星紡ぎのティッカ-5

 ステラ、と少女の名前はいうらしい。古い言葉で星を意味する言葉なのだと彼女が名乗ったのは、もう随分歩き回ってからのことだった。大事な物をなくした、というわりに、彼女は妙に楽しげにティッカの手を引く。実は、単に遊び相手が欲しかっただけなのではなかろうか。そんな風にも思い始めていたが、どうせティッカは村には帰れない。聞き分けのない少女を森の中に一人で放って置くよりはと、素直に振り回されてやることにした。

「そういえば、ティッカの探し物ってどんな物なの?」

 ステラがそんなことを尋ねてきたのは、森の深部までやってきた頃のことである。彼女と出会った時と比べると、森の様相はがらりと変わっていた。木々の密度は高くなって月明かりもなかなか届かないし、平坦だと思っていた地面も起伏が激しくなってきている。森というより、山道と表現した方がしっくりくるぐらいだ。

「……さぁ。見てみないと、分からないものだから」

 今更になってそれを聞くのかと思いつつも、ティッカは少女の問い掛けに言葉を返した。ステラ以上に曖昧な答えしか返せないのがなんとも滑稽だが、仕方がない。守護の石は形が決まっているものではないのだ。レドのものは黒っぽくて光沢のある石だったが、ティッカの守護の石も同じであるとは限らない――そもそも、存在するのかさえ疑わしいが。

「ふーん、そうなの……あ、次こっちね!」

 ティッカのあやふやな回答を特に気にする様子もなく、ステラは次の道を指差して笑う。彼女が選ぶ道に規則性は無く、思い付きで決めているようだった。そのせいで帰り道が分かるかどうかも危ういが、ステラの表情には一片の陰りも見えない。むしろ上機嫌に、鼻歌さえ歌い出しそうな調子で軽快に斜面を登っていく。

「なんか、楽しそうだね」

「楽しいわよ。なんだか探検してるみたいで」

 何気なく呟いた疑問に即答され、ティッカは困惑した。どうもこの少女は、不安というものとは無縁であるらしい。これでは、色々と気を揉んでいる自分の方が馬鹿のようではないか。

「……落とし物は、いいの?」

「大丈夫! なんとなくティッカと一緒だったら見つかる気がするの」

 まさか忘れているのでは、と尋ねてみれば、何の根拠があるのか自信満々にステラはそう言い切った。一緒に探しているティッカは、その落とし物の詳細さえよく知らないままだというのに。

「ティッカは楽しくないの? ずっと渋い顔してる。探検は嫌い?」

 かと思えば、今度はステラが問い掛けてくる番である。自身の表情を指摘され、ティッカは内心ぎくりとした。嫌、という訳ではないが、どうステラに接して良いのか測りかねていたのである。年下の面倒を見ること自体は苦痛に感じないが、彼女はカペラに似すぎていた。違うということは理解している。しかしその瞳を見るとどうしても罪の意識がくすぐられ、どんな顔をすればいいのか分からない。

「嫌いとかじゃないけど……危ないし」

 それこそ、昔はカペラに引っ張られて森や洞窟に探検に行ったものだった。活発なカペラが先を行き、ティッカが危ないと引き留めても聞きはしない。確かに暖かい思い出でもあるが、今はそんな状況ではなかった。ついさっきまで凍死してしまおうと考えていたくらいなのに、楽しめる心境にあるわけがないではないか。それにステラが意識せずとも、その容姿は否応なしにティッカを責め立てる。気まずさと罪悪感に口ごもるティッカに、ステラは更に追い討ちをかけた。

「大丈夫よ! 何かあったらティッカがちゃんと守ってくれるんでしょ?」

 無邪気に放たれた台詞に、ティッカは足を止めた。否、動けなくなってしまった。そのままずるずると座り込み、膝を抱える。ステラが不思議そうに振り返ったのが、気配で分かった。

「ティッカ?」

「……守れないよ」

 守る。その言葉が、ティッカの心を抉った。まるで、あの時に戻ったかのようだ。ティッカのなら大丈夫だから、とカペラにせがまれ、中途半端なお守りを渡した。結果カペラは死に、慢心した代償として星紡ぎの力も失った。ティッカでは、カペラを守ることが出来なかったのだ。彼女と同じ顔でそんなことを言わないで欲しかった。ティッカには何も出来ない。なのに、師は星紡ぎの試練を課し、ステラは自分を守れという。やめてくれ、と叫びたかった。もう何も、期待などしないで欲しい。応えることなど出来ないのだから。

「ティッカ、どうしたの? 具合でも悪いの?」

 気遣わしげに、ステラはティッカの頭を撫でる。その手は皮肉なほど暖かく、星の光と同じ温もりだった。罪の意識と、懐かしさと、行き場のない憤りと――いろんな感情がないまぜになり、わけも分からず泣きたくなる。師の言う星の導きとは、なんなのか。これがそうだというなら、心を乱されるだけで向かう場所など見当も付かない。ティッカの行く道は、相変わらず暗いままだった。

「ごめん。ごめんなさい……」

 誰に謝っているかも分からなかった。死なせてしまったカペラか、眼前で戸惑っている少女か、ティッカを送り出した師匠か――あるいは天にある星々か。うわごとのように、謝罪の言葉を繰り返す。ステラはしばらく黙ってティッカの頭を撫で続けていたが、不意にその手が止まった。その動きにつられるように顔を上げると、少女の体温がふわりとティッカの身体を包んだ。

「事情はよく知らないけど、大丈夫よ。ティッカは私のことちゃんと守ってくれるわ。解るもの」

「……なんで、そう思うの」

 また『なんとなく』という、曖昧な言葉で誤魔化すのだろう。そう言外に問うと、ステラはいっそう強くティッカの身体を抱き締めた。

「うーんとねぇ、勘? でも絶対そうだって確信があるんだもの。……たぶん私は、ティッカに会うためにここへ来たんだわ」

「なに、それ」

 この少女の言うことは、本当に意味が解らない。溜め息を吐きながら、ステラの身体を押し戻す。それと同時に、不穏な音がティッカの耳に届いた。ばきり、という、太い木の枝が折れたような音。

「え、何……?」

 突如として静寂を破った音に、ステラもまた身を震わせる。ティッカはすぐさま立ち上がり、辺りの様子を窺った。自然に枝が落ちた音、とは思えない。近くに野生の獣がいるのだろうか。暗闇の中に目を凝らし、虱潰しに木々の隙間を探していく。すると、そう遠くない場所に黒く大きな影が見えた。ティッカの視線を追って影を見つけたステラが叫ぶ。

「――熊!?」

「わっ、馬鹿!」

 慌てて少女の口を塞ぐが、既に遅かった。叫び声に気付いた熊が、のそりと首を回す。闇の中に光る双眸が、二人を見据えた。この辺りで熊が人を襲った例はあまり聞かないが、今は時期が悪い。刺激しないように、とにかく冷静に対処しなければ。そう自分に言い聞かせていたティッカは、ステラの様子にまで気が回らなかった。恐怖心のままに彼女は後ずさり、逃げようとする。ティッカが気付いたのは、ちょうど彼女が足を踏み外した瞬間だった。

「きゃあっ!」

「ステラ!」

 傾斜が強く崖のようになっていた地面から、ステラの身体は宙に投げ出された。咄嗟にティッカは手を伸ばす。辛うじて彼女の手を掴むことに成功したが、支え切れなかった。そのまま体勢を崩し、ティッカの身体を地面が打つ。止める術もなく、ティッカは斜面を転がり落ちた。枯れ枝や石に引っかかりつつも重力には逆らうことが出来ず、視界は目まぐるしく移り変わっていく。散々地面に弄ばれてようやく終点に着いた頃には、ティッカはすっかり目を回していた。

「いたた……」

 何度か目を瞬かせながら、なんとか身を起こす。服はすっかり泥だらけで、破けてしまった箇所もあった。あちこち擦り傷が出来たうえ、何かの拍子に口の中を噛んだらしい。微かに血の味がする。それでも、なんとか命に関わるような怪我は免れたらしい。その事にひとまず安堵したティッカは、次にステラを探した。彼女も一緒に落ちたはずだ。幸い、近くの地面で伏せている姿をすぐに見つけることが出来た。

「ステラ、ステラ、大丈夫?」

 軽く身体を揺さぶると、ステラは小さく呻きながら顔を上げた。まだぼんやりした様子の彼女を助け起こし、軽く土を払ってやる。見たところ、大きな怪我はないようだ。

「どこか痛いところは?」

「……平気。ちょっと目が回ったけど」

 ステラは目を覚ます時のように軽く自分の頬を叩くと、しっかりとした口調で答えた。とりあえずは安心してもよさそうだ、と息を吐くと、ティッカは改めて転がり落ちた斜面を見上げた。

「私達、あんな高い所から落っこちて来たのね」

「びっくりしたよ、もう……熊も、もう大丈夫みたいだね」

 元居た場所は目視するのが辛い程に遠く、かなりの距離を落ちてきたことが判った。ここまでくれば、わざわざ熊も追っては来るまい。怪我の功名、だろうか。

「それにしても、ここは何処だろう……?」

 見上げてみて気付いたが、どうも森を抜けてしまったらしい。鬱蒼と空を覆っていた木々は途切れ、薄い雲を通して月と星がティッカ達を照らしていた。二人で座り込んだ道は平坦に均され明らかに人の手が入っている。しかし、ティッカはこの場所に見覚えがなかった。あまり村から離れたことはないが、周辺の街道くらいは把握しているつもりだったのだが、さっぱり分からない。星の位置をみても、そう村から遠くはないはずだが――。

「ティッカ、あれ」

 怪訝に周囲を見渡すティッカの腕に、ステラが触れる。あれ、と彼女が指差す先を見てみると、そこにあったのはこんもりとした土の山だった。土砂崩れの後、だろうか。土の中には大小の岩が入り混じり、折れた木の幹も飛び出している。その他にも雑多な物が紛れ込んでいるようで、泥に汚れた白い布や、破損した金属製の部品なども見えた。鉄が半月を描いているものは、車輪だろうか。

「……馬車?」

 だとしたら、破れた布は幌の名残か。積まれていた荷物と思しき物も辺りに散乱している。そして、そのすぐ傍には二つの人影があった。男と女、どちらも歳は三十そこそこだろうか。馬車の残骸の傍らで膝をつき、女の方は両手で顔を覆っていた。泣いているのだ。声は聞こえなかったが、なぜかそう確信した。そして、その髪の色。まるで暗闇に差す暁のような赤。そう、女が持っているのは、カペラと同じ色だった。

 それに気付いた瞬間、ティッカは息を呑む。あの二人の顔を、どこかで見たことはなかっただろうか。忘れてなどいない。ハダル村で、ティッカにいつも良くしてくれた――カペラの両親だ。

 なぜ、彼らがこんな所にいるのだろうか。いつ村に戻ってきたのだろう。何をしているのだろう。あの残骸は一体なんなのか。ティッカはあらゆる事柄を考えた。しかしその一方で、何かがティッカに囁いていた。この光景を知っているはずだ、と。直に見ていなくても、散々夢にうなされた。

 ――カペラは、馬車での移動中に、土砂崩れに巻き込まれて。

「なんだよ……これ……」

 目の前にある光景は、ティッカの罪そのものだった。たまたま似たような状況、ではない。ここは星の落ちる森。地上で、最も星の力の受ける場所。怒れる星々が、その日を再現してティッカに見せているのだろうか。そうでなければ、時が歪んだとでもいうのか。理解の範疇を超える現象に、ティッカの足はすっかり竦んでしまった。手足は震え、喉は引きつり、そこから僅かも動けない。

 だが隣にいた少女には、それらは何の意味も成さないようだった。ティッカの心情など知る由もなく、ステラは土砂の山に向かって走り出す。

「ステラ……!」

 名を叫んでも振り返ることさえせず、彼女は一目散に馬車の残骸へと駆け寄った。そして次には、あろうことかその手で土を掘り返し始めたのである。顔や腕が汚れ、爪に泥が詰まるのも厭わず、ステラは少しずつ土砂の山を崩していく。動けないままにその姿を見つめ続けて、どれくらいの時間が経った頃だろうか。不意にステラは手を止めて、ティッカを振り返る。

「ティッカ」

 こちらへ来い、という意味をその声音に込めて、ステラは手招きする。ティッカは躊躇わずに頭を振った。嫌だ。見たくない。そこに何があるというのだ。しかしステラは、更に語気を強めてティッカを呼ぶ。

「ティッカ、こっち来て」

 繰り返されるステラの声に、ティッカの足がのろのろと動き出す。近付きたくなどなかった。なのにステラに吸い寄せられるように、ティッカと土砂の距離が徐々に短くなっていく。泣いていた筈のカペラの両親は、いつの間にか消えていた。しかし、そんなことはもうどうでもよかった。この土の下に、カペラはいるのだろうか。

 ようやくステラの元まで辿り着くと、彼女は淡く微笑み手のひらを差し出した。

「見つけたの、私の落とし物」

「……これって」

 ステラが見せたのは、金色の糸で編まれた小さな花だった。拙い手先で編まれただろう花弁は少しばかり歪だったが、その花は泥にまみれても星の輝きを失ってはいなかった。間違いない。あの日、ティッカがカペラに渡したお守りだった。

「――私が死んでしまったのは、とても大きな不幸だったのですって」

 手の中の小さな花に視線を落としながら、ステラは静かに語り始めた。

「運命っていうの? どうしようもなかったんだって。星の光も届かない泥の下に埋もれて、空に還ることも出来なかった。けどね、この光が私の道標になってくれたの。だから私は空へ還って――またここに来れたのよ」

 それより前のことは覚えてないんだけどね、とステラは笑う。彼女の話を、ティッカは信じられない思いで聞いていた。失われた命は空へ還り、そして時々転生を待たずにノクスの森へと落ちてくる。人々に、星の加護を授けるために。ならば、ステラは。

「私ね、このお花を作ってくれた人に会いたいなって思うんだけど……ティッカ?」

 彼女が語り終えるのを待たず、ティッカの瞳からは大粒の涙が溢れ出していた。驚いて目を丸くする少女に、ティッカは嗚咽を堪えながら必死に微笑む。

「……それ、ね。僕が作ったんだ」

 つっかえながらもなんとかそう告げると、ステラは一瞬固まって、次に何度か目を瞬かせた。かと思うとじわじわとその口元が緩み、最後には破顔してティッカに飛び付いた。

「わっ、ち、ちょっとステラ!」

「ほうら、言ったでしょ! ティッカはちゃんと私を守ってくれてたんじゃない……また、会えたね」

 頬をすり寄せて喜ぶ彼女の身体を、ティッカはぎこちなく抱き返した。暖かい。これはあの日感じたカペラの温もりであり、ティッカが何度も触れた星の光と同じ温度だった。またね、というあの日の約束を、彼女は守ってくれた。ティッカに会いに来てくれたのだ。それが、たまらなく嬉しかった。

「……あのね、ティッカ」

 しばらく喜びを分かち合っていた二人だったが、不意にステラが顔を上げ身体を離した。その姿をみて、ティッカは違和感を覚える。どことなく、彼女の身体が光を放っているように見えたのだ。人々に力をもたらす、淡い星の光。最初は微かに、徐々にはっきりと。それは目の錯覚などではなく、光はどんどんその強さを増していく。

「な、何?」

「やりたいことは出来たから、もう元に戻らなきゃいけないの。それが決まりだから……でも、ずっと一緒だからね」

「ステラ……?」

 どういう意味なのだと、尋ねる間もなかった。彼女はティッカの手を握り締め、静かに目を瞑る。その直後、ステラの放つ光が唐突に膨れ上がった。その強烈な閃光に、ティッカは咄嗟に残った片手で目を塞ぐ。瞼を通しても分かるほどの、眩い光。ようやくそれが収まり目を開けると、ステラの姿は掻き消えていた。慌てて、辺りを見回す。しかし、彼女はどこにも見当たらなかった。それどころか、周囲の景色さえ変わっている。土砂崩れの山は消え、見えるのは緩やかな広葉樹の群れ。元いたノクスの森だった。

「何が、起こったの……」

 呆然と、森の景色を見渡す。何がどうなっているのか理解出来ず、何度も同じ場所を見返してはステラを探した。そうしているうちに、ティッカはふと自分が何かを握っていることに気が付いた。最後にステラが握っていた方の手だ。恐る恐る、その指を開いてみる。そこにあったのは、親指大ほどの石だった。暁の色の中に、所々緑の粒が光っている。カペラの色だ。そしてその石を見た瞬間、ティッカは確信した。これは、自分の守護の石だ。カペラが、自分を助けるために地上に戻って来た姿なのだ。理解した途端に、一旦は途切れていた涙が再び頬を伝う。

「……僕も、約束守らないとね」

 ――立派な、星紡ぎになって。

 別れ際にカペラが言った言葉を思い出す。カペラは、こうして会いに来てくれた。なのに、自分はなんだ。ずっと進もうとしなかった。現実から目を背けて、逃げてばかりだったのだ。このままでは、せっかく約束を守ってくれたカペラに顔向け出来ない。今からでも、まだ間に合うだろうか。彼女に恥じない、星紡ぎに――。

 小さな決意を胸に、ティッカは天を仰ぐ。木々の合間に輝く星々は、これまでの二年とは少し違って見えるような気がした。まるでティッカに語りかけ、導いてくれるように感じられるのだ。ティッカは守護の石を再び強く握ると、村へと向かってしっかりと歩き出した。

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