だった。
再度、カストルの声がする。今度こそ、トゥーラは自分の意志で歩き出した。これからはこの村で生きていくのだ。いつか許される、その時まで。
――やがてハダル村では、生まれながらに星々の声を聞くという者が人々を守り、不吉を遠ざけるとして敬われるようになった、しかしそれは、まだ遠い未来の話である。
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