第16話
アボット邸に戻るとすぐに両親に報告をする。
父も母も無言で聞いていた。ただカミーユの声だけが聞こえる談話室。
答えなど誰にも出せるはずがない。
あんなにファウエルとの結婚を望んでいた母も、爵位を継げないとわかると、それを進めてくることはなくなった。
「お前はどう思う?」父に問いかけられた母は
「いっそ、エイデン家から手を引けばよろしいのでは?」
驚くような言葉が飛び出す。エイデン夫人とは従姉妹同士で、あれほど仲が良かったのに。
「もうあの家は破綻することが目に見えているわ。そんなところに嫁ぐ意味があるのかしら?フローラはまだ若いわ。これから益々美しくなるのよ。
幼い頃の初恋などに縛られずに、もっと視野を広げなさい。そうすればもっと素晴らしい出会いがあるはずよ。あなたの人生は、怪我人の看病をするためにあるのではないのよ」
「そんな……」
フローラは言葉を失った。ずっと心に引っかかっていたエイデン伯爵夫人の言葉が頭の中によみがえる。
娼婦のような女。息子をたぶらかした女。それは、自分に向けられた言葉だが、母親に似たからだと言っていた。
ならば、伯爵夫人は今目の前にいる母の事をそんな風に思っていたことになる。
あんなに仲がよさそうだったのに、あれは演技だったのだろうか?
「お母様。エイデン家のおば様から、私はお母様に似ていると言われました。
娼婦のようだと、男をたぶらかす女だと。おば様はお母様のことをそんな風に思っているのですか?お母様もおば様のことを、そんな風に思っていたのですか?
二人の間に何かあったのですか? だから、私の事を憎んでいるのですか?」
「フローラ、それは……。子供のお前にはわからぬ事もあるんだ。そんなこと、忘れてしまいなさい」
苦々しい顔をした父が口にした、その言葉が真実なのだろうとフローラは理解した。
「フローラ、昔の話だよ。母さんだって昔のままなわけじゃないさ」
俯き涙を堪えるフローラを慰めるように、カミーユが声をかける。
「そうよ。私はあの人が嫌いだし、あの人も私を嫌っているでしょうね。お互い様だわ。若い頃のちょっとした間違いを、いつまでもネチネチ言ってくるような女ですもの。本当はあなたを嫁がせたくなんかなかった。でも、向こうの息子は二人ともあなたを欲しいと言い出すし、だったらファウエルの方が爵位も継げるし良いと思ったのよ。
それなのに、あの子はこんなことになるし。面倒事を押し付けられるくらいならいっそ、もっと力のある貴族に嫁いだ方があなたのためなのよ。わかるでしょう?」
母は満足そうな笑みをこぼしながら話し始めた。まるで、知らない誰か別の人のように。
だからファウエルの手助けをしていた間も、伯爵夫人からあんなにひどい事をされたのか?と、納得ができた。
このままどちらかと結婚したとしても、自分は歓迎される存在ではないのだと、憎むべき存在なのだとわかった。
ファウエルとの事は結局、答えは出ぬまま夜を迎えた。
あの後、カミーユから両親の事を少し聞いた。
二人は大恋愛の末、貴族らしからぬ方法で結婚した仲なのだと。
昔の話だが、今もなおよく思わない者は社交界に存在することも。
フローラは、幸せになれない生まれなのかもしれないと感じた。
自分ではどうすることもできない、親のこと。
疲れきったフローラは何も考えたくなくて、寝台で体を丸め泣くことしか出来なかった。
その夜、フローラの部屋の窓を叩く音がする。窓から下を除くとそこにはサイモンがいた。
どうやら、下から石を投げていたようだ。
二階にある部屋を飛び出し、すぐに階下へと向かう。
使用人が使う勝手口から見つからないようにそっと庭に出ると、サイモンが待っていた。
「サイモン、どうやって?」
「昔から知っている門番だったから、堂々と入ってきたよ。大丈夫、使用人たちには見つかっていないから」
「あなたって人は、まったく。門番も門番よ。我が家の警備は大丈夫なのかしら?」
「彼を責めないでやってよ。彼じゃなきゃ、上手くは行かなかったんだから」
そう言って、ウインクをひとつして見せた。
いくらファウエルが無事だったとは言え、本来ならこんな軽口が叩けるはずもないのに。昔から彼はそうだった。自分が辛い時や悲しい時ほど、わざと明るく振る舞って見せる。
周りに心配をかけないように、自分を殺しても相手を気遣える人だった。
だから、フローラも敢えて明るく振る舞って見せた。
「フローラ、聞いて欲しいことがある」
「なに?」
「僕と一緒に逃げてくれないか?」
「サイモン?」
「騎士学校はやめる。やめた後は逃げ続ける生活になるから、平民以下の暮らしになるかもしれない。君に苦労をかけると思う。
それでも、何としてでも君一人養うだけの事はする。その覚悟があれば、僕と一緒に来てほしい。僕は君と一緒ならなんだって耐えられる。
爵位もいらない。贅沢をする金もいらない。ただ、君がいれば良い。それだけなんだ」
「サイモン。私、あなたについていくわ。少しずつ家事も覚える。最初は失敗するだろうけど、がんばって覚える。だから、あなたのそばにいさせて。連れて行って」
「フローラ」
そう言ってフローラの手を取り自分の頬に這わせる。
おずおずとした手がフローラの肩に回り、ゆっくりとサイモンの胸の中に抱え込むように抱きしめられた。暖かいぬくもりにフローラの力が抜けていくようだった。
このまま時が止まればいいのにと、願うほどに。
「フローラ、明日ここを出よう」
そう言ってフローラのおでこに唇を落とすと、サイモンは去って行った。
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