忌み姫トゥーラと星空の子-2
どうも今日のハダル村の空気は不穏だ、と最初に感じたのは、村唯一の小さな商店まで薬を届けた時のことである。いつものように扉を叩いてから中に入ると、出迎えてくれたのは不安の滲む刺々しい声だった。
「どうしてそんなもの受け入れたのよ。村でなにかあったらどうする気なんだか……それになんでうちが面倒を見てやらなきゃいけないんだ」
「相変わらずお前は迷信深いな……俺に言われたって困る。都の貴族様の命令らしいし、あとは村長の判断だ」
おざなりに商品を並べながら会話していたのは、店主のイザールとその妻のミラだった。普段から口喧嘩の絶えない夫婦であるが、それとはどうも空気が違うようだった。息をひそめ、不吉なものから隠れるようにして話し込んでいる。こちらに気付く様子は全くない。何について話しているのかは知らないが、用件を済ませられないのは困る。邪魔になるのは承知で傍に寄り店主の袖を引くと、彼は弾かれたように顔を上げた。
「……なんだ、アディル坊ちゃんか。驚かせるんじゃねぇよ」
振り返ってアディルの顔を見たイザールが、安堵したように息を吐いた。その反応にアディルは首を傾げる。イザールは村の中でも体格がよく豪気な性格で、物怖じしないことで有名だ。彼が自分のような子供相手に怯えたような態度をとるなんて、よっぽどのことがあったのだろうか。
アディルのそんな疑問に気が付いたのか、イザールは苦虫を噛み潰したような顔で掴まれていた袖を引き剥がした。
「込み入った話してたから、いるのに気付かなかったんだよ。ほら、薬届けに来たんだろ。さっさと寄越せ」
イザールは言いながら薬の入った袋を奪い取ると、代金分の硬貨をアディルに押し付け外へと放り出されてしまった。扉を閉める音が無情に響く。そんなことをされては尚更不信感が募るのだが、問い質す権利がアディルにあるわけでもない。閉ざされた扉を前に、溜息を吐く。ひとまず代金はきちんと受け取ったのだから、問題はない。そう自分を納得させて、アディルは帰路につくことにした。
しかし、その途中でもアディルは同じ違和感を覚えた。一見、村の様子はどこも変わらない。日毎に冷たさを増す風に混じった夕食の匂いも、疎らに立った家々の煙突から吐き出される煙も、道端に生えた逞しい雑草も、いつもと変わらず平和そのものだ。だというのに、目に付く大人は皆顔を強張らせ、どこか気忙しそうにして落ち着きがなかった。呑気なのは村で飼われている老犬くらいなものだ。商店の夫婦だけでなく、村全体の空気が張り詰めている。その理由をようやく知ることが出来たのは、アディルが家に帰り着いた後のことだった。
「アディル、話があるから少し座りなさい」
養父であるカストルが切り出したのは、二人で夕食を取り、片付けも終えた時のことである。いつもなら他愛ない話で潰す時間に、改まってそんなことを言うのは珍しい。訝しみながらもアディルは席につき、向かいに座るカストルの顔を見上げた。もしかしたら、仕事で何か問題があっただろうか。薬の代金が合わなかったのかもしれない。乱暴に押し付けられたから、よく確認をしなかった。それとも、アディル自身のことだろうか。カストルは村の中では裕福な方だが、それでもやはり生活が苦しくてアディルの面倒を見られなくなったとか――そんなことを考えていると、カストルは不意に表情をやわらげた。
「どんな心配をしてるのかは察するが、悪い話じゃないからそう緊張しなくていい」
ランプの揺らめく炎に照らされた養父の顔は至って穏やかで、アディルは胸を撫で下ろした。カストルが行き場のない子供をいきなり追い出すような人ではないのは分かっているが、やはり言葉にしてもらえると安心するものだ。
カストルは村でただ一人の薬師で、行く当てのないアディルを引き取り家で面倒を見てくれている人だ。普段は控えめであまり主張せず、見た目も中肉中背で、金茶の髪に褐色の目とどこにでもいる風貌の中年で目立たない。だが薬師としての確かな知識と技術、そしていつでも冷静さと優しさを忘れないことで皆から慕われていた。もちろん、アディルも尊敬している。
しかし、それ以外というなら何の話なのだろう。改めてカストルを見返すと、彼は小さく頷いた。
「お前もだいぶ村に慣れてきたし、私の手伝いも一通りこなせるようになった。だから、今度から新しい仕事を頼みたいんだ」
新しい仕事、という言葉に、アディルの心は一気に浮上した。思わず身を乗り出して何度も繰り返し頷く。これはむしろいい話ではないか。新しいことを覚えるのは楽しいし、カストルの役に立てるならなお嬉しい。
そんなアディルに苦笑しながら、カストルは話をつづけた。
「実は、今度ハダル村にさる高貴なお方が滞在されることになったんだ。お前には、その方のお世話をしてもらいたい」
告げられた内容に、アディルは目を瞬かせた。てっきり薬の調合や薬草の採取などを言いつけられると思っていたので、予想外だった。嫌だ、というわけではないが、アディルはまだ子供で、更には田舎で暮らす庶民に過ぎない。高貴な方、というからにはきっと貴族だろう。恐らく村の緊張はそのせいだったのだ。貴族なんてものと接したことのある人間が村にいるとは思えない。言わば取り扱いの分からない異物なのである。先方もハダル村のような辺境に来るのは初めてだろうし、不慣れな人の相手がアディルに務まるのだろうか。
そんな疑問を視線で養父に問うと、彼は柔らかくアディルの頭を撫でた。
「アディル、字の読み書きは問題ないな。軟膏の使い方も覚えたし、食事の支度も出来る」
カストルが挙げる内容に、アディルはひとつずつ首肯する。すべて、何もできなかったアディルにカストルが教えてくれたことだ。
「お前だから、任せるんだよ。アディル、星空の子」
そう言いながら、カストルはまたアディルの髪を掻き混ぜた。乱された金色の髪が、藍色の瞳にかかる。それがまるで星空のようだ、と彼は言った。拾われた場所が星が落ちるという伝説のある森だったこともあり、カストルはアディルを〈星空の子〉と呼ぶ。星の加護を受けた特別な子だ、と。大袈裟だと感じることもあるが、アディルが自分を卑下せずにいられるのはそうやってカストルが褒めそやしてくれるからだとも思っている。
頭に乗せられた手を軽く叩いてどけると、アディルは任せろ、と胸を張って見せた。そこまで言われたら、やらないわけにはいかないだろう。
「……村に到着するのは、一週間後になるそうだ。それまではいつも通りやってもらうが、その方の滞在中はそちらを優先してくれ」
カストルの説明に、アディルはしっかりと頷く。それを確かめると、カストルはランプに手を掛けた。
「では、そろそろおやすみ、アディル。細かいことは追々説明する」
促されて、アディルは素直にそれに従った。やることは沢山あるだろう。明日からは、忙しくなりそうだった。
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