第12話 Episode2-7 東京頂上決戦《結》

特装機警ANCLE12


 23 迎撃


 第二小隊隊長、なのだが今は第一小隊の応援に入らされた挙句あげく、たった一人かつ右手一本で重機バスター部隊残り二台を相手にすることになった入谷邦明いりやくにあきは、いったん絶望した後で可笑しくて仕方なくなった。おまけについさっきまで勝手に指示を出すななどと言っていた第一小隊隊長田村幹夫たむらみきおは、ビルの壁に半分埋もれて失神しているときた。


 こんな喜劇があるだろうか。ある。それが今だ。なんという滑稽こっけい、なんという理不尽。


「いや、面白えじゃねえか!」


 入谷いりやは思わず叫んだ。

 そうだ、世界は俺を試しているのだ。やれるものならやってみろとほくそ笑んでいるのだ。ああ、やってやろうじゃないか。なめんなよ。入谷いりやは身体中にアドレナリンが駆け巡るのを感じた、


 再び勢いをつけて一回転してくる鉄球を、打って変わった素早いバックステップで避けると、距離を取っている人型破砕機に突進する。鉄球クレーンが回転している間は近くに寄れないのだ。馬鹿め。パートナーを選ばないとそういうチグハグなことになるのだ。今の俺と同じだ。


 人型破砕機は慌てたように、右手の円盤カッターを回転させながら前に突き出してきた。入谷いりやはタックルのように左肩を前にして突っ込むと、まだ動く左の上腕部にあえてカッターを食い込ませた。高速回転するダイヤモンド刃がガードナーの左腕を無慈悲に切断していく。


〈左上腕装甲破損。内部駆動機構破損〉


 SIMRUGHシムルグの警告にも耳を貸さず、入谷いりやは右手の警棒で思い切り人型重機バスターの喉元を突き刺した。


「必殺! ロッドコレダーァァァ!」


 衝撃によって発生した500万Vの高圧電流が機体を駆け巡り、人型重機バスターは電装系をショートさせて、あちこちから火花を上げながら後ろにバッタリと倒れた。


「最後は貴様だ!」


 入谷いりやは警棒を投げ捨てると、わずかに上腕裏側の装甲だけで繋がっている左腕を右手でじ切る。それを助走をつけて鉄球クレーンの操縦席コクピットめがけて投げつけた。


「ロケットパアァンンチ! 手動!」


 激突した左腕が操縦席コクピットを歪ませ、ガラスが粉々に飛び散った。


「速射破壊銃! もとい、頭部機銃!」


 入谷いりやが叫ぶと、ガードナー頭部右側に30ミリ機関砲が露出し、スクリーン中央に赤い十字の照準が現れる。


「全弾掃射!」


 機銃が火を吹き、重機バスターの足回りに毎秒10発の徹甲弾をばら撒く。大型タイヤがバーストして車体が傾げ、外装が無数の穴で粉々に千切れ飛んだ。


 操縦者パイロットは割れた窓から転がり落ちるように脱出した。額から血を流しながら、何かを叫んで走り去る。たぶん伏字になるような四文字で罵倒しているのだろう。


 入谷いりやは途端に全身の力が抜けて路上にくずおれた。

 SIMRUGHシムルグが変わらぬ調子で告げた。


〈目標沈黙。武装消失。戦闘不能です〉


「うるせえよ」と入谷いりやは言った。


          ☆


 滝久明たきひさあきは覚悟を決めた。


 人間、やれることは限られているのだ。二兎を追う者は一兎をも得ず。ことわざを学ぶのはこういう時のためなのだ。一石二鳥はこの際無視だ。いや、あれは諺ではない。単なる四字熟語だ。


SIMRUGHシムルグ、撃墜した目標の落下地点を予測できるか」


〈表示します〉


 スクリーンの簡易地図上に、ドローンの位置を示す赤い点とはべつに、落下予測地域を表す青い円が現れた。


〈表示円内への落下確率82%。現状データでは限界です〉


「十分だよ」


 僕には世界を救うことなどできない。だが、僕に救えるものはなんとしてでも救うのだ。そのためには棺桶にだって乗り込む。


戦車兵タンカー魂を見せてやる」


 スクリーンの表示の奥、実景の空に四つの黒い点がはっきりと見える。たきはその一つに照準を固定すると、手前の落下予測円を見ながらタイミングを待った。


「ひとつ!」


 ハンドガンの引き金を絞ると、全弾を連射した。目標は空中で爆発して、炎の球となって落下した。落下地点は四谷通り路上。


〈目標1、消失〉


 たきのガードナー0018は空になった弾倉をそのまま下に落とすと、足元に並べた弾倉を一つ拾い上げて装填し、素早く照準を移動して落下位置を確認する。既に目の前の公園の辺りだ。


(ダメだ……これでは間に合わない)


SIMRUGHシムルグ頭部機銃ヘッドガンだ。ハンドガンの照準はそのまま、照準を目標3に」


〈頭部機銃、目標3に固定〉


「ハンドガンと同時に掃射……ふたつ!」


 炎の筋を引いて無数の弾丸が頭部と手元から空へ飛び、立て続けに二つの爆発が起こった。炎上する残骸の一つは公園に、もう一つはガードナーの頭上を掠めて背後の緑地帯に消えた。待機していた消防車がサイレンを鳴らして走り出す。


 最後の一機がスピードを上げて上空を通過した。再装填の暇はない。


SIMRUGHシムルグ、そのまま頭部機銃ヘッドガンで目標4を掃射!」


 再び、今度は炎の筋が逃げる目標を追う。


(頼む! 間に合え!)


 スクリーンの残段表示が「0」を示した一秒後、遠ざかる点が大きな火球になった。ゆっくりと落ちていった先は道路を挟んだ木立の奥、ホテル・ニューオータニの大駐車場。


 たきのガードナーはトレーラー「ケージ1」の荷台で座り込んだ。


 やれることはやった。だが……。

 やりきったという気分からはほど遠かった。願わくば……。


          ☆


 板野真亜玖いたのまあくは正直気乗りがしなかった。


 GACCAガッチャはあくまでも秘密工作隊なのだ。決して最前線に出てくるような立ち位置ではないのである。

 しかし、ANCLEアンクルの部隊が全機出払っていて、自らのチームはといえば川崎の穴橋あなはしラボから帰京の途上となると、それはつまり自分しかいないということになる。


 板野いたのは艶消しグレーのトランスポーターで無人の都心環状線を疾走すると、皇居の堀、千鳥ヶ淵ちどりがふちの上で急ブレーキをかけて停車した。


 どうやら間に合ったようだ。検問所で目隠しを施した車両な不審を抱いたらしいよくわかっていない警察官が、ANCLEアンクルの隊員証を見せているにもかかわらず、車内を確認させろと言ってきた時にはどうなることかと思った。どれだけ熟考して厳密に計算したところで、そこに「人間」という要素が含まれていれば、決して思い通りに事は進まない。板野いたのでなくとも、小学生ですらわかることである。ただ、自信過剰な人間はたいていそれを忘れてしまうのだ。


 複数の回線から聞こえてくる無線連絡を驚異的な処理能力で聞き分けながら、板野いたのはコンソールの、カーステレオにしか見えない装置のスイッチを入れた。助手席に開いたままのラップトップがそれを感知して自動的に連携する。モニターに映し出されているのは、滝明久たきひさあきのガードナー0018が受信していたのと同じ、衛星経由のドローンの位置情報である。赤い点が三つ、速度と高度の数字を引き連れて向かってくる。


 板野いたのが別のスイッチを押すと、トランスポーターの屋根の中央がゆっくりと左右に開いた。もちろんサンルーフではない。その後で迫り上がってきたのは、五連装の小型ロケットランチャーである。板野いたのの車はただのシボレー・トランスポーターではない。正確にはシボレーですらない。米軍が対テロ用に開発した秘密車両、擬装戦闘指揮車「ヘッジホッグ」なのである。


 板野いたのは右手でカーソルを動かしながら、左手でキーボードを叩いて次々に目標を設定していく。赤い点が二重丸に変わって、ロックオンされたことを示した。と、目標は揃って高度を下げ始めた。だがもう遅い。


(やはりついでにここを叩きに来たか……素人め。部隊は分散、火力は集中が基本中の基本だ)


 軽く余裕の笑みを浮かべながら、コンソールの装置に五つ並んだボタンを、時間差を置いて三つ押した。ロケットランチャーは方向と角度を修正しながら、車体を隠すほどの白煙と共に三発の短距離対空ミサイルSAMを撃ち出した。


 煙の奥ですぐさま閃光が三回走り、モニター上の赤い点が順番に消滅した。左手の堀の水面に一機の残骸が落下して、派手な着水音を響かせた。一機は北の丸公園の手前、もう一機は武道館の辺りに落ちたようだった。いずれにしろ民間施設に被害がなければ御の字だった。


「ボルゾイからケンネルへ」


 板野いたのはようやくハンドマイクを取ると、結果だけを告げる。


「ドローン全機撃墜に成功。落下地点に火災発生の恐れあり、至急対応願う。以上」


 さて……。


 板野いたのはランチャーを格納し、サイドブレーキを解除して、おもむろにアクセルを踏み込んだ。ここまではなんとかなった。


 問題はメインイベントだった。

 もししくじった場合は、歴史が変わる可能性すらある。


 そう考える板野いたのの表情に、もはや余裕の色はない。トンネルのオレンジ色の照明が、板野いたのの彫りの深い顔に鋭角の影を落とした。


 ただひとつ、考えようによっては救いなのが、その引き金を引くのが他ならぬ零音一人れおんかずとだということだった。五年前、ブラック・クリスマスの裏で進行していた、恐るべき陰謀を頓挫させた男の息子。

 神は、いるのかもしれなかった。



 24 神撃


 飛行はようやく安定した。

 アウター・バディモード時のヴァルキュリスは、SIMRUGHシムルグが基本制御しながら主に重心移動で航行をコントロールするシステムになるため、浅見弘一あさみこういちの機体が初めての重量物を懸下けんかした状態の学習に時間を要してしまったのだ。おかげで吊られている零音一人れおんかずとは前後左右に振られて気持ちが悪くなりかけていた。ライフルを構える腕に負荷のフィードバックがあるようで、グラウンドに向かう野球少年みたいに肩に担いだ銃身を両手で押さえている。


「出航予定三分前です。速度を5%上げます」


 ヴァルキュリス0022の卯月舞うづきまいが冷静に告げた。だが浅見あさみの0015は無言で従っただけだった。


(最後まで口を利かないつもりじゃないだろうな)


 一人かずとはさすがに不安になってくる。そうでなくてもこの状態は無防備すぎる。なによりガードナーがだ。


「まず我々が狙われる可能性はありませんか」


 一人かずとが言うと、浅見あさみはややあって答えた。


「『芙蓉ふよう』が出航するまではないだろう。あくまでも目標がG7首脳ならな」

「つまり、やられる前にやる、しかないということか……」

「そういうことだ、士長」


 自分だってそうじゃないか、と一人かずとは思うがもちろん口には出さない。


「本当に出航直後に来るんだろうか」

「おそらく」


 一人のつぶやきに答えたのは、通信に割り込んできた作戦課長上原頼豪うえはららいごうだった。


「海保も海自も動き始めた。相手も当然予測しているだろう。帰港まで待っていては面倒なことになる。それにスレイプニルのスペックでは長時間の航行もできなければ、水圧にも対応できない」


 上原うえはらの説明は板野真亜玖いたのまあくの受け売りだったが、くだらないプライドを発揮している場合ではなかった。


 確かに、水中を自由に動き回れるような形状ではなかったなと一人かずとは思う。あくまでも陸戦用重機に水中活動機能が追加されただけだ。ならば。


 潜んでいるとすれば、どこだ。どこから来る。


 船が見えてきた。


 有明島ありあけじまの西端、東京国際クルーズターミナル、豪華客船『芙蓉ふよう』は今しも埠頭を離れようとしているところだ。


 風が出てきた。


 わずかに波立つ海面が水中の視認を困難にしている。


SIMRUGHシムルグ、モニターを赤外線モードへ」


〈赤外線センサーカメラ、作動します〉


 視界が一瞬で青と紺と黒の抽象画に変わった。そのところどころにオレンジ色の塊が見える。たとえば『芙蓉ふよう』の淡い船影、船体から放射される僅かな熱を感知しているのだ。


 海面は、ほぼ青い。

 そして、当然のことながら、広い。


 スレイプニルが急速浮上してきたとして、確認してから対応するだけの余裕は、どう考えても、ない。


 来るとすればどこからだ。


 周辺の陸上では発見できなかった。東京湾の沿岸施設に至ってはしらみ潰しに捜索している。移動させるにも目立ちすぎる。


 だが、ガードナー002の警棒に砲口を塞がれたまま逃走している。修理点検は行ったはずだ。仮に近隣のドックを使ったとして、いったいどこに隠す。もっとも発見されにくい場所……。


 それは「一度捜索した後の水中」ではないのか。


芙蓉ふよう』は完全に埠頭を離れた。ヴァルキュリスはその上空を旋回する。


 賭けだが、賭けなければ成功はない。


 新有明島しんありあけじまからの最短距離。有明島と海の森とを隔てる隘路おうろ


「ビーグルスカウト、この位置をキープする」


 浅見あさみが言った。一人かずとはスクリーンを注視しながら首を回して辺りを見る。変化はない。すぐ近くにいるならそろそろ浮上しなければおかしい。ましてや波もある。狙うとすれば目標面積が大きい真横からに違いない。


「いえ」と一人かずとは答えた。「この先の水路の出口へ」


「根拠は」

「そう思うからです」

「……いいだろう」


 少しの沈黙をおいて、浅見あさみが言った。


          ☆


「おまえがそう思うなら」


 一人かずとは父親に言われたことがある。


「結果的に間違っていても、それは正しい」

 いつのことだろう。何のことだろう。きっと何かわがままでも言ったのに違いない。


 父親の記憶は僅かな断片しかない。普段はすっかり忘れている。思い出そうとしても何一つ思い出せないこともある。


(こんな時に思い出すのか……)


          ☆


SIMRUGHシムルグRR44ダブルアールヨンヨン安全装置解除。新たな熱源を検知次第、自動ロックオン」


RR44ダブルアールヨンヨン、安全装置解除します〉


 一人かずとは肩に担いだライフルを両手で構え直した。スクリーンの中央に照準マークが出現した。


          ☆


「上手くいくと思っていても、失敗する時は失敗する。でもな、失敗するかもしれないと思っていると、たいていは失敗するんだ」


 今時精神論は流行らないぜ、父さん。


          ☆


 スレイプニルの砲手席に座るルギアニア人、ハリル・バッシャールは高揚感を抑えきれずにいた。操縦席のアプドゥルラザク・イルハームが終始冷静であることが信じられないほどであった。


 彼らはルギアニア正規軍の軍人として、尊敬と憧憬を集める存在であった、はずだった。ところがある日、反政府軍によるクーデターが成功すると、突然戦争犯罪者の汚名を着せられ、投獄かゲリラとしての抵抗かの選択を迫られることになった。そして、反政府軍を支援し、武器や資金を供与していたのが西側諸国なのだった。


 仲間が大勢死んだ。家族も死んだ。友人も死んだ。バッシャールの生きる目的は復讐だけになった。そんな時、戦場で東洋人に声をかけられた。莫大な報酬、そんなものはいらない。くれるというなら受け取るが、あくまでも二の次だった。


 スレイプニルを強奪する。倉庫を爆破して逃げる。軍の奴らを始末できなかったのは心残りだが、どうせ裏切り者のクズだ。ろくな人生を歩むまい。浮きドックまで重機を運ぶ。そして「元の場所」に戻り、交代で海底のスレイプニルを守る。燃料と食料、エタアンクの補充、廃棄物の回収は夜中。二十四時間狭い機内で過ごすのはかなり参るが、いつ銃弾が飛んでくるかわからない前線に比べたら天国に近い。


 雇い主はわからない。どこの誰かも目的にも興味はない。GUARACTERギャラクターと名乗っていたようだが意味は知らぬ。イルハームは最初から信用していないようだった。


「こんなに都合のいいことが続くわけがない」とイルハームは言う。「神は苦難を与える。幸運を与えるのは悪魔だ。だが、最後に我々を救ってくださるのは神だ」


 イルハームが口を開くのは、神について話す時だけだ。とうに信仰を捨ててしまったバッシャールは、肯定も否定もせずに聞き流すしかない。


 イルハームは頭に銃弾を受けて死にかけて以来、感情というものを失ってしまったようだ。それでもこの国にやって来たのは、自分から「自分」を奪った連中を殺せば、ひょっとしたら「自分」が取り戻せると思っているのかもしれない。もちろんそんなことはないだろう。失ったものは戻って来ない。失わせた者から同じように何かを奪うしかないのだ。


「時間だ、イルハーム」

 バッシャールは操縦席の相棒に言った。予定時刻に出航の連絡が入っている。あとは浮上して、とっておきの砲弾をぶち込んでやるだけだ。

 イルハームが無言で操縦桿を引き、ペダルを踏み込むと、機体両脇の内蔵バラストタンクから強制的に海水が排出され、底部のスクリューが回転して脚が海底を離れた。


 三十秒ほどで機体の上部が海面から顔を出した。細長い視認窓に、大型客船が真正面に見えた。


「とっととやっちまおう」

 バッシャールは興奮気味に言いながら、砲身の防水弁を解放した。照準器を覗き込むと、丸く切り取られた世界の中心、目盛の付いた十字線の交点に船影を置く。


 その時だった。


 自身と客船との中間に、空からわけのわからない影が降りてくるのをバッシャールは見た。照準器のピントが自動的にその影に合い、ぼんやりしていたディテールがはっきりとした映像に収斂して目に飛び込んできた。人型。ロボットだ。その色と形に見覚えがあった。だがそいつは、見覚えのない物を手に持っていた。いや、構えていた。その異様に長い何かの先端がこちらを向いていることに気づいた瞬間、イルハームが言った。


「だから言っただろう」


          ☆


 RR44ダブルアールヨンヨンから放たれた直径47ミリの徹甲弾は、瞬間的に放出された大電流が発生させる強力な磁場で秒速2000メートルまで加速して、発射とほぼ同時にスレイプニルの前部装甲を貫通した。衝撃波によって海水が巨大な棒で叩いたかのように左右に弾け飛び、海面に一瞬白い道ができた。弾丸は潰れながらなおも止まらずに内部機構を完全に破壊して、着弾時の衝撃で広がった口径の数倍の穴から海水が流れ込んだ。


 スレイプニルはゆっくりと沈み始めた。乗組員が脱出する気配はなかった。既に脱出可能な状態ですらなかった。


 ガードナー0011は射撃の反動で振り子のように大きく後方に揺れた。その重量に引っ張られて、ヴァルキュリス同士のローターが接触しかける。卯月舞うづきまいは機体を急上昇させて回避を試みる。アウターバディモードで重い電源ボックスを抱えている浅見のヴァルキュリスは、反動の影響が小さい代わりに素早くは動けないのだ。


 そのタイミングでその後方に振られたガードナーが戻ってきた。急激なベクトル変化にまいの対応が一瞬遅れた。


「しまっ……!」


 まいのヴァルキュリス0022は機首を天に向けて失速する。


「ライフルを捨てろっ!」

 叫んだ浅見あさみは既に電源ボックスを離している。接続コードに引っ張られて、レールライフルはガードナーの手からもぎ取られるように海面へ落下していった。


「全速!」

 浅見あさみが身体を前に倒すなり、急加速してガードナーが吊られたワイヤーを引き、引かれたガードナーは0022を前方に引っ張る。関節がきしむ嫌な音が操縦室に響き、一人の背中に冷たいものが流れた。


「最悪、ガードナーを切り離せ!」

「えっ?」


 一人かずとは思わず訊き返して0015に繋がるワイヤーを掴んだ。ガードナーは防水構造、のはずがない。千切れるか、落ちるか。いや、千切れても落ちる。ガードナーの脚が海水を蹴った。


〈左肩関節負荷増大。危険です〉


「言われなくてもわかる!」

 一人かずとが悲鳴を上げた。


 まいのヴァルキュリスは海面ギリギリで二、三度ロールした後、なんとか制御を取り戻して安定した。一人かずとのガードナーだけがまだ前後に揺れている。


 浅見あさみが大きく息をつくのが聞こえた。


「……すみません」

 消え入りそうな声でまいが言った。


「おまえのせいじゃない」

 浅見あさみが柔らかな口調で答えた。

「よく立て直した。並の操縦者パイロットなら墜落している」


「先輩のおかげです」

「やめろ。こんなところで勝手に落っこちられちゃあ、俺が納得いかないだけだ」


「あの……」


 おずおずと一人かずとが口を開いた、


「すいませんが、いったん陸地に降りてもらえませんか……吐きそうなんです」


          ☆


「……私だ。直ちにプロトコルAを発動しろ……そうだ、自殺ということだ。証拠は多いほどいい。抜かりなく頼む」


 内閣総理大臣政務秘書官北条正憲ほうじょうまさのりは、通話を切って大きく深呼吸した。


 ANCLEアンクルは7:3で失敗するのではないかと北条ほうじょうは考えていた。思ったよりも優秀な人材が集まっているのかもしれない。それにしても穴橋あなはしめ、何も言われぬのをいいことに、調子に乗って好き勝手しやがって。


 まあ、いいだろう。北条ほうじょうにとってはどちらでもよかったのだ。その結果が自衛隊の装備・権限の拡大でも、警察機構の武力強化でも、目指すところは同じ、平和幻想の打破と自立した国家である。


 大道寺だいどうじには気の毒だが、そのためのいしずえの一つになってもらうしかない。テロ組織と通じていた政務官が情報を漏洩させ、意図的に警備の連絡を怠り危機を招いた。とんでもない話ではあるが、あり得る話でもある。実際、規模こそ違え、似たようなことは頻繁に起きているのだ。報道されないから糾弾されないだけであって、国の中枢で起きていることのすべてが白日の元に晒されたら、政府などいくらスペアがあっても足りないだろう。


(だから結婚など反対したんだが……)


 北条ほうじょうにも良心がないわけではなく、罪悪感で陰鬱な気分になった。もっともその気分は自身の行いに対してではなく、大義の前にあってなお罪悪感を抱いてしまう自分に対しての嫌悪であるのかもしれなかった。


 前を走っていた大型トラックが赤信号で停まった。車間を詰めてブレーキを踏んだ北条ほうじょうは、なにげなくルームミラーに目をやった。タンクローリーが減速する気配を見せずに突っ込んで来ようとしていた。その運転手が居眠りをしているわけでもなければ狼狽うろたえる様子もなく、こちらをしっかりと見据えているのを認めて、北条ほうじょうは絶望と共にすべてを悟った。


(俺もただの駒か……)



(Continue to Episode3)

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