第10話 Episode2-5 Edge of the World

 19 邂逅


【別の日】


「ローカルネットワークから始まったワールド・ワイド・ウェブの形状モデルが人間の脳の細胞連結形状に酷似こくじしていることは有名ですが……」


 船縁甲ふなべりきのえが話しながらハンドルを右に切ると、減速が甘いせいでタイヤが甲高い悲鳴を上げた。歩道の視線を集めながら、赤いフィアットはガードレールを巧みに避けて車線に滑り込む。


「……背景放射はいけいほうしゃから考えられるこの宇宙全体の形状もまたそれらとほとんど同じ構造であろうと推測されるというのですよ。私たちは電子工学を研究しているつもりで同時に生物学や宇宙物理学にも足を踏み入れてしまっているのかもしれません」


「そこを真剣に考え始めるとね……」


 助手席の路地屋理佐ろじやりさが顔色ひとつ変えずに言った。ぶつからないことなど曲がる前からわかっているといった表情だ。


「……最終的には宗教に行き着く。創造主を仮定しないと説明がつかなくなる。引き返し時じゃないの。あたしはごめんだわ。磁気単極子じきたんきょくしすらいまだに観測できないのに神様の存在を証明しようなんてね」


 船縁ふなべりはマサチューセッツ工科大MIT出身の理化学研究所職員であるが、今は路地屋ろじや同様ANCLEアンクル招聘しょうへいを受けて第二小隊付の技術主任を勤めている。穴橋あなはしエレクトロニクスの依頼でSIMURGHシムルグの開発スタッフにもその名を連ねている。路地屋ろじやとは大学時代からの仲で、第二小隊の技術員として彼女を推薦したのも船縁ふなべりなのだった。とはいえ、現在の肩書きはやはり路地屋ろじやと同じ「警部補扱い」である。


 船橋ふなべり路地屋ろじやとは正反対の、芸術的なまでに切り揃えたショートボブの明るい髪の耳のあたりを、それが癖なのか左手の指で巻き取るように弄り続けている。


 二人が向かっているのは、奥多摩にある菱井ひしい電子工業の研究所である。そこにSIMURGHシムルグシステムを統括するネットワークサーバーコア『ユグドラシル』が設置されているのだ。


 端末AI制御システムを穴橋あなはしエレクトロニクスに、その統括ネットワークシステムを菱井ひしい電子に分けて開発させたのは、双方のシステムに「ブラックボックス」があることで、全体のセキュリティを担保するためなのだと路地屋ろじやは聞いている。もっとも「ブラックボックス」の中身など、最先端の技術者にとっては想像の範囲内であって、要は利権を分配するための口実でしかないのだろうと路地屋ろじやは踏んでいた。


 青梅おうめを通過して多摩川たまがわ沿いを走ると周囲は山になった。二十三区と同じ東京都とはとても思えない。


「なぜこんな場所に?」


 路地屋ろじやくと、船縁ふなべりはカーブの続く道に前方を凝視しながら答えた。


「安定した地盤と電磁波干渉が極力少ないからとのことです」

「そんなに脆弱ぜいじゃくなの?」

「知りませんが、きっと繊細なのでしょうね。あなたと違って」


 路地屋ろじやは鼻先で笑った。船縁ふなべりの嫌味など慣れたものだ。丁寧な言葉遣いで時折毒を吐くので、人格を疑われることもしばしばだが、本人は単に率直で冗談が下手なだけなのだ、と思うことにしている。才能というやつは無条件で付けられたおまけじゃない。天才ともなればなおさらのことだ。


「てかさ、あんたわざわざ一緒に来なくたって、いろいろ知ってるんでしょ?」


「知りません」

 船縁ふなべりはさらりと言った。


SIMURGHシムルグの開発メンバーは、ユグドラシルに一切かかわっていないんです。お互いにどういうデータをやり取りするかとか、そのためにどういう機能を追加してほしいとか、その程度の連絡だけです」

「それもまた胡乱うろんな話よねえ……」


 路地屋ろじやは顔を曇らせて、飛び去っていく河岸の風景に目をやる。どうもこのプロジェクト、『V作戦』には意図的に隠されている部分が多すぎる。じゃあいったい誰が全体をコントロールしているのか。


 カーナビの抑揚のない声が目的地到着を告げた。山裾やますそを削って均しただけの殺風景な土地に、巨大な蒟蒻こんにゃくを思わせる窓のない平たい灰色の建造物がポツンと建っている。周囲を囲んだ異様に高いフェンスの先端には、有刺鉄線がコイルのように巻き付いていた。

 車を降りた路地屋ろじやが、こちらを向いている監視カメラに両手を振った。


「何してるんですか」


 心底不思議そうに問う船縁ふなべりに、路地屋ろじやはなおも大きく手を振りながら言う。


「友好的な訪問者のアピール」


「そういうところですよね」


 船縁ふなべりが真面目な顔で言った。そういうところが何なのかはわからない。

 鉄のゲートはあるが、施設の名前を記した看板などはどこに見えない。インターホンで名前を告げるとゲートが開き、敷地に入った途端に閉じた。と同時に建物の正面の一部がシャッターのようにせり上がって、玄関口までもが隠されていたことがわかる。そこに青いワークウェアの男が現れた。歳は三十がらみだろうか、痩せて背が低く、顔色が病的なほど青白い。こんな施設の中にいるからだと路地屋ろじやは思った。


「ようこそおいでくださいました」


 男は言ったが、棒読みの台詞はとても歓迎しているようには聞こえなかった。


「ご案内を言い使っております、副所長の阿部下あべしたと申します。施設内の撮影と携帯電話等電波機器の使用はご遠慮願います。ではこちらへ」


 言うだけ言ってさっさと歩き出したので、名刺を出そうとしていた路地屋ろじやは、ものの見事に数歩出遅れてしまう。エレベーターの「開」ボタンを押して待つ阿部下あべしたの冷ややかな視線が刺さる。路地屋ろじやが乗り込むと、阿部下あべしたは一番下の行先ボタンを押した。地下三階。


 扉が音もなく開くと、正面に短い通路があるだけのフロアだった。突き当たりにはこれまた白いだけの鉄の戸が閉まっている。

 路地屋ろじやが立ち止まって訊く。


「あの、これは何です?」


 通路の両脇の壁に、間接照明のように透明の球体が半分埋め込まれていて、その中でオレンジ色の炎が小さく揺らめいているのだった。天井には二列に蛍光灯が並んでいるので、照明の役には立っていない。


「火ですね」

 阿部下あべしたが退屈そうに答えた。


「CG……には見えない」

 顔を近づけた船縁ふなべりが言った。


「ええ、本物です」

「え?」


 驚いた路地屋ろじやを見て、阿部下あべしたの表情が少しだけ緩んだ。


「我が社では……いえ、我々研究員は、火を崇拝しているのです」


拝火ゾロアスター教徒ですか」


 船縁ふなべりが真顔で訊くので、阿部下あべしたはさすがに顔の下半分だけで笑った。


「まさか。象徴ですよ。人類は恐怖の対象であった火を道具にしたことで文明を発展させました。火は勇気と可能性の象徴です。開発にたずさわる者には相応ふさわしい」

「そういえば、菱井ひしいエナジーでは密かに小型原子力モーターの研究をしているとか」


 船縁ふなべりが気楽な調子で言うと、阿部下あべしたの表情が消えた。


「……どこで聞いた話か知りませんが、随分と無責任な噂ですね」


 そして早足で通路を進むと、レバーの脇のテンキーに数字をいくつか打ち込み、鉄の戸をゆっくりと開いた。


「この奥が『ユグドラシル』です」


 路地屋ろじや船縁ふなべりは唾を飲み込む音が互いに聞こえたような気がした。


 アクリルガラスに仕切られた薄暗い空間に、図書館の本棚ほどの高さと厚さの黒い物体が間隔を空けて何台も並んでいた。表面には赤や緑の小さなLEDランプがそれぞれのスパンで明滅を繰り返している。暗さのせいもあってその奥は見えないが、肉眼で七台のユニットを路地屋ろじやは確認した。


 やはりガラスで仕切られた反対側の空間では、段差のついたフロアに無数の機器が置かれ、数名の職員がいくつものモニターに囲まれて何やら作業の最中だった。


「お見せできるといっても、これだけです。温度湿度管理と機密保持のため、これ以上内部へは進めません。それは一般職員も同じです」


 阿部下あべしたは乾いた口調で説明した。


「要はサーバーですよね」と路地屋ろじやが言う。「大仰すぎませんか」


 阿部下あべしたは少し眉根を寄せて、面倒くさそうに話を継いだ。


SIMURGHシムルグが比較的小型の体積で済んでいるのは、演算や情報記憶機能の多くをユグドラシルが代行しているからです。本来ならスパコン並みの設備が必要なのですよ。そしてユグドラシルは、最大1200機のアウター・バディを統括できるように作られているのです」


「1200?」


 路地屋ろじやが思わず聞き返した。


「何のために」


「当然、それだけの数が配備された時のためにです」


 確かにANCLEアンクルの実動を受けて、各自治体の警察機動部隊にもアウター・バディを配備すべきだという議論になってはいるのである。しかしそこまで行ったら、もはや組織的な軍隊とほとんど変わりないのではないか。自衛隊の治安出動とどこが違うのか。それとも、それほどの数が必要になる未来が見えているとでもいうのだろうか。何よりいったいどれだけの費用を食い潰すのだ、1200機ものアウター・バディは。陸自の戦車だってせいぜい400両そこそこなのに。


 まさか……この国だけではないとでも?


 路地屋ろじやは背中に気持ち悪い汗が浮かぶのを感じた。


「でも、現在の小隊編成だと仮定すれば、穴橋の2機に対して菱井は1機、不満はないんですか」


 船縁ふなべりが気軽な調子で微妙なことを言い出した。阿部下あべした眉根まゆねしわが大きくなった。


「ガードナーよりヴァルキュリスの方がコストが高いと聞いていますが。よくは知りませんけど」


「まあ、研究現場には関係ありませんよね」


 船縁ふなべりはあっさりと納得して辺りを見回す。阿部下あべしたはだったらくなと言わんばかりの目で、指先で髪をいじり続ける船縁ふなべりの横顔を見た。


「他に何か」


 阿部下あべしたが向き直って言うと、船縁ふなべりは「余計なお世話かもしれませんが」と、操作室を見ながら口を開いた。


「昼休みに外に出てラジオ体操でもしたらどうでしょう。ここにいるみなさんは顔色が悪すぎます」


          ☆


「気持ち悪いですね」


 帰りの車の中、長い沈黙の後で船縁ふなべりがぼそっと言った。


「あいつ?」


 路地屋ろじやが訊くと、船縁ふなべりは「全部です」と真顔で答えた。


「確かに、海面から上だけ見せて、これが氷山ですと言われてもね……」


 路地屋ろじやがそうつぶやくと、船縁ふなべりは「いえ」とすっぱり否定した。


「氷山は、見えない部分も同じだとわかりますから、違います」


 路地屋ろじやは聞こえないようにため息をついた。



 20 黒幕


【また別の日】


「何の話だ?」 


 内閣総理大臣稗田阿平ひえだあへいは、政務秘書官北条正憲ほうじょうまさのりが何を言っているのか、一瞬まったく理解できなかった。


 首相官邸の執務室である。


 直立した北条ほうじょうの口元だけが緩んでいる。曲がってもいない銀縁眼鏡を一度直してから、落ち着き払って答えた。


「もちろん、サミットの話です総理」

「サミットの日程はもう決まっているのではないのか」


 しわの多い表情に、さらに細い影を増やしながら稗田ひえだが言う。


「ええ、ですからこれは演出です。サプライズですよ。遠路はるばるやってきて、知らされている仕事を順番に片付けるだけでは、あまりに退屈ではありませんか」


 北条ほうじょうはいつになく柔らかな口調で言った。


「総理のセンスも評判になろうというものです。ホストはもてなすのが仕事です」


 それを聞いた稗田ひえだは落ち着いて「うむ」と唸った。


 就任してから一年半になろうとしているが、このところ内閣の支持率はじりじりと下降していた。何が悪いというわけではないのである。稗田ひえだの取り柄はミスの少ない堅実さだったが(それは問題を極力明るみに出さない老獪ろうかいさによるものではあるが)、批判的に言い換えたそれは「凡庸」であって、特にアピールすべき点が見当たらないというのが支持率低下の主因であると北条ほうじょうらは分析していた。当然そのことは稗田ひえだ自身もわかっているのである。


 前の首相徳山慎之介とくやましんのすけは、反社会団体との繋がりを指摘されて辞任に追い込まれてしまったのだが、決めるべきだと思ったことは強引に押し通してしまうパワフルさがあった。そうでなければ反社とて見向きもしまい。実際、徳山とくやまなければ ANCLEアンクルもなかったのである。清廉や実直だけで動かせるほど社会は単純ではない。清濁併せいだくあわせ呑む覚悟、それこそが敵も作るが味方も増やす。熱狂的支持者は言うに及ばず。


 普通なら首相が変われば交代する秘書官のポストに北条ほうじょうが残っているのは、ANCLEアンクル創設途上でその調整を担っている北条ほうじょうの続投を、最大派閥の領主徳山とくやまが内密に候補者支援の条件としたからなのである。

 それを許容して、つまり実務の独自色を捨ててまで総理の地位にこだわった以上、稗田ひえだにも期するところはあるはずだ。そして常識や慣例を次々と破ってみせた徳山とくやまに対するコンプレックスも。

 官邸秘書などをやっていれば、政治家の功名心などには嫌でも敏感になるものだ。稗田ひえだは決して名より実を重んじるようなタイプではないと北条ほうじょうは見ている。


「しかし、今からそんな大掛かりな変更が可能なのか」

「ええ、もとよりオプションとして準備はしてあるのです。必ずやご期待に沿えるであろうと。そうでなければこんな提案はできません」


 稗田ひえだの不安を打ち消すように、北条ほうじょうは自信を露わにして言った。


「もちろん最大限のサプライズ効果を演出するため、このことは関係者のみの秘密事項となります。『芙蓉ふよう』のクルーも海外の大使館のパーティーくらいにしか思っていないでしょう」

「警備の方は混乱しないだろうな」

「万全な体制を敷きます。情報漏洩の恐れがありますので、周知というわけにはまいりませんが、配置や移動はこちらで指示します。問題ありません」


 稗田ひえだはもう一度「うむ」とうなって、今度は微かに笑った。


「新造の豪華客船で湾岸をクルーズしながらの会合か……さすがは北条ほうじょう君だ、考えることが違うな」


「恐れ入ります」

 北条ほうじょうはうやうやしく上半身を折った。その死角になった顔に歪んだ笑みが浮かぶ。


 これで計画の「核」は通った。他力本願の要素はあるが、後でいくらでも調整はつくだろう。連中は、少なくとも穴橋あなはし菱井ひしいは上手くやるはずだ。なにしろかつてないほどの莫大な利益に繋がるのだから。


         ☆


「私が表立おもてだって動くわけにはいかない。慎重に事を進めてくれ」


 北条は懐刀ふところがたなの政務補佐官大道寺政雄だいどうじまさおに酒を注ぎながら言った。


 それらしい店構えを持たぬ赤坂あかさかの寿司屋『八兵衛はちべえ』は、知る人ぞ知る、つまり知る者しか知らない、官僚や政府関係者が密会に使う店である。それぞれに距離を置いた個室は、別の部屋の客とは決して遭遇しないように設計されている。うっかり部屋を間違えることなど絶対にない(そのため『八兵衛はちべえ』は北海道ほっかいどうの地名を思わせる「うっからない」という隠語で呼ばれている)。盗聴や盗撮、ハッキングに対する備えも完璧だ。官邸内では誰がどこで聞き耳を立てているかわかったものではない。店の信用と存在意義にかかわるだけに、密談にはこうした場所の方が遥かに安全なのである。もちろんその分だけ桁の違う代金を請求されることになるのだが、官邸予算の操作など日常茶飯事、そうでもしなければ動くものも動かぬのだ。


 大道寺だいどうじは大学の後輩である。同じ国際政治研究会に所属し、卒業後は下級官僚としてくすぶっていた大道寺だいどうじを、手を尽くして官邸勤務にねじ込んだのは北条ほうじょうだった。言うまでもなく「使える」人間が手元に必要だったからである。


「わかりました。任せてください」


 大道寺だいどうじは神妙な面持ちで言った。


「時に奥さんは元気か」


 北条ほうじょうが問うと、大道寺だいどうじは少し驚いた様子で表情を崩した。


「あ、ええ、おかげさまで」

「まだ新婚なのに、人より忙しくさせて悪いな。よろしく言っておいてくれないか」


 大道寺だいどうじ北条ほうじょうの気遣いに感謝した。と、急に真剣な面持ちになる。


「しかしわからないのですが……いったい北条ほうじょうさんは成功させたいのですか、それとも失敗させたいのですか」


 北条ほうじょうは口元に運んだ盃を止めて、上目遣いに大道寺だいどうじを見た。


「それはどちらの側の話なんだ?」

「あ、いや……」


 大道寺だいどうじはまずい事を言ってしまったのではないかと言葉を濁す。


 無理もない、と北条ほうじょうは思う。長い間、治安の良さを売りにしてきた国でテロまがいの事件を起こそうというからには、その影響とのバランスを考えざるを得ない。どちらかの圧倒的な勝利は、どう見積もってもいろいろと問題が大きすぎるのだ。そのことが大道寺だいどうじの目にはどっちつかずに映るのだろう。


「それは君が気にすることではない」


 北条ほうじょうが冷ややかに突き放すと、大道寺だいどうじは恐縮して背中を丸めた。


「無論、君の不安はわかる。歴史に残る大事件を先導しようというのだからな」


 北条ほうじょうのフォローに、大道寺だいどうじは少し気を取り直して言った。


「どうも私には……いえ、浅学せんがくだからなのでしょうが、我が国の不利益を招きそうな気がするのですが」


「間違ってはいない」と北条ほうじょう躊躇ちゅうちょなく言った。「国際的な信用低下は免れない……だがな大道寺だいどうじ


 と。盃を置き座り直して、北条ほうじょう大道寺だいどうじを見据えた。


「この国は中途半端なままここまで来てしまった。大手術が必要な問題点を、対症療法で誤魔化ごまかし続けてきた結果が、現在の情けない国家なのだ。他人の顔色ばかり窺い、他国の横暴にすら定型文でしか文句が言えぬ。国際貢献などと聞こえはいいが、自衛隊員は目の前で銃を向けられても威嚇すらできないのだぞ。すぐそこに危機はあるのだと、そしてそのための準備は何もできていないのだと、平和ボケした連中に知らしめてやらねばならぬのだ」


 大道寺だいどうじの表情が見る間に引き締まった。北条ほうじょうは言葉の調子を低く、強くして続けた。


「一刻も早く、この国を『まともな国』にしなければならない。先達が夢見ていたような国にしなくてはならないのだ。何もこの国を安心して住めなくしようというのではない。偽りの安寧あんねいに縛られた国民の魂を解放するのだ。真の愛国心を呼び覚ますのだ。我々は事件を起こすのではない。大切な忘れ物を取りに行くのだ」


 大道寺だいどうじの目が心なしか潤んでいるのを北条ほうじょうは見た。やはり人選は正解だった。北条ほうじょうとて良心がないわけではない。損な役割を押し付けていると申し訳なく思う。だが、だからこそ、詭弁きべんであっても付け焼き刃でしかなくとも、憂国の使命感が彼を救うだろう。疑念を持ったまま事にあたらせるのは、それこそ非道というものだ。


 準備は整いつつある、いや、間違いなく整う。それは確実に実行されるだろう。その結果を左右するのは……


 ANCLEアンクルだ。


 さあ、どう出る。この計画最大のジョーカー、勝つも負けるも間違いなく切り札となるカード。


 生まれてこのかた、こんなにワクワクすることはなかったと北条ほうじょうは思った。そしてこんなに面白いゲームをプレイしたことも。


 そう、ANCLEアンクルはいわばゲームを面白くするためにわざと入れた、オールマイティカードのようなものだった。そうでもしなければこのゲームはバランスが悪すぎるのだ。すべてのカード効果を無効にする究極のカードが存在する限り。

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