6話、私はお前の母親ではない

 サニーと名付けた捨て子を拾ってから、早十一ヶ月。


 もう少しで一年が経ってしまうのか。まるで実感が無い。つい最近サニーを拾ったばかりだとさえ思えてくる。

 しかし、名前を付けてからも必要最小限の事しかしていなく、基本は放置。サニーに構うとすれば、離乳食を与えている時ぐらいのみ。

 私が何もしなくともサニーは木のカゴの中で座り、辺りをずっと眺めている。手間が掛からなくなったので、私の自由時間もかなり増えた。


 だが新薬を開発する為に、鉄の大釜に並々入っている、緑色の煮立った液体をかき混ぜている時の事。この流れに異変が起きた。


「だあー、うっうー」


「……む? んっ? サニー、どうやって私の足元まで来たんだ?」


 誰かに足を触られた感触がしたので、何気なく足元を覗いてみたら、木のカゴの中で辺りを見渡していたはずのサニーが、そこに居た。

 移動手段が無いのにも関わらず、私の足を手で器用に掴んでいて、立とうとさえしている。

 不意の出来事に私は唖然とするも、サニーの体を風魔法で浮かし、木のカゴの中に向けてゆっくりと飛ばす。

 するとサニーは、カゴの中から這い出してきて、いつもの笑みを浮かべながら四つん這いで、私の元に近づいてきた。


「ま、まさか……」


 あまりにも大きな不安が頭を過り、今ではほとんど目にする事が無くなった、赤ん坊を育てる順序が記された本を開く。

 粉ミルクの飲ませ方。おしめの取り替え方。離乳食に変える時期。そしてまだ見ぬ頁に目を通し、初めて読んだ文章に思わず、文字をなぞっていた指を震わせた。


「『はいはい』、だと……?」


 情けない声を漏らす私。産まれてから十一ヶ月目にもなると、どうやら赤ん坊は『はいはい』なるものを習得するようで、自由に動き回れると記されている。

 確かに、サニーを拾ってから十一ヶ月の月日が経った。本に記されている通り、そろそろ『はいはい』をしてもおかしくはない時期。

 だがそれは同時に、私の戻り掛けていた時間を根こそぎ奪う行為にもなる。


 サニーがほとんどぐずらなくなり、手間暇掛かる時間がかなり減ったので、私は今まで通り、新薬、新たなる魔法の開発が出来る様にまでなっていた。

 しかし、サニーは自由に移動出来る手段を手に入れてしまった。すなわち、今まで以上にサニーから目を離せなくなる事を意味する。


 流石に外には出れないものの、私が開発に集中している隙を突き、サニーは部屋内を縦横無尽に動き回るだろう。

 そして、手が届く物をお構い無しに口に入れ、最悪私の目の前で死なれるかもしれない。


 だからこそ目が離せない。不本意にサニーを助けてしまい、人間の赤ん坊だと気付かされ、目の前で死なれたら、二つ目の罪悪感を背負う羽目になるかもしれないというのに。

 ……もう、潮時だ。我慢の限界もきている。仕方なく拾った身だ。そこまで罪悪感は重くならないだろう。

 その内、時が経てばサニーの存在は風化していき、やがて記憶から消え失せるはず。


 そうだ、そうに違いない。元々は赤の他人。血が繋がっていない人間。ただタイミング悪く出会ってしまい、二つ目の罪悪感を背負いたくないが為だけに拾った赤ん坊だ。

 興味が無ければ、愛着がある訳でもない。捨てられていた針葉樹林しんようじゅりん地帯に戻し、二度とあの地に行かなければいい。

 二つ目の軽い罪悪感を背負う覚悟が出来、何もかも有耶無耶にしてしまおうと決めた私は、足元に戻ってきたサニーの体を浮かし、私の顔の前まで持っていく。


「サニー、動ける様になったお前が悪い。もうたくさんだ。お前を元居た場所に戻してやる。そのまま誰にも拾われる事無く、魔物か獣の餌にでもなって―――」


「あー、あっ。ま、ま」


「―――しまうが……、は?」


「まー、ま。まま、ままっ」


「ま、ママ?」


 今まで『あー』とか『うー』しか言わなかったサニーが、微笑んだ青い瞳で私の顔を見据えつつ、確かに今『ママ』と、意味のある言葉を口にした。

 サニーが私の事を、母親と認識してしまった証である。はいはいを覚える時期と一緒に、簡単な単語を喋る様になるとは本に記されていたが。

 まさか、初めての言葉が『ママ』になるなんて。一度も言った事がないのに、一体どこで覚えてきたんだろうか?


「やめろ、それ以上喋るな。私とお前には血の繋がりはない。赤の他人だ。私はお前の母親ではない」


「ままっ、ままっ」


 空中でじたばたさせている手を私に向かって伸ばし、無邪気で明るい笑顔を飛ばしてくるサニー。たぶん、抱っこされたいのだろう。

 仕草で分かる。行動でわがままを言ってきている。サニーは私の傍にいるか抱っこされていると、必ず大人しくなる事は知っていた。

 だが、今はそんな気分ではない。そもそも、もうすぐサニーを捨てるのだ。いや、元居た場所に戻すと言った方が正しい。


「まーま、ままっ」


「だから、私はお前の母親ではない」


「ままっ、ままっ。きゃっきゃっ」


「何度言えば分かるんだ。私は……」


 あまりにも健気でいるサニーに、思わず口を閉ざす私。先ほど決意したばかりの気持ちがどうでもよくなってしまい、指招きをして私の太ももの上にサニーを乗せた。

 わがままが叶ったサニーは、太陽よりも眩しい満面の笑みをしながら、私の体に頬ずりをする。少しすると満足してしまったのか、そのまま眠りに就いてしまった。


 こうなると、数時間は絶対に起きない。また身動きが出来なくなり、無駄な時間を消費する羽目になる。

 あまりにも無意味な時間。一秒が十秒にも一分にも感じる、暇で暇を潰す退屈極まりない瞬間だ。


「……私は絶対に、お前の母親になんてならないからな」


 サニーが寝たのを確認してから、捨て台詞を吐く。今言い捨てた台詞が本音なのかどうか、口にした私にさえ分からなかった。

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