1話、不本意なる出会い

「ここにも無いか」


 軋んだ音を立たせながら棚を開けてみるも、探している薬草がどこにも見当たらない。今回、新しい薬を開発する為の要になるので、無いと非常に困る。

 乱雑に物が散らばっている棚の奥。普段であれば蓋を開ける事がない鉄釜の中。埃かぶった本棚の隙間を探してみるも、要の薬草はどこにも無かった。


「……仕方ない、採りに行くか」


 諦めた私は年期が入った木のカゴを右手に持ち、扉を開けて外に出る。外の景色はどこを見渡せど、目に入るのは白、白、白。

 足元すら朧気おぼろげに霞む、白い闇に包まれた薄暗い濃霧。それと、鈍色な木々が微かに見えるだけ。とてもつまらない景色だ。


 鼻から息を吸い込むと、薄っすらと血の匂いが入り込んできた。近くで何かが死んでいるのだろう。どうせその内、すぐに誰かが骨も残さず食べるはず。

 元々無い気が滅入る光景を目にした後。左手に漆黒色の箒を召喚。先端に木のカゴをぶら下げ、椅子に座る形で箒に腰を掛け、宙に浮く。


「あの薬草がある場所は、確か針葉樹林しんようじゅりん地帯か」


 この“迫害の地”には、ありとあらゆる地帯がある。私の家がある沼地帯。山岳、花畑、砂漠、樹海、渓谷、火山。他にも数多くの地帯が山々と。

 針葉樹林しんようじゅりん地帯は、“迫害の地”の入口とも言える場所。別名、自他殺じたさつの穴場。針葉樹林地帯を抜けて道なりに進めば、やがて大いに栄えた健全者達が住む街に出る。


 距離にしてそう遠くはない。故に、人生の路頭に迷った愚か者共が集う場所である。死ぬ為の道具は一切必要ない。

 一度入ってしまえば、知性が無い魔物や飢えた獣が、勝手に食い殺してくれるから。


 あそこは特に血の匂いが蔓延してる。長居はしたくない。さっさと要である薬草を採取し、とっとと帰ってしまおう。

 宙に浮いたものの、今日は特に濃霧が濃くて視界が悪いので、高度を上げて肌にまとわりついてくる白い闇を抜けた。


 やっと視界は開けたが、空を見上げてみれば、分厚い暗雲が立ち込めていた。上の暗雲、下の濃霧。二つの壁に挟まれた状態となる。

 風はきっと生温いだろう。私が作った新薬の副作用のせいで、暑さ、寒さを感じ取れなくなってしまったから、肌に風が当たっている感触しかしないが。


 しばらく代わり映えしない空を飛び続け、目的地である針葉樹林地帯の場所を目視すると、飛んでいる速度をやや速めた。

 そのまま薄暗さが際立つ針葉樹林地帯に入り、中央部分まで進んでから地面へ降り立ち、乗っていた漆黒色の箒を消す。

 相変わらず、ここも薄い霧が立ち込めている。空が厚い雲に覆われているせいで、やたらと暗くなっていた。


 入口にはあまり近づきたくない。死ぬと決めた者共の悔い残る絶叫や断末魔が聞こえてくるので、落ち着いて薬草の採取が出来ないのだ。

 死ぬと覚悟を決めたのに、死ぬ瞬間だけは生にしがみつく。結局どいつもこいつも、曖昧な覚悟の持ち主で、悔いを残しながら死んでいく。

 世界には必ず、光と闇がある。この迫害の地を闇とするならば、街は光。その間を繋ぐ道は、希望への道筋か、絶望への還り道か。はたまた。


「新鮮な血の匂いがする。また誰か死んだな。とっとと採取して帰ろう」


 そう決めたが、辺りは深い闇に飲まれているせいで、全てが黒く染まっているから、薬草の判別が出来ない。

 仕方なく指を鳴らし、詠唱を省いた魔法でこぶし大の炎を出し、私の横に添えた。

 灯りは最小限でいい。あまり大きな炎を出してしまうと、魔物や獣を呼び寄せてしまう可能性がある。

 決して負ける訳ではない。ここの魔物と獣は研究材料として使うには、質があまりにも低すぎるので、相手をするだけ時間の無駄だ。


「さて、探すか。……む?」


 準備が整い、要の薬草を探そうとした瞬間。耳に聞き慣れない音が飛び込んできた。一定間隔で聞こてくる、どうも気になる音。

 耳をすませて聴いてみると、その音は泣き声だと分かった。しかも魔物や獣の鳴き声ではなく、赤ん坊の泣き声だ。

 私が出した炎よりもけたたましく、自他殺の穴場である針葉樹林地帯で、誰よりも強く生にしがみついた、そんな強さを感じる儚い泣き声である。


 私は何も考えず、泣き声がする方へ自然と足を歩ませた。

 苔が生えた骨を蹴り飛ばし、落ちている枝を踏んで乾いた音を鳴らしながら、不用心に入口へ近づいていく。

 十歩進めば泣き声はより鮮明に。三十歩進めば、すぐ近くに。そして、一本の木を通り過ぎると泣き声は突然大きくなり、そこで足を止めた。


 どうやら泣き声は足元から聞こえてくるみたいで、入口を見据えていた顔を下へ向ける。するとそこには、太い木の根元に、私が持っている木のカゴよりも一回り大きな木のカゴがあった。

 その木のカゴの中には、一枚の白い布で覆われた何かがあるようで、モゾモゾと動いている。たぶん、この中に赤ん坊がいるのだろう。

 その場にしゃがみ込んで白い布を捲ると、ぷっくりとした人間の赤ん坊が、一枚の手紙らしき物を握りしめながら大泣きしていた。


「なぜ、この地に人間の赤ん坊がいるんだ?」


 答えが出ない疑問が生まれるも、私は泣いてる赤ん坊をあやす事なく無視し、握っている手紙を奪い取る。

 二つ折りにされているので、適当にシワを伸ばしてから開き、書かれている内容に目を通した。


「この子を拾っていただきまして、本当にありがとうございます。名前はまだ付けていません。どうか、身勝手な私の代わりに育ててやって下さい。か」


 丁寧に書かれた短い文章を読み終えてしまい、役目を果たした手紙を、隣に居る炎の中に放り込む。


「大層に手紙まで用意するとはな。ここに捨てた時点で、完全に殺すつもりじゃないか」


 手紙が燃え尽きた事を確認すると、未だに泣いている捨て子に目をやった。当然、拾うつもりはない。黙らせてから置き去りにし、薬草の採取を再開しよう。

 そう決めて、捨て子の首根っこを掴もうとした矢先。背後から三つの雑な殺気を感じ取る。

 首だけ動かして後ろを覗いてみたら、遠くの闇で二つに並んだ金色の発光体が三つ、こちらを睨みつけていた。


 それらの正体を探るべく、隣に居る炎を静かに飛ばす。三つの発光体が淡く照らされて、闇を纏った姿が露になる。見た目はくすんだ青い毛の狼。

 三匹とも口が鮮血色に染まっている所を見ると、先ほど食事を済ませたばかりのようだ。


 二匹は捨て子を狙っている様だが、一匹は明らかに私を狙っている。その証拠に、金色の瞳が私を捉えている。この私を餌と認識しているに違いない。

 私は、この獣共には知性が無いと断定した。知性があれば、圧倒的な力の差がある私を狙うはずがない。ただ飢えているだけ。本能に従っているだけの獣。


 だからこそ不愉快だ。研究材料にすらならない者と戦うのは、億劫でしょうがない。早めに片を付ける為、私は指をパチンと鳴らす。

 すると、鳴らした指先から青い煌きが出現。その煌きに息を吹きかけると、まだその場に佇んでいる狼達に向かい、青い軌跡を描きながら三つに分かれて飛んでいく。

 そのまま、こちらの様子をうかがっている狼達の鼻先に触れると同時に、狼達は瞬時に薄い氷の膜に囚われ、口先から血の氷柱を垂らしたまま、三体の氷像と化した。


「私を狙った罪は重いぞ。死んだ事すら気が付かないまま砕け散れ」


 もう一度指を鳴らす私。その合図を待っていたかの様に、狼達を包んでいる氷にきめ細かな亀裂が入り始める。

 その亀裂が全身に回ると、一緒に塵状にまで砕け散り、風と共に入口に向かって流れていった。

 多色混じった煌きを見送ると、闇に紛れている他の魔物や獣が居ないか周囲を見渡す。

 私と捨て子しか居ない事を確認し終えると、私は再びその場にしゃがみ込んだ。


 捨て子は、今までの出来事に意を介さず、私の横に戻って来た炎よりも熱そうに、まだ生きたいという願いを込めているかの様に、泣き続けている。

 私は、不本意ながらもこの捨て子を助けてしまった。獣さえ来なければ、私はこいつに向かって『泣くな。黙れ。静かにしろ。気が散る』とだけ言い残し、この場から立ち去っていただろう。


 しかし、その前にこいつを助けしまい、生かしてしまった。よくよく考えれてみれば、こいつは人間の赤ん坊である。

 そう気付いてしまった。気付いてしまえば、もう遅い。いくらその考えを頭から振り払おうとしようが、決してぬぐえない物となってしまった。

 今この場で見捨てて去り、後日こいつの白骨死体を目撃したとしよう。その時の私は、二つ目の罪悪感に駆られるはず。


 私が既に背負っている、共に一生暮らそうと誓った大切な彼が、磔にされて首を斬られ、怒りで我を失った私にも殺されて二度死んだという、あまりにも重い罪悪感の上にのしかかるに違いない。

 この罪悪感の重さは八十年経とうとも、その重さを依然として保っている。あまりにも重い。今まで押し潰されなかったのが奇跡に近い程までに。


 ああ、タイミングが悪過ぎる。あと五分ここに遅く来ていれば、こいつは先ほどの狼達に食われていただろう。

 そして、私は気が付かぬまま要の薬草を採取し、家に帰り、新薬作りをしていたというのに。


「だから、時間の流れは大嫌いなんだ。なぜ私が、こんな事を……」


 この捨て子は一旦家に持ち帰る。ただ私が、二つ目の罪悪感に囚われたくないが為だけに。

 育てるつもりはないが、私の目の前で死なれても困る。帰り際に、魔物か獣が捨て子を攫ってくれないだろうか。

 淡い期待を持ちつつ私は、要の薬草を採取しないまま、漆黒色の箒を召喚し、二つの木のカゴをぶら下げて家に戻っていった。

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