2008年:山田太一
第1話(9)
高校最後の夏。
俺達はとうとう一点も取ることができないまま予選敗退し、静かに高校野球生活を終えた。
夏が終わり、秋が過ぎ、冬が来て──初めての交際にうつつを抜かし受験生にシフトチェンジし損ねた俺は、第一志望の大学に落ち、第二志望だった関西の大学へ進学することになった。
梨花はどうしても離れたくないと言って大泣きした。なだめすかすのには随分と骨が折れた。
「電話するね」
「うん、俺もする」
「夏休みに行くからね」
「でも、親父さん許してくれないだろ」
「……絶対行くからね」
「……うん」
大学一回生の夏休み、梨花が俺を訪ねてくることはなかった。それでも最初のうちは頻繁に電話しあっていたし(電話代がすごいことになったもんだ!)、遠距離恋愛を公言して新しい友人達の合コンの誘いも頑なに断っていた。たまの帰省には真っ先に梨花に会いに行っていた。
また冬になるという頃、梨花から推薦入試で自宅から通える大学に決まったと興奮した声で報告があった。なんでもその大学には女子野球部があるらしい。マネージャーではなく選手として野球部に入りたいとはずんだ声でいう梨花に、いつか電話で語り合った『俺と同じ大学を受ける』という話はとても言い出せなかった。
そして二回生の夏休みを目前にして、電話で突然の別れを告げられた。
あの暑かった夏から十年以上。
振り返ることもままならない速さで時は流れ、気がつけば俺達は三十歳を目前にしていた。
◆
「マネージャーも来るってさ」
「え?」
佐田岡の口から出し抜けに飛び出たその単語に、思わず自分の耳を疑う。
「だから、梨花ちゃんも来るって。こんどの野球部の飲み会」
「ああ……そうなんだ。来るんだ」
吉川梨花。久しぶりにその名を聞いた、かつての俺の恋人。
梨花と別れてから今まで、三人の女の子と付き合った。三人のうち二人は
佐田岡。俺の親友。
関西にいた四年間は直接会うことは少なかったものの、地元に戻って就職してからは再び親交を深め、週末になればこうして飲みに誘いあう仲だ。こいつがいなかったら、俺は失恋のショックからなかなか立ち直れなかっただろう。そのことは今でも感謝している。
佐田岡啓司。中学からの一番の親友。
当時流行っていたロン毛姿だった佐田岡は、大学に入ってしばらくするといきなり丸坊主になった。いったいなにをやらかしたのか、怖くてついに聞けなかったが……。帰省する度に金髪になったりモヒカンになったりと忙しかった佐田岡も、いざ就職となるとあっさり主義を捨て、今ではかつての面影はどこへやら。なかなかの好青年ぶりを見せている。まあ、どんな髪型でも中身は十代の奴のままだけど。
そんな佐田岡は社会人二年目の冬、電撃的な職場結婚を果たした。恋人の存在すら知らなかったある日突然、電話口で「山田ぁ、俺、結婚することになっちゃったよ」と告げられた時は、どれだけびっくりしたことか!
結婚式は奥さんの希望で、こじんまりとしたレストランを貸し切ってあげられた。懐かしい野球部の面々も集う中友人代表のスピーチをまかされた俺は、あぁこいつもとうとう結婚するのかと思うと感慨深く、つい男泣きしたもんだ。
なのに佐田岡ときたら、一年もたたずにあっさり離婚しやがった。理由は『相手が離婚したいと言ったから』、ちなみに結婚の理由も同じときたもんだ。俺の涙を返せ!
佐田岡というのは日和見的というか、相手まかせ風まかせというか、とにかく昔っからこういう奴なのだ。バツイチになった時にもケロッとした顔で、まるで他人事みたいだった。
そういえば高校の野球部も、特にやりたいこともないし、背が高いせいでバスケやバレーの勧誘がしつこいからという理由で俺にくっついて入部したんだっけ。そこが奴の良い所でもあるんだけど、せめて結婚くらいは髪型に注ぐ情熱の三分の一でも主体性をもってくれよな。
しかしあらためて考えてみると、こいつとは人生の半分以上のつきあいなわけか。まったく、俺も歳をとるはずだ。
「山田、聞いてる?」
懐古の念にひたってぼんやりとしていた俺は、佐田岡の声に一気に現実に引き戻された。
「わりぃなんだっけ?」
「なにぼやっとしてんの。まさかお前、まだ梨花ちゃんのこと引きずってんの?」
「なわけねぇだろ」
「だよな」
とは言ったものの──正直なところ、彼女との二年間を忘れるまでには随分と、それこそ一緒に過ごした時間の何倍もの時が必要だった。
俺の中の梨花の面影はいつまでも消えてくれなかった。十代の淡い初恋は、忘れるには綺麗すぎたんだ。思い返せば、他の女の子との交際が上手く行かなかった理由はそこだったんだろう。
さらに佐田岡は続けた。
「お前には悪いけど、江崎にも声かけてる」
「そりゃそうだろ、部員なんだから。なにも悪くないよ」
梨花もまた、風の噂で数年前に結婚したのだと聞いた。相手は野球部の後輩だった江崎だ。さすがにその話を聞いた時はショックだったけれど、そこではじめて彼女を諦めることができたのかもしれない。
いっそ仲睦まじい二人の姿を見れば、俺も次へ進めるんじゃないかと──
「二人、あんまり上手くいってないらしいよ」
手にしたグラスの中で氷が音をたてる。
「……なんでそんなこと知ってんだ?」
「噂で聞いた」
噂か。
噂ってやつは、どうしていつもこう、突然現れては遠慮なく人の懐をえぐっていくんだろうな。
幸せにやっていると信じていたのに。
「なんなら、略奪愛しちゃえばぁ?」
俺を覗き込むように頬杖をつく佐田岡の口調は軽かったが、その目つきは鋭かった。一瞬とまどう程に。
「馬鹿なこと言うなよ」俺は残っていた酒を一気にあおった。「そんな未練も金もねえよ」
「だよなぁ」
そうだ、未練なんてない。
口にした言葉をもう一度黙って繰り返す。梨花のことはもう完全に吹っ切ったんだ。
そのはずだ。
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