第2話(10)

 同窓会当日──俺はまだ車の中にいた。突然入ってしまった上司とのゴルフ。運転手役だった同僚が前日にぎっくり腰でダウンしてしまい、急遽代打者として白羽の矢が立ったわけだ。バタバタな一日を終え、どうにか最後の一人の上司を家に送り届けた俺は、信号待ちの車内で早朝からずっと我慢していた溜息をついた。


 二十代最後の年に野球部の連中で同窓会を開こう、と提案したのはラクダだった。

 卒業後、実家の条乃内青果店を継いだラクダは、進学組が就職する年にデキ婚をし今では三人の女の子のパパだそうだ。屋号も『条之内青果店』から『ラクダの八百屋』に変えたらしい。だそうだ、らしいというのも、野球部の面々とは佐田岡の結婚式以来、実に数年振りの再会なものだから。

 まだ携帯電話もSNSも普及していなかった当時では、大学四年間の距離は遠すぎた。地元組は今でもそれぞれに連絡を取り合っているようで、俺は佐田岡から時折近況を聞いていた。

 それでも、部員全員が一同に会するのは卒業後はじめてだという。そう、佐田岡の式にはいなかった監督や梨花、江崎も揃って。


 そろそろ信号が変わるかというころ、胸ポケットから携帯の着信音が響いた。

 佐田岡からか。まずい、もう集合時刻から三十分も過ぎている。

「ういっす、みんなもう集まってる?」

『とっくだよ、お前いまどこ?』

 すでにでき上がっているのか、電話口が騒がしい。

「わりぃ、今車ん中」

『車ぁ? なんで?』

「実は突然ゴルフが入っちゃってさ、電話する暇もなくて──」信号が青になり、前の車が動き出す。本当は一度自宅に戻って車を置いてくるつもりだったんだけど……。

「とりあえずこのまますぐ向かうよ、待ってて」

 俺は携帯を切り、酒を諦めて泣くなく繁華街へ舵を切った。前々から駐車場のある居酒屋に疑問を抱いていたんだが、今日やっとその存在意義がわかった気がする。



「山田、こっちこっち!」

 居酒屋へ入ると、奥の個室の入り口で佐田岡が手を振っているのが見えた。

「ごめん、遅れちゃって」

 頭を下げながら座敷に上がる。座卓が二つ並んだ横長の部屋に大柄の男達が集まるむさ苦しさは、まるで部室だ。あの頃はなかったアルコールの匂いとタバコの煙が追加された部室の空気だ。


「やっと来たか、山田おせぇよ!」

 手前の座卓に座っていた橋本が早速声をかけてくる。

「橋本! おまえ老けたなあ」

 お前こそお互い様だと、笑いながら肩を小突き合う。さらに、

「おぉ山田か! 何年振りだよ、久しぶりだなあ」

「ひさし……え? あれ、え?」俺は橋本の横に鎮座する巨漢を二度三度と見直した。「もしかして三好?」

 途端にわははは、と声が上がる。

「しゃぁないわ、三好、横幅が倍になってんだもん」

 橋本は片手にビール、もう片手で三好主将の成れの果ての腹をリズミカルに叩いた。

「ええぇ、マジで三好かあ。どうしたんだよソレ」

「どうもしねぇよ、ただの脂肪だよ! てかこのやりとり今日何回目だよ!」

 聞けば、一昨年うまいもんどころ博多に転勤になって以来、筋肉が全て脂肪へと変わったらしい。向こうで同じ食べ歩き趣味の奥さんも見つけてますます幸せ太りだとか。

 左手薬指に食い込んだ結婚指輪を見せてもらっていると、今度はラクダがビール瓶を抱えてやってきた。

「山田ちゃ〜ん、ひっさしぶり!」

「おお、ラクダは変わんないな! お前もう三人も子供がいるって聞いたよ」

 三児の父であるラクダは、さすがに十代の頃より少しやつれてはいたが、顔も格好もあまり変わらないように見えた。三好主将のあとだから、錯覚なのかもしれないが。

「もう小ラクダ三匹に毎日ヘトヘトだよぉ、ほら飲んで飲んで、飲んでオレの愚痴を聞いて!」

「わりぃ、今日車なんだよ」

「はぁ〜? なんで飲み会に車で来ますか〜?」

「俺だってそのつもりじゃなかったんだけどさ──」

 今日の不幸な経緯いきさつをラクダ相手に愚痴ろうとしたその時、向かいの席に記憶そのままの顔が見えた。


「森先生! お久しぶりです!」

 座っていたのは森監督代理だった。たしか当時新卒で教師になって五年目と言っていたから、いま三十八歳くらい? とても見えない。十年の歳月を感じさせないほど当時の面影そのものだ。

「やっと気づいたかよぉ、忘れられてるかと思ったわ!」

「この特徴的なオデコ忘れるわけがねえよな」

 軽口を叩いたラクダの顔面に座布団が飛んだ。慌ててビール瓶を死守し、ラクダは見捨てる。

「いや本当にお変わりなく、お元気そうでなによりです」

 横にいってそのビールを注ぎながら、チラリと額を見る。かろうじて後退は免れている。よかったよかった。

 すると、座布団の海から生還したラクダがまた口を出してきた。

「マジでさぁ、三好なんてこんなデブって別人だってのに、森ちゃんはほとんど変わってねえよなぁ」

 座布団に続き、ラクダの脇腹に三好のヘビー級パンチが飛ぶ。痛そう……いや、重そうだ。

「いやまぁな、学校ってのは変わり映えしないもんだからさ」注いだビールをなめつつ監督はしみじみ言った。

「それにしてもほんのガキだったお前らと、こうして酒を酌み交わす日が来るとはなあ。あんなトンがってた佐田岡がこんな立派な大人になっちまいやがって、先生は嬉しいよ」

 そりゃまったくだ、トンがってたのは髪型だけど。皆の視線を浴びた佐田岡は、照れくさそうにこざっぱりした頭を掻いた。

「あれ? そういや後藤は?」

 はたと気づいてそう言うと、みなの口から一斉にため息が漏れた。

「ごっつんドタキャンだよ!」

「マジかぁ、信じらんねぇ」

 まったく、一番変わってないのは後藤だなぁなんて笑い合う。


 そして梨花と江崎は──狭い座敷の上を泳ぐ視線に気づいた佐田岡が、おしぼりを手渡しながらこっそり「梨花ちゃんなら遅れるってさ」と耳打ちしてきた。俺は密かにもう一つため息をつく。

 そんな俺を知ってか知らずか、監督は軟骨をバリバリ噛み砕きながら言った。

「しかしなんだなあ、もう野球部はなくなっちまったんだよなぁ」

「ああ……」

 そう、俺の青春だった船木場高校野球部はすでに存在しない。江崎が卒業した翌年度、部員がいなくなりとうとう廃部になってしまったのだ。少子化のせいかサッカーブームに押されてか、野球部を再建させようという声は今まで全くなかったらしい。

 少ししんみりしてしまったムードを打ち破るように、その時、背後の襖が勢いよく開いた。

「すみません、遅くなりましたあ」

「吉川!」「マネージャー!」

 振り向いた襖の向こうには、俺の無くしたもう一つの思い出が立っていた。



「お久しぶりです! うわぁ森先生変わってない!」

「おおお吉川、しばらく見ないうちに美人べっぴんさんになって!」

「森ちゃん、こいつもう吉川じゃないんスよ〜」

「あああそうだった、俺結婚式に出たんだった」

「その節はありがとうございました! 橋本先輩は卒業以来かな、ご無沙汰してます」

「マネージャー、オレオレ、オレ覚えてる?」

「覚えてますよお、ラクダ先輩!」

「ラクダお前、オレオレ詐欺じゃないんだからさぁ」

「えっ、もしかして主将? 変わ……貫禄でましたね!」

「梨花ちゃ〜ん、言い方〜!」

 三好のハンセンばりのラリアットが炸裂し、ラクダは死んだ。


 梨花の登場で一気に盛り上がる輪の中で、俺は一人言葉を失っていた。目の前の現実がフィルターがかった映画のようで、頭が正常に働かない。先生は梨花の結婚式に出たんだとか、三好腕ふてぇなとか、梨花髪切ったんだな、なんてことを字幕を見るようにぼんやり考えていた。

 可愛い、という形容詞が一番似合っていた梨花がすっかり綺麗になっていて──

「あれっ、そういや江崎はどうしたの? 一緒じゃないの?」

 生き返ったラクダの言葉に、ぱっと頭の霞が晴れる。

「それが聞いてくださいよ、実は明日急な仕事が入ったとか言って」

 無邪気に小首をかしげる仕草に、俺は思わず息を飲んだ。綺麗になった梨花の、まるで変わらないあの頃と同じ癖。

「朝早くて飲み会は無理って言うんで、私一人で来たんですよお、薄情でしょ?」

「マジかぁ、ひやかしてやろうと思ったのに残念だわ。そういや山田も車で来てたよな、お前も仕事?」

 突然話を振られた俺は、目が合わないよう慌てて箸を動かした。

「いや、俺は上司とゴルフが入っちゃって……」

「えぇなに、おまえゴルフなんてやってんの? さすがサラリーマンだわ」

 なにがさすがだよ、と答えようにも、ラクダを見上げれば梨花が視界に入ってしまう。

 口の中のなにか(一体俺はなにを食べたんだ?)を飲み下す前に、どうにかこの緊張を解きほぐさねば、と焦ったところに佐田岡が助け舟を出してきた。

「なにがさすがだよ。ていうかマネージャー、他にも誰か居ないのに気づかない?」

「え? ……ああ、後藤先輩!」

 また爆笑の渦。助かったよありがとう佐田岡、ありがとう後藤。


 俺は結局まともに前を見ることすらできず、無心で目の前の小鉢を平らげた。

 眩しくて正視できない。まるではじめて出逢った時のように。



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ノート:野球部員達による登場人物紹介

https://kakuyomu.jp/users/sasakinano/news/16817139558544568562

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