4話、慣れていく手際
捨て子の親であろう白骨死体に捨て台詞を吐いてから、既に数週間が経った。
その白骨死体が捨てた赤子は未だ健在で、昼夜問わずに飯を寄こせと、三時間毎にぐずり出している。
ここまで来ると、私は捨て子が起きる前に粉ミルクを用意しており、与えては三時間という短い合間を縫って、新薬、新しい魔法の開発に勤しんでいた。
替えの服とおしめを取り替えるのも、今では慣れたものだ。捨て子がどんなに元気よく動こうとも、十秒以内に取り替えられている。
糞尿もそう。魔物や獣の腐敗した死体の刺激臭に比べると、どういった事はない。可愛いものだ。
しかし、使用済みのおしめを洗うのは面倒臭いので、魔法で可能な限り圧縮し、そのまま捨てている。
最初は愚痴ばかりこぼしていたが、習慣となって体に馴染んでしまえば、その愚痴の数も少なくなっていった。違和感が無くなった習慣、慣れとは恐ろしいものである。
最早、捨て子が居る生活が当たり前になりつつすらある。だが、決して長くは持たない。その内、何かしらの拍子で捨て子は死ぬだろう。
私はただ、その時を待っているだけでいい。二つ目の罪悪感を背負く事無く、私の手に負えない何かで捨て子が勝手に死んでいく瞬間を、ただ待つだけいい。
「飯だ、飲め」
今日も捨て子がぐずり出す前に、待っていた私は捨て子に粉ミルクを与えた。ここ最近、捨て子の青い瞳から涙が零れ落ちる様を目にしていない。
粉ミルクを与えている時は何も出来ないので、その間は頭を空っぽにし、ただひたすらに捨て子の透き通った青い瞳を眺めている。
捨て子の瞳を見ていると、同時に思い出す事があった。八十年前もの古ぼけた記憶。
鮮烈な青さを誇りながらも透明度が高く、どこを見渡しても海底が見える砂浜に居る私。
そしていつも私の隣には、結婚を誓った大切な彼が居た。太陽よりも眩しく笑い、海よりも広い心を持っている、私の心の支えであった彼が。
当時の記憶が鮮明になってきたせいか、目を瞑ってみれば、海のさざ波が微かに聞こえてきた。
だが、その耳を癒してくれる音は、一つの終わりを告げる音に掻き消される。
「けぷ」
「む」
潮風の匂いすら感じてきた所だったのに、捨て子のゲップにより現実に引き戻された。
当時の記憶が遠ざかる様に霧散し、閉じていた目を開けてみると、満足気な表情をしている捨て子が映り込んだ。
「けぷ」
「もう飲んだのか。それにゲップまで」
粉ミルクが入っていた容器に目を移すと、既に空になっていた。食う寝るを繰り返しているだけだというのに、よくもまあこんなに飲めるものだ。
いつもならこの後、捨て子はすぐに眠ってしまうが、ここ最近では違う行動を示す様になってきた。それは私が傍から離れると、途端にぐずり出す事。
捨て子の視界にさえ入っていればぐずらないが、容器を洗う為に離れるとぐずり始め、すぐに泣き出そうとする。
粉ミルクを飲んで腹が満たされたばかりなので、原因は未だに不明。だが、私が傍に居るか、視界に入ってさえいればぐずらない。
なので、風魔法で捨て子を宙に浮かし、常に私が視界に入る様にさせている。これならば、今の所絶対に泣き出さない。だから、捨て子が寝るまで浮かばせている。
それでも寝ない時は、物や壁にぶつからないよう低速で飛ばし続け、仕方なくあやしている。
だが、これはあまり効果が無い。逆にはしゃいでしまい、ずっと笑っているからだ。
笑うという事は、興奮している。興奮していれば、眠気が飛んでしまう。眠気が飛んでしまえば、ずっと宙に浮かばせておかねばならない。
「きゃっきゃっ」
「まだか? さっさと寝ろ」
下手したら、一回につき一時間以上飛ばしている時もある。酷い時には二時間以上。一度だけ、次の飯の時間まで飛ばしている時もあった。
このせいで、私の自由時間が極端に減っている。朝だろうが昼だろうが夜だろうが、深夜だろうが関係ない。捨て子の気分次第で、私の自由時間の有無が決まる。
別に、薬の副作用のせいで食事、睡眠をしなくても問題無い体になっているので、夜通し相手をするのは平気だが、自由時間が無くなるのだけは勘弁してほしい。
これでは、新薬、新しい魔法の開発がまったく出来ない。
薬の副作用で中途半端な不老も手に入れているので、時間は限りなく無限にあるが、無駄に消費をしたくない。
捨て子を拾ってから、私は無に等しい数週間を消費した。ただ捨て子を育てただけの時間。今の私にとって、これほど無意味な事はないのだ。
早く新しいあやし方を見つけねば。今は粉ミルクを与えるか、風魔法で体を浮かせ、寝るまで飛ばす方法の二種類しかない。もっと手軽で、もっと早く寝る方法を探さねば。
目を布で覆って視界を遮る。これはダメだ。捨て子は私が視界に入ってないと泣き出してしまう。
耳を塞いで音を遮断。あまり期待が持てないな。目が見えていれば、その情報で興奮しかねない。
睡眠を促す薬を開発し、捨て子に与える。いや、これはやめておこう。私が作った薬は、飲むまで効果が分からず、変な副作用も多い。
そのせいで、致命傷を負わなければ死なない中途半端な不老の体。肌で温かさや寒さを感じ取れなくなり、それと睡眠、食事も不要になってしまった。
だからこそ時間に縛られる事無く、二十四歳の若さを保ったまま、八十年もの月日を送れた。
成果はほとんど無い。あるとすれば、無意味に強くなってしまった事ぐらいだ。
「うっ、ううっ……」
「む、ぐずり出したか」
とうとう私が視界に映っていようが、捨て子はぐずり始めてしまった。まずい。粉ミルクを与えてもなお泣き続けられると、集中して新薬と魔法の開発が出来なくなってしまう。
「……試したくなかったが、やってみるか」
捨て子を泣き止ます為に考えてはいたが、どうしてもやりたくなかった事がある。それは、捨て子の体を抱きしめる事。
単純に疲れる。捨て子を極力触りたくない。ただそれだけの理由。だが、延々と泣かれるのも困るので、背に腹は変えられない。嫌々試すとしよう。
指一本で指招きをし、飛んでいた捨て子を私の体に向けて飛ばす。
今にも泣き出しそうでいる捨て子が、椅子に座っている私の太ももに乗ると、私はそのまま両腕を背中に回して抱きしめた。
すると途端に捨て子は泣き止み、
捨て子の顔を覗いてみると、カゴの中で寝てる時よりも穏やかな寝息を立てていて、微笑みながら寝ていた。心なしか嬉しそうにも見える。
「ほう、すぐに寝たか。……仕方ない、数秒耐えればいいんだ。寝たらすぐにカゴに戻し……、む?」
起こさないよう捨て子を再び浮かせ、木のカゴまで飛ばそうとするも、何故か私が着ていた黒いローブが引っ張られた。
「……まさか」
たぶん当たるだろうと予想しつつ、視線を捨て子から私のローブへと向ける。そして目に入ってきた光景を確認し、私の予想は的中した。
捨て子の手が、私の黒いローブをガッチリと掴んでいる。しかも、無理に離そうとすればするほど力が強まっているようで、決して離そうとはしない。
捨て子は確かに寝てる。だが、魔法でゆっくり指を開こうとするも抵抗され、余計に力を込めていっている。
「邪魔過ぎる……。これだと、動く事すらままならないじゃないか……」
小さなため息と、諦めを含んだ愚痴をこぼす私。こうなるのであれば、まだ宙で遊ばせていた方が遥かにマシだった。
ローブは胸元部分を掴まれているせいで、何をしようとしても捨て子が邪魔になる。何も出来ない。行動の大半が制限されてしまう。
どう足掻いても捨て子はローブを離そうとしないので、完全に諦めた私は、浮いてる捨て子を胸元まで戻し、魔法を解除して抱っこし直した。
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