3年目
12話、初めての落書き
ついにサニーも、二歳ちょっとになる。この頃になると、まん丸だった顔も整ってきて、輪郭がハッキリとしてきた。
サラサラした金色の髪の毛もしっかりと伸び、歯も大体生え揃っている。会話もそう。ちゃんとした言葉を喋り、自分の意思や気持ちを私に伝えられる様になった。
服装は簡単な物で、上下が一体になった白い薄手の衣服。銅貨四枚と安いものの、サニーによく似合っている。
外出はまだ一回もさせていないせいで、肌は色白。外に出したとしても、沼地帯は常に分厚い暗雲が太陽を覆い隠しているので、肌が焼ける事はないだろうが。
ずっと家に居させるのもどうかと思うが、外出はまだ危険と判断しているので、極力避けたい。だが、代わり映えしない生活も飽き飽きしているはず。
なのでサニーに新たな刺激を与えるべく、絵でも描かせる為に大量の画用紙と、固まる性質を持った土に染料を混ぜ込んだ色棒を贈った。
色は全部で十色。私が描き方を簡単に説明した後、サニーはすぐさま何かを描き始めた。黒を使用したグルグルの渦巻き。七色使った虹に似ている線。
赤い三角や、二色使った丸。そして
見分けすらつかない、あまりにも雑な私とサニー。
別の落書きも同居していたので、私はサニーに指示を出し、別の画用紙に再び同じ絵を大きく描かせた。
描き終えた後。髪型がガサガサで、歪んだ笑みを浮かべた私とサニーが描かれた画用紙を貰い、たまたま家にあった額縁に入れ、室内で一番目に付く壁に飾った。
サニーが初めて描いた、私とサニーの絵。絵と言っていい代物かは分からないが、飾った途端に生活感が薄かった室内に、ちょっとした平和な日常が生まれた気がした。
腕を組み、サニーが描いた絵を目に焼き付ける。少ししてから視線を別の場所に持っていくと、物寂しくて薄暗い光景が広がっていた。
サニーが料理を食べ始めてから、台所周りはこまめに掃除する様になった。ベッド周りもそう。成長して木のカゴに入れなくなったので、綺麗にしてからサニーに譲った。
後は、大体手付かずのまま。よく見てみると、あちらこちらで埃の山が出来ている。その内、家の全てを掃除しよう。今の私には、それが出来る程の余裕と時間がある。
他の場所に目を移してみると、目の前に飾ったサニーの絵以外、他の空間がほとんど死んでいる様に見えた。意識して見渡してみると、かなりの悪環境だ。
この中で八十年もの間、新薬と新たなる魔法の開発をしていたのか。それに八十年も気が付かなかったなんて。やはり、周りが全然見えていなかったのだな。
「まま、さにーのえ、どう?」
サニーが私の着ている黒いローブを引っ張り、絵の感想を催促してきた。私は絵にやっていた目線を足元に送り、サニーの青い瞳を見据えてから、顔を絵に戻す。
「ただの落書きだ」
「らくがき?」
「ああ、落書きだ。それと、私はお前に一度も笑顔を見せた事はない。そして、これからも」
喜び方、怒り方、泣き方、楽しみ方はとうの昔に忘れ、表情にも出せなくなっている。六十年以上は無表情のまま、のはず。
大切な彼と居た時は、私も笑っていたり、怒ったりしていた。だが、八十年も人と接する機会がなく、同じ作業を繰り返ししていれば、自然とそれらの感情は薄れていき、やがては消失していった。
しかしそれは、私が勝手に決め付けている事。もしかしたら、どこかで消失した感情を出していたかもしれない。
「じゃあ、わらって」
サニーのわがままとも取れる言葉が耳に入り、無表情であろう顔をサニーに向ける。
「笑う? なんでだ?」
「そうすれば、さにーがかいたえと、いっしょになるから。イーって」
口だけが笑っている顔を、サニーが送ってくる。青い瞳は一切笑っていない。ただ綺麗に生え揃った歯を、自慢する様に私に見せつけているだけだ。
私が一向に反応を示さないせいか、サニーは作り笑顔をするのをやめ、今度は口を尖らせ、頬をプクッと膨らませる。
「ままっ、わらってよ」
「断る」
「こと、わる?」
初めて聞く単語に、意味が分からず首を
「やりたくない、という意味だ」
「えーっ、なんでやりたくないの?」
意味が分かるように教えてやれば、新たに生まれた疑問を解消したいが為、サニーは質問を繰り返してくる。
なんとなくであるが、ブラックドラゴンの『アルビス』と話している気分になってきた。
そう思うものの、不快感は微塵も無い。あいつは、性格上相手の目的を知りたいがだけ。サニーは、ただ単純に分からなく、純粋な心で知りたがっているだけだ。
そもそも、アルビスとサニーを比べる事自体が愚行だった。二人を比べるのは二度と止めよう。身体中に虫唾が走る。
「笑う必要がない」
「どうして?」
適当にはぐらかそうとするも、サニーの質問攻めは終わらない。黙秘を許さない好奇心旺盛な質問が、私の隠している部分を明かそうとしてくる。
サニーはまだ二歳だ。私が笑えなくなった理由を明かそうとも、到底理解出来ないだろう。
しかし、真実を告げないと終わらない質問攻めに終止符を打つ為に、私は口を開いた。
「今の私は、笑う事が出来ないんだ。泣く事も、怒る事も、楽しむ事も」
喜怒哀楽の感情を出せなくなった過程を飛ばし、結果だけを伝える。どうせサニーは『なんで?』か『どうして?』と再び聞いてくるだろう。
が、私の予想に反し、サニーは眉間に浅いシワを寄せ、躍起気味の青い眼差しで私を睨みつけた。
「じゃあさにーが、ままをわらわせてあげるっ!」
「どうやってだ?」
「えっ? えと、えと……」
逆に私が質問をすれば、サニーの声はか細くなっていき、しょぼくれた顔を床に向けていく。所詮は二歳児の思考。答えられるはずがない。
「えと……。あっ、ままのわらってるえを、いっぱいかく!」
「それで私が笑える様になると?」
「わかんない」
首を横に振ったサニーが、あっけらかんと言う。立場を逆転させようとも、サニーの方が一枚上手だった様だ。
無言になった私をジッと見ていたサニーが、「でも」と付け加える。
「ぜったいままを、わらわせてあげる!」
「……期待しないで待ってるぞ」
「うんっ、まってて!」
私が先に言った『期待しないで』を無視し、都合よく『待ってるぞ』だけを聞き取るサニー。
やる気が出てきたのか、サニーは画用紙が散らばっている所に駆けて行き、黒の棒を持って絵を描き始めた。
その様を見届けてから、私は壁に飾られた絵に顔を戻す。正面を向き、歪んだ笑顔でいる私と、同じ表情をして隣に立っているサニーの絵。
髪はガサガサ。体は棒状。黒一色しか使われていない。私もいつかはこんな風に、笑える日が戻ってくるのだろうか?
もしその日が来るとすれば、当然彼が生き返った時だろう。それとも、サニーが私の笑顔を取り戻してくれるとでも?
「……それはないな」
たった今考えた事を、わざわざ口にして否定する。私の笑顔を取り戻してくれるのは、ただ一人。最愛なる大切な人である、彼だけだ。
「そろそろ夕飯の買い出しにでも行くか」
気持ちを切り替えて、サニーに目を向ける。私の笑顔を取り戻すべくして、一心不乱に絵を描き続けていた。
このまま放置しても大丈夫だろうと決め付け、サニーの横を静かに通り過ぎ、濃霧に支配されている外に出る。今日の夕飯は、サニーの大好物にしよう。
サニーの大好物は、動物の乳汁で野菜をじっくり煮込んだシチュー。これを出すと、サニーは大喜びしながらはしゃぎ出す。
作るのは非常に簡単なので、大量に作っては翌日の朝ご飯にも出している。魔法で凍らせれば日持ちもするので、かなり重宝している料理だ。
相変わらず分厚い暗雲が覆っている空を見上げてから、左手に漆黒色の箒を召喚。箒に腰を掛け、街に行くべく、サニーを拾った
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