佐田岡啓司の休息 R15Ver. 後編
「先生、山田と連絡がつかない」
同窓会で交換した先生の携帯に掛けた俺は、向こうが応えるのを待たずに開口一番捲し立てるように言った。
『もしもし? 佐田岡か? いきなりどうしたんだよ、山田がなに?』
怪訝がる先生の声に被せて、矢継ぎ早に口を開く。
「だから、山田が電話に出ないんだ。家に行っても居留守を使われるし会えない、先生のところには連絡来てない?」
『落ち着けよ、俺にくるわけないだろ。番号も知らないんだから』
「そうだった。でも、万が一山田から電話があったらすぐ教えて欲しいんだ」
『おいおい、さっきからお前どうしたんだよ、なんかヘンだぞ。大丈夫か?』
全く大丈夫ではない。山田に電話が繋がらなくなってから一週間、ここ数日はろくに眠れていないし仕事でも有り得ないミスを連発して、そろそろ周りに不審がられている。
八方手を尽くして山田の拒絶が決定的だとわかった俺が最後に頼ったのが、俺の想い人を唯一知っている先生だった。
「ダメ。自分でもどうしていいかわかんない」
『……お前今、外だよな? 俺ももうそろそろ帰るから、三十分後に駅で待ち合わせしよう』
「うん」
『会ったらちゃんと話を聞くから。俺んち来るか?』
「うん」
電話では埒が明かないといって、学校帰りの先生と直接会って話すことになった。俺は迷子の子供のように、携帯を握りしめ、ただ頷くことしかできなかった。
◆
先生のマンションは、学校の最寄駅から歩いてすぐのところにあった。単身者用の広めの1Kで、ベッドと収納と小さなリビングテーブルだけの殺風景な部屋は意外にもすっきりと片付けられていた。普段の自分なら部屋の感想の一つでも言うところだが、今日はそんな余裕もなく、ただ勧められるがままに一つしかないテーブル横のクッションに腰を下ろした。
「それで」二人分のコーヒーを手に、先生が隣に座る。「山田が電話に出ないのか?」
そう、発端はちょうど一週間前の金曜日のこと。会社帰りに飲みにでも誘うかと山田の携帯に掛けた俺は、お客様のご希望によりお繋ぎできません──無機質なアナウンスに、最初は電話先を間違えたのかと思った。短縮1に入っていて間違いようもないのに、三回同じ機械音声を聞いてようやく事態に気がつき、何度も電話帳を確認して一つひとつダイヤルボタンを確かめるように押した時にはもはや指が震え、本当に間違い電話を掛けるほどだった。
思えば同窓会の翌週、山田をバーに呼び出した時から様子がおかしかった。やたら饒舌に思い出話をしたりして。だから吉川となにか──もちろん肉体関係以外のなにか──があったのは感じていた。
それがなんだか気まずくて、ほとぼりが冷めるまで目を逸らしたくて。ひと月ほどこちらから連絡をしなかったから、まさか着信拒否にされているなんて先週まで気が付かなかったんだ。
「多分
「野球部の連中は? ラクダ達からなら電話に出るんじゃないか?」
俺は力なく首を振る。自分の番号では無理だと悟った俺は、すぐに野球部や高校時代の友人に一通り連絡した。ラクダや三好の電話は着信拒否はされていなかったが、山田は電話を取らなかった。折り返しがあったら連絡するよう頼んだが、今のところ知らせはない。そもそも山田と日頃からやりとりがあるのは俺だけで、橋本や後藤に至っては電話番号すら交換していないという。
まさかと思って江崎に探りを入れたが、吉川に変わった様子はなく逆に同窓会で何かあったのかと怪しまれてしまった。
「別に行方不明って訳じゃないんだろ? 実家にはいるのか?」
「いると思うけど、山田のおばさんが、今は俺に会いたくないって言うから悪いけど今日は帰ってって。元気にしてるから大丈夫よって、そう言うんだ。電話も取り次いでもらえない。会社にも掛けたけど折り返しがなかった」
「じゃあ病気や事故とかではなくて、ちゃんと生きていて仕事にも行ってるんだな」
事故や事件の線は一番最初に心配した。それで山田の家に直接訪ねて行って、居留守を使われたわけだ。
「ねえ、本当に先生のところになにか連絡来てない?」
「俺にくるわけないだろ」
俺があまりにも取り乱すので、先生も呆れ気味だ。まあとりあえず飲め、とテーブルの上で冷める一方だったコーヒーを勧められ、はじめて喉がカラカラに乾いていることに気がついた。
「無事に生きてるんならいいだろ? なにがあったか知らないけどよ、そのうち機嫌が直ったらひょいと向こうから電話が来るんじゃないか?」
「そうだけど……」
そう思うのが当然だと思う。大の男が友人一人に着拒されたくらいで馬鹿ばかしいと。
自分でもまさかこんなに心が乱れるとは思っていなかった。関西の大学に進学した時とは違う。あの時は距離は離れていても、会おうと思えばいつでも会えた。電話で声も聞けた。今は明らかに俺自身が拒絶されている。
無意識にガリガリと後頭部を掻く手を先生に制止され、膝の上で手首を掴まれる。
「落ち着け、な。深呼吸して。着信拒否にされる心当たりはあるのか?」
ある。あるんだ。だから俺はこんなにも不安なんだ。
「きっと同窓会の夜、吉川が山田にバラしたんだ」
俺は手首を掴まれたまま、至近距離で先生を見つめた。
「なにを?」
「俺が吉川を寝取って、別れさせたこと」
俺の口から出し抜けに飛び出た言葉に、先生の丸い目が見開いて、俺の目を見つめ返す。
「いつまでもあいつらが別れないから。江崎とくっつくように散々お膳立てしてやったのに」
緩んだ手を振り解いて、自分の顔を覆う。こんな俺を先生に見られたくない、咄嗟にそう思ったから。それでも指の隙間から、俺の告白は止まらなかった。
「手っ取り早いと思ったんだ。吉川と寝て、浮気させて、そうすれば二人は別れてお終いだって。俺が吉川を誘って、あのやろう簡単にそれに乗って──」
ぐぅっと音がして、胸に胃酸が込み上げる。
「佐田岡、トイレそこだから、急げ!」
指さされたドアの先に駆け込み、便器にさっき飲んだばかりのコーヒーを吐きもどす。昨日はなにも食べていないから、あとは胃液しか出て来ない。
げえげえと咽せる俺の背中を、先生はなにも言わずたださすり続けた。
◆
「お前さ、会った時から思ってたけどひっどい顔だぞ。
不揃いのどんぶり茶碗に入ったうどんが二つ、テーブルの上で湯気をたてている。半熟たまごと茹でたほうれん草、薄切りにした蒲鉾の上でつゆの油がキラキラ光っている。
「腹が減っては戦はできぬ、腹が減ったら腹も立つってな」そう言って先生は俺に割り箸を寄越した。「ほら、とりあえず食っとけ」
「……いただきます」
食べ物を目の前にしてようやく空腹を感じた俺は、手を合わせてから麺をひと掬い啜った。
「うまい」
そうつぶやくと、先生はだろうと笑って、俺の前髪をくしゃくしゃと撫でてくれた。
「なんであんな事したんだろう。山田に言えないことが一つ増えるだけなのに」
向かい合わせにうどんを啜りながら、俺は腹の内を話し始める。
「その時はこれしかないって思ったんだろ? だったらその時点でそれは正解だったんだよ。後になって間違いだって気づいただけ偉いじゃないか」
あの時は、二人を別れさせることしか頭になかった気がする。その後のことなんてどうでもよかった。それくらい吉川の存在が憎かった。
「……吉川はなんで白状したのかな。謝ればもう一度やり直せると思ったのかな」
やり直すにしろ、やり直せないにしろ、別れの本当の理由を言う必要があったんだろうか?
「吉川もお前と同じように、秘密を抱えるのが辛かったんじゃないか? お前も俺に告白して、ちょっとすっきりしただろう」
「……うん」
たしかに、俺は吉川にも吉川の心があるということに、ほとんど思い至っていなかった。だからこんな穴とひび割れだらけの計画をたてられたんだ。
俺の独白めいた懺悔に、先生は一つひとつ丁寧に答えをくれる。
だから俺は、俺の思いの全てをこの人にさらけ出したくなった。
「俺は……俺のしたことを全部バラして、山田に殺されたいと思ってた」箸を置いて、いつかの温もりを頼りに胸を押さえる。「どうせ手に入れられないなら、山田の手で殺されて消えたかった。そうして山田の心に俺の作った傷が一生残るなら、それが一番良い」
「お前、そこまでかよ……」
「でも、山田の方が消えるなんて思ってなかったんだ」
口にする側から目の縁が熱くなり、涙が浮かびそうになる。俺の世界から山田が消える、山田が居なくなる。そんな世界に生きる意味はあるんだろうか──
「じゃあ、これはお前への罰だな」
「えっ」
先生はどんぶりを抱えツユを飲み干すと、ぺろりと唇を舐めて言った。
「山田がいなくなるのがお前の一番辛いことなんだろ。じゃあそれがお前の刑罰。酷いことした自覚があるなら、甘んじて受けな」
拳でこつんと額を小突かれる。
「生きてりゃそのうち会えるから」
生きていればそのうちに──
俺を覗き込むように言う先生の笑顔は、誰のどんな言葉よりも俺の胸の奥に響いた。
「さっ、うどんの残りを食ったら風呂入って、明日は土曜だから今夜は泊まってけ。大丈夫、手は出さねぇから」
相変わらずの先生のノリに、ふっと笑いが漏れる。思えば久しぶりに笑った気がする。
「はじめて先生のこと、先生らしいなって思ったよ」
「なんだソレぇ、ひでぇな」
俺が笑うと、先生も笑う。
「どこかで生きてればそれでいいって思うことにする。もしいつかまた話せたら……」
「謝るか?」
「……まだわかんないや」
次に会えるのが明日になるのか、一年後になるのか、十年後になるのか。ひょっとして一生会えないかもしれないが。
その日を楽しみにできるように。その日が来たら山田に俺の全てを告げられるように、俺は日々を生きていこう。
少ししょっぱいうどんつゆを飲みながら、俺は心底からそう思えた。
◆
日曜日。
結局先生に甘える形で、マンションの一階にあるコンビニでパンツと歯ブラシだけを買って、ズルズルと二連泊してしまった。
寸足らずのスウェットを着て、ベッドに寝転んで、テストの採点をする眼鏡姿の先生を眺めているうちにふと気になって
「先生って彼氏いないの?」
と聞いてみた。ひとつきりのクッションに歯ブラシに食器、全てが独り身だと物語ってはいるのだが。もし居たら、ご同類の元教え子が彼氏の部屋着を着てベッドで寛ぐだなんて、とんだ大問題だ。
「いねえよ。とんとご無沙汰だよ」
静かな部屋にしゅっ、しゅっ、と規則正しく赤ペンを走らせる音が響く。
「勿体ないな、こんな甲斐甲斐しく面倒みてくれる人なんてなかなかいないのに。飯も旨いし」
突然訳のわからない電話をして押しかけた
「そんなもん、下心があるからに決まってんだろ」
びっくりして枕に伏せていた顔を上げるが、先生は視線をテストに向けたまま平然と丸付けを続けている。
「手は出さないって言ってなかったっけ?」
「だから昨日も一昨日も出してねぇだろぉ」
そこまで言うと、先生はペンのキャップを締め、眼鏡を外してテーブルに置いた。そして寝転ぶ俺を振り返り、真面目な顔のままで
「ヤる?」
たった二文字でそう聞くので、
「うん」
俺も二文字で答えた。
◆
<省略>
◆
「お前ってほんとズルいよなぁ、あそこで名前呼ぶなよ。マジでイキ死ぬかと思ったわ」
全裸でベッドの上に突っ伏したまま、先生が愚痴をこぼす。
「褒め言葉として受け取っておきます」
脱ぎ捨てたパンツを探して拾いながらそう言うと、腕を伸ばして「生意気」と頭を小突かれた。
「……頭んとこはもうよくなったか?」
「え?」
「お前、昔からストレスかかると頭の後ろをガリガリ掻く癖あっただろ。たまに血が滲んでた」
驚いて、咄嗟に後頭部を押さえる。先生はそんなところまで見ていてくれたんだ。
言葉にならない思いにしばし呆然としていると、先生はあぁ腰やばい、とぶつくさ言いながら、ベッドの縁に背を向けて腰掛けた。
「記念になったよ。すげえ気持ちよかった。ありがとな」
「……さっきも言ってたけど、記念ってなんだよ」
「俺みたいなのがさ、佐田岡以上に若くてかっこいいイケメンとヤれる事なんて、後にも先にももうないだろ」
「なにそれ」
片腕をとって振り向かせる。先生は泣いているような、困っているような笑顔だった。
「俺とは一晩だけだってこと? 俺は先生と付き合うんだと思ってたんだけど」
「えぇ……だって……」先生はちらりとこちらを見て、また顔を伏せた。「俺は九コも歳上だし、しがない高校教師だし」
「そんなの知ってる」
「……オデコも広いし」
「それもずっと前から知ってるよ」
だからなんだよ、と言おうとして、
「お前は山田一筋だし……」
俯いた口からでた山田の名前に、心臓がぎゅっと締め付けられた。
胸の痛みに思わず指が緩んだのを機に、先生は腕を掴んだ俺の手を外した。その手に指を絡めてそっと握られる。
そして、今までで一番優しい顔で俺を見つめてきた。
「お前はさ、今俺のことを好きだなんだって勘違いしてるかもしれないけど、それはただ隠し事をしなくていい相手だから楽なだけだよ」
……そうかもしれない。多分それは正解だ。俺の中から山田が消える日は来ないと思う。
それでも、
でも、胸が苦しすぎてなかなか言葉にならない。
「それにお前がゲイならゲイで、俺より条件の良い男をいくらでも捕まえられるって」
俺はぶんぶんと必死に頭を振った。
「たしかに──」俺は息を飲み、やっとのことで口を開く。「たしかに俺は山田を初めて見た時からずっと好きだし、山田以上に好きになれる相手は居ないと思う。山田が俺に恋愛感情を抱くことはないのも知っているけれど、自分でもどうしようもできないんだ」
先生の顔が優しいまま、泣き出しそうに歪む。そんな顔を見るのは辛い。胸が痛くって、とても苦しい。
「俺がずっと山田を好きでいたこと、先生は知ってたんじゃないの? それを含めて俺のこと気にかけててくれたんだろ?」
俺は握りしめた先生の手をとって、後頭部、うなじのすぐ上の部分を触らせた。一瞬びくりと抵抗した指先が、普段は髪に隠れて見えることのない深い傷跡をこわごわ撫ぜる。
「俺のことを好きじゃなくてもいいから。俺は久志さんに全部知ってほしい。山田は知らない嘘も隠し事も、汚い部分も全部。それじゃ駄目?」
目の前で先生の目が潤み、食いしばった唇は小刻みに震えた。
「ダメ?」
頭を抱えさせたままその目を覗き込むと、先生は顔を逸らし、そのままばさっと倒れ込んで枕に顔を埋めた。
「……なんかもう俺って、お前をキムタクとか言ってた女子と同じじゃん。かっこわりぃ」
「なにそれ」俺は思わず笑った。「別に俺なんて、先生のタイプじゃないでしょ?」
だって、先生の俺を見る目と、筋骨隆々の体育教師を見る目は全然違う。
「正直タイプじゃねえよ、ねえけどさ」先生は一つため息をつくと、仰向けになって、白状するよとでも言うようにぱっと両手を上げた。
「部室棟の裏でお前に告白してる女子生徒を見るたびに羨ましかったよ。嫉妬ですらないよ、ただただ、なんで俺は女じゃないんだろうなって。女だったら学年一のイケメンにキャーキャー言って告白して、付き合ったりフラれたりできたのになって」
そうか。先生は青春がしたかったのか。
「女だったとしても相手にされないだろうけどさ」
ははっと笑う先生の手をもう一度とって、その手のひらにキスをする。
「先生が男で良かった」
目を瞑り、骨張った指先一つひとつに何度もキスを繰り返して「俺は先生が好きだよ」と告白する。
先生はしどろもどろになりながら「俺も」と応えてくれた。
「ああもう、おっさんに何てこと言わせんだよぉ」
先生の顔は耳から額まで真っ赤で、俺も胸の奥深くが赤く色づく。
「俺だっておっさんだよ。もうすぐ三十路だ」
「お前は若いよ。俺は二十代とは違うんだよ、もう後がないんだよ。これからお前にフられたりしたら、俺は立ち直れないの。これから先、さんざっぱら夢見せられてやっぱり山田しかいないって言われたら、俺はもう潰れちゃうんだよ」
先生は可愛い顔をして、易々と呪詛を唱える。捨てるなよ、俺以外と寝るなよ、最期まで俺のそばにいろよ、と。
でもそれは、俺が一番待ち望んでいた祝福の言葉だったのかもしれない。
だから俺は先生の顔を掬い上げ、広い額に誓いの口付けをする。
「俺のしつこさ知ってるくせに。先生こそ浮気しないでよ」
「……お前もう、ゴム持ち歩くなよ」
「わかってるよ」
先生と俺は伸ばした手を絡めあい、今度は初恋同士がするような、優しいキスをした。
<了>
☆ご覧いただきありがとうございました。サイドストーリーを踏まえた上で本編最終章を読んで頂ければ、また違う視点での味わいがあるかなと思います。
☆省略部分については近況ノートに詳細を記しております。18歳以上&BLどんと恋な方は是非ご覧ください。
https://kakuyomu.jp/users/sasakinano/news/16817330648279754097
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