13話、決めたばかりの事なのに

「む?」


 街へ夕飯の買い出しに行き、帰路に就いて家に戻って来ると、濃霧のせいで微かであるが、家の周辺に転がっている複数の異物が見えてきた。

 乗っている箒の速度を速めて家に近づき、地面に下りて異物の正体を確認してみた。数は三匹。共に蜂の姿に似た大型の魔物。


 二匹は既に絶命している様だが、一匹だけは突出した腹部を痙攣させ、死ぬ瞬間を待っている状態。

 誰かと戦闘でもしていたのか、尻先からは長くて鋭い毒針を覗かせ、その先から毒々しい紫色の液体が滴っている。

 そいつの腹部には三本の鋭利な切り傷が付いていて、緑色の体液と内蔵が飛び出していた。この三本の切り傷には、どこか見覚えがある。


「この傷跡は、たぶんヴェル―――」


「グルァァァアアアッッ!!」

「キャーーーッ!」


 傷跡を付けた犯人の名前を口にしようとした途端。

 背を向けていた私の家から、濃霧を吹き飛ばさんとするけたたましい咆哮と、聞き慣れた声の悲鳴が飛んできて、私の独り言を掻き消した。

 後ろを振り向くも、二度目の咆哮と悲鳴は発せられず、辺りは静けさを取り戻し、周りに居る虫達が疎らに鳴き出していく。


「なんで、ヴェルインが私の家に? ……まさか」


 先に聞こえた咆哮は、間違いなくヴェルインの物。そして後を追って来たのは、サニーの甲高い悲鳴。予想出来る事と言えば、ただ一つのみ。


「さては、サニーを食い殺したな?」


 そう考えてみれば、全てに合点がいく。私が出掛けたのを見計らい、家に入り込もうとする前に、蜂の魔物に襲われたのだろう。

 難なく三匹共、八つ裂きにした後。家に侵入し、悲鳴を上げたサニーを食い殺した。これだ、これに違いない。

 普通に遊んでいるであれば、サニーは間違ってでも悲鳴など上げない。二つ目の悲鳴が上がらない所を察するに、頭から食われたな。


 全ての経緯が分かるも、私の頭や心からは何も湧いてこなかった。揺るがない冷静さを保っている。

 同時にこの二年もの間、サニーをただ育てていた事だけだとも理解出来た。特別な感情も、愛着すら湧いていなかったみたいだ。


 これでようやくサニーから解放され、私は再び独りになった。二つ目の罪悪感を背負う事無く、自由の身になれたんだ。万々歳じゃないか。

 また、新薬と新たな魔法の開発に専念出来る。材料の調達も、昼夜問わず行ける様になれる。大切な彼を生き返らせる為の活動を、ようやく再開出来るのだ。


「おのれ、よくもサニーを……」


 私は今、自分で何を言ったのか分からぬまま、鈍色の夕焼けに染まった家に近づいて行った。扉の前まで来ると、視界に赤みを帯びていき、意識がだんだんと遠のいていく。

 購入した食材が入った布袋を持っていた右手が、不意に軽くなる。右側からパチンという音が聞こえ、赤い視界の中に、燃え盛る何かが映り込んできた。

 目の前にあった扉から砕けんばかりの音が鳴り、視界が勝手に進み、家の中に入っていく。


「――――――――――――――たな? 絶対に許さん。骨すら残さず焼き尽くして―――」


「グルァァァアアアッッ!! ……ん?」

「わーいっ!」

「親分だけズルいっすよ! 俺達も早くサニーちゃんを背中に乗せ……、あっ……」


「―――やる……、は?」


 赤に染まった視界に入り込んできた光景に、腑抜けた声が飛び交い、燃え盛る何が消えていった。

 四つん這いになり、私に顔を合わせているヴェルイン。そのヴェルインの背中の上で、満面の笑顔ではしゃいでいるサニーの姿。

 そして二人を囲いつつ、私に怯えた表情を向けてきている、ヴェルインの取り巻きが数匹。

 私を含めて全員が沈黙を貫いていると、はしゃいでいたサニーが私の存在に気が付き、「あっ!」と声を出した。


「まま、おかえりっ!」


「……あっ、ああ、ただいま」


 食い殺されたはずのサニーが手を振ってくると、遠のいていた意識がハッキリとしてきて、赤に染まっていた視界の色が戻っていく。


「よう、放任野郎。やっと帰ってきたな」


 四つん這いから伏せの体勢に変えたヴェルインが、背中から下りていくサニーに目を配りつつ言う。


「放任野郎? 私に言ってるのか?」


「ああ、てめぇに言ってんだよ。サニーちゃんをほったらかしにして、一体どこに行ってやがったんだ?」


「夕飯の買い出しだが」


 サニーが床に下りると、私に居なくなった理由を聞いたヴェルインが立ち上がり、やや細まった右目で睨みつけてきた。


「買い出しだぁ? てめぇよお、せめて扉の鍵ぐらい掛けてから行けよ」


「鍵は元々付いてない」


「なら、明日にでも付けやがれ。自分で扉を開けたのかは知らねえが、サニーちゃんが外に出てて、魔物に襲われかけていたんだからな? 俺達が助けなければ、今頃サニーちゃんは死んでいたかもしんねえんだぞ」


「はっ? サニーが……?」


 説教とも取れるヴェルインの発言に、私は言葉を失う。それが本当なら、私が予想した内容と、まったくの真逆じゃないか。

 そうなると、サニーは絵を描くのをやめて外に出て行き、魔物に襲われかけていた所をヴェルインが助け、私が帰って来るまでの間、サニーと戯れていた事になる。

 私は、ヴェルインがサニーを食い殺したと予想していた。だが、その予想は見事に外れてしまった。サニーはちゃんと生きているし、なんならヴェルイン達と馴染んでさえいる。


 となると、ヴェルインはサニーの命の恩人になってしまう。これはこれで面倒臭い形になってしまったが、サニーの命を救ってくれたのだ。感謝でもしておこう。

 まだ信じ難い事実を受け入れ始めると、私の傍まで駆けてきたサニーが足に抱きついてきて、元気な顔を上げてニコリと微笑んだ。


「ままっ。もじゃもじゃさんが、サニーといっぱいあそんでくれたよ」


「……そうか、よかったな」


 サニーが生きている。湧いてきた実感を肌で噛み締めながら、小さなため息を吐く。

 このため息の意味が、サニーが生きていて安心したからなのか。実は死んでいなく、落胆した気持ちが篭っていたのかは分からないが。

 念には念を入れて、ヴェルインが言った事が真実なのかどうかを確かめる為、私はその場にしゃがみ込み、サニーの顔を見据えた。


「サニー、一人で外に出たのか?」


「うん。ままがそとにでてったから、おいかけていったの」


 出掛ける前の私は、サニーが絵を描いているのに夢中になっていると判断し、放置して外に出て行った。

 その思い込みがいけなかったようだ。もしヴェルイン達が来ていなければ、サニーは蜂の魔物に殺されていただろう。次から気を付けなければ。

 だが、その後の出来事も気になる。サニーは素直だ。決して嘘を付かない。私はヴェルイン達に顔を向けてから、サニーに顔に戻す。


「あいつらは、お前を助けてくれたのか?」


 私が一番気になっている質問に対し、サニーは金色の髪の毛を揺らしながら首を横に振った。


「わかんない」


「分からない?」


「うん。もじゃもじゃさんのひとりがサニーをだっこして、おうちのなかにいれてくれたから」


 もじゃもじゃの一人。たぶん、取り巻きのどいつかだろう。つまり、外に出ていたサニーを安全な家の中に入れた後、ヴェルインが魔物を処理。

 そして私が帰って来るまでの間、ヴェルイン達がサニーの面倒を見ていてくれていた。これが真実。私が買い出しに行っている間の経緯だったのか。

 となると、ヴェルインが言った事も全て正しくなる。あいつは何も嘘を付いていない。私が勝手にそう思い込み、勘違いしていたまでの事か。


「あいつらと遊んで楽しかったか?」


「うんっ! とってもたのしかったよ!」


 私の最期の質問に、屈託のない笑顔を送ってくるサニー。私は「そうか」だけと言って立ち上がり、ヴェルイン達が居る方に体を向けた。


「どうやらサニーを助けてくれたようだな、礼を言おう」


「そう言ってんだろうが、ったく。右手に火柱上げて物騒な事言いながら入ってきやがってよお、何事かと思ったぜ」


「む、私はなんて言ってたんだ?」


「あ? ……あ~」


 ヴェルインもうろ覚えなのか、前足を顎に添え、視線を天井に持っていく。


「……骨すら残さず焼き尽くしてやる~、みたいな事を言ってたな。その前は聞き取れなかったが。自分で言っといて覚えてねえのか?」


「分からん、記憶が曖昧だ」


 私はそんな事を言っていたのか。正直に言うと、家に入る前からの記憶が一切無い。なぜ火柱なぞ出していたのだろうか?


「……まあいい。そんなのは忘れてやるから、話を戻すぞ。扉に鍵を付けろ。じゃないと、またサニーちゃんが一人で外に出て行っちまうぞ」


「どうやって付ければいいんだ?」


「うっ……。それは、だな……」


 答えが出せないのか、ヴェルインはそのまま黙り込んだ。

 扉に鍵を付けられるとすれば、建築の技術を持っている者だろうが、生憎、迫害の地にそんな技術を持った奴はいないだろう。

 街から連れて来る訳にもいかない。もしかしたら、火山地帯かどこかの洞窟にドワーフが居るかもしれないが、扉に鍵を付ける為だけに探すのは億劫だ。

 腕を組みながら表情を歪め、必死に答えを出そうとしているヴェルインが、何かを思い付いたのか、前足をポンッと叩いた。


「レディ。お前、いつ買い出しに行ってんだ?」


「夕方頃だ」


「そうか! なら、その時間帯と定期的に、俺がお前の家に来てだ、サニーちゃんの面倒を見てやろう」


「なに?」


 あまりに予想外なヴェルインの提案に、私の視界が狭まった。私にとってかなり破格な提案であるが、突然そんな事を言われて、すぐに頼める訳がない。

 そもそもの話。サニーの面倒を他人に任せたくないし、なによりも信用出来ない。ヴェルインは元々、アルビスが君臨している山岳地帯の守護者だ。何か裏があるかもしれない。


「どういう風の吹き回しだ?」


「単純に暇なんだよ。ずーっとアジトに居て、ずーっとぼーっとしてる毎日が退屈でねえ。あそこに居るぐらいなら、サニーちゃんの相手をしてる方がよっぽどマシだ」


 ヴェルインが愚痴に近い理由を明かし、肩をすくめる。


「山岳地帯の守護はどうするんだ?」


「そんなの、やりたくてやってる訳じゃねえ。アルビスが勝手に決めた事だ。よく考えてみろレディ? アルビスはめちゃくちゃ強えし性格が最悪。そして、そいつが居る山は信じられねえ程に高え。お前は、そんな山に登ってみたいと思うか?」


「思わない」


 即答で返す私。頂上が見えない道無き絶壁を這い上がり、体力も気力も、精神力も擦り減った状態で登り切ったかと思えば、目の前に居るは空の王である、ブラックドラゴンのアルビス。

 登頂し切ったという達成感と満足感。限界を迎えた頭と体で味わう余韻。登った者だけが見渡せる景色を拝む前に、その者はアルビスに殺されるだろう。

 アルビスと戦う為に登ったとしても、空を飛べる者でなければ、結果は言うまでもない。


「だろう? だから、あそこに守護者なんか必要ねえのさ。アルビスなんて野放しにしてても、まったく問題ねえ。しかし! サニーちゃんは別だ。護る者がもっと必要だろ? 俺に任せとけ」


 是が非でもと言わんばかりの表情をし、親指で自分を指差すヴェルイン。サニーの面倒を見たい理由はなんとなく分かった。

 しかし、何故ここまで協力的なのかが理解出来ない。暇だから護ってやると言っても、それだけの理由で任せられるはずがない。


「信用出来ないな」


 率直な本音を口にすると、ヴェルインは露骨に長いため息を吐き、肩を落とす。


「信用出来ないだあ~? サニーちゃんの命を救い、だらしねえお前が帰って来るまで面倒を見てやってたんだぞ? これ以上に何を求めろってんだ?」


「む……」


 痛い所を突かれてしまった。今日起こった出来事の発端は、私の思い込みのせいでもある。それにサニーを食い殺すのであれば、いつでも出来たはずだ。

 だがヴェルインはそれをせず、私が居ぬ間にサニーを助け、面倒まで見てくれていた。これ以上求める物も無ければ、信用を得るには充分値してしまう。


「お前は、それでいいのか?」


「ああ、いいぜ。退屈で死にそうだから、なんなら毎日見てやるよ」


「毎日……」


 自信が篭ったヴェルインの発言に、私の心が一瞬揺らぐ。毎日面倒を見てくれるのであれば、私の自由時間が一気に増える。

 そうすれば、材料の調達も出来、新薬と新たなる魔法の開発が何の気兼ねなく再開出来る。今の私にとって、これ以上に無い夢の様な発言だった。

 ヴェルインは強い。私を省いたら、沼地帯でこいつに勝てる者は居ないだろう。

 この前休息する事を決めたばかりなのに、私の心は簡単に傾いてしまい、その決めた事が霧散していった。


「なら、死ぬ気でサニーを護ってもらおうか。傷一つでも付けるな。もし付けたら、お前をすぐにでも氷漬けにしてやる」


「おう、任せとけ。サニーちゃんには、虫一匹足りとも近寄らせねえよ」


 右前足に屈強な爪を出し、口角を上げて笑うヴェルイン。頼もしい限りである。が、調子に乗らなければいいのだが。


「ひとまず、サニーを助けてくれたお礼をしないとな。夕飯でも食うか?」


「おっ、いいのか!? 食う食う! 何を作るんだよ?」


「シチューだ」


 ヴェルインに夕飯の内容を伝えた私は、取り巻き達に顔を移す。

 

「どうせだ。お前らの分も一緒に作ってやる」


「いいんすか!? ありがとうございますっ!」

「おお~、久々に魔物以外の物が食えるぞー!」

「……シチューって、なんだ?」


 取り巻き達が嬉々と困惑を見せた反応を示しつつ、一色単に染まっていく。数にして七人分。ギリギリ足りるだろうか?

 これからヴェルインも食事に参加するだろうから、今度から多めに買っておかねば。普段より賑やかな光景を眺めた私は、玄関前に落ちていた布袋を拾い、夕飯の支度を始めた。

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