第13話 Episode3-1 となりのニトロ
25 侵入
分譲マンション『パライソ
立地も良く、決して安くはない価格のこのマンションの購入者は、505号室の住人が若干二十代前半の青白い顔をした青年ただ一人だと知ったら、ヒステリックに笑いながら悪い冗談だと思うに違いない。
だが
その指が不意に止まると、モニターを見つめる彼の口元が一瞬緩み、直後に深刻な表情に変わった。彼が動かしているのは、システムのファイアウォールを破壊しながら、同時に自分だけを認識不可能な形で再構成するハッキングプログラム『SAKANYA』だった。相手はリアルタイムの監視ですら、システムの侵入を許しているとは気づかないのだ。
スマニノアは厳格な指揮系統を持つ集団ではない。技能を有するネット自由主義者の緩やかな連携であり、システム攻撃の依頼を呼びかけることはあっても強制ではなく、通常は各々がそれぞれの目的で行動している。従って全体主義国家に対する抵抗もあれば、一企業に向けた脅迫もある。共闘を呼びかけられない限り、他のメンバーの行動には干渉しないのが暗黙のルールなのだ。
死んだ二人の個人データの特定を足掛かりに、
(……何だこれは)
そのデータ群の管理者名は
「SRASH/Supervisor for Revolution by Anti Social Hierarchy」
☆
「SOUND ONLY」
まあそうだろうな、と
「ずいぶん早い夕食ですね」
モニターの奥の声が笑いながら言う。
「遅すぎる昼食だよ」
「で、今度は何だ、ボルゾイ……いや、
「あなたが作戦課長に任命された理由がよくわかろうというものですね」
「
「彼女は私と一対一で話したくないんだ。黙って聞かないからな」
「お気の毒です」
「それはどちらに言っている?」
「お知らせが二つあります」
「あれか、良い知らせと悪い知らせ、どちらから聞きたいかというやつだな」
「いいえ」
「悪い知らせと非常に悪い知らせです」
「タイトルを聞いて考えよう」
「
「……どっちでもいい」
「襲撃犯の取り調べの話です」と
「そいつが指揮していたのか」
「いえ、末端です」
「末端?」
「裏に大規模なテロ組織の存在があるらしいのです。それが
「世界の悪魔か」
「どうせ指揮官は耳の尖った覆面か何かをしているんだろうよ」
「何の話です?」
こっちの話だ、と
男「……俺は単なる現地の連絡係だよ。それがさあ、時間になっても一人来ねえんだ。逃げやがったんだよ。それで仕方なく俺がトレーラーを運転したんだ。……もちろん無免許だよ、あたりまえだろ。……わかってるのかって、そりゃわかってるよ。過激な抗議活動、ってやつだろ。……連絡? 電話かメールだよ。俺のスマホ調べてみろよ、支給品だけどな。……相手? 知らねえよ。会ったことねえし。いや、スマホ受け取った時に一度会ったっけな。覚えてねえけど……ああ、
「確かに、骨の髄まで末端だな」
録音音源を聴き終えた
「男の情報が必要ですか」
「必要ですか、ってのは、不要だということだな」
「そう思います」
「その
「そうでしょうね」
「少なくとも、国内のみならず紛争地域にま
でリクルーターを送り込める人材とルート、重機窃盗グループを統括して、さらに強奪重機や運搬車両を隠しておける組織力、一朝一夕には構築できませんよ」
「……それだけの組織が、この国で独立して存在できるとは思えないんだかね」
「どういう意味です?」
なにげなく
加害者側にも被害者側にも攻撃側にも防御側にももれなく名を連ねる
では、自殺した政務官も
そうだ、スレイプニル強奪が
あれは、事故じゃない。
首相秘書官までもが駒だとしたら、たとえ
「どうかしましたか」
「……いや、何でもない」
自分の知らない情報を元に、あの土壇場で的確な手を打った男だ、きっと気づいているのだろう。だがわざわざこちらの手札を見せる必要もあるまい。
「それで、
「N2《エヌツー》なら知っている。通常兵器だ。役に立たんがATフィールドの内側なら効果はある」
何の話かわかりませんが、と
「正解です」
「え?」
「新型爆薬のことなのですよ……説明が要りますか?」
思うところありげに言う
「要りますか、ってのは、要らないということだろうが、あいにくこちらはまったくわからないのでね」
「でしょうね」と
「旧ソ連が開発したとされる窒素爆弾は、実在しないことが明らかになっています。ただ窒素からエネルギーを取り出す研究は進んでいて、1700度の状況下で110万気圧をかけると変化するポリ窒素は、トリエチレントリニトロアミンの5倍のエネルギーを持つことがわかっていました。ただ取り扱うにはあまりにも不安定な物質のため、実用化はされていなかったのです」
「えーっと、トリ……何だって?」
「トリエチレントリニトロアミン。一般的にはプラスチック爆薬と呼ばれるものです。米軍の使うC4爆薬などがそれです。またペンスリット爆薬と混合したエクスプルージアは、探知が困難なことから主にテロリストの破壊活動に用いられ、『テロリストのC4』の別名があります。1988年のパンナム機爆破事件では、たった300グラムほどで旅客機を木っ端微塵に爆散させました」
「それが、何だって?」
「つまり途轍もない爆発力だということですよ。現時点で最強の爆薬はヘキサニトロヘキサアザイソウルチタン、これは秒速9000メートル以上の爆速を発生させるのですが、おそらく最低でもその3倍の威力はあると思われます。そのポリ窒素の安定化がどうやら既に成功していたらしいのです。いえ、それどころか実際に
「ちょっと待て!」
「それは、具体的に、何の話なんだ」
「
「……いったい、おまえは何者なんだ」
「ただの
おそらく「ただの
「情報の出所を疑っているのでしょう?」
「当然だろう。倉庫を調査したのは自衛隊情報保全隊だ。風の噂が聞こえて来るような組織じゃない」
「まさか……」
「そのまさかですよ」
「米軍が介入してきました」
26 脅威
「その新型爆薬弾をスレイプニルが搭載していたと?」
しんと静まり返った部屋に
そして
「一発だけですが、確認済みとのことです。試作品だったと考えていいでしょう。複数あるとしても、使える砲は自衛隊にしかありません。砲を生産している
「そいつはそんなにヤバい代物なのか」
専門外なのでよくは知りませんが、と前置きして
「ポリ窒素を単体で安定化できるとは到底思えません。おそらく何らかの固定材か
「砲弾に充填していなくとも、設置型爆薬として存在する可能性はあるんでしょう?」
「わかりません」
「至近距離ならガードナーでも全壊だわ」
「とにかくヤバそうなことだけはわかった」
「情報課が米軍と仲良しだとは知りませんでしたね」
「自国のみならず、同盟国の首脳までもがまとめて狙われたのです。全面的な情報の共有を要求しています。有言実行ということです」
それは半分は本当だったが、半分は嘘だった。米軍からの情報だということは確かなのだが、その経路がわからないのだ。情報保全隊が防衛大臣の直属である以上、防衛省経由ではないはずだ。しかし
海底に沈んだスレイプニルの引き上げを行ったのは在日米海軍だった。表向きには海保も海自もサルベージ技術がないための依頼ということになっているが、実際には強硬に引き上げを主張する米軍に対し、自衛隊は相当に抵抗したという話が伝わっていた。最後には地位協定まで持ち出されたと。それもまた米軍経由のリークだった。
どうやら
「こんなことが公になったら大騒ぎどころの話じゃありませんよ」
「公にはならない」
「誰かがしないとも限りません」
「たとえば君がSNSにでもこの件を書き込むとしよう。数時間後には発言は削除され、デマだったという君の謝罪文が掲載されて、君自身は行方不明になるだろう」
「ええ、誰よりよく知っていますよ。
吐き捨てるように言うと、もう何も言わないとばかりに腕を組んで天井を見た。
「
「いずれにせよ、我々の領分ではありません。あなたの個人的な
階級を出されて、
「苦々しい思いをしているのは君だけではないよ」
「……で、その
重苦しい沈黙に耐えきれなくなったように
「そうだ。我々の敵が明白になったということだ」
「警視庁は
「その黒幕が
「その時は、腹を
「私も警察の人間だよ。忘れているかもしれないがね」
「忘れていました」
「今思い出しましたよ、
☆
「……世の中理不尽だよなあ、スヌーピー」
会議が終わっても椅子に座ったままの
「そう思わねえかウッドストック」
見ると
「私はいつからウッドストックになったんですか」
うっすらとではあるが、無言の一体感のようなものを感じて、
「黒幕が
すると、会議室の入口に戻って来た人影が見えた。第一小隊の
「仮面ライダーと言った途端に
「すいません、お待ちしていたのですが、なかなか来られないので……」
「
「俺に?」
「第二小隊に移りたいという話なら、俺は構わんが」
真顔で言う
「田村さんのことです」
「作戦課のエース殿がどうしたって?」
それは皮肉にしか聞こえなかったが、悪気なく皮肉を言うのが
「できればお見舞いに行ってもらえないでしょうか」
「ああ?」
「なんだ、誰も来ないから
「逆です」と
意地の悪そうな苦笑が
「ったく、しょうがねえな。子どもかよ」
「そういうところは子どもなのです。ですから……」
「ああ、わかったわかった」
「無理矢理押しかけて、思い切り馬鹿にしてやればいいんだろう」
「お願いします」
「お互い大変だな」
「おい、どういう意味だ?」
その奥で、
☆
データから推察される仮定は、あまりにも荒唐無稽だった。
「テロリストを操って日本を思い通りに改革しようとする政界財界の有力者による秘密組織」
まるで漫画だ。いや、今時漫画でもリアリティのなさを批判される設定だろう。これならば「世界はイルミナティの計画通りに動いている」とか「あらゆる国の中枢にはフリーメイソンが入り込んでいる」とかいう話の方が、まだ多少は信じる余地があろうというものだ。
メンバーに共有しようかとも考えた。しかし共有してどうなる。「Thank You. Cragy Guy!」とでも言われて終わりだろう。彼らは極東の島国の体制がどうなろうと知ったことではないはずだ。
だが。
くだらないと捨て置いたとして、そのうち忘れてしまうだろうか。
否。
もし本当だったとしたら、自分には関係ないと口をつぐんでいられるだろうか。
否だ。
好奇心は猫を殺す、という諺は真実だと
とにかく、これが「馬鹿げた妄想の産物」だと確定させる必要があった。仮に、万が一、いや十万が一、いや百万が一、真実が混じっていたとしたなら、スマニノアの名で流出拡散するのみだ。人は自由こそが正義だと思い知るだろう。
ターンエンドだ。
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