第4話(4)
夢のようなひとときが終わり──ああそうだ、終わるんだな──俺は梨花から身を離した。
できればずっとこのまま抱き合っていたかったが、さすがにそうもいかない。無我夢中だったさっきまでの俺は、体液と一緒にどこかへ放出されたようだった。自分でも妙だけれど、今は爽やかなほどに冷静だ。
とりあえずまだ俺に情けなく張り付いたままのコンドームを(梨花が用意していたことには正直驚いた!)どうにかしようと、ロッカー脇にいつも放置されているティッシュを取りにむかう。
あ、いや、その前に梨花を拭いてやったほうがいいかな? でも俺が触るのは抵抗あるかな? 箱ごと渡したほうがいいかな? にしても、フルチンで足首にズボンとパンツを引っ掛けたままひょこひょこ歩く俺の姿はかなり滑稽だろうな。梨花、こっち見てないといいけど。いやいっそ笑ってくれたほうがいいか──なんて考えながらティッシュを数枚いっぺんに引き出し、笑顔で振り返った俺は、ぎょっとした。
梨花が泣いていた。
「どした、痛かった?」
慌てて駆け寄った俺に、梨花は腫れた目を押さえて首を振る。
「違うの、そうじゃなくって」
「ごめん、俺、その、こういうの初めてだったから加減がわかんなかったかも」
「ううん、本当に違うの。平気だから」
痛くて泣いているわけじゃないのか? とにかく手にしたティッシュで目尻を拭いてやるものの、涙はあとからあとから溢れてくる。
「ごめん、あの、私すごく嬉しくて……それで……」
「うん、いいよ。大丈夫」
わけもわからず、かといって涙の訳を追求する気にもなれずに、俺はベンチに並んで座りただ黙って梨花の頭を撫で続けた。
しばらくそうしているうちに、梨花は次第に落ち着きを取り戻したようだった。ほっと安堵、と同時に寒気が襲ってくる。なんと言うか、俺も相当うかつだ。俺はいまだフルチンで、しかも使用済みゴムをだらっと垂らしたままだった。
「ヤベ、俺このまんまだった」
「え?」
つられて視線を下げた梨花は、俺の悲惨としか言いようのない有り様を見て、あわてて顔を上げた。
「や、やだぁ先輩ったら」
「うわ。ちょっとこれは……触りたくないな」
「ふふふ、あは、あははは! もう、早くズボン履いて下さいよお」
良かった。とりあえず涙は止まったみたいだ。ズボンを上げ、すっかり冷えきって半ば固まりかけたゴムを処理しながら、肩越しにチラリと梨花を見る。
「梨花こそ、はやくしないと風邪引くぞ」
「あっ!」
梨花もやっと、はだけたブラウスとノーパンのままの自分に気がついたようだ。まあ実を言えば、脱いだままの形で床に落ちたパンツがずっと気にはなっていたんだけど。
「み、見ないで下さいよっ!」
「いや、見る!」
俺は振り返り、試合でいつもするように、パシッとグローブに手を打つ真似をした。
「見てこ〜ぜ〜!」
梨花に向かって、バッと両腕を天に掲げる。
「あっはははははは!」
ふう、我ながらキャラじゃない。それでもなんにせよ、無邪気に笑う姿はもうすっかりいつもの梨花だ。良かった。
パンツとベルトを締め直し、笑いがおさまりかけた頃、振り返ると自然と視線が絡んだ。
それは紛れもない、キスのサイン。俺達はどちらからともなく顔を寄せて──その時、静かだった表から砂利を踏む足音が聞こえた。
慌てて時計を見ると七時二十分!
「うっすおはよ。なんだ、山田と吉川さんか、早いな」
「オハヨ!」「おはようございますっ!」
身を離したと同時に勢いよく部室の扉が開き、佐田岡が顔を出した。ギリギリセーフ! というか、鍵をかけていなかったことに今さらながらビビる。やっぱり俺はうかつだ。
「……なに?」
室内に入るなり、佐田岡はそう言って怪訝に眉をひそめた。
「な、なにって、なにがぁ?」
「いや……なんかあっちいな、この部屋」
そう言って、パタパタと顔を仰ぎながら窓を開けにいく。俺のぎこちない態度に気づいたのか、部屋の不自然な空気に気づいたのか。そのどちらにも勘付いているのか。
「あれ、どしたのマネージャー、目ぇ赤いよ?」
「えっ!」梨花が慌てて目元を覆う。「ね、寝不足かなあ?」
泳ぐ視線が梨花とぶつかって、俺は情けなく助け舟を求めるも、
「あっそうだ、先輩方着替えますよね! 私外に出てますね!」
早口でそう言うなり、梨花はそそくさと部室を出ていってしまった。ずるい。
とにかくなにかをしていないとすぐにボロを出しそうで、俺はたどたどしい手つきで床の上の鞄を開け、練習着を取り出した。
「じゃ、じゃあ、とりあえず着替えますか」
「そうだな」
佐田岡の隣のロッカーで、ついさっき履いたばかりのズボンを下ろす。と、ワイシャツのボタンを外す佐田岡の手が止まった。そしてなぜか下半身を凝視される。
「な、んだよ?」
「お前、パンツ裏返しだぞ」
「えっ、ウソっ!」
慌てて股間を押さえる、が、そもそも下ろしただけで脱ぎ捨てた覚えのないカルバンクラインは、当然正常位だ。
「嘘だよ。あとさぁ、マネージャーのブラウスのボタン、掛け違えてたって後で教えといて。これはホント」
「あ……あそう、よく見てんな〜アハ」
佐田岡は後ろ髪を掻き回すと、大袈裟に音を立ててロッカーを閉め、その勢いで俺の背中もバンと叩いた。
「サカるのもいいけど、次は場所考えてなぁ」
うへぇ、やっぱバレバレ……。
まぁ、いいか。佐田岡にならバレても。
俺は気抜けと安堵の入り交じった溜息をつき、網戸を開けて外を見た。
いつの間にかずいぶんと明るい。学校前にたたずむ鉄塔が、朝日を反射して煌めいている。いつもぼんやりと眺めている光景が、今朝はなんだか輝いて見える。
「そろそろ夏だな」
何気なくつぶやくと、佐田岡が肩に腕をまわしてきた。
「そう、最後の夏だもんなぁ。まあ頑張ろうぜ。女にうつつを抜かすのもほどほどにしてさ」
「わかってますよ……」
お前には言われたくないよ、と言いたいところをグッと我慢し、俺は日射しの眩しさに目を細める。パンツ姿でズボンを足にひっかけたまま──
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