2話、捨てた罰
二つの木のカゴを箒にぶら下げつつ帰宅し、ため息を吐きながら家の中に入る。何も入っていない木のカゴは雑に床へと置き、捨て子が入った木のカゴは、テーブルの上に置いた。
その間にも捨て子は一向に泣き止む事はなく、耳を
「腹が減ってるのか」
答えであろう言葉を呟く私。流石に赤ん坊が食べる物ぐらいは知っている。粉状の乳。それを人肌の温度程度のお湯に溶かしたミルク。
当然、そんな物は私の家に無い。探すまでもなく、確信が持てるほどに。魔物の鱗や目玉が食えるのであれば、すぐにでも食わせてやるものの。
ミルクしか飲めないという事は、私は街に行き、ミルクとそれを補助する為の道具を買わなければならない。
ドワーフが英知を集めて作った、飲み口が女性の乳首の形に近い容器。替えの服。おしめ。それに、赤ん坊を育てる順序が記された本も。
金はそれなりにある。八十年前、街に住んでいた時に貯めていた金貨、銀貨、銅貨。知性がある魔物を倒した際、部位と共に持ち帰った金貨等。
まさか八十年の時を経て、大切な彼を生き返らせる前に、街に戻る羽目になるとは。正直に言うと行きたくない。
ただ単純に面倒臭い。そして、まだ街に戻りたくない気持ちも多々ある。だが捨て子を泣き止ませるには、腹を満たす以外の事は思い付かなかった。
「だからなぜ、私がこんな事を……」
今日二回目の愚痴を零し、二度目の外へ出る。濃霧はやや晴れ始めているが、結局は鈍色の木々がよく見える様になっただけ。色付きが少ない光景は依然としてそのままである。
重い腕を上げて漆黒色の箒を召喚し、腰を下ろして宙に浮く。わざわざ
目の前で鬱蒼と茂っている雑木林に入り、人の足跡が入り交じった獣道を進む。そして、安全とも言い難い街道に出て、着ている黒いローブに付着した砂埃を手で払う。
あとは道なりに己の足で歩み、私が住んでいた街に行く。別に姿を変える必要も、消す必要もない。
なぜなら追われ身でもなければ、賞金首にもなっていないからだ。ただ、私が魔女である事を他者に知られたくないだけ。
私は大切な彼と、彼を殺した奴らを葬ってしまったが、その現場を誰かに目撃された訳じゃない。
ただ二度死んだ彼を生き返らせる為に、法外な新薬と魔法の開発がしたくて、自ら“迫害の地”に逃げ込んだだけである。
だからこそ健全者達が居る街を、悠々と我が物顔で歩く事が出来る。なんなら住む事も可能だ。だが、それはしない。大切な彼を生き返らせるまで取っておく。
左右に緑が生い茂った山肌が、圧迫感を与える道を淡々と進んで行くと、何者ともすれ違わないまま街の入口に到着した。
屈強な面構えで佇んでいる城門に足を踏み入れ、陽の光を遮る石レンガで作られた通路を抜けると、活気に溢れた街内へと出る。
「八十年も経てば、色々と変わってるもんだな」
懐かしさを与えない様変わりした街並みを目にしたせいか、口から自然と感想が漏れ出した。
土が剥き出しになっていた地面は、全面クリーム色のレンガが敷き詰められ。目に入る範囲には、多種多様の飲食店らしき建物が軒並み連なっている。
そこでは種族が違う者達が、平和ボケした顔で飲み食いしていたり、陽の光を浴びながら寝ている者もいた。
左側に顔を向ければ、整備された白い階段がある。更に見上げてみると、遥か遠くで薄っすらと霞んだ場所に、この街の繁栄を見守っている巨大な城が見えた。
「前はあんなに大きくなかったはずだが、建て替えたのか?」
次々に独り言を呟き、右側に目を送る。そこには浜辺に続く道があり、地平線の彼方では、青い空と交じり合う海があった。
あそこには絶対に行かない。浜辺をずっと左側に進んで行くと、その内、彼が二度死んだ誰もいない穴場の浜辺に出る。
私にとって、思い出深い場所でもあり、重苦しい罪悪感が生まれた空間であり、“迫害の地”に行く事を決意した忌々しい禁足地だ。
「……まだあの浜辺には、焼き焦げた跡が残ってるんだろうか?」
八十年前の記憶の断片を思い出し、ちょっとした興味本位が芽生えるも慌てて首を振り、今言った事を全て否定する。
そして浜辺から遠ざかる様に、左側にある白い階段を上った。上の階層も、私が僅かに覚えている街の構造を吹き飛ばすが如く、見知らぬ建造物が立ち並んでいた。
こうなってくると、八十年前の私の記憶は当てにならない。適当に聞いた方が早い。そう決めると、私は近くに居た獣人族の男に声を掛けた。
「すまない。とある店を探してるんだが」
「ん、どの店ですか?」
「赤ん坊を育てる為の道具が売ってる店だ」
「ああ、それなら……」
気さくな獣人族の男が後ろを振り向き、そのまま背後にある道を指差す。
「この道をまっすぐ行けば中央広場に出るから、その中央広場にある城に続く階段の脇にありますよ」
「なるほど、分かった」
説明を終えると獣人族の男は笑みを送ってきたが、私は頭を軽く下げてその場を後にする。なるべく目立ちたくないので道の端を歩き、中央広場に向かっていく。
足を進める度に人の数が多くなり、行く手を阻む短い壁が増え始めた。
あまり道を譲るのも気に食わないが、争い事は避けたいので仕方なく私が進行方向を変え、更に足を運ぶ。
人の壁を避けつつ中央広場に出ると、途端に喧騒が段違いに膨れ上がり、数多の他種族達が同じ場所に居る光景が目に飛び込んできた。
長椅子に座り、光合成か日向ぼっこをしているドライアド。二列に並んで走っているゴブリン達。子供をあやすつもりが、逆に泣かせて親に叱られているウェアウルフ。
もちろん人間もいる。その中に、
空を仰いでみれば、気ままに空を駆けているハルピュイアやドラゴン。透き通った声で歌を歌い、笑い合っている妖精達。
人間、獣人、魔物、妖精。分け隔てなく同じ空間にいる。全員が全員、危機感の無いのほほんとした顔でいた。
殺し合いが無ければ、解読困難な罵詈雑言も飛び交っていない。たぶん、これが普通なのだろう。八十年も迫害の地にいたせいか、平和というものをすっかりと忘れていた。
争い事が無く、死の匂いを一切感じない日常。これが普通だ。八十年前の私も、この普通の中にいた。今は、全てが異常な迫害の地にいるが。
平凡な日常に溢れた光景に黄昏た後。目的地である、赤ん坊を育てる為の道具を取り揃えた店に向かう。
平和な空間に紛れつつ歩いている道中、掲示板に貼られた何気ない貼り紙に目をやる。
王のありがたい啓示。新たに使用を禁じられた魔法の一覧。周辺の街や村の些細な出来事。つまらない記事ばかりだが、一つだけ気になる物を見つけた。
『九百九十九人を無作為に殺害した悪の英雄、『アンブラッシュ・アンカー』が突如として姿を消してから八十年! 永遠の命を手に入れて雲隠れか!?
王のありがたい啓示と同等程度に大きな記事だ。もじゃもじゃと黒髭を生やした汚い面の絵の下に、懸賞金の額が記されている。その額、金貨九百九十九枚。
もしこの『アンブラッシュ・アンカー』がもう一人殺せば、懸賞金は金貨千枚になるのだろうか?
これは、人一人の命が金貨一枚程度であると言っている様なもの。懸賞金の額を決めた奴の趣味が悪い。
他の記事は適当に流し読みし、再び目的の店に向かう。城へと続くやたら幅が広い中央階段の前まで来て、階段脇にある、赤ん坊達が和気あいあいとしてる看板が立った店に入る。
やや乳臭い店内では、明るい未来を想像して微笑み合う夫婦。腹がでかでかと膨れた妊婦。
いやらしい顔で棚を物色している客。そして、赤ん坊の泣きじゃくった
視覚、聴覚から入る情報全てが不愉快だ。品定めは店員にやってもらい、必要最小限の物を買ってとっとと帰ってしまおう。
受付に店員以外の人が居ない事を確認し、そそくさと手ぶらで近づいていく。
「粉状の乳、おしめ、替えの服、粉状の乳をあげる為の器具と容器。それと、赤ん坊を育てる順序が記された本を適当にくれ」
「えっ……? あっ、は、はい。あの、失礼ですが、赤ん坊の性別は……?」
「は? 性別?」
店員の予期せぬ質問に、抜けた声でそっくりそのまま言葉を返す私。
「はい。男の子か女の子、どちらになりますかね?」
性別。しわくちゃにさせて泣いている顔しか見てないので、まったく判別がつかない。
どうせ、服の色が違うとかそれだけなはず。なら、適当に言っても構わないだろう。
「……女だ」
「女の子ですね、分かりました。少々お待ち下さい」
そう告げた店員は急いで受付を出て、不愉快な空気に染まった店内に消えていった。早く帰って来てくれないだろうか。赤ん坊の大きな泣き声のせいで耳がキンキンする。
耐え難い騒音に耐えつつ、店員が消えた方向に目をやり続ける。長く感じる一分、二分と待ち続けていると、息を切らした店員が指定した物を持ちながら走ってきて、受付内に戻って来た。
「ハァハァ……。お、お待たせしました! 銀貨二枚、銅貨十八枚になります!」
金額を言われて、小袋から指定された枚数を出すと、店員は銀貨と銅貨の枚数を数えつつ、売れた物を布袋に詰めていく。
替えの服は薄いピンク色をしていた。もし男と言った場合、服の色は青とかになっていたのだろうか?
腕を組みながら考えていると、売れた物を全て詰められた布袋を手渡された。それなりの重さを感じる。
これを己の力のみで
一先ず目的を果たしたので、早々に店を出る。気さくな獣人族が居た所まで戻った頃には、腕は既に痺れ始めていた。
魔法で布袋を浮かせたい気持ちを我慢しつつ城門を抜け、腕を小刻みに震わせながら針葉樹林地帯を目指して歩く。
「……今日は、厄日だな」
今日三度目のボヤき。まだまだ言えそうだ。そのまま針葉樹林地帯の入口まで戻ると、辺りに人が居ない事を確認し、軽さを覚えた手で漆黒色の箒を召喚。
すぐに箒の先端に布袋をぶら下げるも、それなりに疲れたので、低空飛行で針葉樹林地帯に入った。
そして、入って数十秒が経った頃。違和感がある白骨死体が目に映り込んだ。
食われてから間もないのか、骨はやや湿っていて、入口に向かって右手を伸ばしている、そんな白骨死体。
たまたまその方向に手を伸ばしているだけなのだろうが、そことなく未練を感じる。死ぬ為ではなく、別の目的でこの地に足を踏み入れた様な、酷く強い未練を。
ここで私は、この白骨死体を捨て子の親だと予想した。たぶん間違いない。捨て子が居た距離とそこまで離れていないので、捨てた後にすぐ、私が凍らせた狼達に食われたのだろう。
「赤ん坊を捨てた罰だと思え。あの世で一生後悔してろ。だが、少しだけそこで待ってるがいい。どうせ、お前が捨てた赤ん坊も、早々にそちらへ向かう。残念だったな。わざわざ手紙を用意したようだが、育てるつもりはまったくない。お前の苦労は水の泡、無駄死にだ」
厄日の元凶である白骨死体に捨て台詞を吐くと、私は家を目指し、飛んでいる速度を速めて家に戻っていった。
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