第7話
フローラの社交界デビュー後、ファウエルがアボット家を訪れることが多くなる。
前触れもなく訪れることもあり、さりとて無下に帰すことも出来はしない。
そんな時は一定の距離をおきつつ、無難にお茶をしたり、庭園を散歩したりしていた。最初は家の中で満足していたものの、次第に外へ連れ出そうとし始める。
買い物や観劇、果ては夜会へと。誘いの内容は次第に親密感を増してくるようだった。婚約者でもない人と夜の観劇、ましてや夜会に参加するなどあり得ないとフローラは断り続けていたのだが。
それは突然だった。
エイデン家からアボット家へ婚約の申し入れがあったのだ。相手はフローラとファウエル。
それを聞いた母は喜んだ。娘が伯爵家の嫡男に嫁ぐことになるのだから。
父は特に何も言わなかった。母がそれで良いのならフローラにとっても良いことなのだろうと、その程度だった。
フローラは父と母に断ってくれるように頼みこんだ。
自分にはサイモンがいる。サイモンが好きだと、サイモンでなければ誰の元にも嫁ぎたくはない。許されないのなら、いっそ修道院に入った方がましだ。とまで。
しかし、父も母も了承はしてくれなかった。貴族にはよくある話だ。
子供の頃の恋など取るにならないものだから、と。
騎士としてこの先どうなるかもわからないサイモンに嫁ぐよりも、次期伯爵であるファウエルに嫁ぐ方が幸せなのだ。きっと後で感謝することになるから、とも。
婚約の申し入れの使いの後、入れ替わるようにファウエルがフローラの元へと訪れる。
まるでどこかで待っていたかのように。
両親は喜ぶが、フローラははっきりと断るつもりでいた。
貴族として娘の意見など通らないであろうことは重々承知の上だ。
それでも、自分の気持ちはきちんと伝えたい。もしファウエルも家名という重圧のための婚姻であるならば、自分の話を聞いてくれるかもしれないと、その時はまだわずかな望みを抱きつつ……
「フローラ、婚約の話は聞いたかな?」
「ファウエル兄さま、そのお話を受けるわけにはいきません。私にはサイモンがいます。それはファウエル兄さまも、おじ様やおば様もわかってくださっていたのではないのですか?」
フローラの顔は苦しみに歪んでいた。それもまた美しいとファウエルは思った。
「フローラ、君を愛しているのは何も弟だけではないんだ。僕だってずっと君の事を想っていた。君はあいつのことばかりしか目に入らないから気が付かなかったんだろうけど、僕もずっと君だけを見てきた」
「 ! 」
フローラは両手で口を覆い、声にならない言葉をもらす。
そんな、そんなこと……信じられないと、じりじりと後退る。
そんなフローラの両肩をファウエルが掴み、
「信じられないかもしれないが、本当なんだ。ずっと君だけを見て、君だけの声を聞いてきた。僕にではない、あいつに向けられたその笑みでさえ、僕を幸せにしてくれた。僕にとって大切なものは君だけなんだ。フローラでなければダメなんだ」
ファウエルはフローラの肩を掴んだまま、その肩に自分の顔を埋め哀願する。
フローラはファウエルの息が首筋にかかり、その生暖かい吐息に寒気を覚えた。
ファウエルを振り解こうと肩を浮かせ逃げようとするが、ファウエルはその手を緩めない。
「ファウエル兄さま、私には無理です。たとえサイモンのお兄様でも、サイモン以外は無理です。わかってください。お願いします」
フローラも必死に懇願する。
「なぜ?なぜ僕ではダメなんだ?サイモンと同じように君に会い、君を大事に接してきたつもりなのに。なぜ僕を受け入れてはくれない?」
フローラの肩から顔を外し、熱のこもった瞳でフローラの琥珀色の瞳を見つめる。
ファウエルの潤んだ瞳はサイモンに似ている。瞳の色は違えど、同じ血を分けた兄弟。
しかし、たとえ似ていてもそれはサイモンではない。ファウエルの気持ちに応えることはできない。
フローラにとっては唯一の人がサイモンだから。
「ファウエル兄さま。たとえ何があろうとも、私はサイモンとともにあります。
どうか、どうか許してください」
ついにフローラの瞳から大粒の雫がこぼれ落ちる。
音もなく頬をつたうそれは、あまりに悲しく美しすぎた。
それを見たファウエルは、見たくない物を隠すようにフローラを胸に抱きしめた。
驚き慌てるフローラがファウエルの腕の中で暴れるも、男の力に敵うはずもない。
「あいつのために流す涙など見たくない。フローラ、僕は君を諦めるつもりはない。
たとえ弟のサイモンだろうと、誰にも渡すつもりはないから」
ファウエルは熱のこもった真剣な声でフローラにつぶやく。
なにがどうしてこうなったのか? わからない。フローラは何もかもがわからなくなってしまった。
そんなファウエルの腕から解放されたのは、フローラを探し呼ぶメイドの声が聞こえた時だった。
ファウエルはその声でフローラを自らの腕から解放すると、
「フローラ、君は僕から逃げることはできないんだ。わかるね?
大丈夫、必ず幸せにして見せる。また改めて来るよ……」
そう言い残し、アボット邸を後にした。
一人残されたフローラは母の浮ついた声を無視し部屋に戻ると、グルグルと先ほどのことを考える。
カミーユの言う通り、父も母も最初からファウエルと結婚させるつもりだったのか?ファウエルだけでなく、エイデン家の皆がグルになって事を決めようとしていたのか?えても、考えてもフローラにはわからない。
もう誰も信じられない。頼りにするべきサイモンは傍にいてはくれない。
今は自分でなんとかして逃げるしかないのだと、覚悟を決めた。
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