第10話

 エイデン邸へ着くとすぐに伯爵が現れ、ファウエルの様態を聞かされる。

 現在は意識も戻り、母であるエイデン伯爵夫人が付きっきりで看病していると言う。食事も細々ではあるが出来るようになり、様態は安定しているとのこと。


「ファウエルは未だに君のことを気にかけているよ。きっと会いたいのだろう。

 会ってくれるかい?」


 伯爵に言われ、フローラは「もちろんです」と返事をする。


「ただね、あの子に会う前に聞いておいて欲しいことがある」


 伯爵は眉間にしわを寄せ、淡々と告げた


「あの子の右足は動かなくなってしまった。このまま一生、自力で歩くことはできないらしいんだ」


 二人は息を飲んだ。

 フローラは目の前が真っ暗になり、意識が遠のきそうになった。

 倒れかかるフローラをカミーユが支え、彼もまた言葉が見つからなかった。

 意識も戻り落ち着いていると聞かされ、安心したのも束の間。

 まさかそんなことになっていたとは思いもしなかった。


 フローラにとってはサイモンとの仲を引き裂く相手として、決して良くは思っていない。

 カミーユにとっても昔から疑わしく思う相手だったのだ。サイモンに比べ陰湿な性格が肌に合わないとは思っていた。

 だからと言って、こんな仕打ちをうけるような人間でないことだけは事実であり、なぜこんなことになったのかと思うしかなかった。


「ファウエル殿は、このことは?」カミーユの問いに


「知っている。知った上で全てを受け入れているよ。我が子ながら、こんなに物分かりの良い子だとは思わなかった。むしろ泣いて喚いて、当たり散らしてくれた方が親としては楽だったんじゃないかと思うほどにね」


 衝撃を隠しきれず震えが止まらないフローラの肩を、カミーユが優しく抱き寄せる。


「君たちの母上が耳に入れたらしい。フローラ嬢が連れ去られたと、助け出してくれとファウエルに頼み込んだそうだ。君たちを見れば、そんなこと嘘だと容易くわかるものを。あの子は、唯々フローラ嬢を自分のものにしたかっただけなのだろう」


 伯爵は肩を落とし「情けない話だ」と、小さく息を吐いた。


「あの子に会ってやってくれ」と案内された部屋は、一階の中央付近にある部屋だった。


 サイモンを訪ね何度も邸を訪れたことのあるフローラの記憶では、兄弟二人の部屋は二階だったはず。一階にあるこの部屋は、以前はサロンとして使われていたものだった。

 大きな窓に日当たりの良いその部屋は、開放的で暖かな雰囲気を漂わせていた。

 部屋の奥には衝立が並び、その先に寝台の天蓋が見える。

 伯爵がここで待つように手で合図をすると、先に進み奥に声をかける


「ファウエル、具合はどうだい?」


「父さん? 調子は変わらないよ、あいかわらずさ」


「そうか、食事は? ちゃんと食べられたか?」


「まあまあかな? 動かないから食欲もあまり湧かなくて」


 ファウエルの声だった。思ったよりも元気そうな声でフローラとカミーユは安心する。


「あなた、どうかしましたか? いつもはこんな時間に顔を見せることはありませんのに」


 エイデン婦人の声はフローラが覚えているよりもずっと、掠れて疲れているようだった。きっと、看病でろくに休んでいないのだろう。


「今日はファウエルに会いたいと言う人が来ている。会ってみるかい?」


 伯爵の問いに、夫人は何かに気が付いたのかガタンと音を立てて立ち上がると、足早に衝立の脇まで駆け寄る。

 衝立の脇に立ち、こちらを睨むその顔は憎しみに満ちた恐ろしい形相をしており、フローラは恐怖で身を縮ませた。


「まさか、フローラが?」


 ファウエルの声にビクリと反応した夫人が、つかつかとフローラ達の元へ歩き出す。

 それを見たファウエルが


「母さん、待って。やめてくれ!」と叫ぶも、その声は耳に届かなかった。


 夫人はフローラに詰め寄ると手を振り上げる。しかし、カミーユがその腕を掴んで離さない。


「お兄様、良いの。私はそれを受けるべきだわ」


「ならば、私も同じように受けるべきだ。お前だけが責任をとることはない」


 フローラは深々と頭を下げ


「どうかファウエル様に会わせてください。お願いします」と願った。


 それを聞いたカミーユが夫人の手を放し、同じように頭を下げる。


「この度の事は、全て私の責任です。妹にはなんの罪もありません。責めを負わせたいのであれば、どうか私一人にお願いします」


 兄妹で並び頭を下げる姿を見て、夫人はフローラの肩を掴み顔を上げさせると、容赦ない力でその頬を叩いた。左手で右の頬を、次いで左の頬を……。


「お前のせいでファウエルがこんな目に……。それなのにお前は薔薇色の頬に美しく着飾って、見せびらかしにでも来たの? サイモンとの仲を邪魔した私達がそんなに憎いの?」


 フローラに掴みかかり身を揺すり訴えかけるその姿は、恐ろしくもあるが痛ましくもあった。


 慌ててカミーユと伯爵が止めに入るが、夫人はフローラを掴む手を離さない。




「お前など許すものか! 地獄に落ちてしまえばいい!」


 泣き叫び、しまいには嗚咽を漏らし崩れ落ちるように伯爵の腕に抱えられる。


「フローラ、フローラ!」


 ファウエルの呼ぶ声にフローラは夫人の手を振り解くと、衝立の奥に走り寄る。

 見ると寝台から上半身が滑り落ちそうになっているファウエルがいた。

 慌てて駆け寄り、その体を抱きかかえるように支え寝台に戻す。

 ファウエルの背に両手を当て支えるフローラの背を、ファウエルもまた包みこむように両手を背に回していた。まるで抱きしめ合う恋人のように。


 すぐにカミーユも駆け寄ると「……フローラ」。つぶやく声にファウエルは、その手をとっさに離した。


 ファウエルが寂しそうに少しほほ笑むと


「フローラもカミーユ様も私の見舞いに?わざわざ申し訳ありません。


 ご覧のように動けない身ゆえ満足なお相手も出来ませんが、ゆっくりしていってください。誰か、お茶を頼む」


 フローラは寝台の脇に跪いたまま


「ファウエル様、今日はそんなつもりで来たのではありません。あなたのお顔が見られればそれで充分です」


「顔を見るだけ? 少しふたりで話がしたいんだけど、いいかな?」


 今のファウエルの小さな我がままを断ることなど、フローラ達にできるはずもなかった。伯爵夫妻は部屋を出た後、カミーユは万が一のために部屋の扉の前で待つことになった。


 カミーユが部屋を立ち去る前、小さな声でフローラの耳元に何かをささやき部屋を出た。




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