第26話
元辺境伯亡き後、フローラとサイモンは辺境の地に残り、今までと同じように子供たちに読み書きを教えたり、剣術を教えたりしながら領地の人たちと共に暮らした。
元辺境伯の家族や、アンリ未亡人の家族とも交流を持ちながら過ごす日々は穏やかで、幸福な年月を過ごした。
年月の過ぎ去りに合わせ、二人も年を重ねていく。
元辺境伯たちもそうであったように、次第に体の衰えを感じ始めた二人もまた、現役を退き何度も修繕を加えた家で、のんびりと過ごすようになる。
それでも家族と呼べる人たちや、町の人たちが訪れては手の届かない所を手伝ってくれる。
そんな生活に不満などあろうはずもなく、二人肩を並べ年老いていく人生を感慨深く思っていた。
穏やかな日差しがこぼれる庭で、サイモンは花壇の隅に立つガゼボに座っていた。
手には読書用の本を持ち、組んだ足の上にはひざ掛けがかけられている。
テーブルの上には彼が好きな紅茶が注がれていたが、すでに冷めきっていた。
ここ最近、昼間でもまどろむことが多くなった彼を、フローラは時折心配そうに見つめる。
元辺境伯が没した年齢にはまだ早すぎるが、彼が迎えに来るのはそう遠くないと覚悟をしていた。
その日も領地の人たちが集まり、フローラ手製のクルミのケーキを堪能していた。
若い親たちは子供を連れて訪れては、ここでひと時過ごしながら情報交換をしていく。
壮年の者達はそんな若い親に、自分たちの知識や経験を惜しみなく与える。
そんな、憩いの場になっていた。
庭では幼い子供たちがボール遊びをしているそばで、若い親たちも一緒に遊ぶ楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
頬を撫でる風は暖かく、優しい。
サイモンはそれを見ながら本を読んでいた。次第にまぶたが重くなり、本を持つ手が膝の上におかれ、しばらくするとその手が本とともに膝から落ちた。
一緒にひざ掛けもずれ落ち、彼の頭も自然としなだれる。
彼の様子に気が付いたフローラが彼の元に歩み寄り、彼の手から落ちた本とひざ掛けを拾い上げる。
「本が落ちましたよ。少し風が出てきましたね。寒くはないですか?」
眠っているであろう彼からの返事はなかった。
フローラは『仕方のない人』と、笑みをこぼしながら拾った本をテーブルの上の置き、ひざ掛けを掛けなおそうと膝から落ちた彼の手を取ると、その異変に気が付いた。
『あなた・・・』
声にならない言葉が、フローラの美しい口元からもれる。
ついにこの時が……と、彼女は崩れ落ちるように彼の元に膝をついた。
彼の手を握りしめ自分の頬にあて、もう片方の手を彼の頬にあてる。
まだ暖かい。暖かいのに、その手はもうフローラの手を二度と握り返してくれることはない。
太くごつごつとした傷だらけのその手は、剣を握る者の手である。
いつも優しく包み込むようにフローラの手を握ってくれたその手も、今は力なくフローラの手の中にある。
彼の頬から唇に指をなぞり、腕をつたい両の手で彼の手を握りしめると、その甲にくちびるを押し当てる。
優しく、愛しい口づけを。
愛おしむように何度も握り返し、何度も、何度も、くちびるを落とす。
「あなた、すぐにわたくしも参ります。
心から愛しています。
ありがとう。」
彼の顔はまるで微笑むように優しい顔をしていた。
彼女もまた初めて恋をした少女のようにはにかみ、彼の手を握りしめたまま、彼の膝に頬を横たえた。
彼女の様子に、その場に居合わせた者達が自然に集まる。
サイモンの最後を悟った者達は皆、最後の別れを愛おしむフローラを遠巻きに見守っていた。
彼は、自らが愛した者たちに見守られ生涯を閉じた。
庭に咲く花の香りを乗せた風が、辺りを包み込んでいた。
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