第27話

 彼の棺には生涯大切にしていた、栞を一緒に入れた。

 愛するフローラの瞳と同じ色をした琥珀色の花の栞を、彼は大切に持ち続けていたのだ。

 戦場でも片時も離すことなく身に着けていたそれは、所々に血のようなシミがあり、原形をとどめぬほどにボロボロであったが、彼にとっては生きる為に欠かせないほどの物だった。


 彼はこの地に埋葬され、この辺境の地で生きた男として名を刻んだ。


 フローラはサイモンの髪をひと房切り取り、それを大切に保管した。





 サイモンとフローラは、この辺境の地に来てから一度も生まれた地に足を運ぶ事はなかった。

 彼を最後まで許すことなく亡くなった両親の事も、二人が傷つけた兄ファウエルの事も、最後まで口にすることはなかった。

 だが、決して彼が家族や領地を愛していなかったわけではない。

 心の底では両親を、兄ファウエルの事も愛していたに違いない。

 だから、せめて彼の生きた証を、その地に返してやりたいと思っていた。



 フローラの両親も二人の事をきっかけに、早々に兄カミーユに家督を譲り領地で隠居をしていた。その両親も、もういない。

 兄カミーユはついに結婚しないまま遠縁の親戚を養子に迎え、今は領地で悠々自適な生活を送っている。

 その兄を頼りに、サイモンの実家に口添えを願った。


 ファウエルはあの後、遠縁の娘を娶ったが子を成すことは出来ず、これもまた親戚の子を養子に取ったらしい。だがその彼もまた、数年前に没したと初めて聞かされた。自ら距離をおいていたとは言え、もうエイデン家で知る人はいない。



 随分と久しぶりに会うカミーユは、やはり年を取っていた。

 手紙のやり取りはたまにしていたが、直に会うのは本当に何年ぶりだろう?


「お兄様、随分とご無沙汰しておりご無礼をお許しください」


「いや、私こそサイモンの葬儀に行けず申し訳ない。

 ファウエル殿の事も、今回のことで連絡を取って私も初めて知った。ファウエルの妻であった方はまだ存命のようだが、もはや何の力も持たぬだろう。お前の好きなようにすればいい」


 久しぶりに見た兄は、以前のように慈愛に満ちた笑顔で、フローラの心を温かくしてくれる。


「サイモンの髪を持ってきました。これを、この地に置けたらと」


「そうだな、両親やファウエル殿の側に埋めたらどうだろう?それとも、どこか小高い場所から風に飛ばすか?この地を風に乗り飛びまわる姿は、若い頃のあいつらしいだろう?」


 そう言って含み笑いを浮かべる


「そうですね。この地のすべてを見渡せて、見守ることができるように、風に任せた方があの人らしいかもしれませんね」


 二人で顔を見合わせて笑った。




 領地の奥にある一番高い丘まで来ると、フローラはその髪の房を手のひらに乗せ、自分の前に突き出した。

 どこからか吹き抜ける風に抱かれるように、サイモンの髪がサラサラと風に乗って飛んでいく。

 領地のすべてに彼はその身を置くことができただろうか?

 辛いこともあったが、皆と仲直りができたら良いと思う。

 そして再び風に乗り、自由に飛び立って欲しい。若くしてその未来を奪われた彼の少しでも慰めになればと、そして最後には自分の元に戻って来て欲しい。

 それまで、あの辺境の地でいつまでも待とうと心に誓った。




「フローラ、お前も我が領地に戻りたいと望むなら、その願いは叶えられるのだぞ」


 カミーユの言葉にフローラは頭を横に振り


「私はギーズ辺境伯の元に嫁いだ身。サイモンと暮らすことを許されたとしても、未だ辺境伯の妻です。私は辺境伯とサイモンのそばにいたいと思っています」


「そうか。あの地で幸せに過ごせていたんだな。良かった」


 二人は丘の上から町を見下ろし、しばらく時を過ごした。

 兄妹に残された時間も限りがある。もう、二人が顔を合わせることはないだろう。

 そんな事を思いながら語らうフローラの横顔を、眩い物を見るかのように目を細め、せめて最後に目に焼き付けようと愛しいまなざしで見つめるカミーユがいた。









 フローラとサイモンの二人が、愛を紡ぎ共に過ごした日々はそう多くはない。


 幼い想いを通わせ、誰に笑われようとも真剣に想いあっていた二人。



 何の力も持たぬ二人が、人に、生まれに翻弄され、それでもなお手を伸ばし手繰り寄せたその先にある物がお互いであった。



 それを、運命の愛と呼ぶ者もいた。



 生涯ただ一度の恋。その身をかけて愛し続けた人。





 愛する人のそばで永遠に眠り続けるフローラの手には、栞が握られていた。


 かつて愛した人が自分のためにと、名も知れぬ花を押し花にし、栞にした物が。




 愛する人の瞳の色と同じ、薄紫色の名も無い花の押し花である。










「フローラ、いいかい? 僕のそばを離れちゃダメだよ。僕は君の王子様だから、お姫様の君を守るんだ。わかった?」


「うん。サイモンが王子様で、フローラがお姫様? じゃあ、私たちは大きくなったら絵本みたいに結婚するの?」


「そうだよ。僕がフローラを幸せにするんだ。約束する」


「わかった。約束ね」




 小さな、小さな小指が絡み合い、解けぬ赤い糸が結ばれた。

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愛しい口づけを 蒼あかり @aoi-akari

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