第8話

 ファウエルとの婚約の件について、すぐにサイモンへ手紙を出そうと思った。

 しかし、遠く辺境の地にある騎士学校。手紙が届くまでには日にちがかかる。それでも何もしないわけにはいかない。

 騎士学校よりも近い、領地にいるカミーユに対し連絡を取った。

 兄カミーユはすぐにフローラの元に来てくれた。

「もう大丈夫だ」兄の一言が頼もしく、フローラは心から安心できた。


「父さん、母さん。話は聞きました。まさかこの話、受けるわけではありませんよね?」


 急遽領地から戻ったカミーユは、両親を前に詰め寄った。


「なにか問題でも?」


 母の言葉にフローラは目の前が暗くなる思いだった。やはり、この人たちには何を言っても無駄なのか?と。


「フローラがサイモンと想いあっていることは誰でもわかることです。その二人を引き裂いてまでファウエルなどと。あなたたちは娘の幸せを考えてはいないのですか?」


「カミーユ、あなたこそ貴族の令嬢の幸せがわかっていないのよ。伯爵家に嫁げることで手にする幸せがどれほどあるか。下位貴族では、どうあがいても難しいものがあるのよ」


「しかし、これほど想いあっている二人を引き裂いて得られるものが、どれほどだと言うのです。一緒になることこそが幸せだと信じている二人を、なぜ見守ってやらないのです」


「好きだけで、愛だけで腹が膨れるとでも言うの?お金では買えないものがあると言うのなら、お金で買える幸せもあるわ。若い時の感情がずっと続くわけではなくてよ。


 年を重ねて知る幸せもあるの。私はフローラには苦労など知って欲しくはないのよ」


 母は座ったままカミーユを真正面に据え、強い口調で答える。


 それを聞いてカミーユは深いため息をつく


「母さん、あなたの幸せがみんなの幸せではありません。フローラは一人の人間だ。あなたではない。なぜ娘の想いを大事にしてやれないのです?」


 カミーユの言葉に母はギリリと歯音を立て、鬼の形相でカミーユに叫ぶ


「お前に何がわかるの! ずっと領地にいて王都の流行りも知らないような男が、くだらないことを言わないでちょうだい。お前は黙って領民を従わせていればいいのよ!」


 そう言うなり、扇子を投げつけた。扇子はカミーユの額に当たると、ボトリと膝の上に落ちた。その扇子を手に取ると、カミーユはボキッと二つに折る。

 フローラはカミーユの隣で、母と兄を交互に見ているしかなかった。


「あなた達に話すことはもう何も無い。フローラは領地に連れて行きます。病気療養とでもなんでも理由は勝手にしてください。ファウエルとの婚約の話を断るまで戻すことはありませんから」


 そういうと、フローラの手を取り急いで部屋を後にした。

 廊下を急ぎ足で歩きながら後ろを歩く執事に後をまかせ、馬車に乗り込むとアボット邸を後にした。



 カミーユとフローラはすぐに領地には戻らず、辺境の地にある騎士学校へと向かう

 領地で苦楽を共にしている従者とともに、急ぎ馬車を走らせた。

 馬車の中でカミーユは今までの事を話し始めた。


 サイモンが騎士学校に入学後、折を見ては通い様子を見ていたこと。

 それぞれの家のことや、フローラの置かれている環境についても説明をしてくれていたらしい。

 フローラの社交界デビューについてはまだ日が浅く報告をしていないらしいが「自分が一緒に説明する。あいつならわかってくれるはずだ」そう言って笑った。


 馬車で三日かけての旅路である。着の身着のままで飛び出したために、途中の町で身支度を整え騎士学校を訪れた。

 授業や訓練後の面会は許されるため、夕方を待ってサイモンとの面会の申請をする。面会は校舎内の応接室。フローラは久しぶりの再会に胸を躍らせていた。

 しばらくして現れたサイモンは、以前にも増して背も伸び、男らしい体つきになっていた。

 フローラはいくら近場で身支度を整えたとはいえ、今の大人びたサイモンと並ぶには貧相なその姿に恥ずかしく、うまく顔を合わすことができなかった。


「フローラ、会いたかった。もっと顔を見せて?」


 手を握りしめ、俯くフローラの顔を除き込むように見つめる。


「サイモン、私急いできたからこんな身なりでごめんなさい。恥ずかしいわ」


「そんなこと?フローラはそれで良いんだ。着飾った君は、君じゃないよ」


 そう言って優しくほほ笑んでくれた。そんな笑顔ですら、フローラには嬉しくて仕方なかった。


「コホン。ああ、なんだ。今日は急な報告で慌てて来てしまったんだ。すまない。

 本当ならもっとゆっくりさせてやりたいが、今はそうもしていられない」


 カミーユの言葉に我に返った二人は、少し頬を赤らめカミーユに顔を向ける。


「カミーユ兄さん、フローラをここまで連れてきてくださって、ありがとうございます。それで?何かあったのですか?」


 サイモンの問いにカミーユは、エイデン家からファウエルとフローラの婚約の打診が来たことを報告する。

「まさか?」と一瞬驚くも、「いや、ファウエル兄さんならやりかねない。あの人はフローラを気に入っていたから」と、妙に納得するのだった。


「今頃はもう婚約の手続きが行われているかもしれない。しかし、まだ婚約でしかない。フローラは病気療養を理由に我がアボット家の領地で、俺のそばに置くつもりだ。ファウエルとの婚約破棄に至ったとしても、社交界から離れるお前立ちには関係の無い話だ。サイモンは騎士学校を卒業したら戦地に赴かず、我がアボット家領地で俺の手伝いをしてくれても良い。騎士職に就きたいのなら、知り合いに頼んで自警団や私兵の道もある。

 そして、ゆく末は二人の子供を俺の養子として迎え、アボット家を継がせたいと思っている」


 サイモンとフローラは顔を見合わせて言った


「カミーユ兄様は結婚をしないの?」


 フローラの問いに、カミーユは顔をしかめ


「私は生涯誰とも結婚はしない。その資格がないんだ」


「資格が?」


 年の離れた兄妹。カミーユは王立学園の寮に入り、卒業後はそのほとんどを領地で過ごし領地を、領民を守ってくれていた。

 元々侯爵令嬢であった母は華やかな王都での生活を望み、父は母を愛しすぎるがあまり、まだ若いカミーユに領地経営を任せきり、自分たちは王都での生活をしていたのだ。

 フローラはそんな兄を不思議に思い、執事やメイドに聞いたことがある。

 すると「きっと領地に愛する人がいるのでしょう。離れたくないのかもしれませんね」そんな答えが返ってきた。

 なるほど! と、フローラは妙に納得した。

 もしかしたら相手の人は領地に住む平民の娘さんなのかもしれない。だとすれば結婚は難しいだろう。と、幼いながらも兄の恋を応援したりもしていたのだ。

 その兄が生涯結婚はしないと言う。きっと兄なりによくよく考えての答えなのだろう。ただ、それを両親が許すかどうかはわからない。


「カミーユ兄さんがそれで良いなら、僕たちは何もいう事はないです。

 卒業後の事は、色々考えていることもあります。その時はフローラと一緒に相談に伺います」


 サイモンがそう告げると、「そうだな。それが良い」そう言ってカミーユは笑みをこぼした。


 しばしの歓談の後、


「これからフローラとともに領地に戻る。何かあったら俺宛てに連絡をくれ。

 王都のタウンハウスには、もう戻ることはないかもしれない」


「わかりました。手紙はすべて領地の方へ。卒業後はエイデンの家へは戻らず、フローラの元へ行きます」


「サイモン、手紙を書くわ。カミーユ兄様と一緒に待っています」


 フローラとカミーユは領地へ向けて出立した。

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