第13話 Episode3-1 となりのニトロ

 25 侵入


 分譲マンション『パライソ下目黒しもめぐろ』505号室の住人を、同じ階の入居者でも知る者はほとんどいなかった。表札に「城之内じょうのうち」とあることから、誰かが住んでいることは間違いないという程度の認識だった。時折宅配業者がドアのボックスに何かを入れていく以外訪れる者とてなく、やむを得ぬ用件でベルを鳴らす自治会長は、いつも「決められたことには従う」という誰かの伝言みたいな台詞をインターホン越しに聞いてきびすを返すしかないのだった。


 立地も良く、決して安くはない価格のこのマンションの購入者は、505号室の住人が若干二十代前半の青白い顔をした青年ただ一人だと知ったら、ヒステリックに笑いながら悪い冗談だと思うに違いない。


 だが城之内克也じょうのうちかつやは、たとえ誰かが好奇心や敵意や羨望せんぼうをあらわに部屋を覗いていたとしても、そんな視線など一切気にも留めないだろう。実際の彼はカーテンを閉め切った昼間でも薄暗い部屋の真ん中で、十数台ものパソコンとモニター、さらに謎の電子機器に囲まれて、眠っている時以外はかれたようにキーボードを叩き続けているのだ。


 その指が不意に止まると、モニターを見つめる彼の口元が一瞬緩み、直後に深刻な表情に変わった。彼が動かしているのは、システムのファイアウォールを破壊しながら、同時に自分だけを認識不可能な形で再構成するハッキングプログラム『SAKANYA』だった。相手はリアルタイムの監視ですら、システムの侵入を許しているとは気づかないのだ。城之内じょうのうちは国際的ハッカー集団『スマニノア』のトップメンバーの一人なのであった。


 スマニノアは厳格な指揮系統を持つ集団ではない。技能を有するネット自由主義者の緩やかな連携であり、システム攻撃の依頼を呼びかけることはあっても強制ではなく、通常は各々がそれぞれの目的で行動している。従って全体主義国家に対する抵抗もあれば、一企業に向けた脅迫もある。共闘を呼びかけられない限り、他のメンバーの行動には干渉しないのが暗黙のルールなのだ。


 城之内じょうのうちはマルウェアを用いた企業脅迫と奪ったデータの売買で生計を立てているが、基本的に隠蔽されているものは探りたくなってしまう人間だった。先のG7東京サミットでのテロリスト襲撃事件、そしてテロ集団の一員であったという政務官の自殺、さらには首相秘書官の不可解な事故死……裏に何もないと考える方がおかしい。


 死んだ二人の個人データの特定を足掛かりに、城之内じょうのうちは入り組んだ小径を辿るようにして、次々に繋がりを移動していく。その途上だった。


(……何だこれは)


 城之内じょうのうちは自分の目を疑い、次に罠を疑い、そして酔狂すいきょうな何者かによるSF小説の設定を疑った。どんな偶然や幸運を持ってしても辿り着けない深層ウェブの、さらにローカル領域に隠されたブラックボックス。


 そのデータ群の管理者名は


「SRASH/Supervisor for Revolution by Anti Social Hierarchy」


          ☆


「SOUND ONLY」


 まあそうだろうな、とANCLEアンクル作戦課長上原頼豪うえはららいごうは唇をゆがめ、向こうからは見えていると気づいて、舌の先で歯の裏を探るふりをしてみせた。


「ずいぶん早い夕食ですね」


 モニターの奥の声が笑いながら言う。


「遅すぎる昼食だよ」

 上原うえはらは不機嫌を隠さずに答えた。

「で、今度は何だ、ボルゾイ……いや、GACCAガッチャマン」


「あなたが作戦課長に任命された理由がよくわかろうというものですね」


 板野真亜玖いたのまあくは嫌味のない口調で言った。もちろん、上原うえはら板野いたのを知らない。秘密工作隊GACCAガッチャの指揮官「ボルゾイ」だということだけである。


伝地でんち情報課長が直接伝えた方がいいだろうと」


「彼女は私と一対一で話したくないんだ。黙って聞かないからな」

「お気の毒です」

「それはどちらに言っている?」


 板野いたの上原うえはらの問いを無視した。


「お知らせが二つあります」

「あれか、良い知らせと悪い知らせ、どちらから聞きたいかというやつだな」


「いいえ」

 板野いたのはあっさりと否定した。

「悪い知らせと非常に悪い知らせです」


 上原うえはらは指令室の天井を仰いだ。


「タイトルを聞いて考えよう」

GUARACTERギャラクターN3エヌスリーです」


 上原うえはらはため息をついた。意味がわからん。

「……どっちでもいい」


「襲撃犯の取り調べの話です」と板野いたのは続けた。「大半は外国人で、新有明島しんありあけじまの犯人同様、詳しい事情は何も引き出せません。ただ、一人だけ日本人が混じっていました」


「そいつが指揮していたのか」

「いえ、末端です」

「末端?」

「裏に大規模なテロ組織の存在があるらしいのです。それがGUARACTERギャラクターです」


「世界の悪魔か」

 上原うえはらが苦笑気味に言った。

「どうせ指揮官は耳の尖った覆面か何かをしているんだろうよ」


「何の話です?」


 こっちの話だ、と上原うえはらは先を促す。暗合もここまで来ると冗談にすらならない。おそらくみんな本気と冗談の区別がついていないのだろう。自分も含めて。


男「……俺は単なる現地の連絡係だよ。それがさあ、時間になっても一人来ねえんだ。逃げやがったんだよ。それで仕方なく俺がトレーラーを運転したんだ。……もちろん無免許だよ、あたりまえだろ。……わかってるのかって、そりゃわかってるよ。過激な抗議活動、ってやつだろ。……連絡? 電話かメールだよ。俺のスマホ調べてみろよ、支給品だけどな。……相手? 知らねえよ。会ったことねえし。いや、スマホ受け取った時に一度会ったっけな。覚えてねえけど……ああ、GUARACTERギャラクターって組織さ。ま、俺にとっちゃ人材派遣会社の名前と同じ意味しかねえがな。奴らに拾ってもらえなかったら今頃野垂れ死にしてたと思うぜ。……世界を地均じならしなきゃならないって言ってたな。いいじゃねえか、この国は不公平すぎるよ。……よく喋るって? 言葉の通じねえ連中とばっかり一ヶ月も過ごしてみろっての。……ああ、まったく! おかげで身振り手振りが癖になっちまった」


「確かに、骨の髄まで末端だな」


 録音音源を聴き終えた上原うえはらが言った。


「男の情報が必要ですか」


 板野いたのの確認に、上原うえはらは首を振った。


「必要ですか、ってのは、不要だということだな」

「そう思います」

「そのGUARACTERギャラクターだが、まさか『ブラック・クリスマス』にもかかわっていたのではあるまいな」

「そうでしょうね」


 板野いたのは簡単に同意した。


「少なくとも、国内のみならず紛争地域にま

でリクルーターを送り込める人材とルート、重機窃盗グループを統括して、さらに強奪重機や運搬車両を隠しておける組織力、一朝一夕には構築できませんよ」


 上原うえはらうなった。


「……それだけの組織が、この国で独立して存在できるとは思えないんだかね」

「どういう意味です?」


 なにげなくいたつもりだろうが、反応がいささか早すぎると上原うえはらは思った。おそらく何か心当たりがあるのだろう。もちろん上原うえはらにもある、というよりここまでの情報を考えれば答えは一つしかないのだが、果たしてそんなことがあるだろうか。

 加害者側にも被害者側にも攻撃側にも防御側にももれなく名を連ねる穴橋あなはしグループ。もしそうだとしたら、そんな壮大な一人相撲に何の意味が?

 では、自殺した政務官も穴橋あなはしが送り込んだのだろうか。一応筋は通る……いや待て、何かおかしい。


 そうだ、スレイプニル強奪が芙蓉ふよう襲撃のためだったとしたら、あの下働きの政務官が一人でサミットの日程まで変更したことになる。さすがにそれは無理がないだろうか……と考えて、上原うえはらは思わずあっと声を上げた。不慮の交通事故で死んだ首相秘書官北条正憲ほうじょうまさのり


 あれは、事故じゃない。


 首相秘書官までもが駒だとしたら、たとえGUARACTERギャラクターにベルク・カッツェがいたとしても、総裁Xは他にいる。


「どうかしましたか」

「……いや、何でもない」


 飄々ひょうひょう板野いたのに、上原うえはらは言葉を濁した。こいつは気づいているのだろうか。

 自分の知らない情報を元に、あの土壇場で的確な手を打った男だ、きっと気づいているのだろう。だがわざわざこちらの手札を見せる必要もあるまい。


「それで、N3エヌスリーというのは」

 上原うえはらは話題を変えた。

「N2《エヌツー》なら知っている。通常兵器だ。役に立たんがATフィールドの内側なら効果はある」


 何の話かわかりませんが、と板野いたのはもう一度言った。


「正解です」

「え?」


 上原うえはら頓狂とんきょうな声を上げた。


「新型爆薬のことなのですよ……説明が要りますか?」

 思うところありげに言う板野いたのに、上原うえはらはもちろんだと返した。


「要りますか、ってのは、要らないということだろうが、あいにくこちらはまったくわからないのでね」


「でしょうね」と板野いたのは言った。食えない奴だ。


「旧ソ連が開発したとされる窒素爆弾は、実在しないことが明らかになっています。ただ窒素からエネルギーを取り出す研究は進んでいて、1700度の状況下で110万気圧をかけると変化するポリ窒素は、トリエチレントリニトロアミンの5倍のエネルギーを持つことがわかっていました。ただ取り扱うにはあまりにも不安定な物質のため、実用化はされていなかったのです」


「えーっと、トリ……何だって?」

 上原うえはらはどうしようもなくなって言葉を挟んだ。


「トリエチレントリニトロアミン。一般的にはプラスチック爆薬と呼ばれるものです。米軍の使うC4爆薬などがそれです。またペンスリット爆薬と混合したエクスプルージアは、探知が困難なことから主にテロリストの破壊活動に用いられ、『テロリストのC4』の別名があります。1988年のパンナム機爆破事件では、たった300グラムほどで旅客機を木っ端微塵に爆散させました」


 板野いたのが淡々と言った。上原うえはらはとうに話の本筋が見えなくなっていた。


「それが、何だって?」

「つまり途轍もない爆発力だということですよ。現時点で最強の爆薬はヘキサニトロヘキサアザイソウルチタン、これは秒速9000メートル以上の爆速を発生させるのですが、おそらく最低でもその3倍の威力はあると思われます。そのポリ窒素の安定化がどうやら既に成功していたらしいのです。いえ、それどころか実際に成形炸薬弾せいけいさくやくだんへの流用が確認されました」


「ちょっと待て!」

 上原うえはらは慌てて板野いたのの話を止めた。

「それは、具体的に、何の話なんだ」


新有明島しんありあけじまの件ですよ」と、板野いたのは落ち着き払って言った。「爆破された倉庫は穴橋あなはし港湾倉庫の所有になってはいますが、実際には穴橋あなはし化学の研究施設として使われていました。ポリ窒素の安定化に成功したらしいというのが、その穴橋あなはし化学なのです。倉庫はN3《エヌスリー》施設と呼ばれていました。そして新型爆薬の社内での仮名は、N3《エヌスリー》です」


「……いったい、おまえは何者なんだ」


 上原うえはらは思わず尋ねた。いったいどこからそんな情報を、という同じ台詞をそう何度も口にしたくはなかった。馬鹿みたいだからだ。


「ただのANCLEアンクル隊員ですよ」

 板野いたのはしれっと答えた。


 おそらく「ただのANCLEアンクル隊員」は嘘ではないのだろうと上原うえはらは思った。それがいくつかある顔の一つだというだけで。


「情報の出所を疑っているのでしょう?」

 板野いたの上原うえはらの内心を見透かしたようにいた。


「当然だろう。倉庫を調査したのは自衛隊情報保全隊だ。風の噂が聞こえて来るような組織じゃない」


 上原うえはらが言うと、板野いたのは「そうですね」とあっさり肯定した。自衛隊以外で、自衛隊の機密情報にアクセスできる立場だと?


「まさか……」

「そのまさかですよ」


 板野いたのはこともなげに言った。


「米軍が介入してきました」



 26 脅威


「その新型爆薬弾をスレイプニルが搭載していたと?」


 しんと静まり返った部屋に入谷邦明いりやくにあきの声が響いた。


 ANCLEアンクル本部の会議室、とは名ばかりの実質食堂兼休憩室である。

 上原うえはら作戦課長の招集に応じて集まったのは、他に零音一人れおんかずと卯月舞うづきまい路地屋理佐ろじやりさの第二小隊メンバー、第一小隊からは滝久明たきひさあき浅見弘一あさみこういち、そしてこうした場には珍しく船縁甲ふなべりきのえ、整備担当は全員、大破したガードナー001と002の修理に忙殺され続けている。兵站へいたん担当を駆り出してもまだ人手が足りないくらいだ。


 そして田村幹夫たむらみきおはといえば、いまだに病院から退院していない。診断は単なる脳震盪だが、頭痛と眩暈めまいが抜けないという。


「一発だけですが、確認済みとのことです。試作品だったと考えていいでしょう。複数あるとしても、使える砲は自衛隊にしかありません。砲を生産している菱井ひしい重工を除けばですが」


 上原うえはらの隣に離れて座る情報課長伝地順子でんちじゅんこが、能面のような無表情を崩さずに答えた。入谷いりやが不審げな眼差しを投げた。


「そいつはそんなにヤバい代物なのか」


 専門外なのでよくは知りませんが、と前置きして船縁ふなべりが口を開いた。


「ポリ窒素を単体で安定化できるとは到底思えません。おそらく何らかの固定材か可塑剤かそざいが使われているものと思われます。しかし、仮に含有率50%だとしても、通常のプラスチック爆薬の約250%のエネルギーを持つと推測されます」


「砲弾に充填していなくとも、設置型爆薬として存在する可能性はあるんでしょう?」


 路地屋ろじやが言うと、伝地でんちは少しだけ不遜ふそんな表情になった。


「わかりません」


「至近距離ならガードナーでも全壊だわ」


 路地屋ろじやの軽い口調が、逆に重々しい空気を呼び込んだ。


「とにかくヤバそうなことだけはわかった」

 入谷いりやは真面目な顔で言い、それにしても、と続ける。

「情報課が米軍と仲良しだとは知りませんでしたね」


 伝地でんち片眉かたまゆを少し上げただけで、口調を変えずに言う。

「自国のみならず、同盟国の首脳までもがまとめて狙われたのです。全面的な情報の共有を要求しています。有言実行ということです」


 それは半分は本当だったが、半分は嘘だった。米軍からの情報だということは確かなのだが、その経路がわからないのだ。情報保全隊が防衛大臣の直属である以上、防衛省経由ではないはずだ。しかし伝地でんち上原うえはら同様、直接の情報元「ボルゾイ」の正体を知らない。わかっているのは、信頼に足るということだけだ。


 海底に沈んだスレイプニルの引き上げを行ったのは在日米海軍だった。表向きには海保も海自もサルベージ技術がないための依頼ということになっているが、実際には強硬に引き上げを主張する米軍に対し、自衛隊は相当に抵抗したという話が伝わっていた。最後には地位協定まで持ち出されたと。それもまた米軍経由のリークだった。


 どうやら新有明島しんありあけじまの倉庫調査を横取りした自衛隊の情報保全隊は、その結果を完全に隠蔽しようとしていたらしい。つまりN3エヌスリー開発には自衛隊も無関係ではなかったということだ。可能ならスレイプニルの新型爆薬弾も密かに回収するつもりだったのだろう。


「こんなことが公になったら大騒ぎどころの話じゃありませんよ」


 入谷いりやが言うと、上原うえはらが渋い表情で口を開いた。


「公にはならない」


 入谷いりや上原うえはらにらんだ。


「誰かがしないとも限りません」


「たとえば君がSNSにでもこの件を書き込むとしよう。数時間後には発言は削除され、デマだったという君の謝罪文が掲載されて、君自身は行方不明になるだろう」


 入谷いりやの表情がゆがんだ。


「ええ、誰よりよく知っていますよ。穴橋あなはし絡みの事件はみんなそうだ」


 吐き捨てるように言うと、もう何も言わないとばかりに腕を組んで天井を見た。


穴橋あなはしが風邪をひいたら日本がくしゃみをするのです。自衛隊の主力装備を担う菱井ひしいとてそうです。巨大企業でなければ生き残れない時代になってしまったのは、決して政策の失敗だけではありません。互いに利用し合ったからです。それは自衛隊と穴橋あなはし菱井ひしいだけじゃない。政府もそう、そして米軍もそうです。彼らは漁夫の利を取りに来ただけです」


 伝地でんちがいつになく饒舌じょうぜつに語った。


「いずれにせよ、我々の領分ではありません。あなたの個人的な怨嗟おんさも含めてです、入谷いりや警部補」


 階級を出されて、入谷いりやの頬が微かに痙攣するのを一人かずとは見た。本来の所属が自衛隊だというだけで、気まずい思いに一人かずとはとらわれていた。考えてみれば、ここにいるアウターバディ乗りは入谷いりや以外は全員自衛隊員なのだった。入谷いりやだけが噛みついているのも、当然と言えば当然ではあった。田村たむらがいればまた違ったのかもしれないが。


「苦々しい思いをしているのは君だけではないよ」


 上原うえはらが静かな声で言った。


「……で、そのGUARACTERギャラクターですが」


 重苦しい沈黙に耐えきれなくなったように浅見あさみが口を開いた。


「そうだ。我々の敵が明白になったということだ」


 上原うえはらが少しだけ覇気を取り戻した声で言った


「警視庁はGUARACTERギャラクターの実態解明に全力を上げている。奴らの目的が何であれ、我々は捜査機関ではない。次の陰謀に備えるだけだ」


「その黒幕が穴橋あなはしだったらどうするんです」


 入谷いりやが天井を向いたまま言った。上原うえはら伝地でんちが一瞬目を合わせた。『ブラック・クリスマス』事件の背後に穴橋あなはしグループがあることはもはや疑いようがなかったからだ。その介入がトップダウンで行われたのか、それとも一部の暴走なのかがわからないだけだ。


「その時は、腹をくくるしかない」


 上原うえはらが葛藤を露わにして言った。伝地でんちがもう一度上原うえはらを見たが、今度は視線が合わなかった。


「私も警察の人間だよ。忘れているかもしれないがね」


「忘れていました」


 入谷いりやがやっと上原うえはらを見て言った。


「今思い出しましたよ、上原うえはら警視正」


         ☆


「……世の中理不尽だよなあ、スヌーピー」


 会議が終わっても椅子に座ったままの入谷いりやがぽつりと言った。入谷が席を立たないので、一人かずとも腰を浮かしかねていたのだった。


「そう思わねえかウッドストック」


 見ると入谷いりやの向こうでまいもまだ座ったままである。


「私はいつからウッドストックになったんですか」


 まいが冷静に問うたが、入谷いりやはそれを無視した。

 うっすらとではあるが、無言の一体感のようなものを感じて、一人かずとは少しだけ背中が軽くなったような気がした。もし自分が失敗していたらと考えると、今さらながら逃げ出したくなるようなプレッシャーを感じていたのだ。


「黒幕が穴橋あなはしなら、穴橋あなはしの作ったマシンで穴橋あなはしと戦ってるわけだ。まるで仮面ライダーじゃねえか」


 入谷いりやはそう言って、声を出さずに笑った。


 すると、会議室の入口に戻って来た人影が見えた。第一小隊のたきだった。


「仮面ライダーと言った途端にたきか」と、入谷いりやがよくわからないことを言う。


「すいません、お待ちしていたのですが、なかなか来られないので……」

 たきは言いながら、入谷いりやの前に歩みを進めた。


入谷いりやさんに折り入ってお願いがあるのですが」


「俺に?」

 入谷いりやは自分を指差しながら不思議そうに言った。

「第二小隊に移りたいという話なら、俺は構わんが」


 真顔で言う入谷いりやは、今度はたきに無視された。


「田村さんのことです」

 たきは見るからに困った顔で言った。


「作戦課のエース殿がどうしたって?」

 それは皮肉にしか聞こえなかったが、悪気なく皮肉を言うのが入谷いりやなのでどうしようもない。


「できればお見舞いに行ってもらえないでしょうか」


「ああ?」

 入谷いりやは心底意外そうな声を上げた。

「なんだ、誰も来ないからねているのか」


「逆です」とたきは答えた。「これは僕の感触ですが、たぶん入谷いりやさんと顔を合わせたくないのです。だから退院を先延ばしにしているのです」


 意地の悪そうな苦笑が入谷いりやの顔に広がった。


「ったく、しょうがねえな。子どもかよ」

「そういうところは子どもなのです。ですから……」

「ああ、わかったわかった」


 入谷いりやは手をひらひらと横に振ってたきの言葉を遮る。


「無理矢理押しかけて、思い切り馬鹿にしてやればいいんだろう」


 たきは否定するどころか、深々と頭を下げた。

「お願いします」


「お互い大変だな」

 一人かずとが言うと、入谷いりや眉根まゆねを寄せて一人かずとを見た。

「おい、どういう意味だ?」


 その奥で、まいがほんの少し表情を崩すのが見えた。


          ☆


 城之内克也じょうのうちかつやは罠を張ることにした。

 データから推察される仮定は、あまりにも荒唐無稽だった。


「テロリストを操って日本を思い通りに改革しようとする政界財界の有力者による秘密組織」


 まるで漫画だ。いや、今時漫画でもリアリティのなさを批判される設定だろう。これならば「世界はイルミナティの計画通りに動いている」とか「あらゆる国の中枢にはフリーメイソンが入り込んでいる」とかいう話の方が、まだ多少は信じる余地があろうというものだ。

 メンバーに共有しようかとも考えた。しかし共有してどうなる。「Thank You. Cragy Guy!」とでも言われて終わりだろう。彼らは極東の島国の体制がどうなろうと知ったことではないはずだ。 


 だが。


 くだらないと捨て置いたとして、そのうち忘れてしまうだろうか。


 否。


 もし本当だったとしたら、自分には関係ないと口をつぐんでいられるだろうか。


 否だ。


 好奇心は猫を殺す、という諺は真実だと城之内じょうのうちは思った。

 とにかく、これが「馬鹿げた妄想の産物」だと確定させる必要があった。仮に、万が一、いや十万が一、いや百万が一、真実が混じっていたとしたなら、スマニノアの名で流出拡散するのみだ。人は自由こそが正義だと思い知るだろう。


 城之内じょうのうちはシステムジャック・マルウェア『HISASHIWOKARITEOMOYAWOTORU』を送り込んだ。


 ターンエンドだ。


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