第4話 Episode1-4 アンクルに来た女
7 冷血
【三ヶ月前】
屈強な男の太い腕が道着の
「一本!」
相手は
「
道場の入口に立つ制服の男に名前を呼ばれて、彼女は振り向いた。
少年のように刈り上げた焦茶色の髪の先に、太い眉が引き締める
「副隊長がお呼びだ。直ちに出頭せよ」
「わかりました」
柔らかい中に芯のある声で答え、ようやく腰をさすりながら立ち上がった男に「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げると、流れるような早足で歩き出す。
彼女の名は
一桁数分後、シャワーを浴びて制服に着替えた
「辞令だ」
「特別装備機動警備隊作戦部第二小隊勤務を命ずる」
「はい」
数秒間の沈黙があった。
「質問はないのか」
我慢できなくなったように
「時期外れの急な辞令、誰も聞いたことのない組織、私なら疑問だらけだ」
「ありません」
「命令された場所で、命令された職務に全力であたるのみです」
「君は新組織において新型装備の
「今日にでも」
やはり即座に舞は答えた。
「我々としても君のような優秀な隊員を手放したくはないのだ。だが、小柄で強靭、学習能力の高さと非常時の決断力を要するという条件に完全に合致してしまった。かくなる上は、北部方面航空隊の名に恥じぬ活躍を期待したい」
「はい」と
「以上だ。詳細は人事部から説明する。準備が整い次第、担当の指示を仰ぎたまえ」
「わかりました。失礼します」
シャープな敬礼を見せると、
舞の姿が消えると、小野塚はもう一度大きく深呼吸した。そして部屋の隅で存在感を消して立っていたタイトスカート姿の人事部長を見る。
「普通は自衛官である前に人間なのだが、彼女は逆だな」
「どうでしょうか」
二等陸佐
「そんな人間はいないのではないですか。特に女性の場合、こういう組織でやっていくには見えない鎧が必要なものですよ」
「そうは言うがね、
「そりゃあ女性に限ったことじゃない」
今度は
「今の言葉は、忘れた方がよろしいでしょうか?」
☆
結局先に待っているはずの送迎車よりも早く本部建屋の正面に着いてしまう。
あいにく雨模様の札幌の空を見上げながら、自分はこうやって「選ばれたり選ばれなかったり」しながら生きていくのだろうと
五分ほど待つとようやく特殊ナンバーを付けた送迎の白いステーションワゴンがやって来た。後部座席に乗り込むと、スーツ姿の女性運転手が軽く振り向きながら「到着は深夜になるわよ」となぜか楽しそうに言った。
「途中で一泊も許可されてるけど、どうする?」
「いえ、先方に迷惑がなければ直行で」
窓の外を見ながら
「ああ、それは大丈夫みたい。警備は二十四時間体制だし、あなたには個室が用意されてるから」
「個室?」
「ええ、個室よ。夢みたいでしょ」
アクセルを踏み込みながら彼女は言った。
「どこの基地ですか」
さすがに不審に思った
「聞いてないの? 基地じゃなくて、民間の施設よ。
「そうですか」
「あなた、変わってるって言われない?」
しばらくして、わかりやすい
「わかりません」と
ふーん、と女性は間伸びした声で言った。
「
「そうですか」
「そうよ」
どうしてだろうと思ったが、どうしてかは
8 急報
「驚いたわね」
朝イチで
「モノがモノだけに最低三週間はかかると思っていたんだけど……たった十日でこの数値とはね」
女性用のポリマースーツはさすがに両胸の中央で素材が厚くなってはいるが、身体の
「どこか痛いところはない?」
「ありません。慣れました」
「では予定を前倒しして、明日から実践訓練を。その後に本部勤務となります。一人暮らしの経験は?」
「問題ありません」
「じゃあ今日は休んだら? 見たところ、ここは来てから一日も休みがないようだし」
「まだ感覚が不十分なところがありますので」
「いつもあんな調子なの?」
後ろでまとめた
「え、ええ……あ、いや、話すこともほとんどないので……」
「話しかけないからじゃないの」
「無視されそうじゃないですか……そうすると次の日からやりづらいですし……」
「
急に名前を呼ばれた
「……君、
☆
部屋に戻る途中で、
日本人以外のDNAが入っているのであろう、赤茶がかった金色の髪を短く刈り、右眼の
「
「はじめまして。僕は
前を塞がれた
「もしよかったら、休憩室で少し話しませんか。隊員同士、コミュニケーションを取っておくことも必要でしょう?」
小首を傾げて言う
「訓練がありますので」
「ほんの10分でいいんですよ」
なおも食い下がる
そしてそのまま脇をすり抜けながら振り向いて言う。
「10分あれば食事ができます」
「面白い女だな」
☆
環境が変わったせいで、いや決してそれだけではないのだが、民間企業というこれまでとは価値観の異なる人間に囲まれた
(自分が会議室でも、なんなら区切った廊下の隅でもよかったのに)
(いったい自分は何をしているんだろう。いや、何を「選んだ」のだろう。でなければ、何に「選ばれた」のだろう)
くたびれたグレーのスウェットでパイプベッドに横になりながら、
そういえばずいぶん長いこと、思い切り笑っていないが、思い切り泣いてもいないと
考えない。
考えない。
考えなければ不安も恐怖もない。
不安も恐怖もなければ、身体は思った通りに動くのだ。
☆
突然仮眠室のドアを叩く音で
「
大声で呼ばれてベッドを飛び降り、ドアを開けると、数日前からここに詰めている
「
そう言って、手にした携帯電話を差し出した。頑強な外観の衛星電話だった。そういえば充電切れのスマートフォンを放置していたままであることを思い出す。
「ケンネルよりフライング・スピッツへ」
「こちらフライング・スピッツ。どうぞ」
「フライング・スピッツ、回線をポインターに繋ぎます。どうぞ」
「了解」
ややあって、接続音と空電のノイズの後に
「こちらポインター。フライング・スピッツ、東京湾新有明島にて事件発生」
そして急に柔らかな口調になる。
「いちおう出動してもらえるかしら。実弾武装で。たぶん可能性は低いと思うんだけど」
「可能性が1%でもあれば動くのが我々の仕事です」
「悪いわね」
「何がですか」
「まだ訓練途中なのに」
「そのための訓練です」
少し間があった。
「フライング・スピッツ、
口調を戻して、
「フライング・スピッツ、5分でスタンバイします。オーバー」
格納庫のスライド屋根が、重々しい音を立ててゆっくりと開き、星が点在する空が見えた。少なすぎる、と
リフトカーに登って機体に乗り込むと、小さな金属板を繋ぎ合わせたような操縦席に身体を埋める。座り心地は悪すぎるが、べつに遊覧飛行をするわけじゃない。
「
フロントガラスの内側に貼られた有機ELスクリーンに、
〈現在、第一種即応態勢が発動中。現場の
自動通信を処理した情報がスクリーンに次々と表示されていく。
「エンジン起動」
〈エンジン、起動します〉
軽い振動と共に背中の向こうでローターが回転する通奏低音が聞こえ始めた。
「
〈巡航モードに
「何か問題ある?」
〈OBモードへの移行時に接続されます。問題はありません〉
「なら動かして。いちいちシートベルトを外すの面倒だから」
〈
舞は姿勢を整え、操縦室の天井から降りてきた両腕用のセンサーユニットに肘から先を指を伸ばして嵌め込んだ。
「
☆
講習が長引いてしまい、護衛付の運搬車を見送って、ようやく帰れると思ったところへ本部からの連絡と首都高通行止めの報が入り、どうしたものかと運転席で時間を持て余していたのだった、ということになっている。表向きには。
即応態勢とはいえ、直接の連絡もなくコードネーム「ボルゾイ」も呼ばれないところを見ると自分、いや、自分たちには出番がなさそうだった。
視線の先では、赤い航空ランプを点滅させて、異形のヘリコプターがちょうど格納庫の影から上空へと姿を現したところだった。地上からのサーチライトがその
「……あれが……ヴァルキュリス」
テールローターを持たない交差反転式ツインローター
機体は格納庫の真上でしばらくホバリングした後、急に前のめりに
(若い女の子に、戦場を飛び回って死者を選ぶような役割は負わせたくないものだな)
ドアを開けたままのトランスポーターから、常時受信している部隊通信がひっきりなしに聞こえていた。
「……こちらイーグル」
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