10話、予想外の反応

 サニーが体調を崩してから、丸二日が経過した。


 完成品に近い秘薬ひやく入りの粉ミルクを飲ませたお陰で、次の日にはほぼ全快。二日も経てば、今まで通り歩ける様になった。

 流石はブラックドラゴンである『アルビス』の鱗。効果は絶大である。これで、サニーがどんな疫病を患おうとも怖くはない。

 秘薬も無駄に余っている。常備出来るよう、ある程度は空いている容器に移したものの、あまりにも量が多すぎるので、鉄の大釜ごと保存せざるを得なかった。


 そして、私がサニーを育てている事が迫害の地に広がり始めたのか、外が徐々に騒がしくなってきた。が、そこまで見物客が来ている訳でもない。

 今、窓から見えているのは、山岳地帯の守護者、隻眼のウェアウルフである『ヴェルイン』。

 それと、その取り巻き達のみ。相当数が集まると予想していたが、そうでもなかったようだ。


 外の僅かな騒めきを無視し続け、サニーに秘薬入りの粉ミルクを与え終えると、見計らっていたかの様にヴェルイン達が、ずかずかと家に入り込んできた。

 数にして五匹。全員が二メートル以上のやや大柄。全身は、毛繕いが行き届いた茶色の剛毛に覆われている。一応恥じらいがあるのか、下半身だけ青いズボンを履いていた。

 ヴェルインだけ左目に大きな古傷があり、瞼は閉じたまま。迫害の地に初めて訪れた際、アルビスにちょっかいを出し、返り討ちにあった時の傷らしい。


 その不名誉な傷を左目に負っているヴェルインが、不敵な笑みを浮かべながら私達の前まで来ると、物珍しそうでいる黒い右目をサニーに向け、私に戻した。


「よう、レディ。アルビスから聞いたぜ。この子が例の捨て子か?」


「そうだが。私を嘲笑いに来たのか?」


 私が淡々と口にすると、ヴェルインは否定するかの様に首を横に振る。


「いんや。てめぇを嘲笑うとかよ、アルビスか新参者ぐらいしか出来ねぇよ。そんな事したら、いくつ命があっても足んねぇさ」


 ヴェルインが肩をすくめて言う。確かにそうだ。新参者以外、私の強さは身を持って知っているはず。だから噂が広がろうとも、見に来る者が居なかったのか。

 取り巻き達もそう。私に頭を軽く下げてから、サニーの様子を静かにうかがっている。遠くから匂いを嗅いだり、前足をヒラヒラと振っている者も居た。

 囲まれているサニーも、まったく臆する事無く笑顔でいて、初めて目にしたウェアウルフ達に向かい、興奮気味に短い腕を伸ばしている。


「もじゃ、もじゃ」


「おーっ、喋った。可愛いじゃねえか。レディ、この子はいつ拾ったんだ?」


「一年以上前だ」


 そう明かすと、ヴェルインは私に驚いた顔を向け、右眉を跳ね上げた。


「つー事は、一年もこの子を育ててんのか。どうしたんだ急に? 母性でも目覚めたのか?」


「ただの気まぐれだ。食いたいなら食ってもいいぞ」


 あっけらかんに言った私は、はしゃいでるサニーの体を風魔法で浮かし、そのままヴェルインの胸元まで飛ばす。

 いきなりの事で、ヴェルインは慌てて両前足を差し出し、サニーの体を優しく受け取った。


「もじゃもじゃ、もじゃもじゃ」


 意味のある言葉を喋り、ヴェルインの鼻先をペチペチと叩くサニー。そのヴェルインは、右目でサニーをじっくり観察した後、疑心の篭った瞳を私に向ける。


「確かに肉質が柔らかくて美味そうだがよお……。これ、完全に罠だろ? 俺を試してんのか?」


「別に。そのままの意味だが」


 ヴェルインの疑問を適当に返し、腕を組む私。


「嘘つけ。もう一年以上も育ててんだろ? 我が子当然じゃねえか。もし俺が食おうとしたら、絶対に殺しにかかんだろ?」


「いや。に特別な感情は持ってないし、愛着がある訳でもない。血の繋がりすらない赤の他人だ。どうなろうと、私には関係ない」


「サニー?」


 唐突に知らない名前を言ったせいか、ヴェルインが右目を細める。


「今、お前が抱えてる子の名前だ」


 私が答えを言うと、ヴェルインは「あっ?」と短い言葉を発し、サニーに顔を戻す。


「ああ~。この子、サニーちゃんって言うのか。元から付いてた名前か?」


「私が付けた名だ」


「なんだよ。可愛い名前まで付けてんのに、ぞんざいにしやがって。もっと大事に扱ってやれよ。なあ、サニーちゃ〜ん」


「もじゃもじゃ、うー」


 ヴェルインが微笑ました目をサニーにやると、サニーは再びヴェルインの鼻先を叩き出す。まさかウェアウルフに説教をされる日が来るとは、夢にも思わなかった。

 しかしサニーが食い殺されでもしたら、私は一体どんな行動を仕出かすのだろうか? 大切な彼が目の前で殺された時は、怒り狂って我を失ってしまったが。

 ならサニーが殺された時も、私は同じ行動を取るのか? いや、そんな訳がない。自ら口にした様に、サニーには特別な感情は持ち合わせていないのだから。


 八十年前のあの時は、私も真っ当な感情を持ち合わせていた。だが、今は喜怒哀楽の感情が全て無くなっている。

 たぶん何もしないか、気まぐれでヴェルイン達を氷漬けにするかの、どちらかだろう。


 鼻先を叩かれ過ぎたせいか、ヴェルインが顔を逸らして「ブシュン!」とクシャミを放つ。その後、私にサニーを差し出すと、湿っている鼻を大きくすすった。


「しっかしサニーちゃん、俺達に囲まれても平然としてんだな。怖がられて大泣きされると思ってたんだがよお」


「無理もないさ。今のお前らは、昔みたいな迫力が一切無い。牙を抜かれた獣以下の表情をしてるぞ」


 あえて神経を逆撫でする様に挑発すると、流石に頭にきたのか、ヴェルインが一瞬だけ白い牙を覗かせる。


「てめぇ、よくも言ってくれたな? 後悔すんなよ? 見せてやるよ。これが、俺様の本気の姿だ!」


 躍起になったヴェルインが体に力を込めた途端。全身の毛が逆立ち、体中の筋肉が軋んだ音を立てながら膨張していく。

 同時に腑抜け切っていた前足から、数十cmはあろう太くも先が鋭い爪が飛び出し、鈍い光を爪先に伝わらせていった。

 黒かった瞳も鮮血を思わせる紅色に変色し、軌跡が空中に残る程の速さで爪を何度も振り回すと、天井に向かい、窓が割れんばかりの勢いで咆哮を放つ。

 そのまま肌をつんざく殺気を部屋内に充満させると、鋭利な牙が全て剥き出しになっている獰猛な威嚇面を、私達に見せつけた。


「ドウダレディ! テメェガワリィンダカラナ! コレデサニーチャンがナイテモ、セキニンハ―――」


「もじゃもじゃ、うおーん」


「―――トラネェ……、あらっ?」


 泣く所か、咆哮の真似さえしているサニーを目にするや否や、膨張していたヴェルインの体が一気に萎んでいく。

 その萎みは止まる事を知らず、筋肉が隆々としていた体ごと細くなっていき、身長すら縮んでいった。


「……あのー、サニー? まったく怖がって、らっしゃらない、ご様子で……?」


「もじゃもじゃ、がおー」


 健気に殺気立つヴェルインの真似をするサニー。普通の人間であれば、目に涙を浮かべながら戦慄し、死を覚悟するだろう。

 だが、サニーの反応には私も予想外だった。正直に言うと、泣き喚いてしまうだろうと思っていたのだが。


 まさか、あの色濃い殺気を肌で感じても一切泣かず、真似までするなんて。怖い物知らずにも程がある。

 たぶん、ヴェルインも同じ事を思っているだろう。あまりにも無垢で残酷な反応に、ヴェルインの耳と尻尾までもが力を無くし、可哀想な程に垂れ下がっていた。


「……おじちゃん、自信無くしちゃった……。もう、帰る……。また来るね……」


「二度と来るな」


 確たる自信を見事に打ち砕かれ、哀愁すら漂う項垂れた背中を、取り巻き達に摩られながら外に出て行くヴェルイン。

 一歳ちょっとの子供すら泣かせられなかったのだ。心が折れただろうに。だが先程の迫力は、確かに昔見たヴェルインの物だった。

 何者でも堅剛な爪で八つ裂きにせんとする、ならず者で新参時代だった頃のヴェルインだ。


 しかし私の胸元に居るサニーは、今までのやり取りにまったく意を介さず、私の体に頬ずりをしている。泣く気配は一向に見せないでいた。


「サニー、楽しかったか?」


 私の問い掛けに気が付いたのか、サニーは私に顔を合わせ、何事も無かったかの様に笑ってみせた。


「もじゃもじゃ。がおー、わおーん」


「そうか」


 サニーの反応を見て、楽しんだのだと勝手に判断する私。ヴェルインの相手をしていたせいで、後片付けするのをすっかり忘れていた。

 そう言えば、サニーはもう一歳ちょっとになる。歯も生え始めてきた。そろそろ離乳食ではなく、ちゃんとした物を食べさせ、栄養を取らせないといけない。

 もう少ししたら、料理の作り方が記された本を買わねば。サニーは一体、どんな料理が好きになるだろうか。色々と試してみるか。

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