第6話
年が明け、フローラの社交界デビューを迎えることになった。
ドレスの準備は母とともに進めていた。
色はサイモンの瞳と同じ薄紫色。準備は整い始めていた。後はサイモンのエスコートを待つだけだった……それなのに。
騎士学校ではよほどの事が無い限り自宅へ帰ることを許されない。
舞踏会の参加、ましてや婚約者でもない相手のパートナーとしての出席など許されないと言う。
謝りの手紙を書いたサイモンが悪いわけではない。彼は二人の未来のために頑張ってくれている。フローラは、そんな彼を責める気にはなれなかった。
パートナーは父か兄カミーユに頼もうと思っていた。カミーユも快く引き受けてくれた。寂しさはあるが、婚約者のいない令嬢は家族などがパートナーを務めることが多いので、自分だけが浮いたりすることはないだろう。
舞踏会はこれからいくらでも出席する機会はあるはず。その時はサイモンの手を取り、二人並んで楽しみたい。そんな風に思えていた時。
エイデン家から、サイモンの兄ファウエルがパートナーを代理で務めるとの知らせが届く。
「なぜ?」とフローラは困惑した。
「お父様、私はサイモンがパートナーでないなら、家族以外では誰とも参加なんかしたくありません。お兄様は私のパートナーを引き受けてくれました。お願いします。どうか、お断りしてください」
フローラは父と母に懇願した。
元々華やかな場があまり好きではないフローラは、サイモンと一緒だから出席したいと思ったのに。他でもない、大好きなサイモンだからそれを望んだことなのに。
いくら義兄になるとは言えファウエルではその代理は務まらない。
「うーん。そうは言っても相手は伯爵家、我が家よりも格上だ。
それに今回のサイモンの代理の件で、詫びとしてアクセサリーも用意してくださるというし。フローラ、深く考えることはないよ。あくまで代理だ。心配することはないさ」
穏やかな口調でフローラに語り掛ける父。何も考えていないだろう事はフローラにもわかった。
「父上。それでは宝石でフローラを売ったようなものだ。あまりにも酷い。
それにデビュタントのパートナーが家族意外となれば、間違いなく婚約者と勘違いされてしまう。そうなったらサイモンだって黙ってはいない。フローラの幸せを考えるなら、ここは断りを入れてください。パートナーなら私が責任持ってフローラをエスコートします」
カミーユは父と母に必死に訴えてくれた。しかし、父の考えが覆ることはなかった。
フローラにはどうすることもできない。
社交界デビューが近づくにつれ、フローラは気持ちが沈んでいくようだった。
このことをサイモンに伝えるべきか迷ったが、ファウエルに「あいつに心配をかけたくない」と、黙っているよう懇願される。
フローラもサイモンになんと言っていいかわからず、その方が良いのではないかと思い始め、結局手紙を出すことができなかった。
アクセサリーだけではなくドレスも用意すると言われたが、それは断った。
サイモンの瞳の色のドレスは、フローラのサイモンに対する愛情表現だったから
舞踏会当日、メイド達に支度をしてもらったフローラはさなぎから羽化した蝶のように美しかった。誰の目にも眩しいほどのその姿は、人の目を引いて離さない。
馬車で迎えに訪れたファウエルは、フローラを見るなり頬を染め、
「フローラ。なんて美しいんだ。君をエスコートできるなんて僕は幸せ者だ」
そう言ってフローラの手を取る。
フローラはわずかにほほ笑むだけで何も答えない。サイモンと一緒ではない今日はただの夜会だ。自分にとっての本当の社交界デビューは、サイモンと一緒の時だ。そう思うことで何とか気持ちを保つことができた。
フローラとファウエルを乗せた馬車とは別に、フローラの両親とカミーユはアボット家の馬車で会場へと向かう。
カミーユは先に発つフローラ達を見送りながら、ファウエルに対し苦々しい気持ちで見ていた。
馬車を降り、ファウエルに手を引かれ会場入りしたフローラは、高貴な令嬢にも引けを取らないほどの美しさを誇った。皆が見惚れるほどの美しさである。
フローラの母は結婚する以前は侯爵家の娘であった。それが子爵の嫡男であった父と恋に落ち、反対されるも半ば無理やりに婚姻を結んだ。
母はそのことで実家の侯爵家からは勘当同然であり、今はつましく子爵婦人となっている。
しかし、以前の侯爵令嬢の時は誰よりも美しさを誇り、社交界で知らぬものはいないほどであったのだ。
その母に似たフローラは、昔の彼女を彷彿とさせるほどに美しく花開いていた。
「こんな美しいフローラを我が家のファウエルがエスコートできるなんて、鼻が高いな」
「そうね。今日のフローラは本当に綺麗よ。女性は恋をすると綺麗になるって本当なのね?」
「そのネックレスとてもよく似合っている。でも、フローラの輝きには到底かなわないね」
フローラは、ファウエルやエイデン伯爵夫妻が口にする言葉がどうしても納得できなかった。
『本当はサイモンと来たかった、来るはずだったのに。騎士学校で来られないから、どうしてもと言われファウエル様にエスコートを頼んだだけなのに。
それなのにどうして?まるでファウエル様が婚約者のようだわ。こんなの酷すぎる』
フローラはファウエル達に言い返したかった。しかし、父からくれぐれも騒ぎを起こさぬようにときつく言われていたし、自分が何を言っても所詮子供の我がままと言われて終いになるのが目に見えていたから、何も言えなかった。
『デビュタントのお前一人くらい、周りの人間は誰も気にはしていない。そんなものだ』と言われれば、そんなものかもしれないと納得もした。
自分よりも身分が高く、綺麗な令嬢はたくさんいる。騒ぎを起こして下手に目立つよりは大人しくしていた方が良いのかもしれない。
そんな風に無理に自分を押さえつけ、唯々にがく苦しい時間が過ぎるのを待つだけだった。
デビュタントのダンス。パートナーとともに踊るファーストダンス。
本当ならサイモンと踊るはずなのに、ファウエルの手を取ることになるとは。
しかし、ファウエルのダンスはとても華やかで上手だった。練習したとはいえ、緊張でおぼつかないフローラを上手にリードし、向かい合い手を取り合う二人はとても初々しく眩しく映る。
「フローラ。ダンスがとても上手いんだね。随分練習をしたの?」
「はい。家庭教師をつけてもらって練習を」
「そう、今日のデビュタントの中ではフローラが一番光輝いている。君のパートナーに慣れて本当によかった」
「それは……ありがとうございます」
「後で、僕の友達に紹介しても?みんな君に会えるのを楽しみしているんだ。良いヤツばかりだから、安心して」
「え? それはできません。ファウエルお兄様のお友達など、私には……」
「ねえ、今日僕たちはパートナーだ。前にも言ったけど、どうかファウエルと呼んでほしい」
「それは出来ません。あなたはサイモンのお兄様です」
ダンスを踊りながら話す二人は、顔を近づけ親密に語り合う姿が想い合う者同士に見えるかもしれない。
フローラは、サイモンの存在を無視して自分に甘い言葉を語り掛けるファウエルのことが分からなくなってきた。
サイモンの兄として信頼していたはずなのに、今はそれも出来そうにない。
自分の願いを断ったことで、ファウエルはフローラに一瞬冷たい眼差しを向けるも、うつむいたままのフローラはそれに気が付くことはなかった。
ダンスが終わるとフローラは急いで兄カミーユの所に戻ろうとする。しかし、その手を握ったままファウエルは離そうとしない。
「ファウエル兄様。手を……」
「嫌だと言ったら?この手を離したくないと言ったらどうする?」
ファウエルは唇の端を少し引き上げ、フローラの瞳を見つめたまま問いかける。
握ったままの手に力が入り、指先が自然にねじれてくる
「いた…い」
フローラが苦痛に顔をゆがませると慌てて「ごめん!」と手を離した。
その隙にこの場を逃れようと急ぎ振り返ると、カミーユがフローラの両肩を掴み引き寄せてくれた。
「フローラ、迎えに来たよ。今度は兄の僕と踊っておくれ」
優しく見下ろされたその瞳に、フローラは助かった思いで安堵する。
「はい。お兄様、喜んで」
「ファウエル殿、サイモンの代役を快く受けていただき、ありがとうございます。サイモンも実の兄である、あなただからこそ安心してまかせられたのでしょう。
ここからは兄である私が、サイモンに代わり妹を守ります。ご厚意感謝いたします」
わざと周りに聞こえるような声で語り掛けるカミーユ。ファウエルもそこまで言われて引き下がらないわけにはいかない
「カミーユ様……もう少し、お相手をする光栄な役を続けたいところではありましたが、それではフローラ嬢をよろしくお願いします。では、フローラまた」
言うが早いかカミーユはフローラの肩を抱いたままその場を離れ、ダンスの輪の中に紛れ込む。
この中は誰にも邪魔をされない。誰にも話を聞かれない。
「いいか、フローラ。あいつを信じるな。エイデン夫妻もだ。そして、父も母もだ」
「お兄様? それはどういうことですか? ファウエル様たちだけでなく、お父様やお母様も?」
ファウエルを信じられないのはわかる。今、もうすでにフローラは彼の事を信じ切ることができなくなっていたから。それにしても、父と母とは一体どういことなのだろう?
「サイモンは良い奴だ。本当にお前を想っていてくれている。あいつと一緒になりたいのなら、今は誰の事も信じてはならない。何かあったら俺にすぐ言うんだ、いいね?」
カミーユのこんなに真剣なまなざしを今まで見たことが無いかもしれないと、フローラは胸がざわめき、何かおきるのだろうかと不安になる。
でも、今まで自分に対して嘘などついたことのないカミーユの言葉は、フローラにとって信じるに十分値するものだった。
「お兄様、わかりました。もとよりファウエル様と二人きりになることなどありません。もし何かあったらお兄様に一番に報告します」
そう言って花のような笑顔でほほ笑み、カミーユを見上げる。
「僕の妹は眩いばかりに美しい。その笑みを誰にも見せたくないほどにね」
「そんな、お兄様ったら」
兄の言葉に恥じらう姿は、初々しい乙女の姿であった。
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