36話、嘘をつくと傷む左胸

「ふんふんふんふ~んっ、ふ~んふ~んふ~ん」


 ピクリとも動けない私も一息ついた後。静寂を保っている水場に、サニーの陽気な鼻歌が流れ出した。視界の下半分に映るは、左右にゆらゆらと揺れているサニーの白い帽子。

 つばが広いから、サニーが描いている絵がまったく見えない。絵を描かせる前に、帽子を外させておけばよかった。


 仕方がないので、無風のせいで微塵も動く事の無い景色へ目を向ける。サニーは今、描かれる事を意識しているかの様に動かない景色を、画用紙に描いているはず。

 正面にある、底まで見える透き通った泉。その泉を囲む、群生している葉肉が厚い植物。植物に守られる様に生えている、鮮烈な赤さを誇る美しい花。

 それらを引き立たせる為に、点々と地面から伸びている縞々模様の地味な木々。一枚の絵にするには、かなり条件が良い景色だ。


「ちゃっちゃっちゃ~、ちゃちゃっちゃっちゃ~」


 鼻歌を歌に変えたサニーが、茶色の色棒を手に取った。色から察するに、地面か壁を描いているのだろう。

 という事は、背景から描いているのか? その描き方は難しくないか? 泉を中心にして、順々に周りを描いていった方がいい気がする。

 しかし、私は絵に関してまったくの素人。余計な助言はやめておこう。サニーが描きやすいやり方で描けばいい。


「平和だな」


 先ほど受けた正体不明の攻撃が来ないので、ゆったりとまどろむ時の流れに身を任せていく私。常に一定で流れる時の流れは大嫌いだが……。最近では、この瞬間だけは悪くないと思っている。

 一秒が五秒にも十秒にも思えてくる、時間さえも眠りに就いたかの様に遅く感じる、この瞬間だけを。しかし、このまどろむ時間の流れには一つの欠点がある。


「……眠い」


 二つ目の独り言を呟いては、勝手に大きく開いた口で息を吸い込み、長いあくびをする。

 滲んできた涙のせいで視界がボヤけたので、指でぬぐうも、眠気のせいか今度は視界が上下から狭まっていった。


「ママ」


「……むにゃ、にゃんだ?」


「サニーもママみたいに、『ふわふわ』とか『ぶうーん』が――――――」


 眠気に囚われているせいで、サニーが今言った事が上手く聞き取れなかった。たぶん、『ふわふわ』と『ぶうーん』をせがんでいるのだろう。


「今は絵を描いてるじゃないか。後でやってやる」


「ちがうのっ、サニーがやってみたいの」


「サニーが?」


 この言い方だと、サニーはされる側ではなく、使用する側になってしまう。となると、サニーが魔法を使いたがっている事を意味する。

 サニーは魔女じゃない、人間だ。だが血の滲む努力を積み重ねていけば、その内習得できるのだが……。

 なぜか私は、サニーに魔法を覚えさせたくない。人間のまま生きてもらい、人間のまま天寿を全うしてほしい。そう強く思ってしまっている。


 これは単なる私のわがままだが、サニーのわがままも極力聞いてやりたい。けれども、私のわがままや想いの方が勝ってしまっている。一体どうするべきか……。


「なんで、やってみたいんだ?」


 魔法を使いたい理由が知りたく、恐る恐る問い掛けてみれば、サニーは描いている手を止め、微笑んでいる顔を私に合わせてきた。


「サニーもやれるようになれば、ママが楽になるでしょ? それと、ママといっしょに空をとんでみたいなって、思って」


 年相応の発想であるが、私の事も気にかけている。本当に優しい娘だ。しかし、その発想は魔女の楽しみ方だ。人間としての楽しみ方ではない。

 ……どう嘘をつこうか。あまり心や記憶に残る嘘はつきたくない。サニーはまだ三歳、言い包めるのは簡単だろう。……体に魔力を宿していないから。これにするか。

 体に魔力が無ければ、いくら大賢者であろうとも魔法を使う事は出来ない。それを順々に説明していこう。


「それは出来ない相談だ」


「えっ、なんで?」


「サニーの体には―――」


 嘘をつこうとした途端。私の左胸に、先ほど感じた針で刺された様な痛みが襲った。来た、二回目の攻撃だ。どこから仕掛けてきたんだ?

 慌てて見える範囲の景色を確認してみるも、やはり周りには誰も居ない。この場所は死角がほとんど無いから、居ないのはおかしい。

 まさか、障害物を貫いてくる攻撃? しかし背後にある壁も、この水場を囲っているそそり立つ壁にも、穴が開いている痕跡は何一つとして無い。何がどうなっているんだ?


「ママ?」


「……あ、ああ、すまん。サニーの体には、魔法を使用する為に必要な、魔力という物が一切無いんだ。だから―――」


 また喋っている途中に、左胸からチクリとした痛みを感じた。もしかしてこれは攻撃ではなく、精神的なものなのだろうか?

 サニーに嘘をつくなという、僅かながらに残っているであろう私の善意が、心に直接攻撃をしているとでも?

 だが、それだと納得出来てしまう。この痛みは外部からの攻撃ではなく、深層心理がおこなっている私自らの自傷行為。

 はたまた、罪悪感か何かが警告を痛みに変え、娘に嘘をつくなと訴えかけているのだろう……。


「だ、だから、サニーは魔法を使う事ができないんだ」


「えーっ!? そうなのぉ……?」


「そうだ」


 言い切ってしまえば、左胸に三度目の痛みが走った。間違いない。やはり私がサニーに嘘をつくと、心が痛むようになってしまっている。


「でも、でもっ! いっぱいべんがくをすれば、そのうち使えるようになるよ! だから教えてっ!」


 余程魔法を使いたいのだろうか、ここぞとばかりに引き下がらないでいるサニー。この会話の返しは、全てが嘘になってしまう。

 私は後、何回嘘をついて、何回心に痛みを感じなければいけないんだろうか……。


「言っただろ? 魔力が無い者は、いくら勉学をし、努力をしても魔法を使えるようにはならないんだ。頼むから諦めてくれ」


 左胸がチクリと傷む。


「やってみないとわかんないよ! ねえ~、教えてよ~」


「駄目だ、諦めろ」


 今のは嘘でもなんでもないので、左胸に痛みは襲ってこなかった。やはり、左胸は嘘に反応している。


「むう~っ。ぜったいにあきらめないからねっ!」


 そう宣言しながら頬を膨らませたサニーは、顔を画用紙に戻して絵描きを再開した。困った事になったな。この話題は非常にまずい。

 今はまだ全然耐えられる痛みだが、その内に私が折れてしまう可能性がある。遅かれ早かれ私は、サニーに魔法を教えてしまうのだろうか?

 ……やはりサニーは、魔女ではなく人間として育てたい。なんとかして魔法から気を逸らさねば。

 気が気でなくなってきた私は、サニーの帽子の上に顎を置き、鼻から重いため息を吐いた。

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