1997年:     

第1話(14)

 ずっと憎かった。


 俺はいつでも自分で自分の首を絞めて生きてきた。なにをしたってあいつが俺の方を向くわけがないのに、それをわかっていて俺は足掻き続けた。



「山田の奴、うまくやったよなぁ」

 ラクダのボヤキに、部員達はそろって苦笑する。

「今日も二人揃って居ねえし、まぁたデートですか」

 テーブルに足を投げ出しクダを巻くラクダに、まぁこれでも食えよと三好がアイスを差し出す。

「ありがとぉ、オレに優しくしてくれるのはキャプテンだけだよ……って食いかけかよ!」

 でも食うよありがとよ、とかじりつくラクダにバカ笑いが起こる。

「つうかさ、オレと山田のなにが違うんだよぉ」

「おもに顔だろ、顔」

 橋本が先週号のサンデーに視線を落としたまま茶化すと、その顔に食べかけのガリガリ君が飛んできた。

「つめった! なにすんだ、ってこれうまっ、何味?」

「あんず味だよ! つぅか俺のやったガリガリ君なに投げてんだよ、ラクダ百円返せ!」

「ぼったくりじゃねぇかよ」

「ぎゃははははは!」


 吉川が来てから、野球部内の雰囲気は変わった。最初はたしかに良い方へ向かっていた。動機はどうあれ、ほとんどの部員が持ち合わせていなかったやる気が生まれたからだ。

 だが吉川が山田と付きあうようになり、ムードは一変した。

 みんな、あわよくばと思って牽制しあう空気はあった。そこを山田がかっさらう形になって、しかも奴は交際をひた隠しにしている……思いきりバレてはいたが。

 当然他の部員達は面白くない。もともと進学校の落ちこぼれヤンキーの溜まり場だった野球部に、経験者が入部してきて野球の真似事をしはじめただけの掃き溜めだ。ともすれば二人のいない所でバッシングが起こった。

 そんな時、庇うのはいつも俺だった。


「まぁでもさ、顔で選んだわけじゃねえだろ。吉川さんも」

「顔で選ぶなら俺だもんな」

 珍しく部室に顔を出していた後藤の、冗談なのか本気なのかわからない言葉は全員にスルーされる。奴はまったくめげずに続けた。

「てか吉川さん相当モテるっしょ? そこんとこどうなの、幼なじみの江崎クン」

 急に話を振られた江崎が、お茶を配る手を止める。

「いやぁ吉川はナイっすわ、なんか見た目に反して性格がキツイんすよ。お高く止まってるっていうか」

 いやいや向こうもナイからとまた下卑た笑い。

「そういうけどさぁ、やっぱ可愛いは正義じゃん。付き合いたいじゃん。あ〜きゃわいいコギャルと付き合いてぇ〜」

 ラクダがまだグズグズと恨み言を言うので、俺は床で溶けるままだったガリガリ君を拾い上げゴミ箱に放ってから言った。

「そうガツガツしてんなよ、誰でもいいなら今度俺が女の子紹介するからさ」

 ガバッと身を起こすラクダと、その後ろで後藤達の目も輝く。

「えっマジ? さすが船高のキムタク!」

「ついでに俺も! 合コンしよキムタク!」

「う〜わ、マジでそのキムタクってのやめて。ヒくわ」

「お願いします、神様キムタク様〜」

 いつだって俺は山田を庇い続けていた。


 俺はなぜ山田を庇っていたんだろう。俺だって面白くなかったはずなのに。

 いや、実際の所、一番嫉妬していたのは俺だった。俺も一緒になって批難していれば、山田はさらに孤立して、二人の仲にヒビが入ったかもしれない。

 けれど、陰口を聞くとどうにも我慢できなかった。吉川のせいで部員達の関係が壊れるのはもっと許せなかった。

 そして、口にした言葉とは裏腹に、心の中は醜い感情が渦巻いていた。



 俺は二人を忘れようと、告白されるがままに女の子達と付き合っていたし、誘われれば誰とでも寝た。


「ねぇけいくん、聞いてんのぉ?」

「うん」

 苗字すらよく知らないナツミちゃんが、裸の背中をしつこく叩いてくる。こいつでいいか、ラクダに紹介するのは。

 いや、確かこの子はラクダと同じクラスだったか? さすがにマズいか。

「ねえ、まだちょっと時間残ってるし、もう一回しようよぉ」

 そう言って俺の髪をとってクルクルと弄び始めたので、その手をやんわりと止めさせる。

「う〜ん、疲れたからパスしていい?」

「はあっ?」

 フリータイム終了まで小一時間、急いでセックスするよりも少しでも寝ていたい。俺は背中を無視して、真白い布団を頭までかぶった。


 漂白剤と体液の匂いが、否が応でも脳内にあの朝の部室を蘇らせる。

 あの日の朝──朝練の部室ではち合わせた時のあいつらの態度。すぐにわかった。ああ、とうとうこいつらはヤったんだ。カマをかけたら案の定だ。あの鼻につく匂いといったら!


「ねぇちょっとぉ、オヤジ臭いこと言わないで起きてってばぁ」

 ナツミちゃんが布団ごとゆらゆら揺らすと、はみ出した足が寒い。

「ごめんねナツミちゃん、最近部活が忙しくて疲れてんだ」

「ナ、ツ、キ!」 

「ん?」

「ナツキだよ! なにそれ酷い、名前も覚えてないの? ねぇうちら付き合ってんだよね?」

「あぁごめん、うっかりしてた」

「マジムカつく。超サイアクなんだけど」

「ほんとごめんって、でも一個だけ聞いていい?」

「なに?」

「ナツキちゃんクラス何組だっけ?」

「もういい!」

 ナツキちゃんは怒ったままシャワーを浴びに行ってしまった。仕方ない、ラクダに紹介するのは別の子にしよう。


 一晩だけの相手、数カ月続いた相手──どんな子と付き合ってどんなセックスをしようと、結局同じことだった。

 女の子達は俺の外見とそれに相応しい空想めいた王子様にしか興味がないし、俺は女の子達のなににも興味が持てなかった。

 そろそろ悪行が知れ渡ってもいい頃なのに、別れたと知ればまた次の子が我こそはと部室棟裏に呼び出してくる。そろそろ疲れた。結局最後はムカつかれて終わるのに。

 いや、ムカつかれて当たり前だ。どんなに忘れようと努めても、射精さいごの瞬間に浮かぶのは、あいつの顔と後悔ばかりなんだから。



 誰もいない部室を自習室代わりに、ベンチに寝転んで数学公式集を眺めていると、オンボロドアが音をたてた。音がした方に目だけ向けると、江崎が顔を出してきょろきょろと中を見回している。

「ちわっす、今日は先輩だけっすか?」

「おう、でもそのうち山田は来るかも」

 あいつは誰も練習に来ないとわかっていても、一度は顔を出す。

「……ちょっと裏、いいっすか?」

 裏。なぜかうちの高校で定番の告白場所になっている、部室棟裏に呼び出される。

「いいよ」

 俺は参考書を閉じ、立ち上がって伸びをした。むろん愛の告白ではない。恋愛相談だ。


 俺と江崎は校舎と部室棟に挟まれたほんの数畳程度の空間に、校舎の壁を背にして腰掛けた。途中、棟に併設された自販機で買ったポカリを片方渡す。

「あざっす、俺から誘ったのになんかすみません」

「いいよ、ちょうど休憩しようと思ってたし。どしたの、またなんかあった?」

「いや、なにも無いっていうか……なにも無いからモヤモヤするっつうか」

 いつだったか、部活帰りの江崎に「お前吉川のこと好きなの?」と声がけた時の狼狽うろたえぶりったらなかった。吉川を目で追い続けている江崎に気づいたのは、多分俺だけだろう。半歩下がってついてくる後輩のことなんて誰も見ていない。

 それ以来秘密の共有者として懐かれたのか、何度か恋愛相談という名の愚痴を聞いてやっていた。

「あぁクソ、なんで山田先輩なのかな。これが佐田岡さんだったら、あんなカッコイイ先輩なら仕方ねえなって俺も諦められるのに」

「ははは、持ち上げすぎ。吉川さん真面目にマネージャーやってたから、真面目に練習やってる山田に惹かれたんでしょ」

 片手でペットボトルを弄びながら、もう片方で髪の束をいじる。

「わかってるんすよ、高校入って派手になったけどあいつ根は真面目だから。ふざけたりサボったりするのが許せないんでしょうね」

「お前も真面目に野球してみたら?」

「俺は……小学生の頃はプロになりたいって思ってましたけど。でも中学選抜に選ばれるような奴ってもう根本的なレベルが違うじゃないですか。そいつらも高校に行ったら埋もれていくし、その上のプロに行けるのなんて本当に一握りっすよね。俺なんて所詮おままごとだなって気づいたらそれから野球が楽しくないし、練習も身が入らなくて」

 返事せずにじっと見つめると、江崎はため息をついて「そんなの言い訳っすね」と付け足した。

「なあ、俺たちはそろそろ引退するじゃん。お前どうすんの、部活」

「一人じゃ試合も練習も出来ないし、来年は受験だし、辞めるつもりっすけど」

「吉川さんは部員がいる限りマネージャーを続けるんじゃないかな」

 あれ程の負けず嫌いが途中で引き下がるわけがない。

 江崎はポカリを飲む手を止め、俺の言葉を待った。

「だからさ、この一年はチャンスだと思うよ。さすがに一人じゃ試合はできないけど、プロになるためじゃなく恋路のためなら頑張れるんじゃないの? 一年間お前の頑張りを一番近くで見せてみたら。俺はなにか変わると思うよ」

 江崎は目を見開いて、二度強くうなづいた。


 吉川はわかりやすいものが好きだ。

 高校に上がれば今時の女子高生らしく派手になり、野球部のマネになれば野球部らしくスポ根する。俺のように見た目だけの、なにか裏がありそうなやつにはきっとタダでは惹かれない……。

 山田が吉川に一目惚れしたことはすぐにわかった。そんなものは俺でなくてもわかるくらい、山田はわかりやすい。好きなものを真っ直ぐに好きになる。

 だからこそ当時、吉川の眼中に山田がいないこともわかった。山田が自分に惚れたことに、全く気づいていなかったからだ。

 それで俺は油断していたのだと思う。吉川がわかりやすいものが好きだ、と気がついていたのに。

 吉川が山田への恋を打ち明けてきた時、俺がどんな思いで聞いていたかわかるか? よく俺にそんなことを言えるな。明るい声で。ニコニコと遠慮なく笑って。おかげで俺は、得意の嘘さえつけなかった。

 吉川が山田に告白したのは、その直後のことだろう。俺が部室に顔を出すと、吉川が一人で部誌をつけていたあの日。

「山田先輩ならもう帰っちゃいましたよ。私もこれを書いたら帰ります」

 そうなんだ、と信じて回れ右をした俺が迂闊だった。嘘つきは俺一人ではないのだから。

 翌朝、始終上の空だった山田の態度と、それを見つめる吉川の表情に、なにかあったと気がついたのは当然俺だけではなかった。


 俺が引き千切れそうな思いで過去を悔やんでいる間、江崎は決心したのか勢いよく立ち上がり、よし、と気合を入れて頬を叩いた。

「ありがとうございます、なんかやる気でました」

「それはよかった。またなんかあったら相談に乗るよ」

 俺もボトルの蓋をしめ、よいしょと立ち上がる。

「でも、佐田岡先輩って山田先輩の親友なんすよね。なんで俺にこんな協力してくれるんですか?」

 俺はケツについた砂を払うと、笑った。


 だって嫌いだから。



 山田太一。中学からの俺の親友。

 吉川梨花。山田の初めての彼女。


 今でも山田はあの時期のことを知らない。そう、山田はいつでもなにも知らない。あいつの中では、俺たちは今も昔も仲良し弱小野球部だ。

 そして俺が二人を庇いながら、優しいふりをして、相談にのるふりをして、時には道化役を演じながら。涼しい顔で胸の内では最低な言葉を吐いていたことは、誰も知らない。



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ノート:佐田岡による登場人物紹介

https://kakuyomu.jp/users/sasakinano/news/16817139558844569902

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