第19話

 駆け落ちと呼ぶにはあまりにも幼稚な幕切れである。

 半日ほどで見つかるほどの体たらく。いかに二人が何も知らない子供であるか、未熟者であるかを自分自身だけでなく、周りの者にも露呈しただけの終演。



 王都に連れ戻された二人は、それぞれの家で監視を付けられ、身動きが取れない状態になっていた。

 会うことも、声を聞くことも出来ない。もちろん手紙を出すことも叶わない。

 フローラは部屋に閉じこもり、誰にも会おうとしなかった。

 兄のカミーユさえも心を閉ざしてしまった。

 食事も喉を通らず、夜も眠れないフローラは、どんどん衰弱していく。

 そんな妹を心配してカミーユが声をかけるが、フローラが瞳を合わせることはない。



 その後、サイモンは勘当され、平民としてエイデン家を去ることになった。

 サイモンが平民になるとカミーユから知らされたフローラは狼狽え、泣き続けた。

 あの時、駆け落ちなどやめようと声をかけていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。それなのに、自分はいまだ貴族令嬢のままである。

 軟禁状態とはいえ、暖かい部屋で不自由のない生活が出来ている。

 フローラはサイモンに対し申し訳なく、消えて無くなりたいと思った。

 生きることが辛く、苦しい。この身を跡形もなく消し去りたいと願った。



 フローラに関しても、本来であればそれ相応の罰を受けるべきであるが、ファウエルがそれを拒んだ。


「幸せになってほしい」


 そう、口にしたと聞かされ、エイデン伯爵からも


「どちらも我が息子。愚息が大変な迷惑をおかけした。

 これからはどうか二人のことなど忘れ、健やかに過ごしてほしい」と告げられた。


 ファウエルの言葉を聞いたカミーユは、今までのわだかまりが消えた思いだった。

『ファウエルにも幸せになって欲しい』心からそう願うのだった。




 ある日、カミーユがフローラの部屋を訪ねた。

 泣きはらし、眠れない夜を過ごすことで衰弱していくフローラに、小声でささやく。


「サイモンが会いたがっている。会うかどうかは自分で決めなさい。ただし、一緒について行くことは許さない。声を聞くだけだ。それでも良いなら来なさい」


 フローラはカミーユにすがりつくように頷くと、軽く身支度を整え馬車に乗った。

 少し気晴らしに出てくると家の者には伝え、カミーユの操縦で馬車を走らせる。


 しばらくして馬車が止まると、カミーユがドア越しにフローラに声をかける。


「外から、かんぬきをかけてある。外に出ることは許さない。しかし、声は聞こえるはずだ。私は離れた所で待っているから、サイモンとゆっくり話すと良い」


 何がなんだかわからないフローラは戸惑った。


「お兄様? どういうことですか? サイモンが? どうなっているのです?」


 かんぬきがかかり、開かない馬車のドアをドンドンと叩く。

 窓のないこの馬車では、外の様子がわからない。ここがどこかも、何が始まろうとしているのかもわからず不安になりかけた時、


「フローラ……」


 サイモンの声が聞こえた。聞き間違えるはずのない彼の声


「サイモン。サイモンでしょう? サイモン……」


 突然の声に驚きながら、喜びで涙が溢れる


「サイモン、会いたかった。ここを開けて、お願い。顔を見せて、あなたに触れさせて」


 懇願するフローラに


「フローラ、それはできない。このドアを開けることは出来ないんだ。

 最後に話だけという約束で、カミーユ兄さんに頼み込んだ。ごめん」


「なぜ? お願い開けて、顔を見せてちょうだい。お願いよ、サイモン!」


「フローラ、そのまま聞いて。

 僕はこれから平民兵として志願しようと思う。大きな戦が始まれば前線に送り込まれる。そうなれば命の保証はない。それでも、行ってくるつもりだ」


「待って! なんでそんな危ないことを? あなたがどうしてそこまでしなくちゃいけないの? 平民になるだけで十分でしょう? お願い、やめて」


「今、僕にできることはこれくらいなんだよ。

 このまま市井で暮らすにしても、今の僕には何もできない。仕事を探すことすらできない。罪を償うとかそんなつもりはない。フローラを苦しめた家族に罪の意識なんかない。それでも、これを乗り越えなきゃ僕は生きていけない。

 僕は生きるよ。生き続けると約束する。

 フローラのそばで、君を守ることが出来なくても、君を想い生きていく。

 だからフローラ、君も生きてくれ。僕のために、何があっても生き続けてほしい。

 いつか長い人生のなかで生きてさえいれば、どこかで出会うこともあるかもしれない。

 声が聞けることもあるかもしれない。すれ違いざまに指が触れ合うことも……。


 フローラ、僕を愛してくれているなら、死ぬなんて考えないで。

 どうか、生きて欲しい。頼む」


「サイモン……」


 いつしか二人の手はドア越しに重なりあい、額をすり合わせ、声を殺して泣いていた。

 ドア越しに合わさった二人の手は、合わせた額は、お互いの肌のぬくもりを感じるようだった。


「フローラ」


 熱い吐息交じりのサイモンの声に合わせるように、自然に二人の唇は重なりあっていた。

 ドア越しの、二人の初めてのくちづけを。

 サイモンの唇の温もりが、フローラの唇の感触が、二人には感じられた。


 二人はゆっくりと離れ……


「フローラ、僕はいつも君を想っている」


「サイモン、私もあなただけを想うわ。心配しないで。私、あなたのために、あなたのためだけに生きると約束する」


「よかった。フローラ、ありがとう」


「サイモンも、ありがとう。愛しているわ」


「僕もフローラだけを愛し続けるよ。じゃあ、また……」


「ええ、またいつか……」




 言い終えると、ジャリっと足音が聞こえる。

 ああ、サイモンが去って行ったのだと、ドア越しにフローラは泣き崩れた。



 もう二度と会う事は叶わないかもしれない。

 それでも、生きると、生き続けると二人で誓った約束は守りたい。

 座席の背もたれに背を預けると、声を殺して泣き続けた。


 しばらくすると、馬車が動きだした。

 きっとサイモンはどこかでこの馬車を見ている。見えなくなるまで、ずっと見守っていてくれている。そう思い、姿勢を正すと淑女の姿勢で居住まいを正した。


 見えるはずの無い姿を、サイモンに見てもらうように。




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