第23話

 この地に嫁いで何年が経つだろうか?



 季節は何度も廻り、ギーズ元辺境伯やアンリ未亡人も老いを隠し切れなくなってきた。



「そろそろ、私一人ではお前たち二人を守り切る自信が無くなってしまってな。

 護衛を一人この家に付けようと思う」


 この家の主人の言葉である、フローラもアンリ未亡人も異論はない。

 きっと、自分が剣を教えたこの領地の者を呼ぶのだろうと思っていた。


「少し急だが、明日連れて来ようと思う。部屋は使用人部屋の一番奥の部屋で良いだろう。準備をしておいてくれるか?」


 二人は黙ってうなずいた。


「どのようなお方なのですか?」


 アンリ未亡人の言葉に


「兵士だった男だ。目に傷を負い退役した後は、東の辺境伯の元で使用人として働きながら私兵の任もこなしていたらしい。

 仕事は何でもできるようだから、力仕事はそいつに頼むと良い」


「では、巻き割りなどもお願いできますね。旦那様のご負担が減ってよかったですわ」


 アンリ未亡人は嬉しそうに微笑んだ。


 ギーズ元辺境伯は椅子に座り煙草をふかしながら、楽しそうに微笑んだ。




 翌日、フローラはアンリ未亡人とともに庭で洗濯を干していた。

 良く晴れた日である、眩しいほどの日光に目を細めながら、背伸びをして洗濯物干す。両手でシーツを広げながらしわ伸ばしをしていると、背中から馬車の音が聞こえる。

 ギーズ元辺境伯が護衛の人を連れて来たのかと、空になった洗濯籠を両手で抱えアンリ未亡人とともに玄関まで迎えに出た。

 主人を迎える前に洗濯籠を裏に片付けて来ようと思ったが、どうやら間にあいそうにない。


「大丈夫ですよ。ご主人様は、そんなこと気にしませんから」


 二人でくすりと笑って、そのまま出迎えの準備をしようと視線を馬車に向ける。


 先に降りていたのであろう、若い男が頭を下げギーズ辺境伯の下車を待っていた。

 その後ろ姿を見てフローラはドサリと洗濯籠を足元に落とすと、両手で口元覆いジリジリと後ろに下がり始める。


 眩しい日差しに照らされたその後ろ姿は、背も伸び逞しい体つきになってはいたが、かつて愛し、一生を誓ったその人に間違いない。


 ふり向き顔を見ることが出来れば、それだけで……。


 頭を横に振りながら後ずさるその姿を見て、アンリ未亡人はすぐに理解し、フローラを優しく抱きしめた。

 馬車から降りたギーズ元辺境伯とアンリ未亡人が目を合わせ、互いにうなずきあった後、


「もう、許される時がきたのですよ」


 そう言って涙で塗れたフローラの瞳を見つめ、やさしくほほ笑んだ。


「フローラ、おいで」


 元辺境伯の言葉に、アンリ未亡人にやさしく背中を押され、一、二歩前に進む


「今日から我が家を守ってもらうサイモンだ。戦いの折、目を負傷して片目が見えない。だが剣の実力も、腕っぷしも間違いない。これからは存分に頼るといい」


 ギーズ元辺境伯は、サイモンの背中を押しフローラの前に進ませる、


「サイモンと申します。ギーズ殿に拾っていただき、お世話になります。

 これからは、私が命をかけて皆様をお守りいたします。どうぞ、よろしくお願いいたします」


 そう言って深々と頭を下げた。



 高鳴る胸の抑え方を知らないフローラは、その場に立ち尽くした。

 夢にまで見たその人が、今、目の前にいる。

 どんなに手を伸ばしても届くことのなかったその人が、手を伸ばせば届くところにいる。

 こんなことが許されるのかと、元辺境伯を見れば静かに微笑み、黙ってうなずいてくれた。



『ああ、生きていてくれた。生きて、再び会えることができた』



 それだけで、こんなにも幸せなのだと。

 全てが許されるなどと思ってはいない。それでも、こうして会えたことが、これから再び共に過ごすことができることに心から感謝をした。


 その日はフローラとアンリ未亡人が作った家庭料理を頬張り、四人で語り明かしながら夜を過ごした。




 食事の後片付けをフローラとサイモンがしている中、ギーズ元辺境伯とアンリ未亡人が並びお茶を飲んでいる。

 まるで老夫婦と、孫娘夫婦が穏やかに過ごしているような光景。

 会えば語りつくせぬほどの話をしたい、話を聞きたいと思っていたのに、いざとなると難しい。

 カチャカチャと食器を扱う音だけがキッチンに流れる。

 ゆったりとした、流れるような音色に自然と口元に笑みがこぼれる。



 夜も更け、


「そろそろ私たちは休むとするよ。今日の茶葉はとても香りも良くうまかった。お前たちもいただくといい。じゃあ、おやすみ」


 そう言って二人は居間を後にする。


「おやすみなさいませ」


 フローラは声をかけると、元伯爵の後に続く未亡人が優しくほほ笑みながら、静かにドアを閉めた。



 北の辺境地では、まだ秋とは言え朝晩は冷え込むようになってきた。

 静まり返った二人きりの部屋で、暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音が響いている。



「お茶を入れるわね。どうぞ座って待っていてください」


 お茶の準備をしようとキッチンに向かうと


「手伝います」


 サイモンも後ろについてくる。


 元辺境伯たちに出したものと同じ茶葉を用意し、前日に作ったクッキーを皿に並べる。向かい合わせに座り、紅茶をひと口飲むと


「おいしい。こんな風にお茶を飲むのは、随分久しぶりな気がします」


 サイモンはそう言って、もうひと口ゴクリと喉を鳴らし飲み込む。


「このクッキーはアンリ未亡人と一緒に作ったの。良かったら食べてください」


 差し出された皿を覗き込み、


「これをあなたが?」


「ええ、未亡人と一緒にね。今は自分でほとんどの事をしています。あなたが来た時も洗濯物を干した後でしたし。何もわからないような、昔とは違います」


「そうですか、あなたも随分苦労されたのですね」


 それはサイモンの方だろう。そう思いながら、彼の目の傷を見つめながら声をかける


「傷は痛みますか?」


 サイモンは自分のおでこから左目にかけての傷に手を当て


「いえ、昔の傷です。今はもう痛みはありません。それよりもお見苦しい物を晒して申し訳ありません」



 サイモンの左目の傷は、人によっては嫌悪感を抱くような歪な物であった。

 しかし、彼は敢えてその傷を隠すことはしてこなかった。周りの者に気味悪がられ、陰口を叩かれようと、蔑まれようとも、彼はあえてその傷を晒し続けてきた。

 醜い傷こそ、自分にふさわしいと思っていたから。

 しかし、貴族達にはその傷は気味悪く、特に女子供は恐れ、近づくことすら許そうとしない者も多くいた。

 それゆえ、私兵であったはずの彼の地位は段々と下がり続け、しまいには使用人や下男のような仕事をさせられるまでに落ちていった。それでも、彼はその傷を隠そうとはしない。

 その傷が、彼自身の罪を思い出させる術になっていたから。



 フローラは椅子から立ち上がりサイモンの隣に立つと、その傷にそっと手を添える。


「この地は戦の町です。傷を負った者など、それこそ沢山おります。

 あなたの傷も、この町の人達にとっては名誉に値するもの。前線で自らの命を懸け戦った証。

 どうか、胸を張ってください。」


 サイモンは左目の傷の上に置かれたフローラの手を取ると、


「フローラ……」


 そう言うと愛おしそうに彼女の手を握りしめ、その手の甲に唇を落とした。


「サイモン」





 再会してから初めて呼び合う、互いの名。


 自分の名を呼ばれることが、これほどまでに心を温かくするものだと知った。




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