第12話
アボット邸に戻ると、父と母と共に食事をしながらエイデン家での話を聞かせ、これからについて報告をする。
この家からしばらくの間、フローラが毎日ファウエルの手伝いをしに出掛けること。
婚約の話はひとまずなかったことにして、彼が落ち着くまでの手伝いであること。
フローラの気持ちはサイモンにあり、それはこれからも変わらないことを話した。
「しばらくは私もここに留まりますが、後はフローラが毎日通うことになります。
大丈夫ですよね?」
そう言って母を睨みつけ牽制するも、何も答えずそっぽを向く母に、
「面倒をかけますが、よろしくお願いします」フローラが頭を下げる。
それから毎日、フローラはカミーユと共にファウエルの元を訪ねた。
フローラでは食事の世話や話し相手にはなるが、身体の大きいファウエルの移動となると、そうもいかない。そんな時はカミーユとエイデン家の使用人で彼を手伝った。次第に笑みも零れるようになり、少しずつ良くなっていくように見えた。
カミーユにはひとつ気になっていることがある。
それは、実の弟であるサイモンの影がまったく見えないことだった。
いくら騎士学校が厳しいと言え、伯爵家の嫡男で実の兄が大怪我を負ったのだ。
たとえ数日でも見舞いに帰るくらいのことは許されるのではないだろうか?
もしや、サイモンには何の連絡もしていないのでは?と思いフローラに確認すると、フローラもサイモンへは何の連絡もしていなかったと言う。
であれば、きっとこの家の人間は誰一人としてサイモンへ連絡をしていないのだろう。
ファウエルも大分落ち着いてきている、一度サイモンの所に寄って確認してから領地に戻るとフローラに告げ、カミーユは王都を後にした。
カミーユが王都を去りフローラが一人で通うようになると、エイデン伯爵夫人の態度が大きく変わり始めた。
ファウエルや使用人たちの見ていないところで、フローラを罵りはじめたのだ。
「お前のせいでファウエルはあんな姿になったのよ。この責任はどうとるつもり?」
「お前はこの家の疫病神よ。なんで私の可愛い息子たちはこんな女のことを?」
「一生、ファウエルのために働きなさい。それがお前の贖罪よ」
顔を見れば耳元でささやき続けるその言葉が、声が、フローラを締め上げる。
元々良心の呵責から始めたこと。それを他人から向けられることで、なお一層重くのしかかる。
段々とエスカレートする夫人は、口だけではなく手も上げるようになる。
しかし、目に着くところには決して傷をつけない。肩や背中、足など、服に隠れる部分を狙い扇子で叩いたり、ヒールで足を蹴るようになる。
扇子で叩かれたところは赤く腫れミミズ腫れのようになり、蹴られた足はあざができ青く変色していた。
それでもフローラは耐え続けた。今我慢すれば、ファウエルが良くなれば、全てが許される。サイモンと幸せになれると、そんなことを本気で考えていたのだ。
疲労と苦痛で正常な思考ができなくなってしまっていたのかもしれない。
ファウエルは動かない足以外は大分傷も治り、食事も十分とれるようになり体力も付いてきた。この頃から寝台を降り、歩行の訓練をフローラの手を借りて始めていた。
松葉杖になれることから始め、少しずつ、一歩ずつ歩む姿は、未来に希望を見るようで、皆が喜び、家の中の雰囲気が一気に明るくなるようだった。
ファウエルの行動半径が広がるにつれ、フローラにかかる負担も大きくなってくる。
始終顔を合わせ、手を、体を、視線を重ねることで、ファウエルは次第にフローラに依存するようになっていった。
フローラがいない夜には不安で目を覚まし、不眠になることも。フローラのいない朝は食事をとることを拒み、常にフローラの姿を探すようになる。
そんな息子の姿を見て母であるエイデン伯爵夫人は、かわいい息子をたぶらかす悪女と今まで以上に辛辣な言動をするようになる。
兄カミーユが去ってからほんの数日で、フローラはみるみる衰弱の色を濃くしていった。エイデン邸と自邸の往復は思う以上に体力を消耗する。
顔を合わせれば罵倒され身体的体罰も受け続けるために、精神的疲労も濃く夜も眠れない日が続く。目の下にはクマができ、食欲も落ちているため次第に体も痩せ始めた。
エイデン伯爵夫人からの虐待で体についた傷や痣を隠すために、自邸ではメイドからの世話を拒み続けていた。そのため手入れを怠った現状は、肌や髪の艶は以前のそれではなくなっていた。
顔色は悪く、髪も艶がなくパサついていて、邪魔にならないよう無造作に束ねただけ。貴族令嬢らしからぬほどに、疲れ切った姿に成り下がっていた。
段々とやつれる姿にファウエルが声をかける
「フローラ、顔色が悪いけど、どこか具合が悪いのでは? 大丈夫?」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。どこも具合は悪くありません」
「でも、目の下にくまが……。それに、少し痩せたんじゃない?
僕の手伝いで疲れているのなら、どうだろう? いっそ、この屋敷に住み込んでは?」
「え?なにをおっしゃっているのですか?そんなことできません」
「馬車での移動とは言え、家の往復はそれだけでも疲れるし、この家に住めば食事も一緒にできる。声をかければすぐに助けてもらえる方が僕も嬉しいし。どうだろう?」
その話をエイデン夫妻に相談すると二人は難しい顔をしていたが、ファウエルが望むことなら、少しでも回復が早まるなら、とフローラの両親であるアボット子爵家へ使いを出す。
婚約者でもない令息の手伝いのために、住み込みなどそんな恥をさらすことを許すはずがないと思う反面、母はきっと喜んで受けるかもしれない。それでもと、わずかな望みを胸に抱いていたが、結果は簡単に了承されてしまった。
身の周りの物もメイドに持たせるとまで言われてしまう。
『ああ、私はもうあの家に必要な娘とは思われていないということだろう』
フローラは打ちのめされる思いだった。
フローラに当てがわれた部屋はファウエルが使う部屋の向かいにある客間だった。
これなら呼び鈴を鳴らされればすぐに駆け付けることができる。
それからの日々はファウエルのそばにいて、話し相手や、歩行の練習の手伝いをしていた。
そして、見えないところで伯爵夫人の執拗ないじめは続いていく。
カミーユが去ってしばらくすると、もうそれが日常のようになり、フローラは思考することをやめてしまった。表情も乏しくなり、言われるままに行動することに抵抗感を感じなくなってしまっていた。
それでも夜眠る前にサイモンを思い出しては涙を流す。それだけが唯一心を保つための儀式のように。
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